三、思想戦の対象と方法



 思想政策的企図は間接的並びに直接的意味に於いて凡ゆる種類の権力保持者に対して向けられる。其の本来の「対象」は個々の人物、政治家、軍人、外交官、国民中の一般人である。就中、文化的闘争は―それが心理的領域に於いて行はれる限り―既に詳述せる如く攻撃された全体の個々の所属員の精神的人格の獲得或は破壊に向けられてゐる。外交に於ける個々人の心理的検討及び操縦は思想戦政策の有効な方法であることに就いては同様に此処で大体指摘さるべきである。或る若干の国民の外交は此の方面に於いて外交心理学の方法に関して「諸流派」を発達せしめたが、それは人心操縦法を個人的一時的のものとして止めないで、人心操縦の一定の型を作つてゐる。タレイランが人と折衝する場合は賑やかな宴会揚を好んで利用したのは、兎に角官庁の机上での堅苦しい雰囲気よりも心理的弾力性のあるくつろいだ宴合の如きを好む、型にはまつたやり方に相応しいものであつた。斯の如く個人から個人に影響を及ぼす方法が遂には諸民族の運命を左右することが出来ると云ふことを証明してゐるのは、米国に移住せるチェッコ人やポーランド人がウィルソンの個人的意見に影響を及ぼした実例である。
 輿論の左右は先づ第一に個人的影響即ち人から人への宣伝に依つて行はれる。米国に於ける英国の戦時宣伝が、大衆に対する広汎の人心獲得と煽動の形を採る前には、唯一人の人間の個人的関係に基礎を置いてゐたと云ふことは全く驚嘆に値する。又此の心理学的に特に巧妙に考へられた組繊は非常に大きな成果があつた。若し斯の如き方法でかねてより行はれてゐなかつたとしたら、ノースクリフ卿は大戦後年期に於ける其の宣伝組織「クリューハウス」)を以てしても驚く可き大なる成果を収め得なかつたであらう。英国の宣伝の個人的に人心を獲得する攻撃法は、主として、米国に於いて独逸の行つた非個人的な宣伝の欠陥と失敗を注意深く観察することより生れた。英国の宣伝当局は独逸の企て行へる諸経験を利用した。此の諸経験に基いて大戦の初期、英国の新聞班本部(「ウェリントンハウス」)の部長チャールウ・マスターマン氏は、長年に亙る米国旅行に依り非常に多くの知人バート・バーカーに米国に於けるを有せる加奈陀人サー・ギル宣伝を依頼した。米国の歴史家ジェイムス・デュアン・スクワイヤスは、バーカーが英国の利益の為に彼の知人を動員せる方法を次の如く述べてゐる。
 「此の調査(米国に於ける人心傾向の分析を意味す)及び米国の人名録(Who's Who)

の周到な通覧に基いて一の住所録が作成された。それには幾千人の姓名が記されてゐて、
それはウェリントンハウスから宣伝資料を発送する為の攣本と彗た。完表年十
 二月には此毘併嫁が慧し潅表逢ば驚に閑誉れた;言nトンハウスの人
 芸速笹と考へた登倦資料が、そ秒住所鋒に記入された人々に攣られた。時宗や小冊
 子に町妙紆審かれ葺統が附加見た表誓としてはサー・ギルパートの名のみが私
 見、ウェリントンハウスの事は少しも記されてゐなか完垂見物好き竺英人がその
 釆圃の知人に射する驚からか1る書物か姦つたと云ふ風に思はせねぽならなかつた。
 趣向を攣へ為に、準手が有名な人物の琴曾は飽還著して著嘗身の名前が曹かれた。
 併しそれは敬術に過ぎザ、虜の拳法者はウ言ング下ンハウスであつた。」
                                                ヽ
                                                      は増
 スカン≠ナゲイアα甜瞬や和蘭の怜侶階級革も同じ方法で説得さ打た。プア妄Lシエ
 サクが述ペてゐる枝に、霊に向つても豊圃を経て多感の宜俸文書が「選り由され芸
 名」に敬誉れを0個見に未完書を教誉ノると丼に、豊圃の新開署に有呈凡ゆる▲
恩袖薫す方針藁な針a誓妄クワイヤス氏
 は報じてゐる。聯合革は眈忙戦前に彼等の所謂輿論構成の見地の下に個人的関係の細かい
連絡網を世界中に張少めぐ打してゐたので、かゝる宣俸の仝組織が可能でぁったのは勿論
である0大警に欝る此の貰の組織的活動は一の常備軍の彗と異ら鞋aイクオ
                           ′
−パートンがいみじくも正しく云つてゐる如くに、世智にたけた外国人、∴例へ貯外因の新
聞記者・数学公使舘附官吏等Z如きは云はゞその「濠備軍」であつた9アリーメ十ソン
や共の他多くの圃で絶大な勢力を有する救せ軍の如き組織ぽ∵粧交朋係に対して虞汎な地
。警鐘供した0今一つの交際揚は英図のク}フグ組繊であつたごム・ピー即ち悌蘭西の「メ
 ゾン・ド・ラ・プレス」(新聞記者クラブ)は更に廣い地盤を鑓供した。それは秀れた御用
新軋の完成した併し目立たない組織を具有してゐた・「メゾン・ド・ラ・プレスの外ん代表
者の問には多くの商人・新聞記者nニ政治家・世界浸感者・折にふれて著作する人・
                                    】

