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 「東亜協同体」の理念とその成立の客観的基礎   尾崎秀実
            
                 『中央公論』 (一九三九年一月号)





        一


 武漢陥落後の新事態に対処する十一月三日の帝国の声明が、今次征戦究極の目的を「東亜、永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり」と規定してより以後、この「東亜新秩序」の内容をなすと考えられる「東亜協同体」論「東亜連盟」論は、さまざまのヴァライエティをもって一時に花閃くの壮観を呈したのであった。
 前記の声明の中の「新秩序」の形態が不明確であるとの意見はもっともである。しかしながらこの「新秩序」をもって単に戦争の進行にともなって生じた日支間の新たなる事態、客観的事実のみに限定せんとすることは、新秩序の発生に故意に眼を閉じんとする態度である。それは同日の政府声明を敷衍することを目的としてなされたと思われる近衛首相のラジオ放送中においてもその輪郭をうかがいうるはずである。
  すなわち

 「支那の征服にあらずして、支那との協力にある」
 「更生支那をひきいて東亜共通の使命遂行」
 「支那民族は新東亜の大業を分担する」
 「東亜の新平和体制を確立せんこと」
 「東亜諸国をつらねて真に道義的基礎に立つ自主連帯の新組織を建設する」

等の言葉によって、「新秩序」が帯びるべき特性と輪郭とは、すでに最高の政治的宣言の中に示されたのであった。それはまさしく「東亜協同体」的相貌を示すものである。
 この場合われわれがとくに注目すべき点はこのいわば「東亜協同体」的理念が、事変に対処すべき日本の根本方策ともいうべきものの中に取り上げられていることである。つまり「東亜協同体」は事変解決の方策の不可欠な重点となったことである。この意味において、事変処理に対する日本政府の方針をいっそう具体的に説明するものと期待された十二月十二日の近衛首相の大阪における演説が延期せられ、現在の瞬間においてこれに触れえないことはすこぷる遺憾である。
 「東亜協同体」の理念はいかように発展せしめられたか、あるいはさらにいかように実践的形態を賦与せられつつあるか。
 さらに興味ある点は事変処理方策全般中におけるこの「東亜協同体」の地位および比重いかんということである。すなわち処理方針中における他の要請、− 条件といかに調和さるべきかの問題である。
 「東亜協同体」の理念はすでに古いものであろう。満洲国成立の際の王道主義も、「八紘一宇」の精神も根本において「協同体」の観念と相通ずるものがあると思われる。またそれは、「東亜連盟」の思想とともに、「大亜細亜主義」論の流れをも汲むものでもあろう。しかしながら現下の状勢のもとにおける「新秩序」の実現手段として現われた「東亜協同体」は、まさしく日支事変の進行過程の生んだ歴史的産物である。(この意味においては最近における「東亜連盟」論の体系化もまた同様のモーチヴによるものである。宮崎正義氏の近著『東亜聯盟論』参照。)
 事変の初めにおいてはもとより、南京陥落、おそらくは徐州戦前においてほ、いまだこの言葉は現実の問題となりえなかったところであろう。
  しかして今や戦争三年目の春を迎うるにあたって、この言葉はきわめていきいきとした感覚をもって語られつつあるのである。

      二


 「東亜協同体」論の提案とその説明とは各方面に数多く現われたのであるが、すこぶる奇異に感ぜられることは今日までほとんどこれに対する何らの批判が現われてきていないことである。元来「東亜協同体」の理念が日本資本主義現状維持派によって支持される理由はあまりないはずである。本来ならば相当手きびしい批判を受けるはずである。さてその原因はといえばおそらく現代日本のもっとも特徴的だといわれる点、批判的精神の欠如によるか、問題の意味を十分理解しえぬか、あるいは現在においてこの「東亜協同体」論が実践的にはなおカ弱きを見くびってか、あるいはまたこの主張に便乗せんとする底意によるかのいずれかであろう。多分これらの多くの事情の結合によるのであろう。
 筆者は元来「東亜協同体」論の発生の必然性を見、その将来の発展可能性を信ずるものである。しかしながら「東亜協同体」は現実の問題としては幾多の弱点と実践の上の難点を有しているのである。現在においては、むしろこの点を明確にすることが問題を発展せしめる上において絶対に必要なりと信ずるがゆえに、ここではあえてこの問題を批判する立場をとりたいと思うのである。「東亜における新秩序」ないし「東亜協同体」を一つの新しい理念として、またこれを一つの実践形態として理解しえない人々はかなり多いように見受けられる。最近におけるこの歴史的大事件によって、戦いの相手方たる支那のみが変わったと考え、自分たちの足下は絶対に動くことがないと考えている人々にとっては、この協同体の理念は絶対に理解できないところである。またある人々は東亜協同体の理念が、戦勝者たる日本が東亜大陸における覇業を確立するための手段であるとし、または覇業を緩和して示すための外衣にすぎないとするのである。
 支那大陸が、発展する日本経済のための市場として、また原料供給地として着目されたことは否定しがたい事実であり、また国防の観点からも大陸のある地域が着目されたことは問題のないところである。満洲事変以後、日満支経済ブロック論がしきりに唱えられた時においては、この経済ブロック方式はひたすら日本経済の発展のために満洲国および支那、とくに北支が補充的に動員せられるということを目的としていたのである。本事変の発展の初期において北支だけの範囲で問題を打ち切ろうと考えた場合は、まさにこの方式に基礎をおいたものであった。現在においてもおそらく日本の資本家、また一般人の多くは依然として大陸に対する主たる期待をこの点にかけているのであろう。北支および中支の開発会社の設立が急がれたのもこの観点からであった。大陸における建設の問題は、経営の問題、開発の問題としてはまず取り上げられたのである。鉄が、石炭が、かくて興味の中心とされたのである。この事情はひとり北支にかぎらず、中支に戦果が拡大された場合においても、やはり興味の中心をなすものは資源の問題であった。しかもそれは今や開発の可能性を離れて単なる資源そのものとして取り扱われがちな傾向をすら生じてきているのである。
 揚子江の水運を十分に利用しうる数多の鉄ならびに石炭の鉱山。さらに世界に冠たる、タングステン、アンチモニー等の特殊鉱をもつ湖南、江西の南方山岳地帯−これらの資源を追求してはてしなく夢を拡大することはその他の諸問題との比較において十分慎しみ深くなくてはならないとこちである。
 資源追求主義、ないしはこれを中核とせる経済ブロック論のごときはその道徳性を問題とするまでもなく、現実の問題として、開発資金の問題において、治安の問題において、はたまた戦争遂行と睨みあわせた一般的な経済上の余裕の問題において、成り立ちえないのである。


