二、思想戦の歴史
世界大戦が思想戦と云ふ闘争手段を初めて生んだのではない。それはノースクリフや其の直接の先駆者の発見でもリシェリーの創始にかゝるものでもない。多くの学問や知識は、それが俗界の共通財となる前には、元来僧侶階級に依り培はれ育くまれた如く、心と精神の闘争は教会、特に普遍主義的教会の伝統である。畢竟、心の支配に基礎を置いてゐる此の法人的な国家組織―法律理論は止むを得ず教会をそう呼んでゐる―は事実上、心的生活の支配、心理学的拡張方法、人間心理たる精神の深い認識等に専ら依存してゐる現実的勢力である。誇張された心理学主義に堕する危険に陥ることが無ければ、教会を精神的国家組織と呼ぶことも出来るであらう。併し勿論思想戦の研究は、宗教的の支配方法及び闘争方法は政治の心理学的方法を最もよく駆使した為に、僧侶支配の成果と結果の理由を説明する如何なる他の企図をも不十分のものと思はせる位であると云ふことを吾人に明かにしてゐる。
加之、西洋の教会は精神の感化作用に於いて決して独創的ではない。それは古い東洋の知識―東洋の哲学はその一部分にすぎぬ―を利用してゐるに過ぎぬ。老子の「道徳経」は力の心理学的方法に関して述べでゐること勿論であるが、吾人はそれと同じ位の深さを有するかくの如きものを欧州の哲学に求めても無駄であらう。政治的行動に関する欧州の学説は大抵組織的な事項即ち権力行使と勢力伸張の外的技術を比較的多く取扱ふに対し、東洋の学説及びその名残を止めてゐる教会の善知識は精神的なるものから出発してゐる。権力闘争の心理学的方面を極めて機械論的な体系に取り入れんと企てた最初の偉大なる而して終始一貫せる論理を以て貫けるヨーロッパ人はマキャヴェリーであつた。兎に角、ドストエヴスキーの「大検察官」は精神の獲得・支配・利用の本質に関しては「専門的文献」よりも深い洞察を為して居り、且又チンケチェントの思想政策に関する幾分幼稚な著者はマキャヴェリーの著書以上に高い哲学的観察眼を有する。
兎に角、政治的領域に於ける心理学的研究には尚広い活動場面が残つてゐる。教義・法王無過誤説・禁止書目等―こゝには精神闘争の最もよく知られた手段の若干を挙げたに過ぎない―の支配心理学の研究は驚く可き示唆を与へることが出来る。併しかゝるものとしての要求に関する心理学―それには世界大戦の思出を思した文献が無限の資料を提供する―及び要求の政治的虚構並びに欺瞞手段、攪乱手段、妨害手段、宣伝手段として又外交町暗躍及び見せかけの闘争の対象としての要求の性格は、非常に現実的重要性を有し、それは又精神的変化及び精紳的要求の凡ゆる結果を伴つた虚構的商業取引及び国際法的条約の対象として深く研究するに値する。何となれば、独逸民族は一九一四年から一九二○年に至る迄の間に此の虚構政策による闘争方法を運用すること最も少く、却つて最もその為に悩んだからである。
過去数十年間の歴史は政治的暗躍の幾つかの著例を示してゐる。就中「恐らくチェッコスロヴァキヤ国建設の為のマサリックとペネシュの努力―チェッコ民族はそのことを考へもせず、スロヴァキヤ民族はそれを欲しなかつたのである―及び北樺太を繞るソ聯の虚構的取引は最も著しものであらう。
北樺太の権利を繞るロシアの瞞着政策は思想戦の姿をまざまざと示してゐる。此の事例は最も広き意味に於いて、権力政策の目標と目的の為に心理状態を引き出し心理的緊張を創り出し利用した思想戦なることを吾人に示してゐる。吾人は勿熟思想戦の方法論と体系論をも掲げることが出来る。攻撃と防禦、戦略と戦術は精神の領域い於いてもその役割を演じてゐる。目標・方法・手段は夫々互に区別され、又闘争対象・闘争領域・闘争主体からも区別されねばならぬ。