文武不岐   森 武治


  日録より

 十四年五月
 入隊.航空隊とは如何なる所ぞ。如何な
る所なりとも吾は怖れず。吾は一ケ年を此
処に暮すなり。航空隊にては吾を如何に扱
 ふものぞ.如何に扱ふとも吾は怖れず。吾
 は一ケ年を此処に暮すなり。午前六時、近
隣の人々に門口まで送られて単身予定地に
 向へり。駅よりのバス内にては五六の同僚
 らしき者と乗合せたり。入門八時、直ちに
 兵舎に案内せられたり.一抹の殺気を自ら
 の心中に感じたり。余は一年間をこ〜に軍
 人として教育せらるるなり。暫時の後一同
 揃ひ身体検査を終る迄は万一の不合格が心
 の一隅に懸りておだやかならざるものあ
り。気遣ひたる視力も左右〇・九見えたる
 は天候の天佑なり.昼食は水兵が用意せ
 り。二十名程の付添人と共に食事せり。麦
 飯なれビ覚悟の身には相当御馳走なり。食
 後支給品を渡されたり.その量の多き、そ
 の服装の予想外に立派なるに一驚せり.

 首て余が第一高等学校に入学せるや、今
 は亡き校長森巻舌先生は学校の徽章を説明
 せる後「残らく諸子は文にして武なるか、
 武にして文なるか」と云ひつ〜藤原鎌足と
 坂上田村贋の額面を指したるを想起して感
 慨に堪えぎるものなり。
 夫れ武にして文なるか、文にして武なる
 かは一高の校章も之を示すが如く、文武互
 に並立し渾然一体となりて文が一つの人格
 に統合せらるべきものにして、一人の人間
 が文人なりとか武人なりとか云ふは単に形
而下の外形に止まるものなり.余は過去二
 十数年間を文人として養はれ、文人として
身を修め来れるため、何時となく自身を文
 人なりと考へ、武人を己に対立するものと
 して感ずる習慣を築きたりしなり。この習
慣は今や打破せらるべきものなり。余は文
人としても武人としても、益々我が身を修
 め、遂に円かなる悟りに到達すべきものな
 り.文人にても武人にてもあらぎる、より
高次なる自己を、余は余の心中に感ずべき
なり.又余はかくならんことを祈りつつあ
 るものなhソ。

 漸く冬らしく天気も落付いた。朝、補科
の駈歩で港から眺める空と水との景色が素
 晴しい。鈍色に沈んだ巨艦が西色の真珠の
 肌を見るやうな東の空を背景に並んでゐる
 光景、又やがて真紅の太陽がポツカリと波
 間に頭を撞げた時、西の空にその光を一面
 に受けた芙蓉の霊峰が、白銀の姿も雄々し
 く替えてゐる光景、何れも見るからに清々
 しい。寒さも忘れる。空気の香りはもうす
 っかり冬である。夜の温習を終つて兵舎へ
 帰つた時など、一高時代の十二月を思ひ出
 して思はず穿歌を口ずさむ。
 余は首ても屡々「余の一生の内で今程幸
 福な時期は恐らく稀であらう」といふ事を
 日記に記した。今顧みて再びこのことを記
 さんとする心持になつたのを嬉しとも又奇
 しとも思ふ。


 プライドと俗に言ふものは、結局はその
 対象物に対する己の深い因果を宿命として
 感じとるか香かに依つて決するものであ
 る。余等も海軍との血のつながりを早く感
 ずる様にならぬ以上、海軍士官としてのプ
 ライドを得ることは出来にくい。

 婆婆といふ所は、サツパリせんで嫌味で
問窺にならん。偽りの世界と称へ、混濁の
世と言ふが、宛ら共言葉の具象だ。海軍あ
 たりでは誰が何といつても、その一人々々
 が君前の死を諾ひあつてゐるから、少しも
 嫌味がない。偉がらうが、悪口を云はう
 が、罵らうが、何等の嫌味は生れない。か
 ぅした清々しさは、遂には婆婆では見られ
 ぬのだらうか。誤解を警戒したり、嫉妬の
 妨害を防ぐために、殊更に地味にしたりせ
 ねばならぬ浅間しさ。

