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   出版警察資料第四輯「ファッシズムの理論」 【秘】 内務省警保局 より。

 

 

第三章 ファッシズム諸団体の主張


一 ファッシズム団体の範囲 

 由来我国には所謂『反動』団体なるものが数多存在してゐた。大日本国粋会、建国会、行地社、赤化防止団等が漠然とそれと考へられて居たやうである。然し『反動』と『ファッショ』とは同じものを意味するものではない。『ファッショ』は資本主義経済組織の動揺に際して出現した特異の運動形態である。併しながら一般に「反動」はすべて「ファッショ」であるかの如き考へが可成り広汎に普及してゐる様である。例へば「月刊批判」四月号所載の長谷川万次郎の論文「日本に於けるファッシズムの可能と不可能」に表はれた見解の如きはその代表的なもので、ファッシズム団体として大日本国粋会、建国会、大化会等は勿論、大日本武徳会、修養団等迄も数へてゐる。かくの如く広汎に解して可なりや否やに関しては尚幾多の疑問がある。茲ではファッシズムを一応前述の如く、国家主義、反議会主義、反共産主義の三個の特色を有するものに限定して、この条件に適合する政治団体の主張を検討することにする。

二 ファッシズム諸団体と其の主張

 ファッシズム団体の主義主張は種々様々である。資本主義を否認しないものもあれば、社会主義を主張し資本主義の急速なる廃棄を叫ぶものもある。議会政治に対しては之に正面より反対するものと、態度のやゝ不明なものとがある。同じ社会主義を唱へるものゝうちにも、マルクス主義の上に立つものと、国体論の上に立脚するものとがある。しかし斯く混沌としてはゐるが、その根本基調たる指導精神を基礎として吟味してみると、日本主義を指導精神とするものと、国家社会主義を指導精神とするものとの二つの系統に大別することが出来る。


(イ) 「日本主義」政治団体

 日本主義を指導精神とする団体にあっては、秩序立つた理論を有するものが少ない。其の主張の内容は、極めて不明瞭で神秘的なものが多い。
 日本主義とは何か。これに就て津久井竜堆は左の如く説明してゐる(註一)。

  「日本主義の神髄中核は万世一系の天皇を中心として、日本民族が一心同体に家族的生活を為し、一切の自我を棄て此の中心的対象の中に自己の一切を捧げる事によつて自己を最も完全に生かすの道とする所の信念と実践のすべてを指すものである。」

  註一 津久井竜雄『日本的社会主義の提唱』六頁。

 要之、天皇を中心とし、天皇と一般国民との間に介在する一切の中間階級を排斥し、君民一致の理想を実現せんとするものが、日本主義である。謂はゞ一種の天皇中心主義である。日本主義は、中間階級を排斥するが故に、日本主義を拡充発展せば自から反資本主義となる。其処で日本主義の第二次的な産物として社会主義的主張が顕はれて来る訳であるが、然し日本主義自体は、どこまでも国体の完全なる実現を第一目的とするものである。
 従つて、社会主義的主張を見るも現在の経済組織に対する分析的な、科学的批判と云ふものがない。たゞ単に国家の根本精神に反すると論ずるに止まる。即ち、一切のものは天皇のものであるといふ思想と、貧富の懸隔は国家に対する国民の精神を傷け、愛国心を喪失せしめるといふ思想とに基くものである。是れ畢竟、高踏的、浪漫的な謂はば一種独特の社会主義理論であると言ふことが出来る。この点が、国家社会主義を提唱する者と著しく相異する点であつて、後者はマルクス主義の研究の上に基礎を置き、科学的な論陣を展開
するものである。


(一) 建国会 − 機関紙「日本主義」(月刊)


 創立は大正十五年二月十一日であるが、最近機関紙を定期に発行せず、従つて現在の政局に対する意見を詳らかに知るを得ないが、今本会の綱領に表はれた思想を観察すると、本会は畢竟「ファッシズム」的団体と目して差支ないやうに思はれる。

        綱   領
一、惟神大道に立脚して皇道を中外に宣揚す
二、天皇政治を確立して議会中心主義を打倒す
三、日本国体に背戻する一切の既成政党及無産党を撲滅す
四、共産主義、社会民主主義、国家社会主義等一切の社会主義と対立し、厳乎として之が討滅を期す
五、日本主義の精神に依る産業の国家的統制を行ふ
六、日本主義の旗の下に「六合を兼ねて宇となり八紘を掩うて都を開く建国の理想を実現す


右綱領に示されてゐる如く、其の国家主義を奉ずることは、日本主義といふ言葉を以て更に一層国粋的色彩を帯びて強調せられてゐる。又共産主義のみならず、一切の社会主義に対立し、一切の無産政党を撲滅すと宣言して居るから、其の資本主義擁護の旗旆は極めて鮮明である。たゞ反議会主義に至つては梢々明瞭を欠くも綱領の(二)及(三)に掲げられた思想は結局其れに帰著するものであらう。


(ニ) 行地社 − 機関紙、月刊「日本」

        綱   領
一、維新日本の建設
一、国民的思想の確立
一、精神生活に於ける自由の実現
一、政治生活に於ける平等の実現
一、経済生活に於ける友愛の実現
一、有色民族の解放
一、世界の道義的統一


 綱領に表はれた処は極めて国粋的、理想主義的である。元来「行地社」の名称は「則天行地」より来れるもので、次の大川博士の一文は最も簡潔に行地社の思想的立場を表現して居る(註一)。

「行地社の名は古人の所謂則天行地に由来し、正しく天に則り地に行はんとする同志の団結である。天に則るとは明かに理想を認識し、堅く之を把持する事である。地に行ふとは、この理想を現実の生活に実現する事である。然るに天即ち理想は、此処に在り彼処に在りと探し求むべきものに非ず、実に潜んで吾等の魂の衷に在る。而して吾等は日本の民なるが故に、我が魂に求め得たる天は、必然日本的理想でなければならぬ。魂の底深く探り入れば入る程、此の理想はいやが上にも日本的となる。かくて吾等の則る天は、純乎として純なる日本的理想である。
 日本的理想を行ふべき地は、云ふ迄もなく日本国である。然るに現実の日本国家は、断じて日本的理想の具体的実現でない。それ故に、吾等は長の如き国家の改造革新に拮据する。従つて行地運動は国家改造運動である。吾等は日本の精神的、政治的、経済的生活を、純乎としで純なる日本的理想に則つて、根本的に改革せん事を期する。」


