七一日本に対する世界思想の変化侯爵大隈重信

 今日(こんにち)は三宅先生が、『日本及日本人(にほんおよびにほんじん)』といふ雑誌を発行されて居(ゐ)る、私はこの雑誌を常に大(だい)なる楽(たのし)みを以て読んで居るのであります。加之(のみならず)三宅先生は、殆(ほとん)ど二十有余年も御心安い、私の敬愛する先生である。其先生より、今夕(こんゆふ)一場(いちぢやう)の演説を請(こ)はれましたので、

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  七l 日本に対する世界思想の襲化
            侯 帝 大 隈  重 信
鶴粥は三宗叫が、『断ポ朗粥叔舶』といふ雑誌を教行されて尉るj耶針この教護
                                  rっし  はつかう                 ∫つし


 っね だい   たのし  もつ ょ    ゐ             のみなふ† ヤけせんせい   ほどん    いチ▲
を常に大なる築みを以で魂んで居るのでぁりよす。加之三宅先生は、殆ど二十石像
hん サー・ろや丁 お七くし けいちい せんせい       こんゆム 甘やチ えんぜソ ●−
年も御心安い、私の敬愛する先生である0髪よd今夕一場の演説を請はれょ
したので、削覿に術aにがつたのであbます0私のこの演題は大分長いのであるが、
                  わ七くし  1んり、い だいぶ なが
どうか鮎は戯舶和新0がが轡ノして謙鵜を願ひたいのでゐりよす、是れは現在の日
                          きんち与7 ねが                こ    げんrい に


拝ん むい   lつと ちうい     もんだい     、−しさ)ち と拝    にトろ けん字フ おこ はじ   もい
本に放て、最も注意すべき開題である。御承知の通♭に、日蕗職印の起る初めに於
  せ かい にほん たい ちうい ひじ?フ
ては、他界の日本に対する注意は非常なものであつた0剰より野郎は斬新に絆ける
き▲丁っだいこく
強大図である.
     渋いていい らい はと
 ベートル大帝以凍、殆んど二山尉呼酎舶がポ酎の緋蹴を銚つて尉る兜凱である0
封†る世界思想の艶他

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′lヽ
      打ホに升†
 央れ汁放つて、H
   モ            に



 や∬
) 放れるであらう∧
る世界息想の強化
ヽ−与ろつば し▲こJヽ
欧鹿巳諸国は、
モ                                  サ仙芸・−
乗れ汁放つて、がポが奈仰臥斬るといふことは、窮Qガ腕の粥である・必や是れは
放れるであらう0或は初め多少の勝利晶るか知らぬが、尉欝鮮て酢ポは舶ヂ
?∬         ちるひ はじ 七やフ tさフり う   し

はいほく   亨うゐ   しん  有   ろこく▲差しか  ひっしょうき  t    !フ?
敗北するに相違ないと僧じで居つた遠国亦然`必勝を期して居つたに相違ない、
されば舶射影けるがポにが野の郎も、がポに“欝のパも、尉裂ぶんで居つた・
                                     ●

しかし   にほんひいす ひと こ・ろひモ にほん し与り いの       いかん
併接がら、日本魚負の人は心沸かに‖本の勝利を斬つ化のである。如何となれば、
常に軍国の鹿追塞けて居るので、俳れも郎が祁榔の舵を齢いて尉
つ払 ろこく あつほく う    む
              ろ こく せいウ1く ゐ だい       ど
る・ミрェ灯町に.前郷の威か叡いても、爵固の勢カは偉大なるものであつて、伽
郵鮎耶kビス了クも、俄棚西も、塊太利も、郎野郎の一撃鮮に肘つて、
                      ふ らんr    ゎぅTとウ
、狗
▲す いう
書憂
を抱くといふ舶が、射別bかつて居るからである・淋し貯の郎舶は、
 いだ         ゎ
といへば、郡剛俳れも、酢酢鮎那掛には郎にが掛の舶を髄いて尉る0
どうであるか
上T}るつば   は けん
欧鹿巳の覇櫛
 にy  ゐ       aいっ  〜こく むか    ちょうちうはなは ?T
を経つで居ると訂はるゝ鍋汲も、爵駒に向つては、胸中甚だ安から氾のでゐる.
                                      1りh′■苛l
郎‥封、新鋭弼糾卜藍鮎`心安凱掛卜鄭郎尉わ、析ういふ姦である


   に ほもひい・▼ 小▲一 女ん
…デ日本鹿角の人は、何とはなしに、戯僻弼卜がポの山郡を恥つて尉つたのであ
らう・触しながら、扁には危ぶんだ、がポ舶ザ椚打るでゐらうと、租普懐いた
               めん  わJ                          } いう いだ

