1941/1/1
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1941/1/6
1941/1/7
1941/1/8(水)
▼米、全艦を太平洋、大西洋、アジアの三艦隊に編成替
1941/1/9
1941/1/10(金)
▽国土防空強化に関する件閣議で決定
▼独ソ新協定成立
1941/1/11(土)
▽新聞紙等掲載制限令公布(即日施行)
1941/1/12
1941/1/13
1941/1/14(火)
▽大東亜新秩序兼摂に関する思想運動は、大政翼賛会をしてこれに当らしめることに閣議決定
▽政府、衆議院代表と懇談
1941/1/15(水)
▽東條陸軍大臣、諸将星と懇談
▽政府、貴族院代表と懇談
▼満洲国初代駐華大使呂栄氏汪主席に信任状を捧呈
▼武器貸与法案審議の下院外交委員会で、ハル米国務長官援英の急務を強調
1941/1/16(木)
▽大日本青少年団成立
▽政府、言論界代表と懇談
▼米大統領、特別教書で七千五百トン級標準型商船二百隻建造予算の支出権限賦与を議会に要求
1941/1/17(金)
▽選挙制度改正要綱中、兵役義務修了者優遇の件は、今次の改正には除外することに閣議で決定
▽政府、経済界代表と懇談
1941/1/18
1941/1/19
1941/1/20
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1941/6/17
1941/6/18
1941/6/19
1941/6/20
1941/6/21(土)
▽近衛首相、汪院長と第二次会談す
▽大日本興亜同盟の発起人総会を開催
1941/6/22(日)
▼ドイツ、対ソ宣戦を布告し、進撃を開始す
▼ソ聯、対独戦闘命令を発す
▼伊国、対ソ宣戦を布告す
▼ルーマニア国、対ソ宣戦を布告、進撃を開始す
1941/6/23(月)
▽皇太后陛下、東京第三陸軍病院に行啓あらせらる
▽ 海軍航空隊、四川・陜西・甘粛・青海省を猛爆、宜賓(四川省)で敵七機を撃破す
▽近衛首相・汪院長、共同声明を発表す
▼リトアニア、独立を宣言す
1941/6/24(火)
▽近衛首相、汪院長と第三次会談す
▽近衛首相汪院長、歴史的放送演説を行ふ
▽モスクワ在留邦人婦女子の引揚げを外務省訓令す
▼在米ソ聯資金凍結を解除の旨、米国務省発表す
1941/6/25(水)
▽汪主席一行離京す
▽新婦人団体結成第一回準備委員会を開催
▼フィンランド国、対ソ宣戦を布告す
▼スウェーデン国、独軍の国内通過に同意す
1941/6/26(木)
▽支那事変第十九回海軍論功行賞を九十七柱に対し行賞あらせらる
▼伊国、対ソ遠征軍を派遣の旨発表す
1941/6/27(金)
▼ハンガリー国、対ソ宣戦を布告す
▼デンマーク国、対ソ国交を断絶す
▼吉沢使節、バタヴィアを出帆す
1941/6/28(土)
▽金鵄勲章制度の改正
▽海軍航空隊、重慶を猛爆
▽国民政府に三億円の借款供与方を決定の旨、政府発表す
1941/6/29(日)
▽海軍航空隊、重慶を猛爆す
1941/6/30(月)
▽海軍航空隊、重慶を猛爆す
1941/7/1(火)
▽北支軍、中原作戦の戦果を発表(遺棄屍体四万二千、捕虜二万九千、火砲百七十、重軽機八百七十)わが損害は戦死六百三十一名
▼ドイツ・イタリア・ルーマニア・スロヴァキア・クロアチア・スペイン・ハンガリー・ブルガリア国、国民政府を承認す
1941/7/2(水)
▽御前会議に於て帝国の重要国策を決定す
1941/7/3
1941/7/4
1941/7/5
1941/7/6(日)
▽支那事変死歿者二千百十二柱に対し第三十八回(陸軍第二十八回)の行賞あらせらる
▽海軍航空隊、重慶を夜襲
▽大日本興亜同盟の結成大会を開催す
1941/7/7(月)
▽聖戦四周年記念日
▽支那事変参加の生存者(陸軍八千九名、海軍四十六名)に対し第一回の行賞あらせらる
▽海軍航空隊、重慶猛爆
▽板垣大将は朝鮮軍司令官に、北支派遣軍最高指揮官に岡村大将、支那派遣軍総参謀長に後宮中将が転補さる
▽北支軍、軍管理工場を中国側に返還す
▼米海軍部隊、アイスランドに進駐の旨、米当局発表す
1941/7/8(火)
▽海鷲第二十次重慶猛爆
▽明年度予算編成方針を閣議で決定す
1941/7/9
1941/7/10(木)
▽海鷲第二十一次重慶猛爆
▽芳沢蘭印特派使節帰京
▽関門遂道の開通式を挙行
1941/7/11
1941/7/12
1941/7/13
1941/7/14
1941/7/15
1941/7/16