      三


 東亜協同体論の成立の基礎の一つが、以上のごとく日本の一方的方式によって東亜諸国を経済的に組織化することが困難なりとの事実が明確となった結果にあったことは事実である。かかる意味からいうならば、「東亜協同体」論の発生をもっとも深く原因づけているものは、支那における民族の問題を再認識したところにあると思われるのである。
 支那における民族の問題は、何人もこれが現代支那において最大なる問題たることを認めるであろうが、しかしながら、あたかもあまりに身近く存在し、しかもあまりに広大なるものが看過されがちであるごとく、支那における民族の問題はしばしは支那に対する問題の場合に忘れられがちの上うに見うけられるのである。
 われわれが民族の問題という場合において、それはもちろん支那の民族が広大なる地域に住むことや四億という多数の人口を擁しているといったような事実もむろん重要ではあるが、われわれがとくに重要視するのは静態的に見たそれではなくして、動態的に見た民族の問題であって、ある場合には民族の動向と一致するのである。
 支那におけるもろもろの問題はもちろん、支那社会の特殊性を通じて理解されなければならない。その意味において支那社会の二大特質として挙げられるそのいわゆる半封建性と半植民地性とは、この事変の発展のうちに次第にあらわにむき出されつつあり、この点はかなりによく取り上げられている。ただ問題が具体的に把握されているかどうかは疑問であり、時としてかえって過大に評価されるごとき場合もある。
 しかしながら、これらの問題よりもさらに一般的にして普遍的なる民族の問題はしばしば看過されがちである。かくのごとき民族の動向の問題は、これを抗日統一戦線の根幹たるべき国共両党の結合のうちにも見うるし、また今日日本の支持のもとに国を建てつつある新政権の首脳部およびその住民のうちにもこれを認めうるといいうるのである。この民族の問題は日本が武力をもって、奥地から地域的に新政権の地域を切り離すという事実のみによって、毫も解決しうるものでなく、依然として存続するものなのである。経済の問題についてもこれはいいうることであって、たとえば法幣の問題のごときは、はじめはこれを単に蒋介石政権の海外に有する準備金の問題や外国の経済的支援のみによって決定しうると考えたのであったが、そうでなかったことは次第に明らかとなってきたのである。それは実に民族経済の問題であり、一に民族の問題なのである。そこに特別な根強さが加えられるのである。さらにまた他の問題についていえば、たとえば講和問題のごときにおいても、今日においては支那に偉大なる圧力を有する英米といえども支那に講和を強いることをなしえぬであろう。低い経済力と、不完全な政治体制と、劣弱な軍隊とをもつ支那が、とにもかくにも今日まで頑張り続けている謎は実にこの民族の問題にあるのである。これは単に国家的規模についてのみではない。問題のゲリラ戦の戦士はもちろん、いっさいの政治的勢力と不協同の態度をもって、ただ大地のみを相手にしているかのごとき農夫や、街頭のルンペン少年にいたるまで、それぞれの形をもって貫いている問題なのである。
 日本人の多くはあるいは始めから支那の民衆を憎み、これと戦うのではなく、誤れる政策を固持する国民政府に打撃を加えて、これに反省を加えんとする目的をもっていたのである。しかしながら支那側は始めから国運を賭しての民族戦であると考え行動しつつあるのである。われわれは武力を用いて支那を敵および味方の二地域に分つことはできるのであるが、その時といえどもかかる形で分割された二つの地域に共通にこの民族の問題は残るのである。おそらくは今後たとえ日本の欲するがごとき形をもって戦局が終りを告げるにいたった場合、つまり日本の完全なる勝利の場合においても、なおわれわれはこの民族の問題とからみあった深刻な問題と対せざるをえないであろう。
 支那における民族問題の動向は現在において完全に日本と背馳するを方向にあるのである。これに対して力のみをもって抑えかつ方向を転ぜしめんと試みることが、いかに多大の力を要するかは容易に想像しうるところであり、かつその困難はわれわれが現実に味わいつつあるのである。
 「東亜協同体」の理論は、事変以来の民族問題とのはげしい体当たりの教訓から生まれ来ったものであることは十分了解できるところであろう。
 支那における長期経営の問題においてはその復興を第一着手としなけれはならないのであるが、その際においてこの重要なる支那の民族運動の動向を無視して経営が強行されるということは、少なくともその効果の上において賢明なる策とはいい難いのである。この点において支那民族自体の積極的協力を要請する協同体論が、その理念のみの問題として止まることなく進んで現実の政治性をもちえたゆえんである。
 「東亜協同体」論が直接日支戦争の現実の推移の間から生まれたものであるとの意味は、この点についていうことなのである。


       四


 以上のごとく説く場合においても、東亜協同体論が日本が支那問題処理に手を焼いた結果生み出した支那民族を協力せしめるための一つの窮余の策であるとか、または一つの強力政策をごまかす政策であると解釈してはならないのである。率直払いって今日、かかる観点から東亜協同体論を容認しているものも決して少なくないのであろう。
 しかしながら真実の東亜協同体は支那民族の不承不承ではなしの積極的参加がなくしては成り立ちえないのである。それは決定的な事実なのである。このことは東亜協同体論が始められた動機や、その政治的方策として取りあげられた理由よりは、さらに深いところに位置している厳然たる事実である。
 今日においてわれわれが常に感じるところは、戦争の目的について種々なる混交が見られることである。国防的観点よりする要求は絶対にまず要求されねばならないとされる。日本経済のために必要なる独占的市場、あるいは特権をもつ市場が要求されねばならない。さらに日本産業のために不可欠なる要求として、これこれの資源が必要であるとの声をきくのである。それはいずれも従来の建前から見て支那に要求される正当な理由があるであろう。しかしながらこれは力によりて要求されるのではなくして、さらに一段高い将来の東亜再建のための必要に基づいて要求されねばならないであろう。
 われわれは静かに「聖戦」の意味について三思する必要がある。今日一部において、もしも日本がその大陸に対する要求を具体的に明瞭に形の上に現わすのでなければ、尊い血を流した勇士たちは瞑することができない。また艱難辛苦しつつある出征兵士たちがおさまらないであろうとの説をなすものがある。絶対に正しからざる説である。おそらくは心事高潔ならざる輩が自己の心事をもって推しはかったものであるにちがいない。一身をなげうって国家の犠牲となった人々は絶対になんらかの代償を要求して尊い血を流したのではないとわれわれは確信するのである。東亜に終極的な平和をもたらすべき「東亜における新秩序」の人柱となることは、この人々の望むところであるにちがいないのである。
 かかる協同体の確立は必ずやその指導的構成員たる日本に対しても、他の構成員たる東亜の国々とともに、多大の利益をもたらすことになるであろう。
 具体的な事態の推移においてこの東亜協同体の終局の理想が完成された形で現われてくると考えることは、あまりに空想的でありすぎるのである。この理想を現実の問題として発展せしめていくためには内外に大きな闘争を必要とするであろう。内部的には本来の帝国主義的要求がむき出しに現われてくることを押えていかねばならないであろう。外においてはなお当分は民族的抗争を試みる支那に対してコーランと剣との様式における闘争が絶対に避けえられないであろう。支那人自らが、正しく自己の問題としてこの「東亜協同体」の建設に努力する時にいたってはじめて目的は達せられるのである。
 現在抗日支那はこの東亜協同体的理念に対していかに考えているかを知る必要がある。それは当然予想せられうるところであるが、たとえば帝国政府の十一月三日の声明に対して国民政府スポークスマンが話した言葉の中でこの問題に関してはつぎのごとく述べている。
 「今次対支作戦の目的は日支両国間における政治経済文化の合作を基礎として東亜の新秩序を創造するにあると日本はいっているが、これはまた世人を欺騙(ぎへん)するにすぎぬのである。平等の条件にもとづいて日本と合作することは支那が従来より反対していなかったが、東京政府により提議された政治合作はまったく支那の自由独立国家としての神聖権利を犠牲にせんとするもので、支那国民はあくまで反対せねばならぬのである。云々」
 「東亜協同体」論の理念、とくにその成立の基本条件とその発展とを理解しえない抗日支那の立場からしては当然起こりうべき議論であろう。
 民族問題の深いところでの解決を目標として出発した「東亜協同体」論はその推移と発展のためには、まず民族的闘争を或る期間続けなければならない運命におかれていることを知るべきである。


