イ苛アバドリオ政府の
無健件降服に裁て
倍数局準二林長 堀 公
御承知の流すイタ与パド是政府竺押入是英に射し鋲恢件降
服をいたしました0この行岱はハ暗和十五年九月二十音)日抑伊三国
條約ハ琴二條)に基く撃皿援助現夏びハ昭空丁六彗丁二月十首)
品伊宰相不朽和協定の琵反であゎ、徒つ妄た晶雨担に潮する
せ質的敵封行為と押すべきものであります。
今岡の事件は地中海方而の取況がイタ与に不利なるに魂じて拳英
が清澄な国内費乱の謀略馳宗ひ、伊国印の一部反確放び反ファッシ
ョ分子なして生娘論話たろムツソ三蒜な倒し、.ハドリオを小心と
する反戦誉丁な挫樅してイクリ丁囲氏の犠牲に於て耽牢な中止せしむ
るに成功した斑例であ豊して、その全馳局に及ぽす影響の尚払は響
く措くも米英の執拗巧妙なる破格吉の扁としてその悪性特に注
意を辞するものありと考ふろのであります.
イ頂丁が今壱要職に震いたしましたのはフランス畏浣
の慧十車年六月†阜あ豊すが、イクリ丁はドイツと良く並廃し
て・ハルカソ、7フリ及び地中海万両に於て活動しアフリカに於ては
蒜怯和解の成醗を革げたのでありますが、地中海に放ける海宝び
寧革カの不足は海外沢普に禦1る補給の風洞を軟くに至り、昨彗丁
言入学フリカに↓牲し差喜プトの英驚時宗じくして政弊
に招じ−この現上与フ芸の埠伊笹は形勢不利とな豊年五月中旬
にはチ三字を放棄サるの己むなきにいたり;て島改びイタy
ア本土は米英佳人の危険に曝されるにいたつたのであ皇す.
以上の如晶弊に悪して伊革民社び宰像の聞に政職革分を生ずる
にいたつたので青ますが、革早くこの慧址を察した米英は笠土の
毒姦化すると井に、症烈なる謀略讐訴へ始めたのであります.
その竺歩は昨彗「妄‡九日米董北阿1陸讐ヤ主ルの行つ
た塀雫「イタ与賢は費期且つ預破約堪爆に曝され上皇してゐ
るがこれは竺人の人間がイタリアを駁革に巻込んだからである」と
て曙にムツソ三攻撃を開場し、チユ;丁取革了後は新開、ラジオを
欝て欝慧讐行ひ、五月二十音チ↑チルは孝府に雪rィ
タ与国民望且しくその指慧慧斐際して併合囲の蓄誠に鈍るべき
である0然らぎればイダリ丁国民に封し徹革的演爆心蕪ふであらヱ
と襲伊成雪線彗し、六月十古ルーズグ完トは「反額軸担は最
後の噂利純保革ふツソリ高村汲びその耶陰に警偉く革容赦な
さ敬申を塩類する決意ではあるがイタ÷は再び伊国民に慧せしめ
られるものであつて伊革民がドイツ放びフ丁三卜政拙か最褒したな
らばその秋する形虚の政府な組拭する拐由を容認すろものであるしと
述べ、また米英笹がシ首−良轟後の七月二其日にはルーズ≡
ルト、ナヤ主品名の革明な懲衰し「イクリ丁が生き残る竺爪義
留は聯合軍の鮎倒的な虹由力に名替ある降服を行ふことで、若しイタ
リア国民が依然としてファッショ政他社存扱せしめるならばイタyア
申民は自ら澄んだところに驚その桔巣を甘愛せねばなら撃とし更
(B)
に七月十日英盤柏シソクレアは「我々ほムツソリエ首相地にその一放
とは断じて交渉することは川来ないがイタリア闘比に対しては我々は
何等の敵意もない。イクリ丁周斌なしてファシズムを祁滋させ臼由と
民主表の柵続を払拭せしめ上、然らば伊四比は段洲祀餅に於て正歯
なる地位を再び摂待するであら勺」と髄挽Lたのでありまナ。
