二、政治的宣伝の手段としての合言葉

109

 群集心理は衝動性・興奮性・構想力を其の特性とし、従つて絵画・言語・標語に影響されること甚だしいものである。ル・ボンは斯かる言語が如何に神秘な魔術力を有するものであるかに就いて吾人に教へてゐる。かゝる言語は群集心理の中に非常に驚く可き嵐を捲き起し、又それを鎮める力を有する。ヨ音譜や棲譜の魔力の為に犠牲になつた人々の音から
未の古代エジプート王ケオプスのビラ・tツドよりも偶高きイラ∴ドを建てることが出雑る
であらう」とル・ボン柊云つて、ゐる●                      ′

ハU
9


府潔潤畑逮渦瑠璃瑚詣           溺瀾周瀾瀾周瀾朋潤周周凋淵畑一男瀾d凋溜周一潤
                ー′ト1 一 〜
瀾瀾瀾調欄舶憫調朋嗣酬耶m   耶即妙、嘉の有する賓際の意味からは殆んど
全く猶立してゐる。
                  \        )
 斯かる「人心を打つ音譜」の本質及び度々見られる驚く可増作用は、その言語に内在す
                                                                    勺
    ノ                      \
る感情債借換首せ堵ラーデンドルフ(諸轟、「歴史的額語字典」の著者)の所ノ謂偲々の表現
が有する人め感常を廃にする警魅惑的裔感からのみ一般に詮明され得るものである。
                   \
 斯の如き音譜表象が含蓄的な形態を探り、高き感情慣値を有し、向背の一定した見地を
表現するならば、吾人はそれを合言葉であると認め得る。        一
      ヽ
 斯様な合官業の力は常に共の含蓄牲、其の的中確資性に依存し、特にそれが如何なる程
度にぬて秘められた気分と願望忙魂應してゐるかに依存するものである。
 斯かそ→孟仰は何等一定の創始者を有せぬことが廣上ある。往々それは瞬時の作であつた
り、讃譜.呪狙、或は自番的な汐詮的女旬であゎ得るか、時として群集に封する影響を目
的とする充分熟考された合言葉、人心を煽動する綱領的言語、蕪の名稲、挑戦、不平、約


J・
β
T
.りョ.二頂増退周用
束、侮蔑、或は嘲弄でもあり得る.

 合言葉の時間的場続性と基間的普及性は、合音秦の傾値、宿命・可能性に俵つて多様であ
る。「或るものは流星灯如く、或るものは費星の如く、叉或るものはその光わが時と共に冷
え、或は通常な時期に − 中には反復的に1突然再び新しい光で輝く遊星の如きものも
ある。」                 ′          −
                                         、
 からて成るものはその狭い地方的範囲を舵することなく、反之、他のものは、仮令互に
異つた意味付けと意義を有するにしても世界中の共有材となる.而して別の時と虞とに於
てのみならす同時同虚に於ても如何に甚だしく異つた意味付けが同一の言語に就いて見ら
れるかは、往々驚く可きことでもあ少「叉茸際興味あることでもある。
・突然合言葉と成るのは盲ペから用ひ′られてゐる曽冨であることが屡Jぁぺそれは樽化
                                          ′
された言語であつたり、特別の合成語であつた少して、必ザし軋新に造られた言語では断
じてないのである。合言葉はその意味の詮き難い官語であり、経験の数へる併に依れぼ、
                                                                                                    ヽ
か上る合言某が最も教典あるものであつて、それは恰も凡ゆる問題の解明を含んでゐるか
の如く、虞に魔術的な力がそれに纏綿してゐる.

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肝【W
[
臣ド監甑転「.−、ふ∵


ド.トFレ灯しゝ♭一【
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瀾瀾瀾瀾頚憎鴬野棟
    ・−毒心.笥.j葺専”・襲雲憮譲ソ成 鳥川 J∵・七で題頂頂渦題
にして合言葉掛安息せる餅望及び憩盟の象徴となれ、
                                                      ′ノ.  ノrd..し乱打−■■l
                                ヽへ
調

