第一篇 思 想 戦 (政治的精神闘争)
本篇はシューマッヘル(Schumacher)及び
フムメル(Hummel)両氏の共著作「戦争間
の戦争」(Vom Kriege zwischen den Kriegen)
中のシューマッヘル氏の筆になる「精神闘争」
(Mentalitaetenkamkg)の飜訳である。
一、現代に於ける思想戦の重大性
生命の両極たる肉体と精神とは二つの闘争領域即ち肉体的並びに精神的闘争領域を作り出だす。人は生物的、経済的、組織的、技術的、武力的手段を以て利益と勝利を獲得せんが為に闘ふことが出来ると同様に、又精神的諸現象の全範域即ち観念・感情・気分・慾望・本能・意志表示・理性及び悟性を以で或る成果を収めたり、敗北の憂目を見たりすることが出来る。而して精神現象の領域は政治的行動の手段であると共に又も目標でもあり得る。
ムッソリーニはファシズムの原理の中で精神的手段即ち精神的武器の意義を評価債して曰く、「吾々は、他国領土の一平方粁の占領をも俟たずして、直接に、或は間接に他国に及ぼぼす力の影響を考へ得る」と。ムッソリーニは此の詞に依つて、精神的作用は人が普通考へてゐるよりも遙かに広い活動領域を有することを指摘してゐるのである。精神的作用は自己及び他人の心理の意識的にして計画的なる影響波及にのみ止まらぬ。人間が社会的存在であると云ふ事実に基づいて、人々の凡ゆる精神的表示は、それが態度に於けると行動に於けるとを問はず、他の個人及び社会に対して或る種の反映乃至は反作用を喚び起すことは当然である。精神的作用及び反作用は、一般に人間生活が交互作用に於いて営まれると云ふ事情の結果に過ぎぬ。蓋し如何なる人間も如何なる社会もそれ自身独立して存立するものではないが故に、それは必然的なことでもあり、又他面人間の思惟が豊かになり、その行動が成熟してゆくのは、相互交換に基くものであるが故に、そのことのあるは人類の幸とも云ふべきである。
政治的並びに軍事的行動の目標として精神の演ずる役割に関し、ウォーバートンは英国の国防雑誌「ザ・アーミー・ネーヴィ・エンド・エアーフォース・ガゼット」(The
Army Navy and Air Force Gazette)の中で簡単に概括的に意見を述べてゐる。「現今に於いては主目標は最早敵の軍隊を殲滅することではなく、敵の抵抗意志を動揺せしむることである。本来の闘争(訳註、武力戦を意味す)は此の目的を達する手段の一に過ぎぬ。」此の英人の著者は、それに依つて意識的にか無意識的にか総力戦の本質を明かにしてゐる。即ち「本来の闘争」は最早その中心ではない。換言すれば、本来の闘争が従属的となつたのでも、その重要性や範囲が減少したのでもないが、それは時間的にも昼間的にも、将又精神的にも遙かに広大な精神闘争の範域に依つて凌駕されてゐると云ふに過ぎぬ。「精神」の為の而して又「精神」に対する闘争は、武力戦の行はれる前も行はれてゐる間もその終結した後も、将又それが有る時も無い時も行はれる。而してそれは広汎に亙つて行はれ、従つて政治的である。
世界大戦以来一般の人々や学者は思想戦の一定の部分に就いて詳細に研究してゐる。一九一四年から一九一八年に至る間に於ける思想戦の範囲、其の強度、其の重要性は、非常に多くの人々をして思想戦が民族相互間に於いて演ずる役割に注目せしめた。それは今日最も著目されてゐる政治的闘争形式である。就中、英国と米国に於いても、又独逸と仏国に於いても、非常に多くの著書が其の手段・方法・目標・経験及び理論を取扱つてゐるので、思想戦の歴史に関する文献は今一先づ一段落をつけ得られ、此の思想戦の戦略・戦術は今の所一応その最高点に到着したと云ふ意見がある。併し此の考へは或る程度の正当さを有するに過ぎぬ。大戦中、聯合国が大規模な宣伝戦を行つた為に、思想戦は武力戦を準備し支持し完成したとは云へ、それは武力戦から引離し得ざる所の武力戦の随伴現象であると云ふ謬見を生むに至つた。それによると独自の而して武力戦から独立した精神闘争即ち思想戦は政治的にも研究に依つても不可能とされてゐる様である。唯若干の方面に於いて---特に新聞界や誹謗宣伝の方面に於いて---独自の性格を有する「非武力的」或は「平和的」行動たる思想戦の可能なることが、独逸に対する大戦前のアングロサクソンの「黄色新聞」(Yellow Press)及びユダヤ人の行つた誹謗宣伝に関する経験に基いて、大多数の人々にも明瞭となつた。