  註一 月刊「日本」昭和四年八月号巻頭音。

 行地社は、今日までに機関紙「日本」を発行して誌友の連絡に充てゝ居る事と、日協加盟の青年部の活動以外には、表面立つた運動はして居ないが、此の団体は寧ろ潜行運動に依つて各方面に極めて根強く、その触手を伸ばしてゐる。
 現在大川博士を盟主として、狩野敏氏がその代表となり、先年満洲某重大事件の犠牲となつた河本大作大佐が有力なる同人として活躍しつゝある事は注目すべき事柄である。尚創立当時より続刊せる「日本」は本年五月より、新に神武会の機関紙として発刊せらるゝ
事となつた。
 以下月刊「日本」によつてその主張を窺ふに、左に引用した一例の如く、日本主義の色彩極めて濃厚である。
「天壌と共に窮まりなき宝祚を践ませたまふ万世一系の天皇を戴き、君民一体、億兆その心を一にして、世々その美を済すべきは、我が国体の精華であつて、他国は知らず、我国に於て此の国体は何物とも比較し能はぬ絶対的のものである。……絶対的なる万邦無比の我が国体は、無欠の金甌であり、国家生命の大源泉であつて、之を確保し、擁護し、更に発展させて行くのは、素より我等皇国民族の重要責務である。」
 次に議会政治に対する主張を窺ふに、左に月刊「日本」より引用した一例の如く、全然之を否認するものではないが、必ずしも之を謳歌するものではないことを知る(註二)。
「政体は時に随つて改易され、変革され遷移さるべきもので、決して絶対不易のものではない。歴史を視よ。我国の政体も蘇我氏や藤原氏の氏族政治、源平二氏や北条、足利、織田、豊臣、徳川諸氏の武門政治となり、皇政復古の明治維新後には、薩長閥族を中心とした藩閥政治から政党による議会政治、といふ様に変つて来たではないか、我が国体は議会政治を以て易へてはならぬ政体としては居らぬ。元首を大統領として之れを国民の公選によつて定むる共和政治は、我が国体の許さゞる所なるや勿論とし、議会政治殊に今日の如く堕落し切つた不合理な我が議会政治は、場合に依り之れを変へても差支えないのである。……独裁政治の非自由主義は不可なるも、議会政治を無上の政体として之れを謳歌するが如き時代は己に去つた。」
 最後に共産主義に就ての彼等の態度を見るに、国体に関する限り之を正反対の立場にあると云はなければならない。併し乍ら反共産主義の旗幟を掲げて正面より之に対抗するものでもない。これと関聯して注意を要すべきはその私有財産制度に対する意見である。彼等は、治安維持法が絶対不易の国体と相対可変の私有財産制度とを殆ど同列に規定したことを以て許すべからざる曲事と為し、かゝる治安維持法によつて「ブルジョア階級を擁護せんとするが如きは、国体の上より稽へても許さるべき事ではない。皇国日本の国体はブルジョアを尊重してプロレタリアを蔑視するやうな偏頗不公正なものでは無い。我が国体は天皇を中心として一視同仁である。不当然な事を当然にするが為にも国体に則して昭和維新を断行せねばならぬ」と論ずる(註三)。然らば私有財産制度に全然反対かと云ふに、「産業も文化も一面は利己心のために発達するものとすれば、利己心に満足を与へる私有財産制度を頭から否認するのは宜しくないが、私有財産制度には弊害の起り易いもので、我国でも之がために種々の制限法を設けて居るのであるから、之れを絶対視するのは大間達ひだ」(証四)と述べて、一面には妥協的な態度を示してゐる。要するに彼等の思想は、社会主義と称するよりも寧ろ社会政策主義に近い。又満蒙その他に対する対外政策、貌に東亜政策には頗る積極的な態度を示してゐる。
 その昭和維新の政綱として唱導せんとする処は左の如し(註五)。
「先づ第一に一切の模倣をかなぐり捨て、模倣癖と相俟つところの一種変態の事大思想たる崇外病を治癒し、然る後、政治、経済、産業、教育、宗教その他の総べてに亘つての根本的革新を内に施し、同時に、満蒙を中心として外への発展を図るがために大陸政策と東北亜細亜政策の大経綸を樹つる事にせねばならぬ。内の革新は共産主義を排して日本主義に拠ること、外への発展は国際主義に囚はれないで国家主義に則ること、而して内治も外交も自主的、能働的、積極的であらねばならぬ。崇外病より生じた模倣の一に属する商工業本位の資本主義的経済政策を排して農本主義の産業立国策を樹つるは無論の事とし、同じく模倣的にして而も実体の極めて醜悪なる政党本位の議会政治に改造の斧を加へ、純正なる公議に基く君民一体の新しき政治機構を整へ、中央集権より地方分権へ議会中心より自治本位へ、都市偏重より農村振興へ、とその政治を新鮮化し、外地たる植民地の政治も一新せねばならぬ。貧富の懸隔を甚大にし、民を貧苦に致さしめ、ブルジョアを専重してプロレタリアを蔑視するが如き制度、政策、法律等の改廃を要する事は勿論である。諸弊横溢、百害続出、何も彼も実質が悪くなつて行詰り、満蒙の収益さへも危うくなり、斯くて内憂外患交々到るといふ大国難時代に入つた今日、明治の皇謨を拡充して皇国日本の威信を中外に顕揚するには、神ながらの道に還元溯源して、其処から新たにスタートを切り、万事を新規蒔直しにすべきで、其処に即ち昭和維新の必要があり、昭和維新によつて明治維新は完成されるのである。」
 本団体をファッシズム団体と称するには、其行動方面に於いて稍々積極性を欠き或は当らざるやの感があるが、主張は多分にファッシヨ的特徴を帯びてゐるのである。(註六)。

註一 山田武吉「昭和維新論」(月刊「日本」ニ○〜ニ一頁)。
註二 前掲(ニ一頁)。
註三 前掲(二八頁)。
註四 前掲(ニ七頁)。
註五 前掲(二八〜二九頁)。
註六 行地社の一員長野朗の著書『自治日本の建設』(昭和七年四月一日発行)を一貫して流れる思想は先に述べた行地社の主張に準拠して極めて社会政策的であつて殆ど過激な点を見出し得ない。されば行地社を以て純粋なるファッシズム団体と称するには尚幾多の異論を免れないであらうが、ファッショ的団体と視る事は必ずしも不当ではなからう。尚長野朗は愛国勤労党にも加盟してゐる。