▲郡…
観念の象徴と成る。
 許論に入る′に先立ち、愛に原理的確定を行はう.
                           、
 「合言葉」と云ふ表現には或を一種の副味が附いてゐる.
人は屋上此の言語から無意識
的に大衆煽動を考へ絹か不正な事の楓に考へる。成程、煽動的合言葉の茸例はいくらでも
あるし、多くの合言葉把随伴してゐる所の事物を一般化したり誇張したりす/る傾向はトか
くの如き印象に理由を輿へるかも知れぬ.、併し他面に於て非常に廣ぶ甚だ高貴な動横と公
明■な束持がか1る合言葉の源泉となつて層少、多数の合言葉は揮い内資と思想的偉大さと
道徳的慣値とを有する0勿論、か去二嘉も往還用見たり、汚されたりしたことはある卜
 次に吾人は此等の種々の合言葉を考察して見ようe
 政治的合言葉は背からあつた。譲者は古代の政治的立像を想起すればよい。就中、「自
由」と云ふ合言葉を考へて見るがょからう・それは常時如何なる力を有したであらシか.
              ⇔                                                ′
′「民衆」(DのmOS)及び「ヂモクラシー」(ウのmO打【山首d)と並んで此の「自由」の概念がギブ

野り
一′†・
n
ヽ.


村竹
野.
→lゼ一
柑り、

伊バ、

暇 】
照り ♯
陀け 】
轡ヽ、
開一



野人.
折 L
P`

ギ、
耶.

野ノ

           ′/

 シヤの国内政治に舞て如何に太いな皇息義を有しねか、叉その対立概念怒る威嚇文句「専
             ●                                        ヽ
制」(T笥賀已s)が如何に取扱はれたであらうか。藤尾でも、その内政に於ても外故に於
ても、合言東がギリシャに劣らす盛んに利用された。特に出征に際して斯かる類似の観念
                             り
が宜布された。吾人は革にツキジデスに勢て「沖塑なる戦博」と云ふ表現を見出し、羅馬
裔図主義は「自由」、「人造」∵正義」の旗械の下に世界を征服した0「永遠の羅馬」とか
                                                                          −
 「勝ち誇る羅馬」とかの合言葉が世界に対立せしめられ、一度樺力を頼るや「寛恕」とか
 「平和」とかの概念が藤馬膚閥主義わ概念と結合されたのは吾人の軋エ見る所である0
 俳南西革命を逮行せき人々は此等古典的な模範の衰干1「デモマフシー」とか京和
                      \−
閲」(押のSPub紆已の如き範例は申すに及ぽす1を模倣しょうと考へ、此等の古い言某
    ‘●一・
一に本来無い意味香有り得ざる意味を秘かに附興した・(琴の如き事を為したのは彼等が最初
でも無く叉最後でもなカった。)
 吾人は更に十字軍時代の大いなる叫び即ち男文と成れる「紳はそれを欲し給ふ」と云ふ
    ′ノ
言葉や後の時代に現はれな多くの・貴名例へば最初は誅誘の言葉であつたのが逢には誇古可
              1 〃                                                                                                                            h l



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                                         叫 ウ
と/

ヰ寅の、前身)や巧ゴイセンk健髄、乞食の意忙して、イスペイン主フイリップ二世に依るネ
  聯                                  /
ザーランずに対する▲歴迫に杭して立てるネザーランドの貴族真の名)を想租しょう。月々
                                                        \
                                                       ヽ
                                \
の非常に観き慣れたコ国家内の幽寂」漣苧ふ警菅鷹は九つと古い時代ノに教生したもので、
ユグノー教徒闘争時代に出来たものセあることを愛に一寸閥れて置かう。
 異常なる政治的速動1革命、憲法闘季、選挙戦の如き・Tの時代は合言葉が特に盛ん
−に用ひられるP併し合点一】臭が初めて井の大いな容裏を肴するた至つ舞のは、組繊化され′
女大衆超勤が現はれて決定的要拐と成つて以来跡ち精々古く七餅蘭西大革命を招来せしめ
′∂
】Qレ
J
た時代以来であつたと云ふことは了坪さ打什るであらう。
 凡そ+八世紀の中葉以来、「串由思確家Jパ属官として)と「世界的市民」の二漕が重大
な意養を有するに至つた。そして戯中、「思想の自由」(リスコーの轟)を要求する叫び即
ち共の後間もなくシテー、ゲイーランド、シユレーダルにも見出される言葉が重要性を帯
びるに至つた。「簑者」(盗作苧t巧b打ロ)と云ふ衷現は紅禽主養め先駆者サン・シモン


