五、政治的文化闘争の手段としての学術

 以前は、学術は世界の局外中立的な協同作業であるから人類の福祉の為その発展を妨げない様にせねばならぬと考へられてゐたが、大戦後或る若干の国々では学術をば何等の躊躇なく国家に奉仕せしめんとする現象が見られる。凡ゆる国民的可能性の利用と郷土的研究の強調は凡ゆる国民科学の特権である。併し偽造或は他民族の学術的業績の破壊は国民科学の任務ではない。然るにソ連に於ては学術(実は似而非学術)を政治目的の為に利用して偽造を行つてゐる点で正に世界無比である。又、欧州の工学及び其の他の学術の教科書をロシア語に飜訳し、ソ連の学者をヨーロッパ語から遠ざけて置く。ソ連では国民がヨーロッパ語の知識を有するのは好ましくないのである。
 偽造や解釈の改変はソ連では非常に流行してゐるが、他の国々でも異文化を攻撃する為に非常によく行はれる。凡ゆる手段を以てトルコ民族の統一を実現する為に、クルデン人がトルコ族たることを証明する民族学的前提が全然無いのに、クルデン人を「山地トルコ人」なりとし、固有トルコ人との血縁関係を立証するに力めてゐる。若干の国に於ては全部族と個々の有名な人物を自民族に所属するものなることを立証することが独特の学術的原則となつてゐる。例へばチェッコは独逸の解剖学者イェッセニウスをスロヴァキヤ人なりとし、ポーランド人は独逸人たるコペルニクスをポーランド人なりとして郵便切手に迄その肖像を載せてゐる。