このやうに雅英の謀略宜特性何れも米尖り放とナ・?∵ころは付図民
でなくフ丁シスト政鮒であり、これさへ嫉ければ五大な離件でイタリ
アと和平を桔び得るのであろとてイクリ丁閉川に反取反ファッショ気
分を練成せし地た上、イタリアの▲円牢朋蛇む山らつた・ものであつて、
その見え透いたからくりは我々には佗ヰ∵U分ろのでありV…すが、悩め
るイタリア人及び磁の舶い分子の小にはこかセ糾両泊り受け入れろも
のが出来て来たのは出場照極といはたけかばなむませぬu
即ちイタリ丁人は本来ならばかか・わハい敵州の軒鮨に頻る竿ではな
いと思はれるのでありますが、目前山‖、パで迷はされたものもあり、
他方また打払く不利な暇焔と七月」九‖のu−▼大爆撃といふ如き大
きな衝撃に直面したことも手樽ひ、勲k馳分子及び反ファッショ分
子の和平を希鸞ナり山野が晰次耗まり心に竹山、ムツソソニ苛州放びファ
シスト鴬を成分せんと除純な舶らサパみ■什「こか呼分子はファシスト
私的部の軟崩沢とも沌よ、政欒む雉†.小に甥つたのであります∩ムツ
ソy■l首相はシシリI職はに鑑み、L〓卜九‖ヒトラT総統と命見し
硯已むを得ぎれば小嶋梢部イクリT巾捌叩ナ・心ことあるも飽くまで米
英と杭放せんとの決力む凹めた拙ほご山りまナが、これに封する比職
分チの策課は眈に浣に北抄してたり、lに人ツソリエ筒榊郡椴バドリ
」
に封米英涜職を呼iしながら甥は何んとかして少しで札分の良い降服
恍件を受けむものと努力し衆つたものと思はれるのであります。尤も
故にこの気分を鞘知した米英ほ以前の甘言は#上りこれを無鵬し、撫
恍件降眼の一部張りで抑洩し、この米英の誹略の凱に強力な.ハドリオ
政府はイタリア図就役び団蛇の前途を蛇沖目に窄へや」と無く、盤に
九月三H米英革の本土上陸を糊に米英の弊求Tるがままに撫條件陣取
を殉約し、入日にいたつてこれ孜硬水、ここにパドリオ政府は公然8掬
伊三用同盟な恭切りたるのみならず敵側と池じて我が方に不利なる行
動に出て故に背伯の醜名た永く粍史に暇す耶となつたのであります。
山上地べた漁りバドリオ政府は米英の簸拘と化したが、イタリアが
怒印僚溌肥前†ることの吋恍触は夙にチユニジア根絶了累より窺知
せられてゐたところであゎ、11つムツソ少二首相辞職斬件に上り笠上
その性何が駒股となつてゐたのでありますから、これに封し日粕所用
殊にドイツが欧洲方南に放て菰全の科旺み▲謂じてゐたことは申すまで
も如いところであります。ドイツとしては以前上り米英難がイクyア
木ヒに卜陸仰取殺行ふ場合には、祁拾の槻係上帝イタリアに於て強ひ
て米共と研ふ耶なく北イタリアの天瞼に上つてこれを防衛†る方針を
]め、これは先に述べた池り七月†九日ヒトラdムツソリこ雨瓦頭
の件礼に於て意見の一致次兄たところであると侍へられてをります.
こかが柑かムツツリニ首棚辞職後はドイツは北イタリアその他の要
所小川めて奴州班兆の防価に数億撫きを和してをつた槌級であゎま
†。仲へられるところに上れば批に北イタリアには新たにファシスト
閉川政肘が‖水たとのことでありまして、米英の謀略と.ハドyオ政府
の出切り街娼に憤浦やる方撫きイタリアの健全なる国民がこの新政府
の下に馳せ参じ、ドイツと払力飽くまで米英と取ふべきことも容易に
(0)
M問川m川H ■L l.‥= .
