六四  産業界の欠陥  農商務大臣 仲小路廉

 思ふに従来の我が産業界の欠陥は、二三に止(とゞ)まらず と雖も、資本の欠乏、技術の幼稚、経営方面の非組織であつたこと等を挙げ得るが、予は、此の非組織であつtことを最も欠陥と言ひたいのである。凡そ何事に依らず、事業の成績を挙げようと欲せば、まづ組織的に経営しなければならぬ。組織でない事業は、時間経済に於ても、将(は)た人物経済に於ても極めて不利益である。之は啻(たゞ)に一事業に止まらず、同一同種に事業に於て、然り、更に一国の産業全体から見ても亦然りである。
 従来の日本人は、余りに他力(たりよく)的で人頼みする嫌ひがあつた。併し開国以来六十年も経過した今日に於て、猶ほ昔日の弊習に囚はれるのは宜しくない。大正の日本人は、総ての方面に於て、自助的、発動的、躍進的たるべく、従来のやうな姑息偸安なことは一掃して剛健博大の精神を懐かねばならぬ。
 日本人は従来共喰(ともぐひ)、共倒(ともだふれ)凝の弊に陥つたかの嫌(きらひ)がある。甲某(かふばう)が発明すると、乙某(おつばう)は直に之を模倣するといふが如き、また丙某が新販路を発見する丁某も亦正に其の後を追ひかけるといふ風に、たゞ人に殿(しんがり)することのみを考へ、未(ま)だ以て独自の新天地を開かうとする者が尠かつたやうである。模倣固より咎むべきものでないとしても、独創の尊きには及ばないのである。また販路にしても、人の開拓した後を追うて其の余瀝を嘗めるといふのは、断じて世界的発展をなす所以ではないのである。故に従来の弊風を一洗して大に独創し、開拓し、将来外国人をして日本人に殿せしめるといふ域に達したいと思ふ。
 我が国の製品は精巧なものが多々あるけれども、一部には尚ほ未だ粗製濫造の非難あるは寒心すべきことである。元来粗製品または見本より劣れる品物にて一時を糊塗し、以て目前の利を収めようとするが如きは、極めて愚劣な話である。蓋し斯くの如きは仮令一時の利を収め得たとすをも、永遠の利を喪ふ所以であつて、大局から見れば極めで損なことである。此の点に関しても、日本製品といへば世界的優良品の代名詞たらしむる域まで進まねばならぬ。故に商工業者は、一時の利益に眩惑されることなく、自己の製作するものは日本人たるの名誉を代表し、自己の取引する商品は世界的信用を博するに足る底の抱負を待たねばならぬ。
 また近時需要供給の不定なるを奇貨として、不徳義な買占と売惜みとをなし、盛に暴利を貪る奸商が跋扈するといふことであるが、彼等こそは私利の為に国利を忘却する獅子身中の虫も同様であり、人道上に於ても亦許し難き徒輩(ともがら)である。
 之を要するに、世界に於ける現時の大勢は実に容易ならざる変局に在るのであるが、我が国民は僅に貿易上の好況を見て以て抃舞雀躍し、乗るか反るかの一大転機に際し、驕者に流れ、其の頭上に下されたる責任を感ぜざるが如きは慨嘆の極である。

 (『産業の振興と国民の努力』に拠る)