    しか わ・かひ ひら   t・サ、】と に 拝ん か
◎である.然るに嘲の粥くるや、職ふ毎に、日本が勝つたのであるj軌が断つた
 さ に ほん ぎ−わいこく えいこく おょ と・’めいこく ゆづ
のを見た日本の同盟国化る英国、及び同盟国に譲らぎる脱が、がポの鮮那たる舶野
粁抑肘朗剋軒ほ、即断札止野耶み、即断が那を絆化如く、割禁制まつで狂するばが
                                                                  き一丁フ

  い●丘ひ lつ   にほん と〜じや} よ          こ  と‡ ちた      る こく    勾t
りの勢を以て、日本に同情を寄せたのである.此の時に普つては、露囲といふ恐る
べき那加か蹴れることが、帆影の慧仰の好め、野郎のポ胱の貯め、大に利箸凍す
                                                              おほい ▲ツ え斗I  ▲すた


                しん   魯     とく ぜつと・フ り yい くbんけい l    ゐ  えいこくペいこく
であらうといふやうに信じて層つた、特に紹束に刺青の関係を有つて居る英国米頼
朝に枇ては、酢酢の廓郡に好ける肘対なる朝烈トは、郎に感触舶を解いて粁つた、
モのし与フこ 、−らん   べいこく ぜん〃いと、7り?フ
其紆捷は御覧なさい0水団の前大統領;キyレーの舶に、酢桝那は祁酢に鮎鮎a
はつ    しな  はぜん もんこ かいはう       つうてふ    モ◎とキ 九つこく よほぎ− くbん
登して、支郷の保全、門戸開放といふことを通牒した.其時に列固は鎗程是れを軟
けい  みなt   どうい            つい なりた  にち1いぐ1めい こ   ろ こく 七い
迎し、皆乗れに同意したのでゐらます。次で成立つ口共同盟、是れも蕗囲に対する
日本に封†る他界思想の襲牝

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8
0
8
′l\
      朽木
   し な   ほ ぜん
 支郷の保全
 こく  し な
) 囲も、支那
に封†る世界息想の愛他
 し な  もんこかいほう         lくて†
、支那の門戸開放といふことが目的であつた.
      ふラ 九いこく   一い
さういふ夙に英国も、米
                   へい壱    与,い
といふ肘新のガなる部郭‰粁酢の那加か貯めに、閉鎖されては容易なら
                            ちから
巳,k断り醗bレ斬ら、a貯D郎那哲畔那に那かうといふことに、カを
                                 ちから
ぬといふので、梨那の郭針凱桝ち、ま町の部那をが新に眺かうといふことに、カを
つ′ヽ
盤したのである。
此の時に普つで、肘ポか新の装、髪町の糾欝離鮮鶴野を以て尉んで柑つ叱.
 こ と‡ あ十
是れ粥軒耶欝翠あつて、鵬b粥紆鮎が、野洲剛蹴から警化のである。きれ

ばセ本が、海陸に於て勝利姦たに就いて、最量んだのは新郎と射献で、恋敵削
 に 拝ん カい曾〜 匂い し与っり え ツ  もつと ▲ウー
固に於ては、鎗豊ば欝やうであつ化が、纂喜ば欝としてもふ郎袈飢勝
こく おい    わ王 Jろこ              こうぜん▲るこ
り lき_      といっ、−と                 号告げ おい
利を喜んだのである・狗汲の如きも、射那の腕那は対那であるから、欧琶に於て
多圃に反響ることの出苦い憲があるので、髭は許ないにした脱が、.耐舶
ろ こく はん七い    でき  じ、?っ
は喜んだに豊た・斯ういふ郁鮮であるから、舶舶に桝て∴影l酢は、`ポ
  上るこ     竜うゐ       か
 し与っ’ hつしん ▲ろこ          け一かい かんじ?−
の勝利を熱心に喜んだ・ポ郎に郎つて、がポに斬する世界の戚傭は、
ヽじ?7  青か
非常に】妊んな