(三) 錦旗会 一 機関紙、月刊「日本思想」


 会長は遠藤友四郎で、彼は熱烈なる皇室中心主義者である。雑誌「日本思想」には、彼の著書「超宗教団体論−天皇信仰」を紹介して、「著者の勤皇思想たるや最急進の最先に立つ。現存の謂ゆる日本主義、皇室中心主義を粉砕する処に我等は驚異し且つ歓呼する。その只管なる『天皇信仰』と熾烈なる『皇民意識』及び『改革精神』を絶叫して己まざる処は、謂ゆる左翼不逞群は固より特権階級者にも強大にして新たなる恐怖を与へるであらう」と書かれてゐる処より見ても、その思想の片鱗を充分に窺ひ知ることが出来る。
 彼の論調を窺ふに「徹底復固即徹底維新の徒たる国体原理派は、玉松操の『神武の古に』どころか、即ち史実として無形の精神的含蓄たる我が理想的本来に復帰すべしと叫び、此故に之を『復古』と言はずして『復固』と言ひこの復固の徹底を以てのみ維新の徹底を贏(か)ち得べく、贏(か)ち得ざる可からずとする処の、最強硬最急進」(註一)の皇室中心主義が彼を繞る一派の者の根本思想で、「それは或は錦旗党たる我等の外には、未だ殆ど挙げ難い程の少数たるに相違ない」(註二)と称してゐる。
 次に経済組織、社会制度に就いては左の如く論じてゐる(註三)。
「今日の社会制度、経済組織の欠陥、突き詰めて言へば資本主義経済の社会的欠陥は、多くの論者が漠然と指摘して居る如き、謂ゆる単なる『財産の私有』に基くのでは無くて、実はその『私有』が何等の『制限』をも蒙らない処に在るのである。蓄積方法の善悪は論ぜず、その所有及び使用の無制限なる事が、大禍根の淵源なのである。故にこの財産の私有に、整然たる制限を附すべきである。」「然らば之を如何なる方法に依つて実行し得べきか? 私は先づ第一に、私有額限度を制定して、この限度を超過する超過財産をば国家に提供せしむべしとする。然らばその私有限度は果して幾許を妥当とするか? 之には…先づ現実に即して之を百万円位を原則として、猶ほ時に応じ機に臨んで変更し得るの法規とするが最も妥当であるべく思はれる。」
 彼は曾つて「財産奉還論」を唱へたが、その原則実施への第一歩として茲に制限私有を提唱するのである。

  註一 遠藤友四郎「滅亡への条件のみ具備充実の現日本」(「日本思想」第八巻第二号)。
  註二 前掲。
  註三 遠藤友四郎「一切無私有の原則と制限私有の実際案」(「日本思想」第八巻第二号)。


 尚遠藤友四郎は「尊王急進党」にも加盟し、その中心人物の一員となつてゐる。斯くの如く、ファッショ闘士は同時に二三の会派に所属してゐることが珍らしくない。


(四) 尊王急進党


 前記遠藤友四郎及び長沢九一郎等が中心人物であつて、共に曾つては無政府主義者であつた経験を有する者である。その政党としての綱領等は未だ明らかでないが、長沢九一郎が愛国労働社より発行していた「愛国労働」と題する新聞に載せられた彼の「生産権奉還」説(註一)は、尊皇急進党の根本精神をなすものと推測される。

   註一 この論文は後に纏められ多少訂正されて「生産権奉還−日本主義労働運動の基本認識」と題しパンフレット型にて、愛国労働社により発行せられた。以下彼の所説の引用は皆このパンフレットに依る。

 長沢は「生産権奉還」の序文に於て「筆者は、社会主義から日本主義に転換して此処に至ること四年、それは唯、単なる国家社会主義者として甘んずることが出来ず、一意専心『日本』そのものゝ検討に没頭して遂に、明治維新の不徹底なる因が、現今の搾取制経済を必然ならしめた事に思ひ至つたのである。」と述懐し、「維新の不徹底!然もそれが我々プロレタリアの悩む現今の搾取制経済を結果せしめた事の禍根なるを知る時、その維新の徹底が、我々プロレタリアの憧憬するものと合致する事に於て、始めて皇民としてのプロレタリアの歴史的使命を知るのである。」「然してその不徹底を何によつて知つたかといふに、それは、明治元年国内に宣布せられし明治天皇の『御宸翰』と明治二年長薩肥土四藩が朝廷に呈出した『版籍奉還の上奏』に依つて、その国体原理の素晴らしさと崇高さをハッキリ認識すると同時に、知つたのである」とその思想的転向の由来を吐露してゐる。
 彼の云ふ、「明治維新の不徹底」とは「生産権の奉還」を行はなかつた事を意味する。「生産権奉還」の根拠を彼は「国体の原理」に求め、本来資本主義制度といふものは君民一致と云ふ国体の原理からいふとその存在は許さるべき性質のものではなく、日本は建国以来、公地、公民、公有が国是であるに拘はらず、私有財産制度が明治以来確立されたのであつて、国体の原理原則からいふと矛盾極まるものであると述べてゐる。然らば、維新の不徹底の原因は何かと云ふに、明治維新の当時、富国強兵の標語に基く資本主義無批判取入れの外交模倣政策採用派と、神武への復古を国是とする天皇御親政の原理的政体採用派の二潮流があり、之が互に対立抗争したが、前者を代表する岩倉具視が、後者を代表する玉松操の献策を斥けて、資本主義を採用し、之を保護助長した点に存する。されば当時の誤謬を清算し、維新の精神を徹底する道は、「生産権奉還」以外にはない。「生産権の奉還とは、明治維新に於ける『版籍奉還』の上表に明記されし『臣等居る処は即ち天子の土、臣等牧する所は即ち天子の民なり、安んぞ私有すべけんや』の徹底だ。それは維新元勲の尻拭ひする『御国』の大掃除であり、且つ又維新そのものゝ徹底だ。それが我が日本に於けるプロレタリアの歴史的使命だ」(註一)と主張する。
 併しながら、如何にして「生産権奉還」を実現すべきかに」関しては少しも言及されて居ない。従つて、議会主義なりや、大衆行動主義なりやの点は全く不明である(註二)。

  註一 長沢九一郎「生産権奉還」(七五頁)。
  註二 長沢の前掲パンフレット中には里見岸堆の論文から引用された部分が処々にある。その他、用語等より見るに「国体科学」の思想より相当影響を受けたものと思はれる。




(五) 全日本愛国者共同闘争協議会(日協)