      五

 「東亜協同体」論はこれを一個の理念として見るときは、何人にも異存なき一つの大理想であることは問題なきところであるとして、これが実際政治の問嶺として実践に移される場合において遭遇すべき幾多の曲折については、すでに予想せるところのごとくである。
 かかる予想をもち、しかもかかる場合において断乎としてこれを貫く決意をもたざるかぎり「東亜協同体」論は一個の現代の神話、夢たるに終わるであろう。
 現在におい七。「東亜協同体」論は当面の支那問題処理の困難さのために、それからの一種の「出路」としてあたかも万能膏のごとく一部には取り扱われているのである。これは事実と相隔たることはなはだ遠しとせざるをえないのである。
 行くてには民族問題の険難が重積していることは先に繰りかえし述べたごとくである。
 蒋介石は十一月一日の全国民に告ぐるの書において、「中国の抗戦は普通の歴史上における両国の争覇戦ではなく民族戦争、革命戦争であること、しかも民族革命の長期戦争は必ず最後の勝利を得ること」を述べているのである。
 民族問題との対比において「東亜協同体」論がいかに惨めにも小さいかはこれをはっきりと自ら認識すべきである。そうでないならば「運命協同体」の緊密さもついに神秘主義的決定論に終わるであろう。
 一方において「東亜協同体」論者中には、日支両国民が同一世界観をもつにいたるべきことを絶対の必要とする見地よりこれを唱えるものもあるようである。これもまだ現在の瞬間においてはいささか空想的にすぎるのではあるまいか。
 「東亜協同体」論者の中には協同体の完成されたる形を拉し来って、いささか超国家的体制を描くに近き印象を与うるものがある。これもまた現実とは相当の距離があるであろう。「東亜協同体」論はかつての日満支ブロック論において経済の問題が中核をなし先行したに対し、政治の面が強く浮かび出ているのである。山崎純氏などとくにこの点を強調しているのである。もちろん一般的には正しいと思われるのである。(『評論』十二月号)
 しかしながら概括的にいって現在までのところ、この問題については政治面の強調に比して、経済的、社会的条件が低く評価されすぎている傾きがないでもない。東亜協同体内部の経済的構成がいかにあるべきかということは今後具体的検討を積むべきであるが、それとはべつに東亜協同体の存在理由ともいうべきものの一つとして東亜における生産力の増大が、半植民地的状態から自らを脱却せんと試みつつある民族の解放と福祉とにいかに多く貢献すべきかはとくに強調されてよいわけであろう。
 これはまた日本にとっても同様であって日満支経済プロック論の恣意を脱却せる経済的成果が「東亜協同体」の埒内において実現することを意味するのである。この意味において、大陸を経済的に日本の植民地的地位におかんとした初期の日満支ブロック体制は、最近における大陸における経営形態への移行によって揚棄せられたと信ぜられる。日本経済の再編成はこの観点からしても必然化されをものと思われるのである。
 「東亜協同体」の具体的な政治的構成がいかなる形をとるべきかについては十一月号の『改造』において蠟山政道教授が大体の輪郭を示している。(「東亜協同体の理論」五、〈東亜協同体の政治的体制)参照)
 この大体の輪郭から進んで東亜協同体構成国家の代表会議Jあるいは共同委員会、もしくは共同宣言の具体的方式が考ええられるはずである。
 「東亜協同体」の基本構成員たる支那がそれ自体いかなる内部構成をもつべきかはこの場合相当重要な問題である。現在日本軍の占領地域内における新政権の成立状態と、相互の結合状態は、この場合将来の決定に対して重大なる関係をもつこと思われる。
 東亜協同体内における支那が連邦的形態をとるか、あるいは邦連(国家連合)的形態をとるかは、なお将来の問題に属している。われわれの見るところでは、一方において中央集権的要望がますます強まる事実の他方に、地域的特異性が強調さるべき必要が増大しつつあるかに見えるのである。この場合、北支と中支に対する日本経済の結びつきかたが本質的に異なることは一つの規準をなすものであろう。それはまたきわめて緊急にして重要なる中支における幣制の特異なる立場とも関連するものであろう。
 さらにこの場合においてもまた、現在地方政権的地位に陥ちたりとはいえ、民族問題においてなお深い根を有する蒋介石政権の地位が明確に決定しないかぎり、「東亜協同体」の二重構成内の支那の内部構造は本ぎまりにはならないわけである。


      六

 「東亜協同体」理論の中に幾多の混交があり、ことに実際政治の中に取り上げられたこの理論と適用とには本質的にはこれとまったく相容れざる対立の理念が含まれていることは、この理論の生まれ出で経過した時代の客観的条件の変遷によるものなることは先にふれたところである。
 今日これが大して問題とならないのは、「東亜協同体」論がまだ私案の域を脱せず、政府の宣言、声明にぼんやりとは現われたものの、いまだこれにもとづいて支那側と折衝する段取りとなっていないためであろう。
 しかしながら今後「東亜協同体」の純粋なる指導原理が拡充せられ、かつこれが実際政策に適用されんとする場合においてはおそらくは強力なる摩擦を国内の資本主義陣営とのあいだに生ずるにいたるであろう。
 経済政策の面とならんで日本の大陸政策の他の重要なる面を形づくっている、外交政策の上においても多くの考うべきものが残されているがごとくである。「東亜協同体」の新体制の確立せられたる場合の外交についてはその政治的構成に即応して、むしろ問題は簡単であると思われるが、混乱はかえって今日いわゆる興亜外交と呼ばれる過渡期において現われているように思われるのである。
 日本の外交は一方において、東亜大陸を依然としてその帝国主義的進出の対象と見つつある列強から「東亜協同体」を防衛する任務に直面している。彼らは日本の行動に対して日本流の説明をけっして聞こうとはしないのである。この立場に対して日本は、きわめて辛抱強い態度をもって身をもって新しい指導精神を明らかにするの任に当たらねばならないのである。しかも日本自身、内部には欧米列強と少なくとも客観的には選ぶなき主張と要求とを残存せしめているというすこぶる困難なる立場なのである。ここにはたしかに真に「東亜における新秩序」の観点からして清算さるべき夾雑物を多く包含していると感ぜられるのである。
 東亜における日本の特殊的地位を主張することは「東亜協同体」の共同の利益防衛の見地からは絶対に正しいであろう。しかしながらそれは英米その他列国の猜疑するごとき日本の独占的な排他主義であってはならないのである。
 「東亜協同体」論者がほとんど全部「東亜」をもって一つの封鎖的単位と考えておらず、単に世界的秩序一般に対して先行する地域的、人種的、文化的、経済的、共同防衛的なる結合であると見ていることは正しいであろう。
 わが政府の声明においても常に「日本は列国との協力を排斥するものではない」ことを繰り返し述べているのである。
 しかしながら現実には日本の大陸における外交問題はますます困難を加え行くべき情勢にある。英米は次第に共同歩調をとるの傾向を示しつつあり、これら諸国の直接現地にある経済的団体は戦争の長びくにつれて最後のあがきを示しつつある。彼らの本国政府に対する働きかけは活発となりつつある。
 一方においてソ連との関係はもっとも緊張せる場面に入らんとしつつある。客観的に見れば日ソ両国はいずれも戦争を欲せざる事情にあると思われるのであるが、しかし日ソ間においてはあらゆる懸案が自然の状態においては決して解決しえざる事情にある。もしこれらの一つを解決せんと欲する場合は、ほとんど鍔競合(つばぜりあ)いにまで行かねば解決せずとの印象を与えているのである。
 「東亜協同体」の理念とその実践的企図が日支事変の過程における歴史的所産であることは、ほぼ明らかにされたことと信ずるのであるが、しからば何ゆえに日本の新しい「出路」が「東亜協同体」的方向に向かわねばならないかの問題はたしかに問題となりうるところである。
  日本内部に存在する本来の資本主義的要求としてはむしろ欧米資本主義国と同一の地盤に交って支那の再分割の方向を何ゆえに企図しないのであるか。それはむしろ困難なる「東亜協同体」の道にしたがって支那との合作におもむくよりは、はるかに楽でありかつ本質的な方向ではないかとの質問である。
 日本と英米とのあいだには普通考えられる場合の提携の可能性よりも具体的な利害の衝突のほうが、はるかに大きいということが一つの理由であろう。
 日本自身が満洲事変以来自ら変質を余儀なくされ、すでに英米と同一系列に立つごとき本来の資本主義的主張が修正され抑止されていることが他の理由であろう。
 共産主義国との対立、独伊の全体主義国との提携もまた世界的に日本を英米から切り離す作用をなしているのであろう。
 しかしながらこの質問のごとき場合は、今後といえどもかかる可能性が全然ないとはいえないのである。それは一つには国内情勢にかかり、他方英米と日本との外交関係にかかり、さらに支那の民族運動の方向にデリケートな関係をもっているといっていいのである。


