三二   優劣は時の問題   文学博士 三宅雪嶺

 自国を呪ふ者は言ふ、『日本は辛うじて外国と対等なるを示せるは、軍隊にして之に次いで医師なり、他は劣ること遠し。斯くして一等国を以て居るは、自惚も甚だし』と。斯かる順序の然るべき所、何等怪むべきなし。三百年前、南蛮と交通
して得たりしは兵器及び医薬にして、小銃は早くも国内に拡まり、辺鄙の猟夫(れふふ)も亦
必ず之を携帯し、医薬も鎖港時代に幾分づゝ入り込めり。其の後、米と交り、欧と
交り。まづ輸入に務めたるは兵術、医術、及び之に関聯せるものにして、言はば国
家の安全を保持するの術及び個人の生命を保全するの術を択べるなり。最も早く力
を用ゐたりし所が最も早く効果を顕(あらは)すべく、明治三十七八年即ち一九〇四、五年の
役に一大強国とカを較べ、同時に医術の多く欧州に劣らざるを明らかにせり。他の
事物は、兵術若しくは医術の附属として入り込み、爾後漸く分業して独立し、未だ
兵術、医術の如くならずとも、既に欧米と対等なるを示せるもの一にして足らす。
たゞ其の数の甚だ少きのみ。其の甚だ少きは、此の類の事物にカを注ぐの久しから
ざるに出で、久しくば何ぞ彼に劣るべき。ペリーが浦賀に来りて世を驚かしゝは、
仏国に奈翁(なおう)三世が帝位に即きし歳、彼には汽船も、汽車も、電信も、瓦斯も相応に
行はれ居れり。東洋と西洋と正に野蛮と文明との差にして、彼等の外観を摸倣する
だに容易のことならず。欧米は奈翁三世時代の儘に停止せず、爾後層一層進歩を遂
げ、彼自ら進歩の急なるに驚く程にて、六十年間に之と同等ならざるを責むるは、
たゞ督励の語として聞くべく、何様(なにやう)に強弁するも決して理を得たりとせず。如何な
る国民も六十年間にて彼等の数百年を費せると同様の収穫を得べからず。幸にして
日本に歴史的素養あり、形こそ文明的と見えざれ、真髄に於て文明的なるを含み、
早晩彼等と同等以上と成るの不可能ならざるを信ずるに足る。

 劣れる点より観れば、固より劣るを免れず。兵に於ても、陸軍は独に若かず、海
軍は英に若かず、医は其の孰れにも若かず。世界の大戦乱に対し、三十七人年役の
如き、多く言ふに足らざるなり。今後日本が他国と開戦する場合、兵員に、兵器に
前に幾倍せる大規模に於てするを覚悟せざるべからず。三十七八年役に費せる弾薬
の如き、今日の比例を以てせば、百日の分も一日に尽くべし。一二年間の弾薬を何
処(いづこ)に如何にして造るべきや、明らかに答ふる者なし。されど日本は欧州に国(くに)するに
非ず、太平洋に国し、欧州と隔たること万里、形勢の彼と異なるは言ふを俟たず。
形勢彼と異なれば一般の事物も亦彼と異なり、日本が欧州に国せば今日の状態に止
らす、孰れか一方に与(くみ)して大損害を破りつゝ、敵に大打撃を与へ、或は三分の計を
立て、前と異なれる形にて平和を克復すべし。国力の足らざるは足らずして可なる
を以てし、十分にするの必要に迫らるれば必す十分にすべし。欧州強国に比して兵
力の足らざれど、人口七千万、彼の如き危急に臨めば彼の如くするを難(かた)んぜず。日
本(にほん)が大戦乱の禍を被らず、却つて例年になき多大の利益を得るは、他面に於て彼の
如く民心を緊張し、工夫に工夫を積み得ざる所以にして、福あれば禍(くわ)あり、禍あれ
ば福あり、相伴ふとは真に事実なり。実に後進者として軽んぜられし不幸は、比較
的代価を払はずして多く得るの幸を覚えたる所なり。交戦国は大(おほい)に失ひ、大に得ベ
し、即ち莫大の人命及び資材を失ひ、従来人智の及ばずとする所に出でたること種々、
開戦以来の兵事及び工事の進歩は実に驚歎するに余りあり。されど日本にして
注意を怠らすんば彼等が巨額の代価を払へる所、少しの代価を以て収むるを得ずと
限らす。後進者たるの利益は先進者の苦心して造れる所を容易に得(う)るにあり。数年
に互(わた)るの大戦役中、彼等の努力の偉大にして、必ずや結果の驚歎すペきを見んか、
日本にして努力しさへせば、彼の如く多く失はずして殆ど同様に得る所あらん。
 我が日本の兵事は種々の欠点あるも、既に一たび世界の強国と対抗するに堪ふる
を明らかにし、医事の進歩も亦之に伴へり。兵に次いで政治法律思想の入り、医に