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」一ソ


ニ′′

  ′ヱ
ヾ ▼〕




卿から出て居り、それは後にラッサールのジュネ」プ嘗口の中に採用された。「民心」(≡
訂∽溝の)「坊主」「王也と祭壇」「カスト椅紳」「無罪者死刑」(富tiNm。呈或は重農主義
の「語勢力の自由紡動」の如き概念は其の襲生を革命直前の時代に負ふて居り、「プロレタ
リヤ」とか「自由精紳」の如き表現が東新した感動力を有するに至つたのは、失張革命直
繭の時代の御薗である.ヘルダーのr人類の哲畢への理念」(ldのg賀r勺Filoso旦Fiのd平
岩のロSnF訂it)の中で盲くからの言葉「人造」(Hum中日訂賢)が再び喚捜され、これはゲ
イトランド、テ′イーク、一−ヅモプーに依り用ひられ、フイヒチ及びイムメルマンに依少
挺香された.               、
 扱、俳蘭西革命の九きな合青葉に就いて述べょう→人種」への要求は北米合衆囲議合に
依つて用ひられ、一七八九年以準フフタエγトに依り第一流の政治的合言葉となつた.昔
時「自由」及び「平等」の二語も其の重要な意義を獲得した.一七八九年五月四日常時好
んサ用ひられて鶴た「彗短級甫歳」と云ふ叫びが、彗函級の人々に依つて「持由」「平
等」の合言葉を以て應答されて以来、併蘭西は宋金町此等の概念に陶酔し、ナポレオンが

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                          d gkごJ、7ご\こ1−
曳こけ
郡仇h
Z[瀾Z周周凋切倒凋淵闇澗周礪朋欄瀾朋戚耶男瀾欄朝刊舶    郡…郡刹那舶刹那m朝
   「天的に取扱つた。それに就いてラフデーターの云つてゐる所に依れげ、自由、や等、人様、
     人造は凡ゆ、る指令及び刊行物の看板であつた.
     併し此等の合首集は共の後に至り如何に驚く可き誇張と欒化を受けたことであらう.
    「自由、平等」安寧」掛後にぼ「自由、平等、博愛」「思想の自由」「印刷の自由」となり、
    叉反封者はそれ農を「自也の欺瞞」「自由狂」「自由の熱病」「自由栄達ひ」「印刷の鋳面皮」
     等に変化せしめた.
     一七八九年の俳蘭西国民議禽(人榛宣言が行はれた)に於て初めて「人民の主義」「人民
    の尊厳」と云ふ言葉が用ひられたが、それは特に一入四入年新に流行するに至つた表現で
      ある.
    「サンキュXチズム」(澤証、一七入九年の俳蘭西革命纂為にして貴野の短袴に封し長袴を、
   穿ちたる過激共和薫負よわ出でたる語)、「テ?yズム」、「ジャコ・バン景員」(詩話d瀾蘭西
    大革命常時巴里のジャコバン偲院で組織された急進纂、後には一般に念進民主主義者の意
                              ■
                                                         〆
、◆γ漑戚那
 ▲や
  」

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←へ



才、
 ¶

         ●    ▼
絶川ひら畠)・此筆の各稲は凡て怖蘭西革命常時作られたものセあつて、ニスビエール纂
患が反動液聖円年男子を俸蔑して用−ひた「1gロ琵付き叶紆」(謬読、富豪の子と云ふ意、
碗圃恐怖時代に反動を助けし恵に封する名柄)と云ふ表現も失張膚時の産物である。
「璧空(ぎfk訂⊇ロ杓)と云ふ言葉は特に言及する必要がある。此の語が最初に硯はれ
                                                    ′
奥のはカントの論文「啓蒙とは何ぞや」の軒に黎てであるが、それが一般に合音盤として
用ひられる様になつたのは一入五〇年以来である。此の語は一七七五年増アーヂルング及
                ヽ
びゲイーランドに依つて用ひられ、其の後メンデルスゾーンとラファーターに依つても用

ひられ、後に論争上の反対語としてケーリヒトの用ひた「啓蒙狂ひ」(しぎ紘訂巧icht)及
・ぴフィヒテの凋ひた「啓簸三ヤ」ハA一、筐発持軋)の如き青葉が教生した。
 ナポレオンは「柴光」の旗印の下に梯薗西息統率し、舞の軍隊を速く猫逸の国土旺盛統
率して行つた0常時璃逸′に於て「静粛ほ市民の第一義務である」(一入〇六年のイエーナ戦
後の三日後掲示ビ/ラに薔かれてゐた)と云ふ音楽が出来た。或はフリードリヒ∴ブイルヘ
ルムが凡ての後傭兵計して十字架忙記して帽子に付けさせた「紳と共に玉と組圃の為に」

