四三 自然文学と国民性 文学博士 芳賀矢一

 我が国の文学に自然を吟詠したものの多いことはいふまでもない。絵画(くわいぐわ)が花鳥(くわてう)を以て優つてゐることや、彫刻(てうこく)も人物よりも花鳥の方(はう)が多(おほ)く、音楽も人声(じんせい)よりも自然の音色に近いことや、また宮殿の朱塗の建築も松杉(しようさん)の茂つた背景によつて一層その美をなすが為(ため)に、市中の神社があまり美観をなさぬことなどを考へてみれば、我が国の古来の文学が、自然美を歌つたことを殊に長所とし、生命としてゐた所以(ゆゑん)がわかる。上古から近世に至るまで、歌の大半は、花鳥風月の題詠であつた。
 『古今集(こきんしふ)』の読人知らずの中に、
     ゆきのうちに春は來にけり鶯のこほれるなみだ今や解くらむ
また『古今集』の中の藤原(ふじはら)敏行の歌に、
     秋の夜の明くるも知らず鳴く蟲は我がごとものや悲しかるらむ
 などは、日本人が鶯や蟋蟀(きり/"\す)になつて歌を詠んだのである。散文の中にも、『源氏物語』に、
     山風(やまかぜ)にたへぬ木木の木葉も、峯の朽葉も、
     あわたゞしうあらそひ散れるまぎれに、
といひ、また『同書』に、
 鹿はたゞ籬(かご)の下に佇みつつ、山田の引板(ひた)にも驚かず、
 色濃き木どもの中に交りてうちなくも憂へ顔なり。瀧の声は
 いとど物思ふ人を驚かし顔に、耳かしましう轟き響く。叢の蟲のみぞ、
 よりどころなげに鳴き翳りて、枯れたる草の下より、
 瀧胆のわれひとりのみ心長うはひ出でて、露けく見ゆるなど、
 皆例のことなれど、折から処からにや、いと堪へ難き程のもの悲しさ。
といつたのなどは、

 

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