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1941/8/1
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1941/9/1
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1941/9/8
1941/9/9
1941/9/10
1941/9/11
1941/9/12
1941/9/13(土)
▽司法保護記念日
1941/9/14(日)
▽第九回支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▼米国・アイスランド間の商船防衛と枢軸国艦艇の撃沈を十六日より実施の旨、ノックス米海軍長官言明
1941/9/15(月)
▽満洲国承認第九周年記念日
▽前支那方面艦隊司令官嶋田繁太郎大将帰還
▽上海特別陸戦隊司令官に牧田覚三郎少将補さる
▽米穀国家管理実施要項決定
1941/9/16
1941/9/17
1941/9/18
1941/9/19
1941/9/20
1941/9/21
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1941/10/1
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1941/10/9
1941/10/10
1941/10/11
1941/10/12
1941/10/13
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1941/10/15
1941/10/16
1941/10/17
1941/10/18
1941/10/19
1941/10/20
1941/10/21
1941/10/22
1941/10/23
1941/10/24
1941/10/25
1941/10/26
1941/10/27
1941/10/28
1941/10/29
1941/10/30
1941/10/31(金)
▽皇軍、作戦目的を達成、鄭州を撤退
▽臨時増税案要綱発表さる
▽第十二回明治神宮国民体育大会始る
▽鉄道運賃値上げを第五回物価対策審議会で可決
▼米駆逐艦ルーベン・ゼームス号、アイスランド西方で撃沈さる
1941/11/1(土)興亜奉公日
▽皇軍、信陽(河南省)北方に新作戦を展開
▽在支行政機構の統合につき、外務、興亜院両当局談を発表
▽煙草値上げを断行
▽陸軍予科士官学校、朝霞町(埼玉県)に移転
▼米税関当局、日本向郵便物を開封、検閲す
1941/11/2
1941/11/3(月)明治節
▽第十六回(海軍第六回)支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▽皇軍、汝南(河南省)を占領
1941/11/4(火)
▽許可、認可等行政事務処理簡捷化に関する要綱を閣議で決定
▽厚生次官に武井群嗣氏就任
1941/11/5(水)
▽皇軍、山東省に新作戦を展開
▽皇軍、確山(河南省)を占領
▽来栖三郎大使、野村大使援助のため米国に派遣さる
▽日本海上で機雷のため気比丸沈没す
▼日本・ブラジル間の文化協定の批准交換なる
1941/11/6(木)
▽気比丸事件に関し、我が方ソ連に厳重抗議す
1941/11/7(金)
▽第二十回国家総動員院議会で(馬事団体、獣医師職業能力申告令中改正、獣医師等の徴用、農業生産の統制、土地工作物官吏使用収容令中改正に関する)五勅令案要綱を可決
▼駐支海軍陸戦隊の引き揚げを考慮中の旨ルーズヴェルト米大統領言明
▼中立法改正案、米上院を修正通過
1941/11/8(土)
▼芳沢大使一行、ハノイ大使府に到着
1941/11/9(日)
▽信陽北方作戦終了(敵遺棄死体約二千)
▼四中全会を南京で開催
1941/11/10(月)
▽第七十八回帝国議会召集(十二月二十四日)の詔書公布さる
▽常会定例日を決定
1941/11/11(火)
▽大湊、鎮海、馬公、旅順各要港部を警備府に改め、阪神海軍部を廃止し、大阪警備府を設ける(十一月二十日実施)旨、海軍省公表
▽産業設備営団要綱を閣議で決定
▼ノックス米海軍長官、大西、太平両洋に行動を起すべしと対日強硬論を主張
1941/11/12(水)
▽鉄道運賃引き上げ案を鉄道運賃審議会で可決
▼英国皇帝、東亜領土の防衛に兵力増強の急務を強調
1941/11/13(木)
▽第十七回(陸軍第十四回)支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▽臨時増税案要綱を閣議で決定