々U
▲9
一⊥



ヽ′′

血■l
藩強て宍モl、▲奪妄
肝瓜瓜瓜取−瓜弘
            一
n F ∵こ ノミ貰h乳観駁温
準表
「趨ヰ宅.づピ市場消手守∴「−=、。、弐♪、宗一り竃‥.漣憎″働絹瀾榊りb潔。旬bぷ当頂1。憮頂、H止当J譲」領憑淵彗確崩還
り、ミ“絹
qdで
郎常時作むれ舟のである¢→民族性」(ぎ斉賢m)
なる語瀬此の頃(一入一〇年)
  J...
Z畑題
ルードゲイヒ・ヤーンに依り作られたものである0
自由主義と囲革主義とに対抗して一入忘年嗅太利・プ;ヤ・ロシアの三国問に舶結
された闘争聯盟に封する「紳豊岡盟」圭芸宣倦的表現は既に述べた所の事を想起せしめ
る卜それはグーレス、ベールネ、ハイネをして嘲笑的塞姦たしめ喜警ある0
 所謂反動時代(六忘年よヱ入四入年に至る問)は時代の教候を示す言葉を多く生
んだ。
此の時代の初の十年聞に「カスト椅紳」「カスト的尊大」(デイーソツケの論季文「プロシ
ャの貴族に閲して」)書Hふ嘉を聾克す頂jユンカーツム」と云ふ概念は溜時或る貴族達
の出瓢に封書馬晋nて出警来た0それは一入四〇年以来次第にエルペ川の東部に居
住せるプ;ヤの地主即ち「東エルベ人転封する政治的色彩を有する誹誘の語となつた0、
ビスニクは自ら此の名警用ひることを菅としたが−後の革曾主養新聞は此の語を変
へて「大エ業家にして酒精男停」(S邑○きロk巧unJSp賢usb寛仁ロヱなる語にして了

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卜削J 一

らた。
∴八三〇年の七量命に管建つた「諸民族の憩」(ぎ算畏莞Eぎ已彗語は元来
一入完年にルードゲイヒ・ベールネが英の創刊せる雑誌「ロi芸罵已の雪中で用
.ひた時に生れたものである.、
常時這の方針差すも写して用ひられた名稀に「宅逸的」「苗代霊的」ハ純プn
ヤに対して)の如きが有り、夢中、我芸使ひ慣れた「リ・ペラール」なる語がある.此の
靂スペインに生れ芸名は、元は非政治的意味に用ひられたが、反動時代に初めて政
           の
治的意警有するに召すハ一入≡年アヒム・フオa・アル三)、凡ての反君主的反封
溌に僕卜好んで用ひられた「カ言こフ」(薄註−霊泉又は君側の好の意)も此頃に畢生し
たものであり、「バチヲを蒜」や「法治圃」ハグト‥ミフイヒチーアル■ン毒)墨
                                                                                                                                                 丸

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求する叫びも醜に此の時分に出来たものである.
常時盛んとなつたユ苦悶題は「ユダスの解放」に封する賛香南論が政治的合貢某と
なり、やがて一流の論争問題となつた.

臣瓜
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憫k
憎洲周周り琳
題剛那       剛釧…
ョョ絹強心一召還Y」、J
ね.「進歩」は政瀧的綱領として出現し、一入四〇年以来一層強い迫力を有するに至つた.
両様に「法律地盤」と云ふ概念も盛ん吃用ひられ、それにはおまけに「孔だらけの」と亭
                   \I
ふ添尉が附加されるに至つた.
 益よ増長した反抗精紳は「警察圃家」と云ふ誹啓語を作り、「時代に即席せる」乃至は「反
時代的な政治的保障」を得んとする闘争を悲観せしめた.恐らくナポレオンの黎明に依る
ものであらうが、彿南西譜から「融合周題」と云ふ概念や「政禽主義」と云ふ合言葉の採
用されたことを見れぼ、常時の敢倉的緊張の存在が覗はれる.
「ショーゲイエズム」「中間階級」「保守的」及び常時激しい論宰問題となれる「婦人解放」
へZ叫びの如く現在吾々の使ひ慣れ空音共も此の時代の産物であることを注意し皮い.
 革命前の十年問に既に階級闘争的合官業が作られて待つたのを吾人は看取する0〔エl
                                      l
ル.ジョセフ・ブルードンは「財産は虚品なり」と云ふ表現を作り、「労働の樺利」と云ふ
シヤール.フーリエの富東はその頃猫逸の融合主義者に俵つても熱心に用ひられた。英国−