 利子生活者・技術家・金融菜者等がゐた。此の怠俸塘首者の選揮に際し七は、緑に個人的
                                               †
 に廣い知人困を有しそれを彼等の年官年民的人心掩得作業に利用し得る立揚にある如き人
 が重要祓ぎれた。六シユルプチ・プフェんツァ⊥此の代表者達は俳騎西流の「社交瓢係を

0f

 周到に計書的に培養することに放り」、日立たぬ様に知名な外国人に働き掛けるべき任務を
 有してゐた。              、/
                                     ●         、
  ウユリングトンハウスとメゾシ・ド・ラ・プレスは思想政策の宣俸戦線の一断面を示し
 て居り、且それは亦その礪特の「地獄」的方法、換言せば不道徳な本来既に罪恵的な方法
 を個人的影轡作用檻於いて蟄展せtめた。かくて人心に対する脅喝のボルシエゲイズム的
 形態即ち一種の宜俸的個人脅嶋とも云ふ可き方法が生まれるに室つた。奇人が此庭に考察
 を試みんとする組繊的研究はユーヴァルドdアムメンヂに負ふてゐる。外国の新開特演負
 ●
 をして強制的報道を為さしむる為、彼等特浜員箆はゾ聯政府から常に国外追放を以て脅か
 されてゐるが、それは多くの特沃員にとつては全くの地位喪失を招来する経済的な脅威を
 意味するaその結果大部分の外固新開にソ聯の虞状むカモフラージュし歪臥した報造が現
 はれるのである。瑞他の一つの方法が」ソ聯の渥状に就いて「よく知悉してゐる新聞紙」が
 全く沈黙して了つた理由を説明してゐる。即ち外因の新聞記者の個人的自由を周到に監察
 し制限レて−彼等がボルシエゲイズムの本来の舞轟たる飢饉地方や工業化された地方に全
 く行かぬ様に注意してゐる∵それ故、此の廣大な圃に関する彼等の敬寮灯骨折二面的に止
 まり、監察の日計離づ氾グーベ」クーが外人記者に示すま1の色で彩られてゐるのである・
使用人・専門警抜術者等として働いてゐる外圃人が故国灯璧ノて行く時はいた親ソ的報潰
を学校に強制されてゐて、若し彼等訂ソ的掛雷雲ば、彼等ヲ聯に居卦計宗。/
 同僚・友人達が報復的にひどい目に合はされるであらうと脅かされてゐる。特に軍人飛
 行家・外交官・水兵等の中から相次いで出て来る所の赤色パラダイスからの逃亡者が共産
 主義的組繊の茸状を教表するのを防止する為に、一九三田年に指令が脅せられ、港外移住
 者の親類縁者は人質とされ、若し魂γ亡者が講演・新開記事等でソ聯の状態を報合したなら
 ぼ、銃殺の刑に威する旨が宣言雀れた。吾人は宜偉目的の篤の個人的影響作用の方法で此
 れ以上苛酷なものを考へることは出来ぬ0此の方故にまさるとも劣らぬものは次の如き強
                                                            \
 査方法である。ポルシエゲイズムの慈善的努力を澄明する為に、モスコー政府は外因に於
 いてロシアの飢饉地方に薄幸小包を絵る枝に公然宣俸した。一々の教裟に対して」先の金
療を約附せねぼなら涌かつたが、それは外国の共産主義組繊の手に収ま瑞た。ソ聯では外

