支那中央軍の
挑戦的行動
去る十八日来宋哲元は天津
の我軍司令部に香月将軍を
訪れて遭撼の意を表し、更
に翌十九日夜支那駐屯軍
は二十九軍代表と七月十
一日に調印した協定第三項に基いて、共産党その他排日の取締
りに関する具体的実行方法について協定するに至つたが、事変
発生以来支那側の再三再四の背信不法行為が示す如く、又例の
藍衣社、C・C団等の暗躍並にその影響を受けて、根強い抗日意
識に燃えてゐる学生や廿九軍の中堅以下等が存する限り、今回
のやうな不法行為が何時何処でくり返されぬとも限らずこの点
我方としても絶対に許す事が出来ない訳である。茲に甚だ奇怪
なのは南京政府の態度であつて、事変発生以来飛行機及び多数
の軍隊を北上させて対日戦備に狂奔してゐることは周知の通り
であるが、その北上兵力は主として鄭州以北の平漢鉄道沿線に
集結せられて居るやうであつて、中には真偽不明の分もあるが
大体、万福麟軍馮占海の一師の外中央軍たる
炳
(ほうへいくん)の第三十
九師孫連仲及び商震の諸軍その他第二十五師第十三師等は既に
県(たくけん)(北平の西南方約十五里)と、石家荘との間の地区に進出し
てゐるやうである。支那側当局も、中央軍の一部が河北省内に
入つてゐる事を自ら認めてゐるのであるから之は正に梅津、何
應欽協定の明かな蹂躙である。
その他第二十一第百二第百六師、劉多筌の二師、劉峙軍、或は
第八十五、第第五十八、第百六十六の各師等も、鄭州以北に居る
らしく、別に津浦線(しんぽせん)によつて一部中央軍は山東省に輸送され、
その他多数の軍隊が出動準備を整へてゐるやうである。
航空部隊は洛陽を基地、西安を副基地として中支及び南支か
ら北上集結させ、徐州鄭州等の飛行場と共に防空施設を完備し、
更に隴海線以北にも飛行場を新設し太原(たいげん)飛行場には多数の爆弾
等を集積し、保定飛行場には上海から三、四十機の飛行機が来
てゐるやうである。又山東省にも重爆撃機が到着したとの情報
がある。
現地に於ては冀察側が既に我方の要求を承認し、和平解決に
一歩を踏み出した訳であつて今やその誠意ある実行を待つだけ
であるが、その背後にある南京政府が依然として上述の如き挑
戦的態度に出で抗日を取締り得ざる以上、将来更に如何なる事
態が発生するかも図り難く蘆溝橋事件の善後処理の成否はひと
り第二十九軍の誠意のみではなく、更に南京政府の態度如何に
よるものと見られるのである。 (七月二十三日放送)