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マト







準/


に於て賃金労働者を意味するに用ひられる「白人妖裁」と云ふ言葉はエンゲルス、カール
●グルーエン等に依り用ひられい爾来址禽主轟音の煽動常用哲と憤ってゐ阜J「労働する階
                              ¶      ▲●
級」と云ふ言某は一八四〇年代以来、ノ彿蘭西・英固・礪逸で益土盛んに祀禽的合言葉とし
で用ひられ、∵八四四年には特に非常に温く璃逸の人心む把えたが、「労働する階級の幅組
め虜の地方囲憶」の設立は丁度此の頃である。
 此α時代に「バタべリズムLハ澤証、一般的貧窮)「ブルジ三ノ」「モップ」(澤証、匪徒)
の如き青葉も重宴性を増して爽た。
一入四八年の革命の年が政治的論争的な新しい合晋集を特に多く生んだのは普然の事で
趨る0        、              軌
 シユヴェッチュケは一入四八年の著作「非開化主義の新しき書簡」の中で茶化した形式
や常時の過激な煽動演説中から多くの撃鑑列挙してゐる。  ′
「君側の好」「警察圃家」「動物化せる傭兵」「霞弾砲で射殺する」「平穏な市民」「武備無き
錘人小供」「噴火口」「サーベル聯隊」「飯創の護衛下で協議する」

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ハU
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′ †・ル」
芳ン..・j鉱山紆転
際卜ん、
   \

                           瀾磯璽

て使用された「墓場の如き静けさ」の如き音盤も右打範疇に属する。
              ′
 既に以前からある「騒動政治家」と云ふ属倒語は此の動措時代に新しく用ひられ、ロベ
ルト・ブルームに封し使はれたが、彼はこれを反抗語なりと刻印した。
                                      ●
 此の嵐の如く動撼せる一八四八牛に、衆に来る数十年を支配した一概念が頚生した。そ
柑鹿丁′dリJ八ぢカ月丁づj・`
れは「共産纂宣言」に於て用ひられたマルクスの「階級闘季」と云ふ合育英である。
                ●
 政府をして止むなく為さしめた受験の凡てを、∵常時人々は「獲得物」と呼び始めた.
して人々は昔時これを合青菜とした。
 〔
そ 仰
 k
 革命は音譜の領域でも反動から開放された.過去の合言葉の多くは消滅し、或るものは
     べ
幾らか皮肉的な色彩を帯び、他の或るものは多かれ少かれ激しい統率に封する素地を輿へ
ることになつた.
                                                                     −
「倍念に封する敵軍Jの如き語は特に理論的畠由主義者に依つて用ひられ、徒つてそれ瀬・
保守主義者に討諭する横線を輿へた.古くからの「進歩」と云ふ語は再び反動主義者からd
/脇
 」.1稚



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袖珊▲
柑碓′
代、


やつ
澗′


爪ケ▲
¶/
\−
嘲られ、徒つて墳由主義者からは尊重された。保守的勢力の挽回を示す語は、ユリウス・
シユタールが反封者に向つて「多数ではなく樺威だ」と叫んだ時、エルフルトの議禽に於
て作成されたのである.
 五十年代及び六十年代に益上盛んとなつた政禽連動の結兵として、多くの合育英、即ち
今日も伶共の時の術語に廃し、過去数十年間それに廃する多くの合言葉が用ひられたと見
られる如き多くの表現が生れた。
「僻主」‥「人間にふさわし星懲海」、「層の腑の問題」、「労働軍」(ラッサール)、「大衆政
治」、「融合的自助」、就中、一八六九年アイゼナッハに於ガる「杜禽民主主演労働寅」の創
設以来真の重蟄な用語となつた「政禽民主主義者」と云ふ言葉等がそれである。
                                                   馳
「ストライキ」の如き語は此の年代に重要性を有するに至り、或は「無政府主義者」「虚無
主義者」「赤い幽蜜」「貨践による宣俸」「ビザ、ノチン主義」「シーザー狂」も同様に重要性を帯
びるに至つた.
 其の昔時に於ける濁逸周内の統率は多くの合青菜を生んだ.例へぼ「州感情」、「州意識」、



