三〇 公の礼儀を忘れた国民  理学博士 穂積陳重

 我が国に於て、内の礼儀の発達してゐることは申すまでもなく、人を訪問致しても、まづ寒暖の挨拶を述べ、互に頭を下げ、互に席を譲り、再三薦めて後に初めて椅子に倚り、または坐蒲団を敷くといふやうな有様、それに就いては種々流儀まであつて、甚だ規律だつて発達してゐる。然らば、外の礼儀は如何といふに、殆ど無いといつても宜しい。極端な例ではあるが、あの葬式の時、会葬したものが、読経中に弔辞などが済んで、さア焼香をするとか、榊の枝を捧げるとかいふ段になると座敷では大層礼儀の善い人が、最も静粛を要し、最も悲痛の情を表すべき時に、互に押合(おしあひ)を始め、また人を肘で突き除けて。榊を抛(な)げつけて逃げ帰るといふやうな風である。
 かの欧米諸国にあつては、道路を歩くにしても、礼儀は至つて正しい。向ふから人が来れば、必ず左へ避ける。また例へば、自分の先輩か或は年長者と連れ立つて、町を散歩するとすれば、その人を右の方に置いて話しながら行くのである。我が国では往来で行き合つて、此方(こちら)で左へ避けると、向(むかふ)も亦その方へ避ける、そこで鉢合をして双方が笑つて行き過ぎるといふやうなことが度々ある。
 道路ばかりではない、私(わたくし)がかの国にゐた時分、劇場などの様子を観たが、早く入らうと思ふには、早く行つて待つてゐなければならぬ。大概戸を三十分前位から開けるから、その前に行つて戸の前に立つてゐる。すると後から来たものが段々後に繋がつて、往来の人の邪魔にならぬやうに長く列をなして、戸の開くのを待つてゐる。さうして戸が開くと、此方では我勝ちに鯨波(とき)をつくつて押し込む所であるが、先方(むかふ)では、そのやうなことはなく各自が他の立場を侵さぬやうに、順序を正してゐる。また学校で先生が子供に札などを渡す時でも、一人づつ出て受取り、余の子供は皆右の手を隣の子供の肩に掛けて、ずつと竝んでゐて、ちやうど子捕(と)ろ子捕ろのやうである。下等人民でも、子供でも、公の秩序を守り、行儀を善くするといふ風(ふう)は余程発達してゐる。
 またイギリス人などは、めつたに帽子を取らぬやうである。が、行き会つた時に一寸でも肩でも当ると、『どうぞ、お許しください』と言つて、首を下げて丁寧に挨拶をして通り過ぎる。イギリスの法律を見ると、かの殴打といふのは、たゞ殴ぐるのばかりでなく、指一本でも他に触れるのをいふのである。そこでイギリス人が、決して他に指一本でも触れぬといふことが解る。
 苟(いやしく)も人間が公の生活をなし、多数の人と交際を円満に致さうといふのは、公の礼儀が発達しなければ到底出来ないことである。聖人が礼といふものを拵へたのも、此処を見抜いたからである。所で斯くの如く公の礼儀に於て彼と我と著しく差異のあるのは、要するに我が国がまだ公の生活に慣れぬからである。

(『公の礼儀』に拠る)