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                                                                                                      ●
 固から造られた慈善小包は受取人の手から蓼はれ、受取人はその慈尊者檻封し「共同」宣
 言を為すべく強制きれた。アムメンデに依れば、喚太利の寄附者は三人の在ソ璃逸人農民
 から次の如き文句の手続を貰つた。
   「君達は正しい宛名に磯迭しなかつた。我々は苦難を嘗めてゐる君達の同胞ではない。
  ソ聯の共産纂が我々の熱愛するスターリンを先頭に立て1我々を奉ゐてゐる。我々は我
  が社合主義的租圃に於て硲幅な文化生演を造ることが山来る。我々はファッショの金を
  ぴた一文必嬰としない。今我々は君達の救済行為を酎過すると共に、愛に我々は第二次
  五ケ年計喜の三年目の公債の買入を速かに茸施するものなるLとを御知らせし皮い¢此
                                    ヽ
  の公債を引受けることに依り我々は組固を強くし、我々が山犀裕帽になる男の前夜を確
 賓にするのであ予−。   \        軒
  個々人を脅迫するかゝe組織ば計董的欺瞞の茸行を掛助する・帝政ロケアはバチョムキ
 ン柑(澤註−バチaムキンはロ、ンアの元帥で女帝カクリナ二世の鶴臣†クリミヤ戦争の藤
 知者、女帝が甫蕗の無電地帯方面を旅行せる時、バチ三キン灯々の造に人工的灯農村を作
・った)の考薯であづか冬ソ聯は此のや豊を儲の豊栄窪働名の士や
 専門家の招待は皇過去の数年問に就いて見れば特にへソケットト∵サギ・ショd
 アスター夫人のソ聯招待が斯著である・ト・樺威者にソゲイエット組繊の「成掛」を日の常
 り見せる為であつた。彼等に見せ物即ち結局は外人に依打造られた工業儀醍や帝政時代の
 美術密造物のみを見せる様にグーべ−ウーの放行プランが膳立てされてゐる0グーペーク
 ーは「インツーリス下」に依り獲得した個々の放行者をその監察綱の申に入れて置く為に
 旅行者は族行者の通つてもよい政府御自慢の流行行担以外に出ることも土着の人ぐと接碗
                       −
 することも重く出来ぬのである。か上る放行から得られる収穫は、窮乏せる赤色ロシアの
  表通りに関する多かれ少かれ幼稚な感激による判断に過ぎぬ。
  個々人を説得し個々人に影響を及ぼす為の思想敬の立像手段以外の方法は、部分的には
・徐旦申伺なものではない¢金領や賄賂は民族圃寧や圃家闘争に暫し飯虹往々人心収撹α最」
 も安倍な方法であるとさ飢たが、種々の歴史的時期は此の手段の公然の使用に依り特筆さ
  れる。親切な官費年代史絹纂者は寧ろ獣過してゐるが(大抵はそれに封しすばらしい報酬