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「州の璃自性」の如き語が、其の世紀の中頃璃逸の小圃家や中国家がプロシヤの脅威的猫.
                                                                                \\
裁に反抗する為め合言集として用ひられた.州圃蒙の此の態度は他面叉非常に激しい反対
を喚延すること1なつた。
 ビスマルクを中心とする闘争に掛て、吾人はシェルがビスマルクの政治を嘲属せんが為
に用ひた「甲騎兵の長靴」の如き語を見出す。或は宰相は「牲力は法.に擾兜す」隻考へて
ゐるのは怪しから瀧と云ふ非難止見られそ吾人は叉「血と鎖」と云ふ夫の有名な表現ザ
如何に層々の解持と批判の封象と憤ったかを知つてゐる。ビ女マルクがロシアの威嚇的態
度に封して「我々猫逸人は紳を量れるが此のせ界で何物をも怖れぬ」と云つた言葉は、我
々の何れもkく知る所であ頂ビスマルク.自身が合言葉の意轟を如何に重んじてゐ流かは、
次の事茸から窺ひ知ることが出来る.一入七四年以来猫逸の地主の急進賞が「地主真負」
(富r邑のユの名の下に集り、ビスマルク自身も最初は此の語を用ひてゐたがト後には此
の語は意意ある敵封及び誹譜に封し門戸を開放するものであり、且非常に濫用される隠語
なりとの理由で却けた。政令主義的煽動は常時特に七十年伏に許多の合言菓を作つた。例

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潤瀾瀾瀾瀾欄題欄憎増補
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へば「労働者の零細な金」(Arb豊平畑岩M巨旦「貸長屋」(賀各k監わm旦その他「奉
数は私事なや」「未来国家」等があり、侍忘る可からざるは融合主義的平等感情の特殊な表
         小
現たる「同志」と云ふ青菜である。「意徳新聞」(声望10i<のr召¶∽Sユ及び「賊口令」ハ己g
                                 へ
lkoPb鸞欝tN)も此の時代の所産である。
 特に愛に挙げて諭す可きは「国際的」(インターナショ■ナル)と云ふ合言葉である。此の
語は最も色々な攣遷を経たものである。それは元雄一八六四年ロンドンに創立された国際
的労働者園鰭の略稲であるに過ぎなかつたのであるが、七十年代に「赤色イン久−ナショ
ナル」の意となつた。
            ■
 此の範例に掛つて後には「昇色インターナショナル」と云ふ合言集が、或るジエスイッ
ト教徒の蓬動に封して稲ひられる様になつた。又、「黄金インターナショナ≠」はユダヤ人


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筋で州
の高度資本に封し、「耗色インターナショナル」は自由主義に封し、
ては「緑色インターナショナル」が農民麟鰹に対して用ひられた。
る合言葉の通俗此の度合が如何に多枝であるかゞ分るであらう。
最も新しい縛用語とし
此の例に依つてトか〜
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瀾瀾題瀾瀾凋瀾欄瀾淵淵欄ビ声マルクゐ濱蒲仙
                     、ノJ穎』一

語は宰相フォン・カブリゲイも繰返した言葉である。此の公の合言共に意識的に封立する.
音盤として、圃民の間に「新しき針路」と云ふ語が生れ、此の語も一般に用ひられた。反
之、後の時代になると固内の政治的変革後に「新しい樵力」箪振者が「新しき時代」「新し−
き史代」に就き貯べ、希望に輝く気分を摘発大衆の間灯硯醸せしむるに適し発と思はれる
此等の語或は此等に類似の合言英を強調するのを廣よ見受ける。
 此の時代に軍時的目的の篤の支出が次第に凄くなつたので、反対者は「軍国主義」と云
ふ音盤を種々に用ひて民衆を煽動した。例へば「毎年数十倍が組圃の祭壇に捧ガられる」
とか、「蝕くことを知らぬ軍国主義は益上多くの税を食ふ」とかゞそれである。いつも特に
合言集の好きな融合民主主義者は、「軍国主義のキーロッホ」(澤詫1カナーン人の牛身の和)■
と云ふ語を作カ、世紀の持回期には海軍濠算に対する統率用語として、軍国主義の随伴語
たる「海軍主義「(岩買i已smus」と云ふ語を作つ・た。
十九世紀の絶品かト月ひられ始めた「了葺から分慧よ」と云ふ合嘉が想晋