 中心人物は狩野敏、津久井竜堆である。

         綱   領

一 我等は亡国議会政治を覆滅し天皇親政の実現を期す
一 我等は産業大権の確立により資本主義の打倒を期す
一 我等は国内階級対立を克服し国威の世界的発揚を期す


 尚、「日協」加盟団体の一つである大日本青年同盟の綱領に「我等は大日本主義の経綸を以て国家改造を断行し道義世界の建設を目的とす」「我等は人類社会の共存共栄を破壊する世界資本主義と空想的国際主義の徹底的排撃を期す」と云ふのがある。大日本青年同盟は日協の前衛分子の闘争同盟である。
 「日協」の機関紙は従来「興民新聞」(月刊)であったが、これは昭和七年四月一日号を以て、新たに創設せられた神武会の機関紙に合併した。尤も昭和六年十月一日発行の分より其の発行主体を日協より独立した興民新聞社に移したが、内面的関係に於ては依然日協が中心で、日協を支持してゐたのであつた。
 この「興民新聞」によつて「日協」の論調を窺ふに、同紙第十一号(一月一日発行)紙上には、日本主義に関しては、「まことに君民一体の日本に於て『君』は第一維新によつて、之を武力の圧迫より救ひまゐらせ国家に於ける神聖にして尊厳なる地位を確立し参らせた。然るに今日の『民』は黄金の圧迫によつて悲惨に坤吟しつゝある。土地大名に代つて起れる黄金大名が、天日を蔽ふ暗黒なる雲として国民の頭上に最も不快に揺曳してゐる。これ故に、黄金の不当なる圧迫より国民を解放することが、今や君民一体の実を挙ぐべき無二無三の道となつた」と論じて之を明かにしてゐる(註一)。
 又、反議会主義に関する論調は更に激越で、「口の先で、若くは紙の上で議会を否認することは容易である。だが、口先や紙上だけで、議会を否認して見ても、現実にはそれは依然として存在し、ブルジョアのために、ブルジョアによつての政治は依然としてそこで継続される。問題の要点は、口舌ないし紙上のみでなく、如何にして実質的に議会を廃止し得る勢力を結成し得るかである。空なるカケ声以外に、如何にして現実的に其の実力を構築し得るかである。単なる議会否認は単なる議会万能主義と共に、我等にとつては関心の外である。言葉のイルージョンに酔ふべく、我等の眼と心は余りに冷たい」と迄極論してゐる(註二)。

  註一 「昭和七年を迎へて」(「興民新聞」第十一号、昭和七年一月一日発行、社説)
  註二 「選挙の狂燥を前に我等何を為すべきか」(「興民新聞」第十二号昭和七年二月一日発行)


 尚之にはテロ肯定の記事が載せられてゐる。

(六) 大日本生産党 − 機関紙、月刊「改造戦線」


 日本主義団体の中で組織の最も大きい政党であつて、幹部には、内田良平、頭山満等が居る。津久井竜雄も後に之に加盟した。

          政   綱

一 欽定憲法に遵ひ君民一致の善政を徹底せしむること
二 国体と国家の進運に適せざる制度法律の改廃を行ひ政治機関を簡易化せしむること
三 自給自足立国経済の基礎を確立すること


 政策として掲げる二十五項中、特色を有するものは、選拳法を改正し家長には男女年齢を問はず選挙権を附与すること、警察権を行政警察、司法警察に分離すること、世襲財産の限度を制定し限度額以上には累進的相続税を課すこと等で、国粋的な政策としてメートル法廃止等の主張もある。政策に表はれた所は極めて穏健で、改良主義的である。
 大日本生産党の理想は、内田良平によれば「大日本主義に立脚して、道徳と経済とが不可分なる新世界を建設」する事に存する(註一)。
 大日本生産党の政策の主眼は、地方自治体の発達と国家統制経済の併行に存する。而して社会主義的中央集権主義に反対する。其は左の一文を見ても明瞭である(註二)。
「社会主義的改造方針なるものは、資本主義的中央集権組織の否定によつで、社会主義的中央集権組織を樹立せんとする。それが資本主義の上に立つか、社会主義の上に立つかの差違はあるが、その内容に於ては中央集権なる事に変りはない。此の意味に於て大日本生産党の政策を貫く建設の大方向は自治主義の徹底にあると信ずる。自治主義と云つても決して国家中央機関の全然たる無力化を意味するものではない。国家統制を重要視しつゝ然も、統制のための強大なる中央集権の形態をとらないのである。自治主義の妙味は実に此処にある。(中略)地方自治の権能は只々法律的にのみ附与されても、経済的財政的内容を伴はざる場合には結局それは空文に等しい。故に地方自治の権能を拡張すると共に、自治の経済的確立を期してゐる。更に、大日本生産党が無政府的自由主義経済制度に対しては断乎たる否認の態度を示して居る。(中略)従つて大日本生産党は自治主義を採用する一方に於て、同時にそれとは全然矛盾せざる程度の国家統制主義を採用する。(中略)事実真の自治体の強化は、国家統制機能の完全なる発揮が伴ふ場合にのみ可能であつて、無政府的組織の下に於ても、中央集権的組織の下に於ても、不具化されるより外ないものである。」

  註一 内田良平「祖国維新を目的とする大日本生産党の使命」(「社会運動往来」昭和七年一月号八頁)、本文は標題に此して内容が極めて空漠としたものであるが、国粋的な色が濃い文章である。
  証二 「大日本生産党の建設綱領と政朱」(「改造戦線」第八号)。