想像し得るところでありま↑0殊に畝洲に於ける払鞋の堅鸞仔細に
観察換討して見ま†ると、バドリオ政府枢軸緋朝晩落の如きはさ革で
気に病む程のことで無いことは誰にも詣脈桝来ることであります。
さればといつてイタリアの陣眼が畔洲の触屈に全仏膨皆無しと併ず
るが如きは素上り私の同意する苛へ方ではありませぬ。竺次休職條
件の内容もまだ判然とはして誉りません0従つて敵側がどの程度に伊
本書軍事基地として利用し得るや、またイタリア海抗及び締鮒の肘
昂の開屠バルカy方面に在るイタリア統治桝の成分の尚隠等ここ数日
の坪過を侍たなければ全然未知数の間饉が多々桟つて嘗りまサっまた
イタリア降伏の政治的影響とか心理駒形撃とかいふ問題にいたつては
かなり坪甚の注意を以てこれを研究す・へき謂鮎もありますし、また敵
側がこれに上り日南の恕常晶拐に利用†る宜体的汲兇もかなり犬たる
ものあるは見沸せない串照でありま†。
更に我†が最も娘心せねばならぬことは木塀件わ轟機と†る米英の
謀略宜倖の括澄化であります0兎に角敵はこれに上つて謀略的賃倖の
誓占めたのでありますから、嗣子に盛ることの好きな米英ほ日和も
この事でなどと思ひ上つた考へを起さ申とも娘りませぬeこの鮎に鵬
堺して竺次欣洲大政常時を因みますと完一入竺月大統領ウイル
ソソはいはゆる十四ケ條の平和條件を準試しその理想酌内容を望しド
イツ内部の反戦分子を誘涼し、衣でドイツ政府が宕帳件を受諾する意
義を示した時、ドイツに民主真義酌政府が州来ぎる娘り和平の印紙な
ること彗茄致し、銃後の照乳を計り逸にドイツに革命や誘致し、共和
政府を作らしめてこれと体耽憮約を締結してドイツの武誓腑除した
後、鋳御薗講に竿は例の十四ケ樵ほ全〈触磁しドイツに非常に弱敵
允條件を準ひたることは御免知の漁りであ豊ナPこの時ドイツの固
民は愕撃こして米英の慌恵蒜つたのでありますが、既に米英の謀略
に上る国内分裂の馬と、抗服しても胱誠宗はれてゐた氏め涙をのん
で髄辱に甘んずる他無かつたのであh」与。
今岡のバドリオ政府降服蒜廻もこれと大舵同級で彗寛大の僻伴
わ炭かして反嘩分子を釣り、次でこわ仰なしてファシスト政驚倒き
しめ馳恵穀全く失はした後、これに佃恍件降服姦ひたのであります。
或ろ意味に於て・ハドリオ蒜は見≠に敵のこの古い手に引掛つたの
であり☆与が、これら裏切り竺沢山満ち行くべき革命は従来の障更
に徴しても自ら明かであります。
現在蓋の政局が藤−癌烈の驚加言に従ひ武力取にては到替日
本に断ち昧の無い米英が叔後等段とトて謀略馳を強化すべきとは
港然瀬似せられるのでありますq窯上り議忘火め立となつてゐる
我岩木人にかや弓た謀略が欺わ毒すべしとは苦られませ宗、誰
にも心の醍はあり得るものであよ州掛は把封に禁物であります。
しからば警は武力恥に於て敵の反故諒砕†ると兆に謀略故に射
しても十分到底せねばなりませ氾0イダ与の我が”帥衝からの取落
がこの議忘の徴化に慧つと†ればそれこ品々紬じて轡こなす
ものといはなければなりませね0 ハ九月†最造)