山野


る可きである。それは黎曾射むの舵籍を要求したウィーンの二人の畢生の演詮に依り可堵
蟄要性を有するに至り、代議士シエーネテーを其の熱心なる主張者及び宣俸者とするTロ
ーマ脱退運動」と云ふ昔時可成重要な運動の合言糞トなつ宅
 今世紀の内政的固季は、それが吾々の圃毅に願する管、吾人に管に接近し過ぎて居
り、従つて詳細なる論速は不必要で滴る。
敢禽望裏者及灯後には典喪主義緒真は特に多く音豪農用」たことは別に輿と
                                \
するに足りない。吾人は此の論述中眈に多数の力強い合言葉を尊んだのであるが、後には
伶多(の語がそれに加つて発た0今度に特に著しいものを若干挙げれぼ、「搾取者」T利子
の貪埜者」、「吸血鬼」、「働かざる者は食ふ可かjヰ」、「才能ある者に自由な進路を」、「煽
動者」、「労働軍の鳴動的歩武」等である0
ノ壷も新著な合言葉は年分丈でも完全に枚挙することは不可能であるし、叉鮮少探入りし
過ぎることにならう。それ故、吾人は政治的立体に於ける「人心を打つ言準」の驚際的摩
周に一瞥を輿へる為に特に礪逸の語彙中から例を奉げたに止る0

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     適

宅既に苗代ローマ人も重く同様であ\つたヱとは吾人の知る所でぁる.
 特に圃家聞の緊迫した湯合には、か1る合言菓が生れる。就中、戦季的紛乳の起る前及び
行はれてゐる間は自圃並びに世界の反対者に封t反対気勢を煽るこ上が特に重大であるか
ら、斯様な合言葉が委生する。
 かくて「不信のアルビオン」(澤註、苗代ケル下人の英樹に対する名稀)の如き語が出来
た0それはルードゲイヒ十六世の死刑後英国が同盟国側と結んだ不信なる行為をフランス
.の貰命家が憤つて作つた語である0更に、聖者に出て来る粘土製のツオイス宜紳像になぞ
らへて皮肉つた「北方の正人」と云ふロシアに封する名稀、それ自身は既に非常に古い「病人
としてのトルコ人」と云ふ雫俳人が礪逸人を罵る鎗りにも有名な綽名たる「ボシこ(儲註、
これは前大戦中始めて用ひられた)、・「紳よ英国を罰し給へ」と云ふ語や、嗅太利人が伊太
利人を罵るに用ひた縛名たる「痛冠り」(内P話の−m発訂【)等がある。
 眈述の如く、外交的努力や態度は、囲民大衆の気勢を煽るのに有数な概念を有してゐる9

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かくしでライン左岸地方に関して「自然的境界」と云ふ合言葉が俳蘭西に生れ、シ」エは、
此の語を此の意味で用ひ、後にナポレオン三世も用心た。それに類似したものとして吾人
はプレンネル境界に封する伊太利人の要求を挙げ得そそれかe南ナボレオ、/に封し「帝
国主義」と云ふ語が作られた。爾後此の語は非常に廣上使用された0「諸民族の開放」とか
 「少数民族の保護」等の合言葉の下に(多かれ少かれ)正しい或は正常でない努力が行は
れたのを我々自身苧経験せねばならなかつた表に外政的合嘉の中から票e選j
 で左に掲げよう。
 「欧洲の均衡」、「欧洲の合奏」、「天日の下に於ける場所」、「門戸開放の政策」、「自主的政
策」、「手を引け」、「黄桐」、「生活圏」(又は生命圏)
 内政的合言共に閲して述べたことは−外政的合言葉にも常然常てはまる0麦には只若干
のものを選んで挙げたのみである・    \
 誰もが「自分灯展上合言葉に依つて影響されたのではなからうか、叉現に影響されつ1
ぁるのではなれらうか」と云ふ疑問を自らに対して繰出するならば、「宣俸の補助手段七・

一JT

Y′ 什確ヾ
凋…増剖泊濁媚““
  J ′
彗、演題戌づ‥竜.パり
I‥け〆」小、一
Lての合言共に封する理解は恐らく高められるであらう.