 同党の立脚点を明示するものとしては、尚右の外に同党が無産諸政党の国家社会主義的方向転換に関して、昭和七年三月二十−日付で発表した声明書がある。左にその主要な部分を掲げて置く。
「我等は無産党陣営内における斯かる新動向に対して一応の好意と拍手とを送るに吝かなるものではないが而も飜つて深思するとき我等はそこに幾多の危虞と疑惑とを感ぜざるを得ざるを遺憾とする。(中略)我等は日本に於て新たに志向さるべき改造運動の主潮は日本主義の立場に立つ国民運動の形態を採るべくそれは飽くまで天皇信仰の基礎に立ち民族本位の立場に立つべきものであると確信する。我等の反資本主義は此の立場より帰結せらるゝ結論であつて、西欧社会主義の主張とはその理論的根拠の本質を異にするものである。我等が若し『国家社会主義』を許容し得るとすればその内容は厳密に斯かるものたるを要すること勿論である。」
 大日本生産党の主義政綱が斯くの如くに穏健なるに反して、稍々異彩を放つは、党員津久井竜雄の意見である(註一)。彼は従来国家社会主義を提唱して来た。そして治安維持法が国体と同列に私有財産制度を否認すべからざるものと規定してゐることを極力攻撃した(註二)。併し、それは日本主義の立場からであつた。それは皇室論、国家主義に由来したのである(註三)。彼はマルクス主義を論じ、その誤謬を指摘する(註四)。併しながら、彼の社会主義は、マルクス主義の誤謬の克服の上に立つと云ふよりは、寧ろ全然別箇の系統の理論の上に立つもので、謂はゞマルクス主義批判は彼の立論を「科学的」に基礎附けんが為に後より附加したものである。
「天皇は、日本国民にとつて、最初であり、最後である。一切は、天皇に出でゝ 天皇に還るべきだ」(註五)。「日本主義 − 日本的言行 − の最も典型的な具体化は何であるか、私は日本国体であると確信する。そして、それがまた社会主義精神の象徴でもあると深信する」(註六)。「国家社会主義の根本の立場は、日本主義であり、国家主義であると私は信ずる。日本主義、国家主義の立場から、資本主義の非日本性、非国家性を粉砕せんといふのが我々の主張である」(註七)。この観念が彼の立論の一切の基調をなしてゐる。
 従つて、彼にあつては国家主義が最も強調され、社会主義は副位を占めるに過ぎない。「私は国家社会主義に於いて、国家主義に力点を置くのと、社会主義に力点を置くのとでは、いろいろな点で当然相異を来すものだと思ふ。そして私自身は、国家社会主義は、国家主義に立点[ママ]を置くべきものではないかと思ふやうになった。私共は無論資本主義の否定者であり、従つて当然社会主義者であるが、私共が資本主義を否定するのは、それが日本国家及び日本民族の適正なる発展向上を妨げる障碍物であるからといふ理由からであつて、必ずしも資本主義の打倒そのものが唯一最後の目的といふわけではない。それならば、私共の唯一最後の目的は何かといへば、云ふまでもなく、日本国家及び日本民族の絶えざる発展向上と云ふことである。日本国家及び日本民族の絶えざる発展向上を念願するといふことは、世界及び人類の全般の発展向上を期することがとりも直さず世界及び人類全般の発展向上に寄与することになるといふ信念に立脚するに拠るのだ」(註八)。
 されば、マルクス主義に基く国際主義は勿論否定するのみならず(註九)、マルクス主義の説くところは、根本に於て一の階級利己主義であり、唯物史観に基く社会主義「必然論」の如きは不合理も甚しきものなりとなし、之を一切排斥して、社会正義に基く社会主義の建設を主張する(註一〇)。然るに一方に於て、彼は「階級」及び「階級闘争」を是認して居る。尤も、それは「我々は階級闘争の形式を、マルクス主義の公式の如く、簡単単純なものとは考へぬ。ブルジョアとプロレタリアの闘争といふが如き単色的な形に限られるものとは信じない。それとともに、その闘争を如何なる名分によつて基礎付けるかといふことも亦た自ら公式の外である」といふ条件付の上でのことである(註一一)。
 彼は国際主義に反対し、国家主義を主張する。さりながら、単純に国際主義を排斥するものではないと謂ふ。「我等は勿論今日の一切のインターナショナリズムを排斥する。それは、なぜかと云へば、外国本位、外国中心のインターナショナリズムだからである。それは正しきインターナショナリズムに非ずして、一国乃至数国へ日本自身を附属せしめんとする主張、運動だからである。」「けれども我々は日本中心のインターナショナルに反対すべき何等の理由はない。そして日本があらゆる意味でインターナショナルの中心として、今日の世界列国中最も適格であることを自任するに躊躇すべき理由は尚更ない。日本を中心とする第四インターを起せ!」(註一ニ)。
 資本主義打倒の理論的板拠を彼は国体観念に結びつけてゐる事は、既に引用した文章で明かであるが、尚「国体発揚のための国内改革の第一根本は、資本主義の打破でなければならぬ。(中略)元来、文字通りの私有財産の観念は、我が国体下においては絶対に許さるべきでない。一切は天皇の有である。普天の下、率土の浜、あげて天皇の有である」(註一三)と云ふ所説は津久井の立場を最も明瞭に物語つて居る。
 更に、彼は、資本主義を打破すべき第二理由は、資本主義の根本精神たる営利主義及び資本の集中による大衆の窮乏化が国民の愛国心に及ぼす悪影響にあるとなしてゐる。即ち論じて曰く(詮一四)「資本を持つものは之を利用して巨大の利益を独占し、持たぬ者は唯労力の捉供によりて僅かに其の生活を維持するのみである。(中略)斯くして同じ国民が同胞を商品化し奴隷化する。斯る相対立する両者間に同じ国民としての共通の同胞感は永く保たれ得る筈はなく、愛国心の解消は当然の運命である。」「営利万能黄金万能主義はいまやひとりの資本家のみならず国民のあらゆる階層に浸潤し、義理も人情も芸術も貞節も政治も国家も、悉くを挙げて利用の為に傀儡とする事を辞せない迄になつた。我が国民の最近の愛国心の動揺退転は実に此の恐るべき風潮に倚繋するところが甚大であるといふことが出来よう。」「資本主義の非国家性にして、斯くの如しとすれば、国家主義の見地よりして断然之を改革せねばならぬ事は云ふまでもない。之をこのまゝに放任する時は、国家はつひに内部より崩壊し去る運命を奈何ともなし得ないであらう。かくして我々は利己本位的個人主義に立脚する資本主義を廃絶して、国家本位、社会本位の経済制度を樹立すべきである」と。
 又国家社会主義の実現の運動形態としては、議会主義を否認し、錦旗革命を目標とする国民運動の形態を採るべきだと論ずる(註一五)。
 そして、その結果は「国民大衆がブルジョア並にブルジョア的政党に向つて財産並に政権奉還を迫るといふ形態」となつて現れるとなす(註一六)。併しながら政治機構としてはプロレタリア独裁を否定し、「正しき政治を行ひ得る立場にある一党の存在を以て政治的権力の不変の中心とし、その権力の行使をいやが上にも誤らしめざるが為、国民大衆 − いふまでもなく単なる労働者ではない − のうちから比較的最も公正なる手段によつて択ばれたる代表者を以て之を翼贊献替するといふ日本の国体なるものの真味が味はるべきだと思ふ。日本国体はデモクラシーでもなければ独裁でもなく、正にそれらの止揚である」と述べてゐる(註一七)。
 斯くの如く、津久井竜堆の主張は、国家社会主義と称するも其は日本主義、愛国主義を唱へる者の意見と殆ど差違がない。彼が「日本社会主義研究所」同人を辞して、大日本生産党に入党したことも、
彼の思想的立場より首肯せられる処が多分に存する。たゞ彼の社会主義的思想が大日本生産党内にあつて如何に発展するかは、今後の問題であらう。

註一 津久井竜雄は高畠一門の系統に属する古くからの国家社会主義者で、昭和六年九月、赤松克麿、石川準十郎等と「日本社会主義研究所」を創設し、購読「日本社会主義」に拠つて、国家社会主義宣伝に努力して居た。「日本社会主義」同人の中にあつて独り日本主義的主張を以て特殊の存在をなして居たが、昭和七年一月、彼の率ゐる急進愛国党と共に大日本生産党に合流した。
註二 津久井竜雄「時計」(「日本社会主義」昭和六年十月号、四七頁)。津久井竜雄『日本的社会主義の提唱』五三頁。
註三 津久井竜雄『日本的社会主義の提唱』二頁。
註四 前掲 六一〇頁。二四〜二八頁。三四〜四八頁。六六頁。等々。
註五 前掲 四九頁。
註六 前掲一〇〜一一貫。
註七 前掲 二頁。
註八 津久井竜雄「国家社会主義の二三の問題」(「社会問題往来」昭和六年十二月号、五頁)。
註九 『日本的社会主義の提唱』三四頁以下。
註一〇 前掲 七〜九頁。
註一一 前掲 六六頁。津久井竜雄「国家と階級の問題に就て」(「日本社会主義」昭和六年十二月号、四四頁以下)。
    彼は独自の階級闘争の理論を未だ構成してゐない。たゞ、戦術に於てマルクス主義と異るとなして、次の如く論じてゐる。(「日本社会主義」前掲、四八頁)。
「マルクス主義に於ける階級闘争はブルジョアとプロレタリアとの対立といふ点を重視し、従つてプロレタリアのへゲモニーといふ事を重視するが、之は要するに結果として一の階級利己主義に堕して了ふ。国家社会主義においては、プロレタリアも無論重要なる陣翼の一つではあるが、この他農民も、商人も、在郷軍人も、青年団も、教師も、官吏も、軍人も、サラリーマンも、皆一団になつて、国家主義、国民主義の建前から、非国民的金融ブルジョア、既成政治家に対立するのだ。之等はいはゆる国民大衆なるものであつて、いづれも国家に対して平常極めて忠良且つ勤勉なるものであるが、その経済的地位は被搾取的であり、多少の程度を抜きにして、いづれも消費的不自由者、乃至不能力者であるといふ点に境遇的同一性を有する。」
註一二 前掲 五五〜五六頁。
註一三 前掲 五二〜五三頁。
註一四 前掲 二一〜二四頁。
註一五 前掲 九七頁。
註一六 国家「社会主義の二三の問題」前掲八頁。
註一七 国家「社会主義の二三の問題」前掲七頁。


