想 痕 (抄)
思 潮
爵位禄利の伴はざる忠君愛国
紀元節は日本国民にニ千数百年の回顧を促し、前代より優れる所に満足し、前代より劣れる所に警戒し、明治維新を第二紀元として、大に発展を遂ぐるを奮励せしむべき者なり。之を祝するに際し、我が国体の唯一無二、忠君愛国の情の深く億兆の心に根ざせるせ考ふるの常にして、日本といへば忠君愛国、忠君愛国といへは日本と解する程なるが、近来君国の思想の稍々動揺し、歳を追て更に動揺すべき疑ひあるを如何にする。普通の解釈は大略三段に区分すべし。一は今更らの事ならず、何の代にも世間悉く忠愛の情の溢るゝが如き無く、寧ろ今を以て盛んなりとすること、二は忠愛の情の溢るゝとも、社会の進歩し、世間と交際し、是れ以外に注意すべき事物の増加せりとすること、三は新事物の増加せも、事に軽重あり、、忠愛の最も重きを為すべくして然らざるは、国政を担当する者の処置宜しきを得ざるに困るとすること、是れなり。第一は旧来の勢、第二は新来の勢、共に労にして、誠に容易ならざる次第なるが、何の勢も幾許か変じ得ざるに非ず、当局者は徒らに憂ふべからず。若し第三なれば、当局者は全く己れの不注意に出でたりとし、改むるに憚らず、豹変するに躊躇せざるを要す。忠君愛国は重大ならず、個人として生を天地に稟く、各々己れの好むが儘にすべしとせば其れ迄なるが、君国の思想の動揺するを防ぐの意あらは、其の何に由来せるやを察し、相当の処置を執るべし。参台して佳節を祝するや、単に一時の形式とせず、責任の頗る重大なるを思慮せよ。
忠君愛国を以て爵位禄利の為めなりとする者の多ければ、忠君愛国は一種の営業となるを免れず。斯かる徒が人に向つて忠君愛国を説けば、聞く者は或は曰宇ふ、彼等は忠君愛国を以て爵位禄利を得、忠君愛国を口にするは営業を廣告するに同じ、吾は営業を異にす、彼等に耳を仮さずと。真面目に斯く曰ふは低能児の類なれど、世に低能児あるを否定すべからず。而して低能児は範囲の明白ならず、広く解すれば意外に多し。嘗て皇室の衰へ、武門政治と為れるは、皇室に尽くすを以て爵位緑利を得るの手段とせしよりの事、藤原氏が天子を挟(さしはさ)み、一門の栄華を貪れば、平氏も同じく之を事とし、北條氏に至り、廃立を行ひ、三上皇を流せり。忠君が爵位禄利の為めならは、爵位禄利の為めにならざるに何ぞ忠君せんやとの調子なり、事蹟が忠君愛国なるも、動機が爵位禄利の為めなるの明らかなれば、以て人心を感発するに足らず。蘇我氏藤原氏が徒らに跳梁跋扈せしかに見ゆるは、栄華を貪るの甚だしかりしが為めにして、時に純忠なるあるも、玉石倶に焚くの避くべきにあらず。忠君愛国を以て人心を感発するには、爵位禄利と無関係なるを示すに若かず。和気清麻呂なり、楠正成なり、百世の下に人心を鼓舞するは、爵任緑利の為めにせざりしが故にして、新田義貞の之に劣るは、足利尊氏と権勢を争ひしの知らるゝに因る。高山彦九郎が三條橋に皇居を拝し、或る奥羽より蝦夷を跋渉せしは、忠愛の情の切なりしに出で、蒲生君平の貧にして山陵を調査せしは、忠君の情よりし、林子平が貧にして海外の事情を説き、之に応ずべき策を講ぜしは、愛国の情よりし、孰れも爵位禄利の為めにせざりしを以て、維新の先駆者たる形あり。官費を以て山陵を調査し、官費を以て外国の兵制を調査し、成績の蒲生及び林に優れりとて、特に忠君愛国たるを覚えず。同一の事も、動機の如何にて大なる差違を生ず。唯だ事の跡を観、能く忠君愛国なるを得たるかに振舞ふは、心ある者をして顰蹙せしむるに終る。高山の歌に「我を我と思召すかやすめらぎの玉の御声のかゝるうれしさ」とあるが、若し天覧台覧等の字を大書して自作の書を発売せしならば、如何の感を人に与ふべきや。似たると似て非なると相ひ同じからず、往々全く反対なり。
維新前、尊王攘夷を唱へ、刑場に死せし若干志士が、後ち不明を責むる者あるに拘らず今尚ほ賞賛の声の絶えざるは、俗衆の為めならず、実に身を以て殉ぜしの明白なればなり。当時幕府の衰へしも、命を聴かざる者を罰するの力あり、探偵四出して嫌疑者を捕縛し、之に反抗するの唯だ身を危くする所以なるに、敢て進んで反抗を辞せざりしは、信ずる所に厚く、少くも官禄を求めざりしを證す。官緑の為めにし、謀敗れて罰せられしならば、唯だ自業自得と見るの外なきも他に何の疑ひあるにせよ、官禄の為めにせざりし丈けは確かなり、維新の功臣として顕栄に登れる者は鮎、危きを冒かして辛に存命し得たる所に敬意を沸ふべし。中
