国民政府の
軍事中央機関

 国民政府の最高軍事機関
は軍事委員会であつて、之
は南京の城内にある中央軍
官学校の構内にその事務所
がありこの軍官学校の奥の
方に委員長の官邸があるのである。
 軍事委員会の委員長は周知の通り蒋介石であつて、南京に居
る時は主にこの委員長の官邸に起居して居る。然し蒋介石は同
時に又行政院長を兼ねて居るので、時には南京城外の明の孝陵
の側にある孔祥煕の別邸に居ることがある。
 この軍事委員会の中には航空委員会、資源委員会、馬政委員
会、調査統計局、軍医会、禁煙総会合等があつて主な仕事は弁公
処でやつて居るのである。
 この軍事委員会は参謀総長、軍政部長、訓練総監、海軍部長、
軍事参議委負長等が重点となつて居るが、この外に常務委員と
して馮玉砕、閻錫山、何應欽、程潜、李烈鈞、白崇禧、李宗仁
等が居り、この中馮玉砕と閻錫山は副委員長となつてゐる。
 すべての作戦計画は軍事委員会で決定され将校の任命や免職
もこの軍事委員会によつて行はれるのである。軍の移駐(軍隊
の移動)に就ても軍事委員会の命令がなければ出来ないのであ
つて恰度日本の参謀本部、陸軍省、教育総監部といつたやうな
ものを全部集めた処の権限を持つてゐるのがこの軍事委員会で
ある。
 周知の通り何應欽は一面に於ては軍政部長であり、他面に於
ては軍事委員会の常務委員であつて軍隊の移動とか或は軍政事
項に関しては大体彼が牛耳つてゐるのである。
        ○
 参謀本部は日本と同様参謀本部といふ名称であつて、現在の
参謀総長は程潜(今年五十六歳)参謀次長は楊杰(やうけつ)と熊斌(ゆうひん)で楊杰
は今年四十八歳、熊斌は四十四歳である。参謀本部の中には総務
庁、第一、第二庁、陸軍測量総局がある。従つて日本の参謀本部
で行つてゐるやうな仕事をやつて居るのであるが、作戦の根本
計画とか大きな軍隊の異動などは軍事委員会でやるのである。

  建物は行政院及び国民政府と同じ構内にあつて、昔の役所の跡を
 三つに分けて使つてゐるのである。参謀総長の程潜と次長の楊杰は
 共に日本の学校を卒業して居る。程潜は日本語を話さないが楊杰次
 長は日本語が上手である。今一人の参謀次長熊斌が目下北平へ赴い
 て第一線を激励してゐる事は已にここ一両日のニュースで伝へられ
 てゐる通りである。
  日本と比べて違つてゐる点は参謀本部の内に軍全部が一緒に入つ
 てゐる事で、即ち参謀本部で海軍の事もやつてゐるのである。

 日本の陸軍省に比敵(ひつてき)すべきものは行政院内の軍政部で何應欽
がその部長であり、その下に政務次長に曹浩森(そうこうしん)、常務次長に陳
誠の二人がゐる。この軍政部の中には総務庁、陸軍処、航空処、
軍事処、兵工処などがあつて陸軍庁と軍事庁とが日本の陸軍省
がやつてゐるやうな仕事をやつてゐるのである。何應欽、曹浩
森の二人とも日本の学校を卒業してゐる人で日本語が話せるの
である。
        ○
 日本の教育総監部といつたやうなものは支那では訓練総監部
と謂ふ。訓練総監は康生智、訓練副官は周亜衛、張華輔の二人
であつて、共に日本の陸軍大学校の出身者で日本語は達者であ
る。内部の組織は日本の教育総監部と同じやうなものであるが
特に違ふのは軍学編訳処と国民軍事教育処とがついてゐること
である。

  軍学編訳処は外国の軍事学の書籍を翻訳する処であつて、此所に
 は日本語の出来るものが沢山居て朝から晩まで翻訳をやつて居る。
 国民軍事教育処は国民の軍事訓棟の事を掌つてゐる処で、最近官公
 吏や学生一般青年等の軍事教育を計画する処である。

 その外海軍には海軍部が行政院内にあつて日本の海軍省に比
べる事が出来るのであるが、支那の海軍は甚だ貧弱であるため
海軍部の内部も従つて小さいものである。部長は陳紹寛であつ
て、支那に於ける唯一人の海軍上将(我国の海軍大将に相当す
る)である。次長は陳季良、陳訓泳の二人で、以上三人は共に
福建の人であり、支那の海軍には福建の人が非常に幅を利かし
て居る。
 以上の外に軍事参議院といふものがあり、その院長は陳調元
であり、その下に参議諮議が沢山居るのであるが、こゝは恰度
高級将校の姥捨山といつたやうなところで、平常は大した仕事
はして居ない。(七月二十五日放送)