 津久井の主張と趣きを略々同じうして、党の綱領、政策に比し、可成り激越な論説を掲げてゐるのは、同党の機関紙「改造戦線」である。
 例へば、政友会内閣成立に際しては之を金融大財閥の走狗なりと評して「政友会打倒の基本的闘争目標は、かゝる非国民的金融財閥の徹底的討滅であり、亡国的資本主義制度の根本的改造である」(註一)と論じ、或は「テロの本源極悪資本主義制度を根本的に変革せよ」(註二)なるスローガンを掲げてゐる。又議会に就いては「今日我国の議会は、既に此等資本主義の寄生虫達によつて完全に占拠され、亡国的毒ガスは盛んに発散されつゝある。そして今やかゝる亡国議会と、毒ガス的寄生虫の諸政党は、徹底的にこれを排撃撲滅されなければならぬ。我々革命的大日本主義者の重大任務は、即ちかゝる亡国議会の否認と、毒虫的既成赤白両党の撲滅闘争であり、更に突き進んでは、その存在の根本を形成する資本主義制度の徹底的変革であり、そしてその究極目標は、その勇猛果敢なる決死的闘争を戦ひ抜く錦旗大革命の建設である」(註三)と論じて居る。実に先きの本年二月の血盟団事件を取扱つては、「我等はかゝる種類の直接行動を必ずしも讃美するものではない。運動の大勢を顧慮せずして、かゝる単独的英堆行動に出づることは、ある場合、、運動の進展を妨げ、『昭和維新』の実現に遅滞を来さしむる虞がある場合もある。しかし現在の如き、支配階級の暴圧が最後的攻勢を示せるに此し、改造運動の勢力が大に強勢ならざる場合には、往々にしてかかる事件の発生を見るはおのづから止むを得ざる[ママ]である。而してこの種の行動が、狂暴なる支配階級者に対して、何等かの遷善的[ママ]影響を与へ得れば、その意義亦必ずしも少しとすまい」(註四)と評して、直接行動を部分的に容認するが如き態度を示してゐる。
 政綱の穏健なるに比して、論調がかく過激であるのは、幹部の思想よりも、マルクス主義の洗礼を受けた一般の若き党員の思想が急進的である為めではなからうかと思はれる。その用語、文体、スローガン等よりしても、這般の事情を臆測させるに充分なものがある。

註一 「金融大財閥の走狗政友会内閣現る」(「改造戦線」第九号、昭和六年十二月二十日発行、社説)。
註二 「改造戦線」第十二号、昭和七年三月二十五日発行、欄外。
註三 「金権走狗の乱舞せる醜悪選挙の正体」(「改造戦線」第十一号、昭和七年二月二十五日発行、社説)。
註四 「相踵ぐ暗殺事件の示唆」(「改造戦線」第十二号、昭和七年三月二十五日発行、社説)。

 
 前述の七団体の外にも、日本主義を標榜する幾多の団体が存在する。例へば「大日本護国会、勤王聯盟、全大学日本魂聯盟、皇国義団、愛国無産青年同盟、国体科学聯盟等々である。けれども、これらは実際的政治運動をなす団体と見るよりは寧ろ教化団体乃至は修養団と見るべきもので、その勢力は数々たるものであるのみならず、その主張概ね前述の諸団体と軌を同じうするものであるから、茲にその主義主張を記述する事は省略する。尚、国粋会、国本社等は更に政治団体たる性質に乏しく、其の勢力こそ大なりとは云へ、統一ある主張、政綱の如きものがない。前者は「仁侠を本領とする集団」であり、後者は購読「国本」を中心とする結合で寧ろ教化団体の範疇に入れるのが至当であらう。
 以上の外、尚考慮せらるべきものとして、権藤成卿の思想を中心としてその影響下にある者によつて組織せられた「日本村治派同盟」、及び中野正剛一派が存在する。


(七) 日本村治派同盟


 此の派の中心的人物は、本年二月及び五月の重大事件以来頓に世の視聴を惹くに至つた権藤成卿、橘孝三郎をはじめ、武者小路実篤、岡本利吉、長野朗、加藤一夫等である。日本村治派同盟は日本国民社会党準備会に参加しつゝ、遂に結党に際しては新日本国民同盟に加盟しなかつた。その指導精神とするものは、他の諸団体のそれと頗る色彩を異にする所謂「農本自治主義」である。
 「農本自治主義」も極めて広く解すれば「日本主義」の一種と見得るであらう。併しながら其の立論の基礎、政策に於て既述日本主義団体のそれと趣きを異にする。概括して云へば、日本主義は資本主義そのものが国体と相容れざるものであると考へるに反して、農本自治主義は農業を中心とする君民一如の制度こそ我が国体にして、これを破壊する資本主義は廃止しなければならぬと説く。即ち農本自治主義はすべて農村本位に考へ、農村を基礎とする自治制度の建設をその信条とするものなのである。権藤成卿はこの点に論及して次の如く述べてゐる(註一)。
「古語に『飲食男女は人の常性なり、死亡貧苦は人の常艱なり、其の性を遂げ其の艱を去るは、皆自然の符、故に勤めざるも民之に赴き、刑せざるも民之を努め、居海に近きものは漁し、居山に近き者は佃し、民自然にして治る』とある。(中略)
 乃ちこの自然にして治まる『自然而治』と云ふことは、或は『原始自治』とも称し、自治の主体をなしたものである。此自治の主体は、大衆自然の意思に起り、修睦和協の規矩を生じ、公同共済の準縄を立て、以て一郷一村の収束より、一郡一国の調整となり、而して仝天下に拡充す可き、大同自治立制の起源となつた。」