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 を受取つた限り)、欧洲の専制童義時代に於ては「報酬」、「射輿」、「袖の下妄使ふこ1に
 対して人々は飴り憤激しなかつた卜財貨に依つて人心を掩得した事に関する歴史は今日迄
          も
 の所未だ曹かれたことはないが、か1る歴史は此の領域に於ける惑くの外交の巧妙さの正
 鰻を暴露する故に、療紳闘争の認識にとつて必嬰であらう。通常な贅例としては国土分割
 飴のポーラaドの図禽に対して行はれた購賂を挙げることが出来るであらう。
 俳蘭西公使が〓ハ八三年クルソーで、最後的決定を行ふ圃合が開催される前夜、ポーラ
 ンイが−ルコに苧る凱針に於いてエコ倒に碧するのを防止すe頂多病の金をばら
 まいたのは、あの時代の滑稽な時代相を示して居り、その蔭には西欧の汲落の鹿楓が潜ん叫
 でゐた。皇禰は1同公使の報骨に依れぼ(ローレンツに依る)1ポーランド人に六苗グ
 ルデンを輿へた為に、欧洲がアジア的運命に陥ろこ一とを防止した¢郎ちその瞬間に於いて
〆 は何れか妄より数チブローネ(西理牙金貨〕多く輿へられたなら、ポーランドは欧洲
 捌か亜細亜例の何れかに味方すると云ふ食い所であつた。か。ゝる奇怪な歴史的事件佗取扱
 ふに常つて、人は大戦後猫逸の民主主義的な知名の士に多くのフランが平和主義者の手を
          ▲可
 経て流入したことを想起して不快に感するであちぅ。そして叉奇怪な事柄にも組織があ畑
 得ることを蝕めるであらう。例へば印度諸州の人心を現金を以て覿英的忙して置く為に、
                /
 英政府が多くの印度諸侯に公然支梯ふ「俸給」は、金銀で人心を獲得する清教徒的な思慮
  を以て組絨的に行はれる例である。
  国際法に於いても刑法に於ける如く古来の威嚇方韓は鯵少好ましいものではない。文明
                                    恥
  の蟹達した欧洲諸圃にもか1る事例があり、か1る威嚇的方法の資行者が欧洲人であるか
 どうかを疑はしめる程である。吾人は此の場合スログァキヤ人の指導者アダルペルー・ト
 ゥーカ教授潮十五年の禁錮の刺に虚せられたのを考へてゐるが、十五年と云はサ僅か数年
  を以てしても此の人物を重く廃人として経ふに十分であつた。チェッコの監扱で殆んど盲
  目とされた鴻逸人の代議士ペーランの受けた運命、民主主義圃が少数民族の生存檎の為に
  閑つた指導者に加■へた恐怖政治の犠牲、軟射他の手段として最乾英椀人がパレスチナのア
  ラビヤ人指導者に封して用ひた如く一民族の指饅者に封し加へられた追放の刑等、これ等
  は茸に一民族に対する穣忍なる絞殺であり、指導的人物を排除することに依つて、■民族患ノ
           ′

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幾の蚤達を計罫的に破壊し、防止せんとする企固である。
                                                       〜
 反之、法律的にも道徳的にも非の打ち所の舞い特樺賦輿や名著授輿−動輩・地位・停
位、西部アフリカの英国植民地の黒人禽長瀬英周賓族の欝位を得ることが出来る!に依
 り指導者を通じ一民族を獲得する方法は造かに懇切忠ものである。チェ〈ツコの政治家も判
決を下す代りに思赦を施す如きこせに封して関心を持つたらよさそうなものである。チェ
 ゥコが鴇分でも思想戦のかかる手段を知らうと思へぼ、範例は自国の歴史中にいくらでも
見付け出すことが出来るであらう。叛逆罪の為に虞刑されたチェヴコ人の指導者ラシンー
 クラマール、クワファクが、嘆太利政府から一九一七年七月二日大きな恩赦を受けた事は、
彼等が繹故後叛逆的政治行動を頑強に横行した事程プラーグαサェッコ人に印象を輿へな
かつた様だ。反之、一九三七年の秋、伊太利・ユーゴースラゲイヤ南開問の協定成立後、
伊太利で虚刺されたスロヴァキヤ人を恩赦により繹放した事は、その心理的目的を達し雨
‥固例の感情を穏やかにした。
 鉛、個々人の人心を獲得する方法として結婚政策がある・ハブスデル〆壬図は結特政策
 をその国策とした。
             サ
 「他の彗は戦零してゐてむ、汝、華道なる嗅太利は結挿せよ∴1スの沖が他の囲々
 に輿ふる帝図を、汝には愛の女紳が輿ふ可きを以でなり0」   一「∴サ
                                               ′          一
 心理拳上及び根承橙上の考慮が此の方法に於て不可分離的に互漑臨み合はされてゐる・
 併し多くの陶家に於て外交官に外図の痴人との結婚を禁止する法律が示してゐる如く、飴
 姫的連繋は王室の政策に於てのみ役割を演じてゐるに止まらぬ1王室以外の人物に於ても
 結婚的遽繋が政治的に利用されることがある卜これは二十世紀の政治に於ける結婚投樺で
                                                                                            一