▼中立法改正案、米下院を通過、成立す
▼満洲国の「開拓農場法」公布さる
1941/11/14(金)
▽臨時議会へ提出の本年度追加予算案を閣議で決定
▽技術有功章の第一回行賞を陸軍省発表
▽ペルー暴動事件解決(賠償金約百万)につき外務当局談を発表
▽遣米第一船龍田丸、横浜に帰港
訂正
第二六五号週間日誌中、臨時議会召集(十一月十五日から五日間)を(十一月十五日、会期五日間)と訂正します
1941/11/15(土)
▽第七十七回帝国議会成立す
▽兵役法施行令、陸軍武官服役令改正さる
▽許可認可等行政事務処理簡捷令公布(昭和十七年一月一日施行)
▼来栖大使ワシントンに到着
▼独潜水艦、地中海において英航空母艦アークロイヤル号を撃沈、戦艦マラヤ号に大損傷を与へた旨、独軍司令部発表
1941/11/16(日)
▽天皇陛下、第七十七回帝国議会開院式に親臨あらせられ、優渥なる勅語を賜ふ
▽東條陸相、嶋田海相、貴衆両院において本年四月以降の作戦経過を報告
1941/11/17(月)
▽貴衆両院において東條陸相、東郷外相帝国外交三原則を閘明、決意を明示す
▽遣米第二船大洋丸、横浜に帰港
▼野村、来栖両大使、ルーズヴェルト大統領、ハル国務長官と会談
▼イラク政府、対日対仏外交関係の断絶を公表
1941/11/18(火)
▽臨時軍事費予算案成立
▽来議会に増税案を提出する旨、賀屋蔵相議会で言明
▽国策完遂に関する決議案を衆議院で可決
▽遣米最終船氷川丸、横浜に帰港
▼芳沢大使、ドクー仏印総督と初会談
▼日米第二回会談(野村、来栖両大使、ハル国務長官)を開く
1941/11/19
1941/11/20(木)
▽第十八回(陸軍第十五回)支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▽第七十七帝国議会終る(政府提出十三案件成立)
▽佐世保鎮守府司令長官に谷本馬太郎中将、大阪警備府司令長官に小林仁中将親補さる
▽一般電力節減の告示公布(十二月一日より実施)
▽鉱産統制会に設立命令
▼日米第三次会談
1941/11/21(金)
▽第七十七回帝国議会の閉院式挙行さる
▽本年度内地産米第二回予想収穫高(十月三十一日現在)五千五百四十六万二千石と井野農相談発表
▼独軍、対ソ戦五ヶ月の戦果を発表
1941/11/22(土)
▽本年度の国民貯蓄目標額を百七十億円に増額と決定
▽国民勤労報国協力令公布(十二月一日より実施)
▼ハル米長官、英・濠・蘭・重慶代表と会談
▼独軍、ロストフを占領
1941/11/23(日)新嘗祭
▼英軍、仏沿岸に上陸を企図、独軍に撃退さる
1941/11/24(月)
▽臨時地方長官会議開催さる
▽対米第二次配船(龍田丸)につき外務当局談発表
▼蘭領ギアナ(南米)へ派兵を米国政府発表
1941/11/25(火)
▽パラオ・デリー定期航空の第一便機(浦波号)出発
▼ベルリンにおいて防共協定の五ヶ年延長新議定書に調印を完了、なほ中華民国、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、スロヴァキア、クロアチア、デンマークの七ヶ国が新参加す
▼チリー大統領ペドロ・アギーレ・セルダ氏逝去
1941/11/26(水)
▽故邦憲王妃賀陽宮好子殿下、薨去あらせらる
▽改正防空法公布
▽石炭統制会成立
▼日米第四次会談、ハル国務長官より日本側に文書を手交
1941/11/27(木)
▽第十九回(陸軍第十六回)支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▽新任中華民国特命全権大使徐良氏、信任状を捧呈
▼日米第五次会談
1941/11/28(金)
▽陸軍航空部隊、昆明を猛爆
▽新聞統制令に関する新聞聯盟提出案を閣議で承認
▼芳沢特派大使、ドクー仏印総督と会談
1941/11/29
1941/11/30(日)
▽日満華三国聯盟一周年記念日
▼陸軍航空部隊、韶関、恵州(南支)を猛爆
1941/12/1(月)
▽陸軍航空部隊、西安を猛爆
▽高等学校入学試験の繰上げ(三月一日、二日)を文部省公布
▼日米第六次会談
1941/12/2(火)
▽陸軍航空部隊、南を猛爆、敵九機を爆砕
▽鉄道大臣に八田嘉明氏親任、拓務大臣を井野農林大臣兼任
▼日米第七次会談
▼坪上駐泰大使、ピブン首相と会談
▼英東亜艦隊を編成の旨、シンガポール軍当局公表
1941/12/3(水)
▽故邦憲王妃賀陽宮好子殿下の御喪儀葬場の御儀執り行はせらる