 橘孝三郎は之を更に明快に説いてゐる。即ち曰く(註一)、
「頭にうららかな太陽を戴き、足大地を離れざる限り人の世は永遠であります。人間同志同胞として相抱き合つてる限り人の世は平和です。人各々その額に汗のにじんでおる限り、幸福です。誰か人としてこの永遠に平和な幸福を希はない者がありませうか。然らば土の勤労生活こそ人生最初の拠り所でなくて何でせうか。かやうな議論は決して空論ではございません。事実『土ヲ亡ボス一切ハマタ亡プ』。ギリシア然り、ローマ然り、而して大英帝国の現状は何を我々に物語つてをるのでせうか。その反面、四億万農民大衆の支那、ガンデーの三億万インド農民大衆、之等は目下最も哀れむべき状態に投ぜられてをりますが然し決してギリシア、ローマの後を追ふものではございません。即ち悠々五千年の民であつたのであります。実に農本にして国は始めて永遠たり得るので、日本に取つてこの一大事は特に然らざるを得ないのであります。日本は過去たると、現在たると将たまた将来たることを間はず土を離れて日本たり得るものではないのであります。」
と。そして彼は愛国同胞主義こそ理想的国民社会実現の原動力であつて、
「実に世界の大勢は我等に愛国同胞主義によつて完全国民社会の実現を促すや最も急なるものが存してをるものと言はねばなりません。かくてこそ、そしてかくてのみ我等はよく自らを導き、よく自ら治めよく自ら守り、よく自ら給し得るものと言はねばならん。自ら導き、自ら治め、自ら守り、自ら給し得て後にこそ、他を導き、他を治めしめ、他を守らしめ、他に給し得るといふ以外に、如何にしてよく他を導き、他を治めしめ、他を守らしめ、他に給する事が出来ませうか。」

と論じてゐる(註三)(註四)。

註一 権藤成卿「成俗の漸化と立制の起源」(「中央公論」六月号、一八五〜一八六頁)。
註二 橘孝三郎『日本愛国革新本義』、六一〜六二頁。
註三 前掲三〜四頁。
註四 所謂「自治」に関して詳細に祝いてゐるものに権藤成卿の『自治民範』がある。尚、最近のものとしては長野朗『自治日本の建設』及び権藤の論文「農村自制論」(「改造」昭和七年六月号所載)を挙げ得る。


 農本自治主義の基礎とする処は、概ね我国の建国以来の歴史にあるが(註一)、これを稍々理論的に説明してゐるのは長野朗である。彼は農本に関して就いて曰く(註一)、
「農を出発点とするについては種々の理由がある。第一には農業は唯一の非搾取的のものである。商工其他凡てのものを見渡す時に、これ等は直接或は間接に何物かを搾取せずには成立たないものである。然るに農業は天地自然の恩恵により、これに人力を加へて人生最も必要たる資料を生産するものであるから、何等他人の労働を搾取することなく、農業を出発点としてのみ搾取なき経済組織が樹立し得らるゝ。各産業の問に一点の搾取なき時、始めて各産業の間に共存が成立つものである。営利を主とした都市産業が基点となつた今日の経済組織では、農村は全く都市に喰潰され、共存の原則は跡痕もなく壊れ、我利我利主義のみが横行し人々相喰む浅ましい世相を現はして居る。第二は農は産業の根本であつて食糧其他凡ての原料を生産するものであるが、工業は単に之に加工し変形するのみにして、如何に工業が進歩しても、米の一粒も馬鈴薯の一塊も繭の一個も一頭の牛も概械からは生産し得るものではない。食糧は勿論のこと、工業原料の大部も亦農業に仰がざるを得ない。其他の業務は農産物及工業品等の運搬配給に過ぎない。即ち農業全般の基礎をなし、量的にも主部をなすものである。商工業は農業の上に立ち、都市は農村の上に立つものであるから、建築に当り基礎工事からかゝることが必要であるが如く、産業の組織にも農業を基調とすべきものである。第三には農は本質的に個人的では成立たず、協同的共存的でなければならぬ。港故にせよ排水にせよ『田に落ちて又田に落つる秋の水』と蕪村が詠じたやうに、相関性を有つて居る。又農村の季節的労働はここに田植ゑに秋の収穫に互助の必要を生じ、共同秣場や村有林を生じた。かうした共存的本質を有つた農業が産業の出発点となることが、経済上に於ける共存の原則を打ち樹てるに最も好都合である。第四には農業は土地と、土地による生産者を基幹とするものにして、国家組織の基礎をなす。農民なくして国はない。農民なき猶太人には国はないではないか。自国の農業を滅ぼし、商工業を以て立つた英国の運命は知るべきのみ。英国資本主義の牙城一度壊れかゝつた今日、英国がこの頽勢を支へることは出来ない。英国が更新するために革命を行はんとしても、革命の根拠となるべき農村が滅びて居る。農村が滅びては革命は出来ず、革命が出来ない英国は穴の明いた風船玉見たやうに、自然に亡国の一路を辿る外はない。ロシヤや支部の革命は農村が厳存するが故に行はれ、ソヴエート・ロシヤが誤つた革命方法を取りながら続いて居るのは農村が人民の大部分を占むるからであり、支那が次から次へと革命を繰返し、混乱に混乱を重ねならが少しづゝ革命を順調に進め得て居るのは四千年来伝つた農民が人口の八割五分を占むると云ふ事実に帰せなければならぬ。この点からも農が産業の基礎として確実に保存されて居なければならぬ。」
と。又長野は「我伝統の政治原則」なりとして自治を挙げ、左の如く論ずる(註三)(註四)。
「人は絶対に独立自主でなければならぬ。独立自主の民にして始めて人格があり進歩がある。従て経済的に人が人を搾取して生活することが不合理であるやうに、政治的には人が人を治むることは不合理である。そこで我国古来の政治は自治を本旨とした。自治は各人が自ら己れを治むることである。この自ら治むる独立人が相共同して生活を全うする。従て人が人を治むる官治には非常に反対して来た。人が人を治むる官治の結果は、各人の独立心は失はれ、現存見るが如く人民は全く活気を失つて官吏のなすがままに動き、進歩なく改善なく、弊害を排除するの反撥カを失つて頽廃し去るものである。又官治のためには多数の官公吏を養つて多くの公費を費し、ために人民の負担を重からしめ、官吏の誅求により人民を疲弊せしむる。然も政務は渋滞煩雑、形式に流れて実情に合せず、民を害すること甚だしきものである。即ち官治は奴隷政治であつて人間の人格を認めないものである。ために我が古来の政治は一貫して自治に則つて来た。」
 彼等は此の如き根本精神より、今日の農村疲弊の病根は、「都市商工本位」の組織にありと断じ、「現日本に於て最も甚だしく行はれてゐるのは交換過程に於ける商工業者及金融資本家の農民に対する搾取であつて、農村の疲弊は実にこれによる」(註五)となしてゐるが、尚暫く権藤成卿の所論を聴けば(註六)、
「東京市は日本の中央都市と云はんより、寧ろ東亜の代表都市である。而も皇城の所在点々として、其壮観を開くのは当然であると云ふのが、最近に於て後藤新平君が強調し、多数の東京を基地とせる富豪達が、均しく其利益の為に唱和せし所である。尤も是等は地方を無視しての中央計劃である。農民が生きるも死ぬるも全く顧慮する所でない。そこで其計劃は、学校より歓楽場、商工重要機関の都てに依りて、地方力を誅剥する組織を立て、政治中枢点たるべき主眼を逢し、其盛観を装ふのである。(中略)殊に東京は、商業地としての資格も、工業地としての資格も全くない、只だ国費生活者の集合せる一大消費地、而して其内は共喰民の行詰り場所である。之れを我農民諸君は如何に観察して居るか。
 予は此の中央の限度なき膨張を見て、之を地方農村の疲弊に比較し、実に寒心に耐へないのである。其鉅億なる農家債務の償還と、苛重なる租税の訣求は、農民の膏血を絞り尽し、為に施肥の余力なく、農産減収の傾向を迎へ来り、甚だしき地方は、戸口の減縮或は前住民の離散、鮮農の漸入を見る所もできた。かくして悉く我古来の成俗を抛擲するとなれば、我日本は挨及と同じく、ビラミットを遺留する丈けの空国に換るであらう。」