      七


 東亜協同体の理念が実践の過程を伴って発展しうるか否かということは、日支抗争の力関係にも、国際関係にもむろんよることではあるが、日本国内のこれを推進すべき勢九の結成が最大の問題となってくると思われるのである。一般的に見て、現在のごとき大事件を終結にみちびき、ひきつづき大陸における復興建設の大業を遂行せんがためには、日本の現在発揮しうる全能カは十分信頼するに足らないといわざるをえないのである。日本政治経済をかかる目的に照応せしめて編成しなおすということは絶対の必要とわれわれには思われるのである。しかもこれは「東亜協同体」的方式に準拠するものであるとするならば、かくのごとき角度から日本国民の再編成を行なう必要があるであろう。必要があるというよりはむしろ不可欠の要件である。支那におけるこの「東亜協同体」理論を真に自己のものとして協力せんとしつつある人々は、日本のいわゆる「国民再編成」問題の成り行きに、とくに注意を払っているのである。彼らが日本自身従来の主張を変え、根本的指導精神を変更して来るのでなければ、従うことができないとすることはきわめて理由のあることと思われる。
 かかる深いところから国民が再編成問題をあらためて見なおすことが望ましいことと思われるのである。
 かかる意味においで政党方面における政党合同問題はもとより、今日まで現われた国民再組織案は小ずれもこの大目的にかなうものとは思われないのである。
 かかる組織はおそらく政治的に全国民的統一の政治的形態をとるとともに、経済界についてもこれを綜合統一し、経済組織の編成替えをおこなうことを必要とするであろう。この点については大陸における経営の新たなる型からしても必然化されて来ることは先に述べたごとくである。そればかりでなくかかる組織を政治的組織と結びつけて全機構に推進力を与える必要があると思惟される。
 事変以来国民のあいだに起こった各種の国民運動、たとえば、国民精神総動員運動、産業報国運動、農業報国運動等々は、これを運動の形をもって組織統合する必要があるやに思われる。これもまた新たなる政治機構の中に推進力として適当に結びつけられる必要があると思われるのである。
 「東亜協同体」 の中心勢力たり指導的立場に立つべき日本はまず自らを再編成する必要に直面しつつも、そのあらゆる複雑なる内部関係のゆえに容易に実現の期に到達しがたいものである。
  思うに「東亜協同体」論の発生が他の同系の理論と異なる点は、これが支那事変の具体的進行につれて支那における民族問題の意義に気づき、ひるがえって自国の再組織へ想い到った真剣さにあるのである。この点は東亜制覇の雄図を基として描かれた他のもろもろの東亜民族の大同団結的計画案とは異なった謙虚さをもつものであろう。
 しかしながら東亜の緊迫せる現状に要望せられて誕生した「東亜協同体」の前途はほとんど無数の困難にさえぎられている。
 はたして「東亜協同体論」が東亜の苦悶の解放者たりうるか否かは、終局において支那のいわゆる「先憂後楽」の士の協力をえて、民族問題の解決策たりうるか、および日本国内の改革が実行せられて「協同体論」への理解支持が国民によって与えられるか否かの事実とにかかっているのである。

    



検事訊問調書





問 客観情勢ならびに革命の展望に関する認識につき述べよ。
答 社会発展の必然的な過程はわれわれマルキストに今や世界資本主義の崩壊と、これが次の社会的段階への移行をますます確信せしめるに至っているのであります。少なくとも私は史的唯物論の上に私の世界観を打ちたてて以来、世界史の現実は刻々に以上の見解の正しさを実証したものと確信しているのであります。以上の見解を私の専門たる世界政治の最近の推移の現実に即しつつ述べることとします。 


