一四 美点に程度あり 文学博士 三宅雪嶺
世には、日本の西洋に比して劣れる点を挙げ、専ら之を日本人の罪に帰し、尚ほ之を以て民族固有の性質とするを辞せず。 此の言に耳を傾くる者の稀なるが故、未だ特別の影響なきも、真に其の予期するが如く多数が耳を傾けんには、我が同胞を駆りて自暴自棄に陥しむるものならずや。
警戒すべきを警戒し、奨励すべきを奨励すべし。警戒の必要は奨励に譲(ゆづ)らざれど警戒の半面には奨励の余地あるを忘るべからず。日本国民は何の欠点あるにせよ、常に幾分づゝ進歩して今日に至り、他のアジア諸国の停滞若くは、退歩すると違ひ欠点よりは寧ろ美点多きを証し、警戒すべきを警戒するとし、更に一層奨励するの適当なるを明らかにす。興国の民たるは既に奨励すべきことの多きを示し、欠点の多くんば、他のアジア諸国と同じく、既に停滞若しくは退歩しつゝあるべし。弊短の改むベきは勿論なるが、仮に之を改めずとし、美点が更に増進せんには国運の興隆に大なる妨害なし。欠点が愈々減じ、美点が愈々増せば之に過ぐるなく、孰れかの一に重きを置くの場合、若し欠点が少く、美点が多ければ美点を主にすべし。ただ美点に程度あり、高下(こうげ)もあれば多少もあり。
我が日本の国運が徐々漸々興隆して今日に至れるは、確(たしか)に他のアジア諸国と趣を異にする所なれど、今日を以て満足せず。更に益々興隆にカを致さざるべからす。アジア諸国にありてのみ、国運の隆々たるを覚ゆれ、欧米と較べて遅々たるを免れず。問題は日本人に欠点多しと言(いふ)に非ず、更に美点を増進すべしと言ふにあり。日本人(にほんじん)は独創力なきに非ず、現在よりも更に之を念とすべし。日本人は遠大の計なきに非ず、現在よりも更に之を念とすべし。日本人は公徳心なきに非ず、現在よりも更に之を厚くすべし。日本人は事業に信用を重んせざるに非す、現在よりも更に之を重んするが如くすべし。種子なきは絶望すべく、種子さへあれば努力次第にて培養すべし。日本人は欧米人に比して種子なきに非ず、培養に力の足らざるを憾(うら)む。勧告(くわんこく)すべきは警戒ならずして、現に所有する所を大に活用せしむべきに存す。
過去及び現在を以て、直(たゞち)に国運を判定するは誤ること少からず。之を判定する際徒(いたづら)に外観に拘泥せず、 何故(なにゆゑ)に然るやを繹(たづ)ね、之を探り、之を考ふべし千前(ぜん)、欧州人は特別に称するに足らず、南北米州に一の白人なく、米国なるものあるべくもなし。而して今日に於て欧米が世界に勢力を張り、世界が欧米の世界の如くなるは、地勢の最も多く与(あづか)れる所にして、希臘小半島が文明に利益ありしと同様、欧州大半島が文明に利益ありたるなり。日本に瀬戸内海の沿岸附近が夙に開け、支那とも交通せるが如く、欧州が地中海に於て航海を盛(さかん)にし、やがて米州を発見し、以て文明に大発展を遂ぐるに至れり。
彼等白人にして東アジアに国せしならば、現に今日の東アジアの如きのみ。露国の文明の後(おく)れたるは、スラブ種が他の白人種に劣れるが為ならず、其の文学音楽の一頭地を抜くを以ても、文明的素因の備はれるを知るべし。而して蒙古人と趣味及び風俗を同じくする所あるは、単に蒙古人に統馭せられしに出(い)でず、漠たる北欧の平原に住居し、西南と地形を異にするにも出づ、バルカン半島は猶墺露の競争地となり。憐むべき状態なるが、其の一独立国を形づくるに堪へざるも、亦地勢に恵まれざるに因る。希臘が嘗て文明の揺籃地となりながら、今日甚だしく振はざるは、民族の変化せるよりは寧ろ大規模の文明的変遷に適せざるが為なり。幼稚園に適し小学に適し、而して中学大学に適せざるが為なり。日本が現在の領域を以て欧州に接近し居らば、優に彼の最強国と競ひ来りたるべし。国力が他の十分一に足らずとは、万里の遠きに居り、一隅に泰平を楽(たのし)みし結果に過ぎす。欧米に接触して六十年間、能く現在の進歩を致したれば、交通の便利大(おほい)に開け、今日の欧州の戦況が今日知るを得、日本より欧州に軍需品を輸出する程にては、今後の発展の著大なる予め之を知るべし。
欧米人が独創に長じ、日本人が模倣に長ずるとは専ら現在の事実に於て言ふか、または本来の国民性として認めたるか、前者ならば或は可、後者ならば断じて不可なり。絶対に独創と見做すべきは、古往今来世界に是れあるべきに非ず。世には所謂独創なるものにして何事か少しの模倣する所なしとすべき。有意議に模倣するあり、無意識に模倣するあり。小見として父母の言行を模倣し、漸く長じて師の為す所を模倣し、或は書籍に依りて古人若しくは外人を模倣す。日本に独創とすべきもの少きは、互に相模倣すべきものゝ少きに伴ふ。
欧州は新世界発見以来、列国競争、階級競争の劇しく、苟も他の長を観れば必ず之を採りて我が短を補はんとし、鵜の目、鷹の目、他の長所を探査し、たゞ之を利用し得ざるを恐る。米州殖民地は初め母国より隔絶して別天地を成し、競争すること少かりしも、二箇月の航路が一箇月となり、二十日となり、十日となり、五日となるや、競争は欧州諸国相互の間に於てするに異ならず。一層交通の進めば、ドイツと口舌を以て争はず、兵力を以てするが如きあらん。日本の大陸より隔たること英の大陸に於けるより遠し、而して東亜諸国は欧州の如く変動多からず、日本が鎖港して泰平を貪れるは識見の劣りしに非ず、開港の必要を感ぜざりしのみ。トルコが欧州に在りて何等見るべきなきは、地勢よりは寧ろ人種なるの証拠とするが.是れ其の欧州に加はりて年代の浅く、欧州的地勢の利益を被るの少きに困る。
日本は支那と交通してより、国内に必要なる事物は、兵術なり、医術なり、算術なり、藝術なり、概ね支那の上に出づ。欧米と交通すること多くんば、必ず之と同等に達し、国内に適するは更に其の上に出でん。只管自国を卑み、先進文明国に企て及ばずと考ふるは、一種の痼疾(こしつ)に罹れるもの、恐水病患者の水を恐るゝが如く、他人より観れば恐るべからざるを恐るゝなり。
(『進歩的の国民』に拠る)