一 日本資本主義前史

  一 氏族制度の崩壊と大化の改新

        1 日本国家の紀元

 我が国家の紀元については、異説紛々として去就に迷わしむるものがある。あるいは神武即 位紀元(西暦前六六〇年)をもってし、あるいは大化の改新(西暦六四六年)をもってし、その間千三古余年の隔たりを見、ともに首肯しがたきものがある。今日史実として伝うる所を綜合、 分析した結果は、ほぼ崇神天皇(西暦紀元前九六−二九年)ないし垂仁天皇(西暦紀元前二九年−西暦七〇年)の頃に、我が国家組織生成の端緒を求むることの妥当なるを知るであろう。こ れは、『日本書紀』の紀年が約六百年ほど多きに失し、従ってだいたい神武紀元は西暦紀元と時を同じくすとなす諸家の見解と一致するとともに、次の諸事実によって立証せられ得る。
   当時既に、生産手段の私有が存在し、階級制度が確立し、そして地域的統一が開始せられ、従って常備軍の編成と租税の徴収とがその緒に就いたことが見られる。当時における重要生産手段たる土地と労力とは、各氏(うじ)(事実上は氏の上(かみ))の私有に属し、氏(氏の上の氏人)なる支配階級と、部(皇室に属する品部(ともべ)、豪族に属する部曲(かきべ))および奴(やつこ)(家に属する者、氏人に属する者、氏に属する者)なる被支配階級との対立を見る。氏の内部的膨脹と征服その他による部民、奴隷の従属との結果、増殖し分化して、氏は既に血族団体としてよりもヨリ多く職業団体、地域団体としての意義を有するに至った。全国に散在する皇室領たる御県(みあがた)、屯田(みた)等にそれぞれ県主(あがたぬし)、国造(くにのみやつこ)を置いて支配し、各特定の職業団体たる部はこれを伴造(とものみやつこ)の管理支配に委(まか)し、さらに臣(おみ)、連(むらじ)、伴造、国造、稲置(いなぎ)等の「有勢者は水陸を分割してもって私地となし」、かくて地域的、職業的統一支配が開始せられた。そして崇神天皇の代における、四道将軍の派遣は、これらの階級的支配権を維持し拡張せんがための常備軍の設置と見るべく、「人口を調べ、男に弭調(ゆはずのみつぎ)、女に手末調(たなすえのみつぎ)を課し」たのは、徴税の濫觴というべきであろう。

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