                          尾 崎 秀 実



  第一次欧州大戦は世界資本主義内部の矛盾の端的な現われでありました。資本主義の高度の発展は国内における資本家中心の社会体制を完成せしめるとともに、外に対しては市場獲得の要求を高めいわゆる帝国主義政策の採用を不可避ならしめるのであります。かくて国内においては大衆の搾取が強化せられ、国外においては植民地半植民地への圧迫が加わり、かつ帝国主義列強間の対立が激化することは必然の勢であります。
  第一次欧州大戦は以上のごとき理によって戦われ、その結果は一応連合国側の勝利による世界の富と植民地の再分割によって局を結んだのでありました。しかしながら当然明らかなるごとくこの結果は資本主義体制内部の矛盾を増大しても、決してその矛盾を根本的に解決除去するものでないことは言うまでもありません。われわれは大戦後に現われた四つの顕著なる事実を特に指摘することができます。
 第一には再分割に成功した側すなわち戦争によって獲物を得た側が、いっそう資本主義体制の発展を遂げ帝国主義政策をいっそう推進せしめることとなったが、他方その結果として英米仏等相互間の対立を激化せしめたこと
 第二には戦争によって獲物を失った国々すなわち敗戦のみならず、戦勝側にあっても相対的に失った国たとえば日独伊等の間に正常な資本主義的発展の条件が抑止せられたため、資本主義が変形歪曲せられつつ帝国主義的政策が採用推進せしめられたこと
 第三には資本主義体制そのものを根本的に揚棄したソ連邦の出現したこと
 第四には帝国主義諸国の単なる抑圧搾取の対象たるに過ぎなかった植民地半植民地の間に民族主義的自覚が生起し、自己解放の要求が民族運動の形をもって起って来たこと
等であります。
 第一次欧州大戦から第二次欧州大戦への中間の期間は世界資本主義体制の内部に、新なる要素と条件とを加えたとはいえ、ひたすら内部的矛盾の増大に拍車をかけ来った時期であります。これが破局はすでにわれわれには明瞭でありました。特に一九二九年から三〇年へかけて世界経済恐慌以後この傾向は決定的となりました。世界経済機構には構成的な変化がもたらされ各国の経済政策はひたすら国民主義化し、各国の対立の激化とともに軍備拡張が狂気のように進められました。この帰結は明瞭で帝国主義諸国は自己の生存のためにも、世界再分割のための戦争の方途に出でざるを得なかったのであります。
 ヨーロッパにおいては一九三一年ないし一九三二年ごろにはドイツにおいてはナチスが政権を獲得するにいたり、イタリアは一九三五年にエチオピア侵略を企て、一九三六年にはドイツのライソ進駐があり、さらにメーメルの併合、一九三六年夏にはスペイン革命が起り、独伊対ソ連がここに相闘い、また英米仏等の金融資本の利害がこれに微妙に入り組んだのであります。
 東亜においても日本による満洲事変が一九三一年九月にひき起され、引続き北支問題を中心として日本の圧力は支那に及びつつあったのであります。もちろん英米仏等の帝国主義正統派がその間ただ拱手防禦のみに終始したのではなく、あるいは国内体制の整備によりあるいはまた相互の連繋の強化により、世界再分割戦の方向に一路驀進し来ったことはいうまでもないのであります。
 私は以上の情勢をつぶさに検討し来った結果、一九三七(昭和十二)年七月七日北支事件起るに及んで、支那問題に内包せられたる複雑にして重要なる諸契機より判断して、ここに第二次世界大戦の全面的展開を見ることを必然なりとして、このことは当時中央公論(実は改造)八月号所載の論文中にもこれを明らかにしたところであります。
 私は第二次世界戦争は必ずや世界変革に到達するものと信ずるのでありますが、第二次世界戦争が何故帝国主義諸国間の世界再分割にまたも終ることなくして、世界変革にいたるであろうかとの見透しについては、一応問題とするに足るであろうと思います。私はこの第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しないまでも、決定的な段階に達することを確信するものであります。その理由は第一に世界帝国主義相互間の闘争は結局相互の極端なる破壊を惹起し、彼ら自体の現有社会経済体制を崩壊せしめるにいたるであろうということであります。帝国主義陣営は型通り正統派帝国主義国家群と ファッショ派帝国主義国家群とに分裂しているのでありますが、この場合戦争の結果は両者共倒れとなるか、または一方が他を制圧するかであり敗戦国家においては第一次世界大戦の場合と同様プロレタリア革命に移行する可能性が最も多く、またたとい一方が勝残った場合でも内部的な疲弊と敵対国の社会変革の影響とによって、社会革命勃発の可能性なしとしないのであります。
 第二には共産主義国家たる強大なるソ連邦の存在している事実であります。私はソ連邦はあくまで帝国主義諸国家間の混戦に超然たるべきものであると考え、その意味においてソ連邦の平和政策は成功であると考えていたのであります。対ソ連攻撃の危険性の最も多い日本およびドイツが、前者は日支戦争により後者は欧州戦争により現実の攻撃可能性を失ったと見られた時、私は以上の見とおしがますます確実なものとなったことを感じたのであります。独ソ戦の勃発はわれわれの立場からは極めて遺憾なことでありますが、われわれはソ連がドイツに対して終局の勝利を得べきことを依然確信しており、その結果ドイツが最も速かに内部的変革の影響をこうむるべきことをひそかに予想していたのであります。
 第三には植民地半植民地がこの戦争の過程を通じて自己解放を遂げ、その間に或る民族においては共産主義的方向に進むであろうということであります。少なくとも支那に対してはかかる現実の期待がかけ得られると思われます。
 以上のごとき諸条件は世界がこの戦争の過程ならびにその結果において帝国主義国家による世界再分割にいたることなく、世界革命にいたるべしとの予想の主たる原因であるのであります。
 世界資本主義が今日完全に行きづまっていることは種々の観点から立証し得るのでありますが、何よりも資本主義諸国家が自己の体制を維持するがために、かくのごとき犠牲多き戦争を遂行しなければならないこと、およびその結果自体が大衆の犠牲と不幸のみをもたらし、しかもたとい戦争により矛盾が除去せられたとしても、それは暫定的な安定を招来するに過ぎないという事実が最も雄弁にその間の消息を物語っているということができるであろうと考えます。
 しからば日本における革命情勢の進展をいかに予想したかという点について述ペると、由来日本は帝国主義国家として最も特徴ある強力なる国家の一つではありますが、その資本主義経済の体制は決して充実した強力なものとは言い得ず、むしろはなはだしく不均衡であり全体として脆弱性を持っているということができるのであります。その主なる点を指摘すれば、
(一) 社会経済体制の中に封建的な遺制を多分に包蔵し、資本主義的発展の立ち後れと跛行性を存していること、
(二)国内に重要なる資源を欠如し、また市場関係においても英米への依存性が強いこと、
(三) 国内社会経済一般に対して部分社会としての軍部の比重が、経済的にも社会的にも圧倒的に大きいこと、
等であります。
 したがって日本は緊張せる国際情勢に対処し現在の国家体制を維持せんがためには、ぜひとも帝国主義諸国間の酷烈なる闘争のうちに、みずからを投ぜざるを得ない関係に置かれているのであります。
 私のひそかに予想したところでは第一次世界戦争はその経過のうちにおいて、社会経済的に脆弱なる国家ほど最も速く社会的変革に遭遇すべきものであるから、日本もまた比較的速かにかかる経過をとるであろうと考えたのであります。これを最近段階の現実に照応して説けば、日本は終局において英米との全面的衝突に立到ることは不可避であろうことを夙に予想し得たのであります。もちろん日本はそのさい枢軸側の一員として立つことも既定の事実でありました。この場合日本の勝敗は単に日本対英米の勝敗によって決するのではなく、枢軸全体として決せられることとなるであろうと思います。日本は南方への進撃においては必ず英米の軍事勢力を一応打破し得るでありましょうが、その後の持久戦においては日本の本来的な経済の弱さと、支那事変による消耗がやがて致命的なものとなって現われて来るであろうと想像したのであります。しかもかかる場合において日本社会を破局から救って方向転換ないし現体制的再建を行なう力は、日本の支配階級には残されておらないと確信しているのであります。結局において身をもって苦難に当った大衆自体が自らの手によって民族国家の再建を企図しなければならないであろうと思います。ここにおいて私の大雑把な対処方式を述べますと、日本はその破局によって不必要な犠牲を払わされることなく立ち直るためにも、また英米から一時的に圧倒せられないためにも、行くべき唯一の方向はソ連と提携し、これが援助を受けて日本社会経済の根本的立て直しを行ない、社会主義国家としての日本を確乎として築き上げることでなければならないのであります。
 日本自体のプロレタリアートの政治的力量も経験も残念ながら浅く、しかも充分なみずからの党的組織を持たないことのためにソ連の力に待つ点は極めて多いと考えられるのであります。英米帝国主義との敵対関係の中で日本がかかる転換を遂げるためには、特にソ連の援助を必要とするでありましょうが、さらに中国共産党が完全なヘゲモニーを握った上での支那と、資本主義機構を脱却した日本とソ連との三者が、綿密な提携を遂げることが理想的な形と思われます。
 以上の三民族の緊密な結合を中核としてまず東亜諸民族の民族共同体の確立を目指すのであります。東亜には現在多くの植民地半植民地を包括しているので、この立ち後れた諸国をただちに社会主義国家として結合することを考えるのは実際的ではありません。日ソ支三民族国家の緊密友好なる提携を中核として、さらに英米仏蘭等から解放されたインド、ビルマ、タイ、蘭印、仏印、フィリッピン等の諸民族をおのおの一箇の民族共同体として、前述の三中核体と政治的、経済的、文化的に密接なる提携に入るのであります。この場合それぞれの民族共同体が最初から共産主義国家を形成することは必ずしも条件ではなく、過渡的にはその各民族の独立と東亜的互助連環に、最も都合よき政治形態を一応みずから択び得るのであります。なおこの東亜新秩序社会においては前記の東亜諸民族の外に、蒙古民族共同体、回教民族共同体、朝鮮民族共同体、満洲民族共同体等が参加することが考えられるのであります。
 申すまでもなく東亜新秩序社会は当然世界新秩序社会の一環をなすべきものでありますから、世界新秩序完成の方向と東亜新秩序の形態とが相矛盾するものであってはならないことは当然であります。
 なお日本における社会体制の転換に際してとるべき手段の予想は、日本社会の旧支配体制の急激な崩壊にさいして急速にプロレタリアートを基礎とした党を整備強化し、単独にまたは他の連繋し得る党派との連合のもとにプロレタリアートの独裁を目ざして闘争を展開して行くべきものと考えます。現在日本のプロレタリアートの拠るべき日本共産党は、ほとんど潰滅の状態にあるのに鑑み、この予想には相当の困難を伴うのでありますが、これには国内の他の友党との共同戦線の構築と、国際的友好勢力特にソ連邦の党の援助によって、そのさい急速に党の拡大強化を計る可能性が考えられるわけで、この党を中核として社会変革を遂行し得ると考えられるのであります。


