七二   英人の観たる日本武士道   ロンドンタイムス

 日本(にほん)の軍人が戦争するに就いて特に著しいのは、ミカドの兵士と、その兵士の行動である。日本には一般にその総ての行動を制禦することの出来る一種の道義がある。その同義の力は、たゞ一階級の人民を刺戟するばかりでなく、国民全体を刺戟して、歴史や昔物語に遺つてゐる。最も著名な勲功にさへ比べられることの出来る大勲功を遂げさせるやうである。我等はこの道義の力が、果して何物であるかどうして出来たか、また何を目的とするかを知りたいと思ふ。
 想像に富んだ数人の旅行家は、早くから日本の新勢力、新理想に就いて、度々その説を述べ、西洋諸国は皆これに耳を傾けたけれども、我等はその新勢力が実際に活動することになるまでは、その存在を疑つてゐた。その後、その存在が果して事実であることを知つてから後も、まだ多くの証拠を集め、それによつて断定を作りその上に至当な演繹を行ふことの出来るやうになるまでは、単にそれが事実であつたことを満足したばかりである。
 我等は、日本の商議の慎重な対応を熟視し、戦争に対する日本の静粛な所決を凝視し、かの旅順口沖における東郷大将が部下の行動を観、軍港閉塞に身命を抛つて顧みない勇士の至誠に就いて読み、また廣瀬中佐や白石少佐を始めとし、遼陽などで戦死した海陸両面での有名無名の英雄の精神に就いて注意し、また日本人民が泰然として動かず、その上尚ほ国中に一つの異論者のないことに対して 深く気をつけた。実に日本人は、敵を征服するか、さもなければ自ら戦死する決心を以て戦つてゐるものである。武装の無い船内にゐる武装の無い者でさへ、敵に降るよりも寧ろ死なうと思ひ、たゞ言語でこれを望んだばかりでなく、その行動で真実にこれを証明した。最高級の人民から最下級の人民に至るまで、また軍隊の各種の兵士ともに、今言つたことは皆その軌を一にしてゐる。これは深く考へねばならぬことである。如何なる信条を以て訓育したものでも、職場でこれよりも優つた人は未だ嘗つてないといふ我が東京通信員の言は、実に我等を誤らない。勇敢は西洋でも珍しいものではなく、各国軍隊の記録には、実にその例が少くないのであるが、日本人の勇敢は単に勇敢ばかりでなく、その背後には何物かが在るやうである。若し西洋各国の軍隊が、皆この何物かを持つてゐたならば、一つの除外例もなく、皆各々その武名を汚さないことを得たのであらう。この何物かとは、果して何物であるか。
 日本の歴史を通じて終始一貫する精神、即ち国民の士気たる武士道は、太古の接産物であつて、その淵源は甚だ遠い。武士道といふ問題は、何人にも軽々しくこれを論ぜられない。これを論じようと思ふ者は、まづ武士でなければ真に武士道を談ずることが出来ないことを知らねばならぬ。また完全(くわんぜん)は人間が求めて得べからざるものであるやうに、完全な武士は未だ嘗てあつたことがなく、日本でもやはりなかつたことを知らねばならぬ。蓋し武士道は、その信奉者の一切の行動を正し、武士即ちサムラヒの世に処する道を律する不文法である。日本の古い諺に、『花は桜木、人は武士』といつてゐる。
 武士道の全体を正当に述べることは、我等には出来ないことである。我等は武士道に反する行為を説きつらねることが出来る。試(こころみ)に西洋諸国における中流社会平均処世法を以て、所謂武士道と思はれるものと比較して見ると、正反対を示すものがあるであらう。武士道の理想は、富ではなくて貧、驕傲ではなくて謙遜、饒舌ではなくて沈黙、我利ではなくて克己、個人の利益ではなくて国家の利益である。武士道は熱心な勇気を鼓吹し、敵に背を示すことを許さない。常に一命を鴻毛の軽きに比して、不面目(ふめんもく)を蒙るよりも寧ろ死を択び取らせるものである。武士道は官憲に服従すべきことを誨(おし)へ、公共の幸福の為にはその個人たると家族たるとを問はず、一切の私益を犠牲に供せしめる。武士道は、その信徒に身体上精神上の厳格な教儀に服従することを要求し、軍事の思想を発達させ、また武勇、深沈、堅忍、誠実、果敢、克己の徳を奨励して、単に男子及び武人に対してばかりでなく、また平時竝に戦時における婦女の最高な道徳律を組み立ててゐる。
 つまり武士道の理想は、高遠である。その紀律を重んじ、協同一致を奨め、国家の為に個人を没却させ、党同伐異の余地を与へないことなどは、国民倫理の組織として、政治上如何にも歎美すべきことである。武士道には虚礼がなく、虚式がなく広くその根基の活動の勢と不変の真理との上に置いてゐる。併し我等には、四千六百万の人民が悉く武士道の主義を実践してゐるとは信ぜられない。若し日本が斯(か)やうな理想の位置に達し得たであらうならば。たゞ欧州の一強国を征服するばかりでなく、全世界を征服するやうになるであらうと思ふ。

(ロンドンタイムズ社説に拠る)