ゐ しん よ さ∧ノ
に功名を念とせしあるも、維新の業の彼の如く成るを務想せざるべく、
止りつせう とう じ上 ろく
西郷が月照と海に投ぜし時の如き、十年後に正三位に赦せられ、緑二千
おも はうしう はうぐわい
石を賜はるを想ふペくも無jh維新の拗臣が報酬を得たるは、望外の事
せいぢじやう
にして若し望外ならずして多少之れを念とせしならば、要するに政治上
さうば し きんわうさ はく さい め せんさく じ
の相場師たるのみ、勤王佐幕を賽の日とせしのみ。穿整すれば種々の事
情あ詣、響の触る怯、爵位蹄利に熱中せざりしとすべし0然るに
じやう ねつち▲ノ
せいふ そ しき
既に維新の業の成り、領ゆる功臣なる甥絆政府を組織しては、其の功臣
の口吻を拳び、之に酔放しさへせば、位階を得、倖給を得、勅章制定あ
こうふん はうきふ くんしやう
えいしやく つか
りて勅睾を得、桑爵制定ありて柴爵を得、官に仕へずとも、▲官と共にせ
うりこ はらひさ じゆんくわん
は、官に辛込み、官エり排下げて利を受くべし。明治政府の官吏准官
ごようし†’ ▲ つう いく亡んにん いんえん
更及び御用商は、斯くして普通人民の得ざる所を得、幾萬人か相ひ黄緑
そ ぜい いし上く けいペつ しつた
して租税に衣食し、租税に衣食せざる老を人民呼ははりして軽蔑し叱咤
せり0手配郎若くは薩長土肥は徳川氏を倒し、戦膠着として凱歌を註ひ、。
さつちやうどひ たふ せんしようしや がいか クた
せんばいしや くわんりとう上う
人を人民と呼ぷは戦敗老と呼ぶに異ならず。官吏登庸の自由なりし頃、・
べんねいしや さい上う し上うしん こつけい
如何に便侯老を採用し、之を昇進せしめしかは、之を語るだに滑椿に過
でんしん るゐ りうかク じやうじつてんめん
ぐ。電信といひ、ヒキといふ類の語の流行せしは、皆な情責適湖の甚だ
げくわん べんねい
しきを示す。下官が上官に便仮し、上官が最上官に便仮し、便侯を以て
げん なにしやく かれら た
現に何爵たる者、一にして足らず。彼等はロに忠君愛国の語を絶たず。
れいたん あと ゐ ち
若し忠君愛国に冷淡なる跡の見ゆれば、一日も其の位置に安んずるを得
ちうくんあいこく へうばう ちうあい じやう
ず・此の如き老が忠君愛国を標摸し、嘗て配賦都配せし人民に忠愛の惜
しんぷく
の盛んならんことを望み、能く人を信服せしむべきや否や。
えき こくか
二十七八年役及び監汁托竹年役繋う歯家の位置を高めしや大、之が為
どり上く あいこくてきかうどう
めに努力せしは、一旦緩急ありて義勇公に拳ぜし老、其の愛園的行励矩
けんち上 みと しやう はつ
欠欠gポ那鮎糾那謂k盛紺野川遠州糾
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き
氾斤i折触れ、柑払運稗手の器械に於けるが如し。戦場は下なるほど危
ゐくわん そ上フ ヘいそつ みづきかづさ
険、賂官よりも佐官は危険尉官は一層危険、兵卒は最も危険、兵忙水杯
まゝ †▲
して別かるべきは兵卒なり。上の命ずる厳に下は行ひ、進めといへは進
とつくわん とつくわん ぜんあつ
み、突貫せょといへは突貫せざるべからず。突貫して一際全ほ矩し老の
ゐくわん
少からず。斯くて多く兵卒を失ひ、尉官を失ひ、而して功は佐官に厨し、
しやうくわん せんりやくせんじゆつ く しんさんたん かうせつ
佐官の功は鼎官に辞す。洛官は戦略戦術に苦心惨憺し、其の巧拙にて
し上うはい く しんきんたん かんえう は あひ
膠敗の別かるれど、苦心惨憺は濁り軍事に限らず何事も肝要なる場合に
けいくわく たいはい 」モき
苦心惨鰭たるを要す。一たび計葺を誤れば、或は大敗を招くべきも、港
し れいぷ ほとん
伺蛤憫が危きに障るは殆ど萬にLん絢無き事にして、絶司令部及竹指揮治
せいめい
司令部は、単に生命の鮎に於て安全なりとすべし。全局に於て略々勝算
れさく せいめい と くんこう き ばう
の歴々たる限り、上官は生命を座するよりも、勅功を質せらるゝの希望
こう し せい ちまた ほんそう
ぁり。接唱松矩奉ずるとて、死生の巷に奔走するは下官及び兵卒忙して、
上官は概ね凱旋して質を受くる老なること、下官及び兵卒も漸く之を知