問 被疑者のわが國體に対する考え方につき述べよ。
答 多くの人々は国家の内に生活しながらも、常にその國體を意識しつつあるものではないと思います。問題となるのはわれわれの具体的な政治行動が国家の政治体制と現実に交錯するにいたった時であります。私が忠実なる共産主義者として行動するかぎりにおいて、日本の現在の國體と矛盾することは当然の結果であります。そういう意味から言えば國體をどう考えるかということが問題なのではなくして、実践的な共産主義者として私の行動自体が、国家体制といかに矛盾したかということに真実の意味があると思われます。国家の秘密を探ることを主たる活動とした行動自体が、問題なく国家体制の否定であることは申すまでもありません。しかしながら、私の行動はわが国家をまず検討し、私の國體に対する観念を定めた上で、反国家的行動に向ったという関係ではなく、共産主義者としての超国家的行動から自然に反国家的行動に出たということになるのだと考えます。
 現在のわが國體の本質をわれわれの立場から見ていかに考えるかということは、相当難かしい問題であると考えます。日本が資本主義的に高度な段階いわゆる帝国主義の段階に達した国家たることは問題のないところでありますが、日本の国家体制は多分に日本的特殊性を含んでいると見られます。一般には封建的諸勢力の力強い残存が指摘せられるところであります。資本家地主階級による日本の現実の政治的支配体制はコミンテルン的には「天皇制」の名によって呼ばれております。日本の政治支配体制のうち、最も特徴的な憲法制度に着目してかく規定したのでありましょう。日本の政治支配体制という意味からすれば、もちろん「天皇制」はわれわれと相容れるべきものではなく、これが打倒を目標としなければならないのであります。ただし私一個の私見を申しますならば、現在の日本の政治体制の本質を規定する言葉として、「天皇制」なる言葉が正しいかどうかについては疑いを持っております。日本の資本主義の現段階の特徴は、発達の後進性よりもむしろ内部の不均衡性にあろうかと思われます。かつ封建的な勢力がそのまま資本主義的な強力なる勢力として変化転化したところにあろうかと考えます。資本家(地主)=軍部(官僚)といった結びつきが、政治推進力の本質的な中核をなしているように見受けられます。結局において日本の内外における猛烈果敢な帝国主義政策が誰の利益に帰するかといえば、いうまでもなく資本家階級の利益に帰するものではありますが、しかしながら日本において最も特徴的な点は資本家階級もまたその代弁者たるべき政党も、直接の指導力を持ち、ないしは積極的主張者たるものではないことであります。かつ官僚も軍部も決して直接には資本家的利益を目指して行動するものではなく、かえって主観的には独自の主観的意図に基づいて行動しつつありと考え、それのみか時には資本家抑制的に行動しつつありとさえ考えていることであります。
 もちろんかかる主観的意図にもかかわらず結果的には資本家的利益に帰着するこというまでもありません。日本資本主義の現段階における政治支配体制のうちで、資本家地主軍部官僚(文官)等の占める割合比重等の測定は最も困難でありますが、しかし興味ある問題であろうと思われます。この点についての詳細を考察するのはここでの目的ではありません。私自身またよく判りませんが、このさい一方では日本資本主義における軍事産業の占める割合、日本大コンツェルンの軍事工業的比重の測定、他方では日本軍部内の封建的ならびに資本主義的の両性格の絡み合い、および大陸海洋両政策と軍部との関係を究明することは以上の本質を明らかにする鍵を提供するものであろうと思われます。
 以上の瞥見によって知られるごとく、現段階における日本の政治支配体制の上で「天皇」の憲法上における地位の持つ意義は、実は擬制的なものに過ぎなくなりつつあるように見受けられるのであります。以上のような理由で、日本の現支配体制を「天皇制」と規定することは実際と合わないのではないかと考えているのであります。
 さらに一歩を進めて共産主義者としての戦術的考慮から見ても、「天皇制」打倒をスローガンとすることは適当ではないと考えます。その理由は日本における 「天皇」が歴史的に見て直接民衆の抑圧者でもなかったし、現在においていかに皇室自身が財産家であるとしても、直接搾取者であるとの感じを民衆に与えてはいないという事実によって明瞭であろうと考えます。
 私一個人としては別に皇室とは何等の関係もなく、恩もなく、また恨みもありません。妙な言い方でありますが、これは少なくとも「天皇」を宗教的に信奉するかなりの日本人以外の普通の日本人の感じ方であろうと思います。革命的スローガンとしては民衆の直接の熱情に働きかけ得らるるごときものでなくてはならないのでありますから、その意味では「天皇」を直接打倒の対象とすることは適当でないと思われます。問題は日本の真実なる支配階級たる軍部資本家的勢力が、「天皇」の名において行動するごとき仕組にたいしてはこれにどう対処するかの問題であります。しかしながらこの場合においても真実の支配者の役割とその大衆に及ぼす意味とを明らかにして、これを直接攻撃の対象とすべきものであろうと考えます。
 なおここに一言口つけ加えておきたいと思いますのは、国家としての日本およびソ連とを比べた場合の、私のこれに対する考え方であります。私たちは世界主義者であって、言わば理想的な世界大同を目指すものでありまして、国家的対立を解消して世界的共産主義社会の実現を目指しているのであります。したがってわれわれがソ連を尊重するのは以上のごとき世界革命実現の現実過程において、ソ連の占めている地位を意義あるものとし、前進の一里塚として少なくともこの陣地を死守しようと考えているに過ぎないのであります。何も世界をソ連のために献上しようと考えているのでないことは特に言うまでもないところと思います。社会主義は一国だけで完全なものとして成立するものではありません。世界革命をまって始めて完成するのであります。全世界にわたる完全な計画経済が成立って始めて完全な世界平和が成立つものと思われます。この意味から言えば、現在世界の再分割を目指す日本のファシストたちが大地域ブロック化、たとえば「東亜共栄圏」までの範囲しか考えていないことは不徹底であると考えます。かならずその次に、インター・ブロックの激しい抗争を惹起することは当然だからであります。
 世界的共産主義大同社会ができた時においては、国家および民族は一つの地域的あるいは政治的結合の一単位として存続することとなるのでありましょう。かくのごとく私は将来の国家を考えているのであります。この場合いわゆる「天皇制」が制度として否定され解体されることは当然であります。しかしながら日本民族のうちの最も貴き家としての「天皇家」が何らかの形をもって残ることをも否定せんとするものではありません。