独自の思想戦の可能性は軍略関係や戦史関係の文献からは掬尽されなかつた。其の意義と其の本質は、恐らくリツデル・ハート(Liddell
Hart)の間接的戦略の説に依つて最も速かに明瞭となる。彼の説に依れば、思想戦は武力戦を回避する手段と見做されるが、併しそれは平和主義的願望を満たす為ではなくして、一滴の血をも流さずに敵を屈服することを目的とする。
世界大戦の経験の影響に、特に思想戦の宣伝的部面が注目された。併し思想戦は国家間、民族間或は国家と民族との間の闘争の遙かに一層広汎な領域を包括する。支配に関する心理戦は余り組織的に注意されなかつた。聯合国がそれを否定的に取扱つた---「皇帝政治に対する挑戦はそれに属する」---限りに於いて支配に関する心理学は計画的熟考と回顧的考究の対象となつた。特権に関する心理戦及び特権政治に関する心理学は、此等の関聯に於いては全く看過された観がある。聯合国の破滅意志は他の凡ての考慮を排除した。その著しき例は墺洪国に対する英国の宣伝の態度であるが、ヴァンダーシェクは彼の基礎的研究(「世界大戦と宣伝」伯林一九三六年)に於いてそのことを指摘してゐるが、説明は加へてゐない。英国陸軍省はノースクリフ卿とウイッカム・スティードに「ドナウ王国に於ける反独分子を煽動すべく命じたが、墺洪国内の種々の諸民族の何れかの一に独立を約することを禁じた。」ヴァンダーシェックの云ふ所に依れば、スティードは英国陸軍省の何等根拠無き親墺的態度を看破した。寧ろ特権心理学の残滓がそこでは支配的であつたらしい。即ち、此の複合民族国家の弱点を余り顕著に突つくことは、動もすると大英帝国の価値と品格に対する反撃を惹起する様なことにならぬとも限らぬからである。大英帝国自身その帝国の構造を考慮して複合民族国家の一般的特権を動揺させぬ様にしなけれぽならなかつた。アラビヤ人の国民意識を喚起する為に行はれた---それは目標の到達後直ちに中止されたが---比較的短期間の而して断続的な宣伝に於いて、英帝国が体裁をつくろひ、国民的観念を全般的に飴り前面に出さぬ様に努力したことが認められる。一面伊太利と仏蘭西の要求もあり、他面西部戦線に於ける独逸軍の成果に鑑みて、英内閣はドナウ王国に関してはノースクリフ卿とその幕僚に自由な活動を行ふことを許した。かくて特権は勝利及び殲滅の意志の後方に退いた。欧州の戦場に有色人種の軍隊を来させたことは、世界大戦中の思想戦が、支配心理学的特権や心理学的考量に依り煩らはされなかつたことを証明して余りある。併しそれを最も好く証明するものは、東亜に於ける独逸植民地の強力的奪取である。欧州の戦場に於ける破壊的宣伝の成果に眩惑され、聯合国は同様の心理学的方法を平和条約にも継続して適用し、中欧諸国の放逐を有色の文化諸民族に目の当り見せることを躊躇しなかた。聯合国が斯くの如き方法を以て自己の体面を甚だしく汚さざるを得なかつたことに気付いた時は既に遅かつた。欧米の特権の傷けられたことは、度し難き卑下感情を以てノースクリフ卿の宣伝を眺めてゐた人々をして考へる所あらしめた。クリューハウスは広汎な思想戦の本質に関する洞察を全然行はなかつた。結局、宣伝的方面のみが重視された。
思想戦の国際法的部面は大戦中余り重大な役割を演じなかつた。其の方面の事は唯宣伝に於てのみ大いなる役割を演じた。独逸側に於いては「法は飽迄法たらねばならぬ」と云ふ積極的な意味に於いて、併し聯合国例に於いては中欧諸国に向けられた不可能なる要求を合法的と認めることに依り破壊的意味に於いてであつた。
吾人はそれに依り思想戦の戦略及び戦術の理論は決して未だ完結せざるものなることを識る。「精神の闘争」は公義の宣伝の範囲を越えて観念・観念の相互的緊張・諸要求・権源の全領域・思想・国民的国家的「精神」の交互作用に亙り、更に進んで外交・国際法・文化的競争・特権政策・代表等の領域をも支配する。国民即ち国家を形成する民族の凡ゆる思想や特色ある態度や感情興奮はその波紋を他の社会・国民・国家の上に及ぼし、其の作用が欲求されてゐると否とを問はず、興奮せしめ豊饒にし、競争に挑み誘ひ、或は抵抗を作り出す。心理的精神的生活の領域にはその平和的な現象形態たる堂々たる競争と其の戦闘的方面たる国民的国家的精神の闘争とがある。