▽第二十回(海軍第七回)支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▼ハル米国務長官、日米交渉の経過を暴露す
▼労働争議防止案を米下院で可決
1941/12/4(木)
▽陸軍航空部隊、西安を猛爆
▽東亜経済懇談会第三回大会を東京で開催(六日まで三日間)
1941/12/5(金)
▽天皇陛下、陸軍大学校並びに大本営陸軍部に行幸あらせらる
▽米穀生産奨励金交付規則公布(十二月十五日実施)
▼日米第八次会談、我が対米回答を手交
1941/12/6(土)
▽皇軍、河南作戦の綜合戦果を発表(遺棄死体六千五百、捕虜二百余、迫撃砲七、重軽機六十九、その他重砲弾多数)
1941/12/7(日)
▼東部作戦休止の旨、独軍司令部発表
1941/12/8(月)
▽米英両国に対する宣戦の大詔渙発さる
▽陸海将兵に勅語を賜はる
▽臨時議会召集(十二月十五日、会期二日)の詔書公布さる
▽非常時金融対策要綱を大蔵省発表
▽第二回中央協力会議開催
▼日・仏印間に軍事協定成立
▽日・泰間に交渉成り、皇軍、首都バンコクに進駐
1941/12/9(火)
▽天皇陛下、宮中三殿に臨時大祭を執り行はせられ、宣戦を御奉告あらせらる
▽第二十一回(陸軍第十七回)支那事変生存者論功行賞および第四十四回(陸軍第三十三回)支那事変論功行賞の御沙汰あらせらる
▽昭和十七年度予算概算(歳出六十二億千二百万円)を閣議で決定
1941/12/10(水)
▽ハワイ海戦の偉功を御嘉尚、山本聯合艦隊司令長官に勅語を賜ふ
▽第二十一回国家総動員審議会総会において(新聞事業、戦時海運管理、船員徴用令中改正、株式価格統制令中改正)に関する四勅令案要綱を可決
▽内地在留の米英人収容に関し内務当局談を発表
1941/12/11(木)
▼日泰攻守同盟の原則意見一致
▼日独伊三国新協定の調印なる
▼独伊両国、対米戦戦を布告
― 大東亜戦争日誌参照 ―
1941/12/12(金)
▽海軍航空部隊の偉功(マレー沖海戦)を御嘉尚、山本聯合艦隊司令長官に再度勅語を賜ふ
▽対米英戦を、支那事変を含め大東亜戦争と呼称の旨、情報局発表
1941/12/13
1941/12/14(日)
▽第二十二回(陸軍第十八回)支那事変生存者論功行賞の御沙汰あらせらる
▽臨時軍事費追加予算を二十八億円と閣議で決定
1941/12/15(月)
▽第七十八帝国議会成立
▼日独伊三国混合委員会第一回協議会をベルリンで開催
1941/12/16(火)
▽天皇陛下、第七十八帝国議会開院式に行幸あらせられ、優渥なる勅語を賜ふ
▽臨時議会において、予算案三件、敵産管理法案、戦時犯罪処罰の特例に関する法律案、昭和十二年法律第八十四号中改正法律案成立
▽改正国民徴用令公布、実施さる
▽物資統制令公布、実施さる
1941/12/17(水)
▽臨時議会において戦時保険臨時措置法案、言論・出版・集会・結社等臨時取締法案成立
▽改正防空法施行令公布(十二月二十日より実施)
▽捕獲審検所長官に清水澄氏就任
1941/12/18(木)
▽第七十八帝国議会の閉院式挙行さる
▽年末年始の休暇廃止を定例次官会議で決定
▽日独交換放送協定成る
1941/12/19
1941/12/20
1941/12/21
1941/12/22
1941/12/23
1941/12/24
1941/12/25(木)大正天皇祭
▽第二十三回(陸軍第十九回)支那事変生存者論功行賞
▽第七十九帝国議会成立
▽第七十九帝国議会に提出の法律案七十二件を臨時閣議で決定
▽皇軍、香港島を攻略
1941/12/26(金)
▽天皇陛下 第七十九帝国議会開院式に行幸、優渥なる勅語を賜ふ
▽第二十四回(海軍第八回)支那事変生存者論功行賞
▼ポパム英東亜軍司令官罷免、後任にヘンリー・パウルン中将
1941/12/27(土)
▽大元帥陛下 香港攻略を御嘉尚、畑支那派遣軍総司令官ならびに古賀支那方面艦隊司令長官に対し勅語を賜ふ
▽為替政策を根本的に変更し、円中心の市場を設定(一月一日より実施)の旨、大蔵省発表
▽支那事変国債を大東亜戦争国債と改称の旨、大蔵省令で公布
1941/12/28(日)
▽第二十五回(陸軍第二十回)支那事変生存者論功行賞
1941/12/29(月)
▽俘虜情報局新設され、長官に植村幹雄中将補さる
1941/12/30(火)
▽日銀兌換券発行高六十二億円を突破
1941/12/31(水)
▽第四十六回(陸軍第三十四回)支那事変論功行賞、第二十六回(陸軍第二十一回)支那事変生存者論功行賞
▽南、北関東地区に夜間警戒警報発令(四日朝まで)