九 日本民族の特性   前東北帝大講師 佐藤 正

 想ふに、我が帝国は過去に於ける -  意識的と云はず - 民族主義を抛つて帝国主義を採るに到れり。大和民族即ち日本国民の立場を去りて、単に大和民族のみ帝国民に非ず、台湾に於ける漢民族あり、朝鮮に於ける韓民族あり、合して以て日本帝国を組織するに到れり。而して其の組織は、ゼルマン帝国の如く各民族同等権力を以て結合せるに非ず、北米合衆国の如く各民族有意的に結合して成れるものに非ず、即ち各民族が各自の努力に依りて帝国を形成するに到りしものに非ずして、優等人種が劣等人種を征服したることに依りて成れるものなり。其の中心なる大和民族の地位責任と之と甚だ相異なる、固より其の所なり。(北米合衆国は、アングロサクソン民族、ケルト民族、チユートニツク民族等合して新なるアメリカ民族を形成するに到れり。)
 成立状態既に斯くの如くなるを以て、大和民族は其の中堅として中心として多数民族を教化し、指導し、以て将来に日本民族を形成するが為に同化し統一するの責任を有するものなり。
 吾人の見を以てすれば、民族とはその起源に於ては自然的集合の団体なり。従つて内的結合なり、然るに国民は----国民即ち民族の場合は別として、一国民にして数国民を抱擁する時にありては----他動的集合の団体にして、外的結合と云ひ得べし。何となれば、民族を形成するには一時的強力を以て成し得べきにあらず、数時代を経過し、年代の経験と変遷とを経由し、以て遺伝的素因を明瞭に形成するに到りて始めて民族となるなり。其の原始的状態を考察するに偉大なる権力家が、如何なる権威を以てするも民族は形成し得べくも非ず、同趣味、同気風、同習慣、同境遇等の自然的に相応じ相適する人々の集合によりて初めて形成せらるべきなり。優等人種が劣等人種を併合するは、蓋し已むを得ざる理数なり。されば優等人種が劣等人種を併合して一国民となすは容易なる事実なれども、之を同化し以て同一民族の状態に置くは容易なることに非ず、寧ろ不可能と云ふべく、そは時の問題と云ふの至当なるを見るなり。同一国家の支配の下にあらしめ、隷属せしむることは容易なれども、之を化して同一民族の状態にあらしむるは到底権力または金力を以て如何ともなす能はざることに属す。たゞ知的表現の如何によりて時の長短を見るべきのみ。大和民族が日本を有して既に数千年を経過せるも、今猶ほアイヌ民族が---少数となり。大部分混血して大和民族となれるものあるも---北海の天地に彼等の異風異習を墨守するものあるに非ずや。
 国民は他動的集合にして外的なり。即ち優等民族が劣等民族を併合するは他動的なり。而して民族の発生状態を観るに、偶然的結合なること多くして、国民の結合と異なるものあるを見る。国民の結合は、有意的なり。新大陸に各民族集合して一合衆国民を造りたるも、そは自由にして豊富なる天然の恩恵に浴し、彼等の生活をして意義あらしめんとせる同一思想を有する種族が有意的に集合し来りて形成せるものなり。大和民族が韓民族を併合して同一国民たらしむるも、偶然にして無意義なるものに非ず、動かすべからざる意義と明瞭なる意識とを有して然るものありて存す。大和民族の性格を考究し、検討して民族の発展を期する上に明確なる指針と資料とを提供するは重要なることにして、また本論の主旨此処にあるものなり。
 されば一切の検討を待ちて然る後、帰納的に其の方針を帰結するは論の順序として正当なるものなれども、今ひとわたり過去の民族主義を捨てて帝国主義を執り、以て韓半島を領し、樺太を獲たる事実の上に立脚し、強国なる日本帝国の樹立に関する手段に就きて考察すべき必要を提唱するも、亦徒爾ならざるべきを信じて疑はざるなり。

(『国民性格研究の急務』に拠る)