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   ■自 序

 私達の郷里水戸に於ては、幼少の頃から弘道館記や正気の歌等所謂水戸学の代表的なものを父兄から授けられたのであるから、少し向学心のある者であつたなら、中学から高等学校に進む頃迄には、一通り水戸学の書物には目を触れたはづである。それが明治の末頃から大正の初期にかけで時代遅れの学問と見做されるやうな風が生じた。丁度其の頃育つた私達はやはり其の風に化せられた。それは確かに新しい科学の修得に追はれで居つた為で主智的教育の影響であつた。
 そもそも水戸学で重点を置いたのは何と言つても我が國體の宣揚である。政治も教育も文学も、一切~皇の懿訓を遵奉し、忠孝の心を発揮することは絶対に正しいのであるから、四海に皇風を推し弘めることが出来るといふ信念を養つて居た事は、確かに一頭地を抜いた学風であつたと思ふ。
 支那事変勃発以来既に五年、我皇軍の将兵は陸に海に空に、甚大の戦果を収め、東洋平和の礎石を打ち固めつゝあるの秋、欧洲大戦は端なく起り世界を挙げて屍山血河の巷と化し、国際事情は端倪することの出来ない形勢となつた。しかし我等は如何にしても我等の聖戦には勝ち果せねばならぬのである。その為には国民の不断の努力と、不撓の忍耐とを要する。それが総力となつて前線に剛毅な将兵と、優秀なな武器を送り得るのである。此の二つの要素がありてこそ前線の勝敗は一瞬にして決すると首はれる近代戦において効果を奏するのである。
 私は現在一産業人としく銃後の務に励む事の出来る光栄を担つて居る者であるが、私達の狭い部門から現在の我国情を窺つて見ると、我国民の全体が果してこの決意をなしく居るか懸念なきを得ないのである。
 現下の時代は幕末の時代に彷彿たるものがあるといふが、現在の時代は明治維新の時代より更に広汎なる重大な意義を持つて居ると思ふのである。明治維新の眼目は武門政治を廃しく天皇政治の古に復へした事であるが、現在は進んで皇道を国外に宣揚推弘するといふ大理想の実現を目指しで居るのである。されば明治維新当時の如く武士階級の如き国民の一部が活躍したのみでは斯の大理想は達成し難く国民の全体が打つて一丸となつて挺身努カせねばならぬのである。
 顧みれば明治維新の当時と現在の聖業との間には共通点を有する。唯大に異なるのは其の大小難易である。維新の際は国内に於て兵火を交へられたので現在の兵戦に比すれば言ふに足ちざる局部的小規模のものであつた。明治新政府は財政窮乏であつたが、外資を得る途があつたのである。現在は然らず、長期に亙る大規模の戦費は徹頭徹尾自力に俟たねばならぬ。此に斯の聖業に伴ふあらゆる困苦欠乏が我等国民の双肩に懸つてゐるのである。まことに容易ならぬ事である。更に大に考ふべき事は明治維新と現在の聖業とは共に皇道を以て中心とする指導原理を持し之が実現を期することであるが、前者の時は国内に限られたことで肇國以来の臣民との争であつたから一人義を倡へると万民之に應じ帰順反正は破竹の勢で進行したのであつた。然るに現在は伝統習俗を異にする外国民をしく我皇化を仰がしめんとするのであるから難易は殆ど比較にならぬ。故に斯の理想を達成せんとするには博愛仁慈の大御心を奉戴して彼等外国民に接せねばならぬ。他の言葉を以てすれば、我等自身が従来より熱烈なる皇徳の讃仰者となつて心身を皇道宣揚の為に打ち込むの覚悟を要するのである。
 明治維新回天の偉業に貢献したものが義公以来の尊皇精神にありとしたならば、水戸学の精髄を究める事は刻下我国民の応に為すべき喫緊事であると信じ、私は昨紀元二千六百年に於ける記念事業として此の書の編纂を企て之を同志の諸士に頒ち、聊か翼賛奉公の微忱を致したいと考へたのであつた。そこで編纂の監修を菊池謙二郎翁に懇請したところ幸に引受けられたので、同年九月稿を起したのであつた。しかし実業に携る私は業務多忙のため編纂に関して江幡辰三郎氏の協力を受くる乙と尠くなかつた。
 本書の題字について旧水戸家徳川圀順公爵閣下に御願ひいたした所、御快諾を得て、本年正月時局下に於ける国民の心得として最も適切なりと信ずる「一誠奉上」の金言を賜り巻頭を飾る事を得たのは編者としての感激之に過ぐるものはない。謹んで謝意を表する次第である。
   昭和十六年七月七日              聖戦第四周年記念日に記す

              關 山  廷

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 進大日本史表


臣治紀言。伏惟太陽攸照。率土莫日域。 皇化所被。環海咸仰天朝。 帝王授受
 三器.敬一−紳聖之漠訓巾賓昨之隆.輿天仏琴無レ転.国家治乱一▼統。絶一】姦先之潰れ軍威垂
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