三 封建制度の内的矛盾の発展過程
1 封建制度の本質とその内在的矛盾
血族的結合の観念は、大化の改新以後においても、なお多少の社会的拘束性を有していた。しかるに、荘園の発生による土地公有の原則の破壊と地方的割拠対立とは、氏族制度の遺物たる血縁的結合観念を著しく稀薄ならしめ、地域的隣保の情誼と土地の所有関係を通しての結合とを密接鞏固ならしめた。
今や人と人との関係はただ土地を通してのみ理解せられる。土地の所有関係を度外視した人的結合関係はもはやほとんどなんらの社会的強制力をも有せざるに至った。平安朝の中葉以来、事実上、奴隷制度が従来の意義における重要性を失うに至ったのはこれがためである。たしかに従来の奴隷制度は重要性を失った。しかし奴隷制度そのものが廃止されはしなかった。ただ異なる形態の下に再編制せられたにすぎない。否、従来よりもさらにさらに広汎なる基礎の上に拡張再生産せられたにすぎない。土地の私有、すなわち封建的土地領有の包括的基礎の上に、一種の奴隷制度たるいわゆる農奴の制度は確立せられたのである
しかるに農奴なる奴隷の制度は土地の介在によって、その人的隷属関係が不分明にされている。ことに我が国においては、その封建制度に関する法制の最初のものたる貞永式日になんら農民の住居移動制限の規定なきの事実をもって、農民の土地に対する隷属を否認せんとするものもあるが、これ外形に囚われたる公式的類推論にすぎない。農民を土地に拘束するために特に法制的強制を必要としなかった根拠は、当時我が商工業が未だ発達の初期にあったこと、久しき動揺の後を受けて一般に安定を欲していたこと等に見出され得るが、なかんずく当時における農業生産力の発達が全く停滞状態にあったということに求めらるべきである。
かくの如く、封建制度は土地の所有に基礎を有し、その基礎の上に立つ農民の搾取によって維持され、従ってまた勢力の地方分権をその特色とする。そしてかかる封建制度の本質は必然的に次の矛盾を包蔵する。
第一の矛盾は、土地の所有権が最高所有権者から順次により下の占有者、すなわちより直接なる土地の占有者に移行するの必然性の中にある。そしてそれはまた実権の上より下への移行を意味する。ここに群雄割拠の形勢と「下剋上」の思想との生まるべき必然性が潜む。そしてこれはやがて反対物へと転化する。
第二の矛盾は、搾取関係の複雑なること、すなわち同一土地の上に間々二重三重の搾取が存在したことに存する。この事は農民の負担を過重ならしめ、耕作上の進歩改良を等閑に附せしめることによって生産力の発達を阻止し、さらに新耕地開発の余力を制限する(生産力停滞の結果いかに新耕地の開発が阻止され、さらに既耕地の荒廃を来したかは、平安朝の中葉の初期たる延喜、延長年間(西暦九〇〇年代)に八六二、七一六町歩(『和名抄』)あったといわるる田地が、室町時代の中葉たる文明年間(西暦一四六九−八七年)の調査によれば、出羽の国の町歩を欠くとはいえ、八五四、七一一町歩にすぎざるに見ても明らかである)。かくの如きは、一方において封建制度そのものの基礎を薄弱ならしむるとともに、他方において封建領主相互間の抗争を不可避的に激化せしむるに至らしめたのである。
第三の最も重要にしてかつ封建制度の崩壊と資本主義の発生とに対して決定的な意義を有する矛盾は、商工業の地方化すなわち普遍化である。これは第二の矛盾と対応して、いよいよ農業の相対的重要性を減退せしめ、封建制度の基礎そのものを脅威すべき積極的要因となったのである。
以上三個の矛盾は封建制度そのものに内在し、その発達の-----従って崩壊の----過程において必然的に生成発展するものであるが、これらがその発展の過程においていかに交互に因果的に作用し、さらに外部的要因によって促進され、ついに矛盾の対立にまで発展せしめられたかを、特にその積極的否定要素たる商工業の発達の沿線に副うて考察しておくことは、我が資本主義の発達史を正当に理解し得んがためには絶対に必要であろう。
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