問 現下の世界情勢に対する見解につき述べよ。
答 (一)世界資本主義が爛熟して、その主要国家群の世界政策の間に生れた激しい矛盾の結果としての第一次世界戦争の結末も、結局この帝国主義政策の内部的な矛盾を解決することとならずして、かえってこれを激成したばかりでありました。それ以後世界は戦争が造出した擬制的富と現実の富との間の懸隔、戦敗国に課せられた天文学的賠償金の重圧、諸国家間の富の分配の不均衡等の事実によって、インフレーション的惨禍よりデフレーション的恐慌の時期を交互に繰返しつつ、最後に到達したところは国民主義経済政策をもって戦争を通じて新に局面の打開を図らんとすることでありました。この点では第一次大戦後の世界の経済力の配分に極めて不満であり、かつ内部に不安定なものを持って、動揺的な強国ドイツ、日本のごときが逸早くこの目的をもって軍備拡張に乗出したわけでありました。もちろん現状に満足し、利得した国家群においてもこの形態を看過した訳ではなく、またみずからも同様の政策に出たわけでありますが、どうしても立ち後れであり、防禦的であり、消極的であることを免れませんでした。これは今日第二次世界大戦の開始以後彼らの側がはなはだしく旗色の悪い主要なる原因なのであります。
 私は以上の形勢を眺めつつこの帰着点としての第二次世界戦争が結局不可避であることを早くから予想し、かつこれをしばしば断言して来ました。
 巨大なる財貨の破壊と貴重なる人命の犠牲の後に来るべきものが、再び新なる一団の国々の勝利と戦利品に終り、他の一団の敗北、喪失の国々との対立を新にひき起すというこの大戦争の結果が、いかに愚劣極まるものであるかについては人類といえどももういい加減反省してよいころではないかと思われます。
 しかしながら帝国主義諸国家の意図するところは正に以上のごときものであり、世界の再分割こそ一切の目的であったとしても、この第二次世界大戦がそれらの主観的意図とは全く別箇の客観的な経過と結果を示すであろうことは私たちのひそかに確信したところでありました。
 この点についてはすでにその理論的な根拠をさきに申述べましたから、ここにはこれを省略いたしますが、要するに世界資本主義が完全に行詰っており、その行詰りを打開せんとする道が結局自身の体制を根本的に破壊かつ否定せざるを得ないような方向以外に存在しないという大きな矛盾がこの事を雄弁に物語っていると考えます。
 帝国主義政策の限りなき悪循環(戦争から世界の分割更に新なる戦争から再分割という)を断ち切る道は国内における搾取被搾取の関係、国外においても同様の関係を清算した新なる世界的な体制を確立すること以外にはありません。世界資本主義にかわる共産主義的世界新秩序が求められる唯一の帰結でなければなりません。しかもこれは必ず現実し来るものと確信したのであります。帝国主義諸国家の自己否定に終るごとき極度の消耗戦、国内新興階級の抗戦を通じての勢力増大、被圧迫民族国家群の解放、ソ連の地位の増大等は正にその要因であります。
 (二) 以上のごとき予想に基づいた現実の形態とさらにこれに対処する方式として私がひとり心に描いたところは次のごときものでありました。
 第一に日本は独伊と提携するであろうこと
 第二に日本は結局英米と相闘うにいたるであろうこと
 第三に最後にわれわれはソ連の力を藉り、まず支那の社会主義国家への転換をはかりこれとの関連において日本自体の社会主義国家への転換をはかるべきものであろうこと
でありました。以上のことにはさらに説明を必要といたします。私は日本の国内には種々の政治的潮流があり意見がありましたが結局において対米英戦不可避と見ておりました。したがって昨年十二月八日の開戦の事実は少しも意外ではありませんでした。私のそれ以後の事態の発展に対する前々からの予想は次のごとくでありました。
 すなわち、 日本は南方作戦においては次第に英米の海軍力を制圧し英米蘭の要地を占拠して約半歳の後には一応所期の目的たる軍事上経済上の有利なる態勢を占めるであろう。
 しかしながらその間には英米の相当頑強なる抵抗を受けかつ執拗な海上ゲリラ戦に悩まされかつ日本本土に対する空襲をも幾回か受けるであろう。かくて一応の南方進出体制を確立し得た六箇月以後にはかえって日本にとっての不利なる諸情勢が発展し始めるのではないか、その一は船舶の不足等に加重せられて戦時必要物資たる石油、鉄その他食糧等の不足が問題となり来り、国内人心にもまた動揺が現われるのではないかと考え、更にさなきだに脆弱なる日本の貨幣面に悪性イソフレーションが見舞う可能性がやがて増大し来るであろうと考えたのであります。
 日本自身は私の以上のごとき考え方からすればすこぶる敗退の可能性を多く含んだ国ということになるのであります。もちろん戦争はあくまで世界的な英米陣営対日独伊陣営の間に行なわれるのでありますゆえ、欧州での英独対抗の結果というものがまた直接問題となるでありましょう。つまり東西いずれの一角でも崩壊するならばそれはやがて全戦線に決定的な影響を及ぼすこととなるからであります。この観点から見る場合ドイツと英国とは同じくらいの敗退の可能性を持つものと思われたのであります。私の立場から言えば日本なりドイツなりが簡単に崩れ去って英米の全勝に終るのでははなはだ好ましくないのであります。(だいたい両陣営の抗戦は長期化するであろうとの見透しではありますが)万一かかる場合になった時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会的体制の転換をもってソ連支那と結び別の角度から英米へ対抗するの姿勢を採るべきであると考えました。この意味において日本は戦争の始めから米英に抑圧せられつつある南方諸民族の解放をスロ−ガンとして進むことは大いに意味があると考えたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東西新秩序」創建の絶対要件であるということをしきりに主張しておりましたのは、かかる含みを籠めてのことであります。この点は日本の国粋的南進主義者の主張ともほとんど矛盾することなく主張される点であります。
 (三) ところで現実の戦争の進行過程に照して以上のごとき私の見解と予想はいかに喰い違って来たかと言う点について、若干反省を加えて見たいと思います。
 先ず第一に私の予想の違った点は昨年六月の独ソ開戦であります。私たちはソ連があくまで帝国主義諸国の混戦に超然として実力を保存すべきものであると考えていました。このためにはドイツの要求など相当無理なものもこれを呑むべきであると考えておりましたが、ドイツの側よりする攻撃によって戦争に捲き込まれてしまったことは重大な問題を将来に残すものであります。第二には「大東亜戦争」の発展の情況であります。もちろん私の拘束された地位は充分の情況判断の材料を与えてはくれませんが、しかし日本の今日まで挙げ得た戦果ははるかに私の予想を絶しております。何よりも日本の軍部が努力して来た卓越した戦争準備による点が多いと思われますが日本社会の持つ根強い結合力が考えられます。日本人が示した犠牲的精神、勇気等もまた驚くべきものがあり、言うまでもなくこれらの点はいかなる社会においても持ち継ぎ行くべき美点でありましょう。また以上のほかに日本が戦争の最も都合よき時期を選んだということが言い得られると思います。英国が相当疲弊しており極東に余力なき時、ソ連がドイツに牽制され尽している時、かつアメリカの戦争準備は最も立ち後れているという状況であります。
 日本が今日までに挙げ得た戦果は、それ自体日本の今後の新なる抗戦持久力の有利な条件となるでありましょう。この意味において日本はまことに有利なるスタートを切ったものということができると思います。以上の関係よりして今後の戦争状況について予想を試みるならば、日本はその圧倒的な戦力のほかに東亜被圧迫民族の解放者なるかのごとき態度を採り得ている点において、はなはだしい無形の利益を得ていると考えられます。この点は支那だけを対象としている場合の同じ口実が滑稽なほど矛盾に充ちていることを日本人は気がついていなかったのと事情がおのずと異なって来ていることを指摘できます。一般の楽観主義者の言うごとく簡単なものではありますまいが、ビルマルート遮断後重慶の屈服する可能性が著増して来たことは確かであり、インドに独立の機運の擡頭する可能性もなしとはしません。もしここに到るならば、大英帝国の没落、解体は現実のものとなるでありましょう。今後東亜における長期抗戦は日本にとってあらゆる困苦に充ちたものであり、決して一部の人々のいうごとく経済建設の遂行が大戦争下に遂行し得られるものではありませんが、しかし日本の強みは、何はともあれ軍事制圧下の諸地方から事実上欲する収奪が、ある程度まで可能な点であります。問題の食糧においても少なくとも日本人だけは飢えしめない可能性があり、悪性インフレの発展も戦時計画経済の遂行されるかぎりはこれを喰い止め得られる状況にあると考えられます。
 以上の点は私としては見透しに対する大きな修正であります。しかし問題は今後いつまで戦争が続くかという時期の問題にも大きく係っております。概観するに英米対日独伊両陣営の勝敗およびソ連の戦争より直接蒙る運命については容易にこれを逆賭し難い形勢となって来ました。主要なる抗戦国の一国宛の戦力の耐久性についてだけいえば、最も崩壊の危険性の多いのは英独でこれに次いではソ連であり次いでは日本さらにアメリカという順序にあるのではないかと思われます。もちろんこれは単に一国を切り離して採り上げたものであり、陣営全体の運命をいかに決するかについてはまた別の考察を加える余地があり、かつ戦力のみを問題にしたのであって、ソ連のごときが戦力を破砕された場合にその国家社会体制にいかなる影響を蒙るかということは私たちの立場から言えば文句のある点であります。
 以上を通観したのち自分の根本的見解に立ちもどって省察を加えてみます時、種々の反省と自己の簡単な見透しについての誤りに気づく点が多々あるのであります。
 しかしながら根本的な歴史法則に対する信念は毫も変らないということができるのであります。あくまで今次の世界戦は資本主義社会の総決算たるべき運命を背負ったものであろうと確信いたしておるのであります。