 ぁる。かかる種類の思想敬に封立寸る二つの方法即ち家速(特に王室の)を個人的に左京
 する手段としての顧問骨組繊(ジェ」ィット教徒・顧問官)と子供を奪ひ取る土耳古近衛
 歩兵流の方法を以てする少数民族に撃メeポルシエゲイズムの闘率に於ける家族破壊」l一
 子供の両親に封すぢ階級闘争」1い霊首可きではない・ ∴圭
                   一
 比較的大なる仝照たる人的集囲に対する思想哉は、個々人に対する閲率の上に/成立つ・・
それは培名の手段と方法及び一般的の形式によつて特色付けられる0その前提は群衆心層−

13

 革曾的全鰭の心理−統合畢の所謂「粂鰻を覆ふてゐる閲聯」卜即ち個人を逝き個人
 を支配してゐる執念・感情・意識現象・性格灯徹等を正確に知ることである0  、
  思想職の封象は凡ゆる集圃‥徒つて何等か共通の特徹に依り一致した人間共同照、就中
 共の共通の特性及び任務を軍識してゐる金讐あきともある0些界大戦中及び其の後♂
 ヌカンヂナゲイヤの諸民挽の如き一の全慣としての漁民族、伊太利に対する制裁中英国の
 宜偉の「対象」とされた北米め如く図民的棒成を有せざる閑寂の住民、又劉へば彿蘭西が
 樺力・経済・文化の各政策に依り秋波を途つ「てゐるドナウ諸国家の如き諸民族L集周や諸
                                                                         ●
 図家の集囲、文化闘率的破壊及び同化の封象としての個々の民族部分・少数民族・植民地
 民族こ小」民族或はポルシエゲイズムが封少数民族政策に伐力収撹せんと企図してゐる民
                             ′
 族集淘の仝贈、部族及び部族集圏、卜1六七毒の猫逸統一後も梯南西公使がミユニ
 ンに何十年も滞在せaことは個々の部族に影響を及ぼさんとの特殊意志の公然たる表示で
                                                                                                                         叫



                                   `
 ぁる!大戦中浦逸に対する敵国の宜俸が目標とし−外国に対する共産童凝の立像が封象
 としてゐ孟倉掛と職菜園昭夫そ差異を有する国境住民及び内地住民、個芸世代特に
 若き葦ハ梯図の文豊俸が胤民族に封し影響を及竿際に驚速算針軋と′考へたもの▼
 である)宗教的諸潮流(例へぽキリスト正教と共にアンダリカン嶽禽の聯合超勤に於て大き
 な役割を演じてゐる緒宗派)覿俳的共産主義的景況及び人民戦線凍に於て人心確得の革菜
 上特殊の意義を有するに至れる政治的世界観的集圏、ペン倶楽部に於ける如くトデスト此
                                                                       一′
 ゃ経済宣俸や敢禽的結合の封象として人心接待の封象たる秒意粛を有する軽挙的圏餞、最
 後に人種及び人種周賎(汎瓢針断ち汎アジアー汎アフリカ観念を瞭椿する)が思想戦の封
 象である¢かくの如く算へ上げても決して完全に算へ轟せるものではない0何となれぼ、
 凡ゆる一時的に存立する統一(敬季期間中の「銃後」の如き)はその特殊の精神的触合的構造
 に於て人心感化政策の封象であるからである・思想戦が対象としてゐ礼金慣は絶えす攣此
                                                                                            J
 する。思想臥はを茸施に際し表璃特の弾力唯と緊張力とを歪とするが故に、心理畢
 的企図は峯虚な所を突いてはならぬ。