 悉皆成仏と五意皆空とを念じ諦める心境
 は比較的入り易い.然し生くることは所謂
 不淀の国に遊ぶことである.不定の国に遊
 ぶ以上、悉普成仏と思つて物も言はず飯も
 食はずにゐる事は出来ない.五鹿皆空と信
 じても建設を意とせず、破壊を喜んでゐて
 は自殺するに等しい.
 悉普成仏は飽迄も底流として最後の線の
 下に生くるものであつて、単に生への立脚
 である事を認めない訳にはゆかない。五蕊
 皆空は明かに五慈を支配する法則ではある
 が、その五慈の中に人が生きるならば、人
 の世のめあてに於ては皆空ではあり得な
 い。皆空の根の上に花を支へる努力が生へ
 の努力であり、その花を養ひ花を生かすの
 がこの世であると考へる外ないのである.
 この世が単に仏の供養にのみ使はれるもの

 としたら、人は寧ろ皆仏像の掌の上で自殺
 した方がよい。
 泥の中から蓮の花を支へる努力こそ生へ
 の努力であり、之が根ざす所のものこそ皆
 空の諦観であり、之が生くる所こそ人の世
 であり、この努力こそ躾て成仏への寂静へ
 つながる道であると思ふのである。

   乗駐日記

  五月十八日
 三時十五分ランチ来り乗艇。一ケ月釆夢
 に見た本艦に近附く。乗艦直ちに分隊長に
 指示せられ00分隊士ときまる。ガンルー
 ム、士官室等挨拶。夕刻艦長副長に挨拶。
 整備科事務室で森分隊長の整備士中継を傍
 聴0夕食に牛乳出すので驚く。ガンルーム
 は若い連中のみなり。戦争のほとぼり未だ
 覚めやらず、少少アブノルマルの状態にあ
 るものの如し。
  夜歓迎の酒盛り.昨夜、夜行にて睡れな
 かつたのに又十二時頃迄更かす。寝所に電
 灯つかず、水を呑む勝手も分らぬままゴロ
 寝す。
  五月二十二日
  今日は整備士に頼まれた仕事を了へて整
 備事務室の書類を調べる。正午頃艦内旅行
 をして少し詳しく調べて見た.見れば見る
 程面白くなつて来る.〇期の高整出身者や
 当時の普整出身者が着任して嬉しかつた。
 艦内生活も之で四日になる。漸く初め感
 じたつまらなさから抜出して、之なら面白
 くやつてゆけさうだという気になる。軍艦
 旗揚げ方なピに出て、之が世界史を転換せ
 しめた日本の軍艦だと思へば心が爽かにな
 る.一日中鉄板に囲まれてゐながら、割合
 に退屈せぬのは面白いことだと思ふ。早く
 基地訓練になれば良いとも思へて見るし、
 又早く出港すればとも思ふ。此処に居ると
一つの制約の下にあつて外界と絶縁されて
 ゐるので、割合一途に勉強しょうといふ気
 になるから面白い。何か一技一能に秀いで
 たいものだと近頃痛切に感じる.詩でも音
 楽でも数学でも何でもよいと思ふのだが。
  五月二十五日
  夜整備長より、明日以後整備士として勤
 務すべきことを命ぜられ、一時に忙しくな
 る。分隊士として何をなすべきかを迷つて
 居た所とて俄に気分が楽になり、余の適所
 は此の配置以外にないと感ずる。
  夕食後野田分隊長を病院に訪ねる。花や
 羊異などを持つて行く。帰りの定期で航海
 長と詩をする。心安い人と思つた。
   最後の手紙(婦へ)
  絶えて御無沙汰、お詫び致します。
  又今度は色々そちらの方々にも御心配を
 及ぼしまして申訳ありません。
  艦隊勤務は不馴れのせいもあり、責任も
 重大なこと故、今迄にない厳しさに遭遇
 し、あれこれ仲々自分の思ふ様にならぬと
 感じて足掻いてゐるうちに自然に日数が経
 つて了ひ、乗艦以来既に一年の三分の一程
 になります。
  海軍のやうな抹度を必要とする社会に入
 つた予備士官といふものはなかなか方々に
 在りますが、何しろ人手の足りぬ所故自分
 の能力を出来る丈活用して、どんな所でも
 よいから艦の戦闘力の向上に役立つ様な努
 力をしたいものと、日夜それのみ苦心して
  ゐます。
  兵隊さん達の真剣さ健気さには時に私達
 も感心する程で、その様子を見てゐる丈で
 も、一寸ジツとしてゐられぬと言ふ気にな
 ります.一日中眼の覚めてゐる時は、飛行
 機の爆音と油との中に埋つてゴチヤ〈や
 つてゐるので体力の斎す利益について只今
 程深刻な感じを持つたことはありません。
  お蔭様にてその後は取立てた不健康にも

 遭遇せず、元気でやつて居ますから、御安
 心下さい。
  尚居所は頗る不安定なもの故、万一通信

 ある節は、艦に宛て〜下さると間違ひあり
 ません。
  兄さんに宜しく。