六、政治的文化闘争の手段としての藝術
藝術の広汎な領域も同様に政治的文化闘争に引き入れられた。国際的ユダヤ人は藝術の問題に精通し、藝術衝批評家及び創作者なりと自称し、多くの国民文化を破壊した。文学・音楽・劇・映画・絵画の領域に於てユダヤ人は絶大な勢力を有してゐる。併し彼等は彫刻と建築の如きものには余り興味を有せぬ様である。例へば独逸に於けるユダヤ人の藝術破壊は国民的意識の喚起出来る丈長い間妨げることを其の政治目的としてゐた。彼等は独逸の敵国から依頼を受けて行動した。国内の異文化に対する戦闘行為としての破壊方法は藝術の凡ゆる領域で同一である。それは禁止の一語に要約し得る。独逸藝術を喝望する多数の独逸少数民族の居るチェッコやポーランドやその他の国々に於て文学・劇作品・音楽作品・映画が禁止され、独逸人の劇場・映画館・音楽会場・講演会場等が閉鎖された数は実に夥しい。藝術の製作のみならず、その実演公開が禁止された。独逸の劇団や詩人(詩を誦する為に招かれて行く)に対して入国許可が下らないことが、チェッコやポーランドに見られる。ポーランド人はガリチヤの有名な藝術作品の作者たるファイト・シュトスを、英国人は音楽家へンデルを、ハンガリー人はデューラーとフランツ・リストを、チェッコ人はチェッコ語に似た発音の名前を有する過去の凡ての藝術家を占有して終つた。ハンガリー人はバムベルグ伽籃内のバムベルグ騎士像はステファン王を形どつたものと確信し、それを立証しようと力めてゐる。
建築政策に依り少数民族の都会に新しい建物を建て、古い一定の様式を持つた町の姿を破壊することも容易に行はれた。伊太利は南チロールに伊太利風の兵営式住宅を建て、桑の木を植えることに依つて、独逸的景観を変化せしめようと企てた。英国人は植民地、就中、印度に於て英国風の公園を作つて英国的景観を現出せしめんとし、ナポレオンンは独逸の景観を南方的なポプラの並木道に依り変化せしめ、満洲には以前は余り見られなかつた桜が咲き、トルコはトルコ的景観を作る為に伐採政策を実施した。
藝術の領域に於ける攻勢的積極的方法は全く別の観がある。それは結局に於て政治目的を追求するが、全然藝術の形に於て行はれる。英国映画の「カヴァルケード」と「ペンガルの槍騎兵」は同じく文化的宣伝の為のものと考へられる。それには英国人は世界中で最も自由な国民であると云ふことを誇示する政治的意味が含まれてゐる。アメリカは映画に依り政治的影響の他の手段を用ひてゐる。映画劇揚のトラスト化に依り例へば南米にアメリカ映画を送り、アメリカの生活を南米人に理解させ、彼等の生活をアメリカ化することによつて政治的利益を獲得せんとする。
書籍の領域では仏蘭西は秀れた対外宣伝組織を有し、独逸及び英国の書籍を駆逐することに成功した。バルカンでは独逸本に対する鋭い競争が行はれた。夫の仮綴の無趣味な仏蘭西本は低廉に販売する絶好手段で、貨幣相場の安い国に普及させるには最も好都合である。英国人も大規模の宣伝機関を有し、廉価な大陸版を作つて普及せしめてゐる。飜訳に力を入れるのも文科宣伝に属する。英米仏は夫々自国の文化を他国語を通じて宣伝してゐる。此等の文化宣伝は決して文化自身の為に行はれてゐるのではなく、他民族を自国との政治的及び経済的な協働に徐々に準備せしめると云ふ政治目的に貢献するのである。
斯の如き破壊と煽動方法に対する抵抗と防衛は、矢張り、自民族の藝術形式を維持し、自民族の藝術家を奨励し、出版屋・劇場・音楽研究所・画室を支持するに存する。藝術的創作に賞金を附与し、藝術家を財政的並びに精神的に支持し、丹念なる教育を施すことに依つて、例へばリガに於て独逸人の文化生活に対して禁止と圧迫が加へられたにも拘はらず、多くの秀れた藝術施設即ち立派な劇場とか素晴らしい客演や詩の朗誦等を維持し得たのである。
極端なる外国化に対する防衛には他の方法がある。厳禁を以て臨むか、藝術家の職業許可を剥奪するか等がそれである。現在伊太利で行つてゐる如く、穏やかな面も有効な方法を用ひることも出来る。政府は伊太利人作家の作品を上演する劇場に対し「イタリヤ賞」を与へた。特に独逸は自国の政治生活をば破壊せんとし異民族の藝術的影響を防衛するに当り、その文化組織に依つて模範的な成績を示した。