二一日本人は悲観的民族なるか佐藤正
民族の悲観的傾向を窺はんとするに当りて、特に悲みの情を遣らんとしてものせるものを採りて観察することは適当にはあらず。何となれば、そはたゞ何れの民族が悲みの文明の技巧に長ぜるかを観るの手段となるのみなるを以てなり。されば一般和歌、俳句乃至散文に於て特に悲観思想を述べんとて予(あらかじ)め期する所なくして歌へるものを取りて研究せざるべからず。此処には、仏教思想の影響を最も多く受けたる時代として観るべき鎌倉時代及び室町時代に就きて観ん。是れ仏教思想の影響は、悲観思想の最も能く現はるゝ時代を形成したるを以てなり。
鎌倉時代に於て、その和歌壇を代表すべきのと認めらるゝは、新古今集なり。こは土御門天皇の御命を奉じて、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、藤原有家、源道具等が元久二年----紀元千八百六十五年に撰び奉(たてまつ)れるものなり。
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