r・・・・−日本に封†る世界息憩の鍵牝
lゆ       ロんるゐ い 首 lし  し・†け} い ぞ’ lたhlして†l−ラrい’?’●’い チ
着であつた.人種の異同、若くは宗教の異同、又鹿史的東西南洋の異同といふや・’
    なうちラ と♭の▼  し l   じつ に ほんじん めづ  こくみん
苧−とは、備中から取除かれて仕舞つて、資に日本人は珍らしい国民である・酢ポ
ピん ゐ だい  こく人ん
人は棒大なる国民であると、抑郡なる劉群を以で、酢叔舶を淑へたのであつて、そ
   いl   わづ   払ん√ん            モ¢とき あお       甘んこく 9け甘んせい  はな     とほ
れは今より僅かこ年前のことである。共時に曹つては、先刻三宅先生の話された適
   と・1がう七いしや・フ おはやlげん†ゐ くろさし?フぐん の yし?)†ん        な lへ   ぜ人せ かい }サ  山海
ぅ、東郷大郷、大山元帥、黒木婿軍、乃木滑車など1いふ名前は、全世界に邸き亘
                    はなは      いた       しよこく しやうへうセと    lち
うたのである小さうして甚だしきに至つては、諸国の商標等にまで用ゐられたので
    なか       た小ら と1がう渋いし?)  巾く           と●
ある.また中には、いろ・′1の賓を釆郷大郷などに勝つたといふやうなことが、時
ときしん♪ん あr             このとき おい   せかい どうじ?っ  ほど   に ほん あつ
時新開に現はれたのである.此時に於て、世外の同情は、殆んど日本に集よつ化と
   心り竜王 も はやとうやう は けん   に はん }            しか   に ほん とう?っ  へいb
いふ有壌で最早東洋の萌椛は、日本に鮎したのである。而して日本は東洋の平和を
七l   しな  あんぜん 七も   L な  ぶんめい みちび  し な  七め に ほん おほい つく
保ち、支那の貸金を保ち、支那を文明に導き、支部の演に日本は大に亜すであらう
せかいき一丁lどラ り えを れ   じんどう うへ            くbしん
世界共同の利金の虐めに、人温の上に、舶ヤ郡配するであaフと過信したのである−
 しか     hづ はんないし hんはん、、 こんにも に ほん 七い せ かい かへ‥やう
 然るに、それが僅かこ年乃至一年年後の今日、日本に対する世界の成憤はどうい

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ヽl
∧V



8木に淋†る世界息想¢篭
      こ もつとちラい  こと  しか   I−  かならγ′
ふ猷似を刺したか、是れは最も滋怠すべき事である.併しながら、是れには必や瀬
田がある・裁断は批〆めるであらうが、先づ私は、二つのポ邸眺からがて尉ると
いん                      l βたくし

                          、−かい  l■
那ふ0眺b撃は腕軒桝、驚かP教化もので、一は誤解から本たものである。
     この     モの拝か    竜 だい 丁jいん   こ
ポなる蹴凱は、些一つであるが、其外にもう;、東らに大なる源困があるが、是
                l モ    げんいん ‡ ゐ
れは如い削郡の批煎に動せで酔いて、先づ其の二つの帝国よト凍て屠るものとする
                       じかんじ?フて合 おこ とうじ?フ
那舶獄野郎、舶群がはが伊写るものであるかといふと、蒜戚情的に屯つ化同情は
と† へ               こで亡者 いた しづか
時を鮭るに鮎ゲて、が鮮ae醐じ、都には榔滅して肘がつ化成時に至つて、押に
郡jて労ると、断水の那郎は、ガづ封軒む針糾して針那の那鮮と箸、
ひい  け■ かい
娃ては世節
の郎耶の判ば跳川才aめて絆る新郎新郎が、鵬hツ貯めるであらう0
し な じん  †ビ
支那人は絶て
         しな ぐん七い に 杜ん ぐ′し七い けラいく     勺ほい
のことを酢叔舶に批へられ、支那の軍隊は、日本の軍隊に教育され汀ならば、大に
書              いんとしい  と・ウこしか  言しや羊じか   しか  と・つPラ
恐るべきものになるであらう.印度然り、土耳卓然わ、汲斯亦然らん。而しで東洋
しきく ひと  与フろつばじん わセと       こ  はなはおモ          ミろば
帝国の人に、飲鹿巳人を倖むはすょいか、是れは甚だ恐るべきことである.欺鹿巳
¢ん ほと       払ん しんくけいえい   ひら 九    とこる とう?} しTや} 与†l 九    とこさ けん
人が殆んで四百年、辛苦経費して粥き得たる所の末洋の市脇、東洋に浄化る所の樺
り      てう     うしセ                        ●与1ふしん しりよしん   みもぴ
利を、一朝にして失ひはせぬかといふやうな、−の恐怖心、嫉妬心から導かれて、
ち.ひ くbうくb      ミ ちノ ヽ・ ぎ るん     な’た  l
或は真鍋といふやうな、間違ひ切つた耗静が、ポツ〜・l・・・I成立つて水たのであゎます
僻同時に、がポの那加は、畔がの翻むる舵ザある0那加の腕れで断る如くに、平時
なはとうじ                            へいど
に肘ては肝祁の献新が叡漸し・掛取歎が叡叡し、鮮新鮮が那離するであらう・然る
                                                                       ,レか


とす   じうらいと1フ†J おい   やっべいしよこく とくい      し甘やう し セ いんぞ など ・き−い  件 しよ
時は、徒凍架洋に於て、欧米諸固が得意とした市場、支那印度等の得意の場所を、
に ほん う件                    さいぎしん しつと しん おこ   き          こ
日本に奪はれはせぬかといふ、一の猫疑心、嫉妬心が鵡つて水たのである。是れが
に 拝ん 七い            いん
日本に対する、駁尉の戯僻げ新し空因である0(買取普静』に誓)