三八日本特有の文化文学博士芳賀矢一
平安朝は支那文化の次第に我が文化を融合したる時代にして、他に比類なき我が特有の文化も亦次第に発展の気運を見たる時代なり。就中文学上最大の関係を有するは仮名文字の製作なりとす。かの奈良朝に於ては、感じを音韻文字として使用せしも、この時代に及びて、或はこれを草体にし、或はその扁旁を省きて、所謂仮名文字となせり。これによりて純国文学は益々発達し、当時の建築、彫刻、絵画等と同じく特殊の光彩を放ちて、強大なる支那文化にも圧伏せられざりし我が国民の元気を発揮せり。
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