昭和十八年
議会は一月二十一日再開の予定なりしも、東條首相の風邪発熱にて延期し、二十八日再開、首相の病躯を労はりて質問を延期し、後に真剣の質疑応答もありたるが、都制案に衆議院が若干の修正を加へたる外、政府原案通りに可決し、二百七十億円の臨時軍事費も審議三日にて両院を通過し、二百億円を超えたる一般会計、特別会計、総務算追加予算も原案通り可決す。
六月二十一日、永野海軍大将、寺内、杉山両大将を元帥府に列せられ、元帥の称号を賜ふ。適当か、不適当か。五月二十九日、アッツ島に山崎部隊玉砕、七月下旬、キスカ島の撤収完了が大本営より発表せられたること、多くの楽観報道中に悲観を齎らし始む。四月二十日、外務、内務、文部、農林の四大臣竝に情報局総裁の更迭を断行、谷外相兼情報局総裁、湯澤内相、橋田文相、井野農相の退任を求め、外相に駐華大使重光葵、内相に翼賛会副総裁安藤紀三郎、農相に翼政会政務調査会長山崎達之輔、国務大臣に翼政会常任総務大麻唯男、情報局総裁に天羽英二を起用、文相は一応東條首相の兼摂とし、二十三日、岡部長景を文相とす。五月二十六日、後藤文夫を国務大臣とす。