七、政治的文化闘寧の封象としての民族的文化財
文化の最後の攻撃封象としては「文化財」と呼ばれる眞正民族文化α凡ゆる現象が確つ
ゼゐ頂卸ち風俗・衣服・民牢固民垂術・郷土博物館・記念碑等がそれである0破壊慾を有
する国家の攻撃は、此等の無事な郷土文化に封し・ても用拾なく行はれた0チェッコ及び多
くの他の国々では少数民族の行事は禁じられた。少数民族の服儀をスラブのものだとし、
知土博物館は国立博物館に合併せられ、郷土蓼術や郷土史の蒐集品に新しい別の解繹を輿
へて自圃の民族文化考量かにし、瀾有完に封する少数民儀の政治的要求を破壊す溝祭
を禁じたり、鎗董や記念碑を破壊したり−ゝ個人の家にある「因家に危険な」油檜を櫻索し
Jたりする。チェッきでは諸所にあるヨゼフ二世の記念像やeノヤー・テレサの銅像・その他
め弼逸人の銅像が毀された。悌蘭西もエルザス・ロートトリングツに於て、ポーランドも
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蕾礪逸領土に於て同じ様なことを行つた.自圃の衣服や風習を他民族の間に用ひさせたり
流行させたりするのも厳治的文化政策の一であ告英圃は印度に本圃の風習を持込み、印
度の裁判官は英囲の法廷に於けると凋じ法服を着用してゐる.ラメリカ人はリベジャ檻ブ
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メリカの衣服を輸入し†それに伐つて黄塵七多く住んでゐる黒人が再び故郷の風俗に徒は
ぬ様に企固したのである・圃民拳衝の輸出忙依り他民族の自民族に封する囲心と好意を喚
超するてとも行はれる.
郷土の風俗及び蓼術品に対する組織的な維持工作は1ゝでも亦対抗手段である.往々に
して歴迫は却つて反動的に民族的習俗や衣服等を特に使用せしめるに至ることがぁる。プ
ラーグの酒堤で濁逸の歌を唄ふことが禁じられてゐるので、璃逸人は却つて好んで且度々
自分の家で歌ふ0米圃に於ける猫逸民族性の維持は、宗教的周惰に負ふと共に、バイエル
ンの服装を祭典の時に着け、ポムメルγの歌諌を唄ひ、雑誌を嘗ぢ敏行し有りしてゐる
∴同轡曾濫只ふ所甚大である;妄−三の少女は巴豊ハの他で子守とし言い頭巾を冠
為こaに依つて、自己の民族性に封する忠誠を表明してゐる.
測瀾d溺周憫瀾では謂増州ブタテ.レクはトルコの圃民此の為に回数の宗教的習俗を退けた`→.
元来ギリシャ人の帽子である赤いトルコ帽は使用されす、その代り西洋の衣服を輸入した
が、これはトルコが欧洲秒文化頗に所属することを強調する為であつた0、髭を剃る風習も
攻入れられた。叉、コーランが人間の宵像を作ることを禁じてゐるにも拘はらす、ケマル●
ァタテネルクの立像があちこちに作られた.故圃の風習が二民族の文化的鞠結徒つて政治.
的園結灯及ぼす影響力は今日・は世界中で認めちれ−有数に利用されてゐる・
斯の如く文化的領域に於ゼる攻撃と防禦は、蕗族の商飴の生活領域に於けると同様に相
互に尖鋭な封立抗争を行つ七ゐる。破壊意志と普及慾が−ニ困の政治的維持と民族性の猫
立とを確保する為に、凡ゆる固艮の文化財を防禦せしめ首のである・