問 今次事件を中心とする現在の心境如何。
答 私は今次の事件のごとき結果にはいつか到達するであろうとは覚悟していましたものの、やはり現実にこれに遭遇した際の心の衝撃は否定することができません。一つには意外に、永い間同じ活動に従いながらこれが破綻を見なかったために多少心の用意を欠いた点もあったかと考えます。もちろん私の行なっているごときことが猛烈な反国家的な犯罪であることは言うまでもありません。したがって理論的にはその行動を是認しつつも時に具体的行動の後ろめたさを感じたことも否定できません。私は常に露見、逮捕というごとき場合の結果を自分の一個の死と結びつけて考えておりました。「要するに死ねばいいのだろう」という点に一つの覚悟の基礎を置いていたわけでありましたが、現実の具体的結果はそんな簡単なものではありませんでした。結果は簡単に処理し終るべき性質のものでもなく、また種々な派生的な、しかし重要な結果をもたらして来たことを承認せざるを得ません。大事を決行する人間にとって生死の問題ももとより大きなことではありましょうが、そのほかに義理の問題、肉親的愛情の問題がこれにも増して大きな負担であることはむしろそのことを決行したのちにおいて始めて知り得ることでありましょう。そのことを私は今痛感しております。
 私は顧みて本当の意味での同志たるゾルゲ、宮城等に対しては常に友愛と誠実とをもってつき合って来ました。この事件が発覚した以後においてもいささかもその同志愛を減じておらずかえっていっそうこの不運なる結果を同情し、この人々を懐しむの念を増してさえいるのであります。しかし私を最も苦しめたことの一には私がこれまで普通の社会人として接して来た仲間の人々に対し、その完全な好意と善意を裏切らねばならぬ立場に始めから立っていたことであります。これは専ら私の仕事の特異性に基づくことで客観的には私が平常接触を持つ人々を利用することによって私の主たる仕事が成立つのであります。これらの人々とのつき合いは私の一般社会人としての広い面での接触に基づいたものでありましたし、もちろん検挙の際などには迷惑を及ぼすことは予見されたことでありますが、何もこれらの人々に具体的な迷惑をかけようと常に意識したわけではありませんでした。もちろんこれも理屈としてはいわば社会的には別箇の陣営にある人々ではないか、それらを利用しそれらから諜報の材料を得ることはコンミュニストとしての活動に当然内在するはずではないかともいい得るところでありましょう。しかしながらこれらの人々はいずれも完全に私を信頼し友誼をもって遇してくれた人々であります。もちろん私といえども平常これらの人々とつき合う場合にはこれに劣らぬ真情を尽してつき合って来たことも事実であります。しかも今や事ここに到ると最も惨酷なる形にて彼らを裏切りかつ迷惑をかける結果となったのであります。この点の心苦しさから私はなかなか脱却でせないでおります。肉親に対する愛情も私は元来強い方であります。私は妻子に対しては何時の日か断崖より突落すごとき結果の日のあることを考えて深い愛情を傾けたつもりであります。もっとも一方では主義に対する気持との喰違いから妻などに対してはかえっていらだった感情的に荒い表現となった場合もありますが、主観的には不憫さから来た気持に支配されていたのであります。
 私にはとうてい妻子の行く末まで気を配る経済的な余裕もまた気持の余裕もありませんでした。不幸な結果が到来した時その時こそは妻子とは永久に別れる時だと考えておりました。現在の境遇は客観的には妻子をかまってやることはできなくなったのでありますから、まさに前述のとおりでありますが、しかし感情的にもまた事実上の繋がりの上でもやはり妻子とは切っても切れぬ連鎖が存していることを感じております。一人娘は今年女学校に入学したと言ってすこぶる朗らかな葉書を寄せました。私はこの母娘の者が何とかしてこれからの険難な世を渡って行ってくれることを心に祈っているばかりであります。職業的革命家はやはり家庭を持つべきではないと考えております。もっともそうは言うものの私に裏切られて突然不幸を与えられた妻や子供が私に尽す真情には筆舌に言い難いものがあります。それだけに心苦しく感じるわけであります。
 私にはなお一人の老父と実兄とがあります。これらの人々の心中などを考えることは耐えられぬところでありますから、強いて考えないことにしております。
 少し愚痴っぼくなりましたが、私自身は早くからこの日のあることは覚悟したことでもあり、人間も元来諦めのよい方でありますから実は割合に落ちついているのであります。劇(はげ)しい人類史の転換期に生れ過剰なる情熱を背負された人間としてマルクス主義を学び、支那革命の現実の舞台に触れてより今日に到るまで私はほとんどかえり見もせず、まっしぐらに一筋の道を駈け来ったようなものでありました。世界の現実の動きを鉄の格子の一角から眺めながら、静かにまた自分の走り来った道をも振り返って見たいと思っております。