と。これと同じ事を橘孝三郎も述べてゐる(註七)。
「御承知の通り只今の世の中は俗に申せば何でも東京の世の中です。その東京は私の目には世界的ロンドンの出店のやうにしか不幸にして映りません。兎に角東京のあの異状な膨大につれて、それだけ程度農村の方はたゝきつぶされて行くといふ事実はどうあつても否定出来ん事実です。そして只今位農民が無視され、農村の値打が忘れられたためしもありますまい。」

註一 樺藤成卿『自治民範』前編は島本自治の歴史を最も詳細に述ぶ。其の他、之に関する文献の主なるものを掲げれば、権藤成卿『日本農制度談』。権藤成卿「成俗の漸化と立制の起源」(「中央公論」昭和七年六月号)。橘孝三郎『日本愛国革新本義』(五二〜五七頁)。長野朗『自治日本の建設』(一四〇〜一五三頁)。
註二 長野朗『自治日本の建設』一六〜一八頁。
註三 前掲一三九〜一四〇頁。
註四 農本自治主義者の理想的自治形態は次の如きものに述べられてゐる。
    樺藤『自治民範』(五二三頁以下)。長野『自治日本の建設』(一六四〜二二一頁)。
註五 長野、前掲九頁。
註六 権藤「農村自制論」(前掲、九九〜一〇〇頁)。
註七 橘、前掲、六一頁。


 農本自治主義は歴史殊に我国の草創以来の歴史を基礎とするを以て、我が国体と密接な関係を保つ。これ即ち以て日本主義の一種となす所以であつて、従つて又国民主義に基くは極めて当然の理である。即ち橘孝三郎は曰く(註一)、
「空前にして恐らく絶後なる世界大戦の犠牲によつて、世界が学び得たものがあつたとすれば、西洋唯物文明の没落といふ事と、更に世界のあらゆる国々は、国民主義に還らねばならんといふ一事であらうと存じます。民族主義、国民単位主義、新モンロー主義、及びそれに基礎せる国際的世界関係発揚の声の益々熾ならんとしてをるのも上の如き事情を最もよく示せるものと言はねばなりますまい。まことに世界の大勢は我々をして民族主義、国民単位主義を採らねばならんやうに推移してをるのであります。現に我々は国土の根本を忘れ又は捨て去る事は絶対に許されなくなりました。国民的存在の中心たる同胞主義精神に再び目覚め且つ復帰せねばならなくなりました。」
之に就いて長野朗は更に次の如く説明する(註二)、
「政治の原則となるものは自治である。自治の原則が行はるゝためには次の二つの条件が必要である。
一、自治が行はるゝためには凡ての人類は平等であるべきこと。
二、各地の住民は凡て自治権を有ち他から支配されないこと。
 第一は即ち各人種、各民族平等である。現在は人種的には白人優越時代であつて、白人種と有色人種間に大なる差別が設けられて居るが、人は凡て独立自主であり、凡て平等であることは今更説明の要がなく、かくの如き差別は徒らに人種間の対抗闘争を引き起すに過ぎないものである。従て今日世界各地に行はれて居る人種の差別的規定は凡て廃止さるべきものである。各民族間に於ける関係も亦同じである。
 第二は凡ての住民は皆自治権を有ち他から支配さるべきものでない。人が自ら己を治め隣伍に及ぼし、一郷、一県、一国に至る原則は国際的にも拡大さるべきものである。従てこの意味からして現在の領土主権の観念は全然改訂されなければならぬ。今日の領土主権は実に個人の所有権と同性質のものである。所有権が個人の利己主義の発現であるやうに主権は国家的利己主義の発現に外ならぬ。(中略)土地は天下の公有にして、一人一国の私すべきものでなく、全人類の生存のために使用されなければならぬ。従て土地が耕作者の手に帰し、耕作者が各地区毎に集つて自治する如く、土地は実際そこに居住し生活して居るものゝ使用に帰し、その生活者が自ら自己を治むる権能が与へられて居なければならぬ。従て一つの民族又は国民が侵略のためでなく、生活のために其周囲に発展して来た場合には、その居住地は当然その国民の自治に任ぜらるべきものである。かくて生活体の進展により其国の領土は拡大さるゝ。これを何等自国民の生活者の進出なくして、空漠たる主権により阻止せんとするは誤りである。」

 而して長野はこの見地より滞洲問題を論じてゐる(註ニ)。また以て国民主義の一種と解すべきである(註四)。

註一 橘、前掲、一〜二頁。
註二 長野、前掲二六四〜二六六頁。
註三 前掲二七三〜二八○頁。
註四 島本自治主義者は一般に国家主義といふ語を使用しない。これは彼等が国家主義に独得の意味を有たしめたことによる。
「凡そ国の統治には、古来二種の方針がある。其一は生活の自治に任かせ、王者は唯だ儀範を示して之に書き感化を与ふるに留むるのである。其二は一切の事を王者自ら取り仕切つて、万機を綜理するのである。前者を自治主義と名づけ得べくんば後者は国家主義と名づけ得べきものなのである。我肇國の主旨は全く前者の主義によつたもので、東洋古代の聖賢の理想は総べて此に在つた」(権藤成卿『自治民範』二五八頁)。あらゆる制度の基調は自治主義にある。
 されば、
「世界皆な日本の版図に帰せは日本の国家といふ観念は、不必要に帰するであらう。けれども社稜といふ観念は、取除くことが出来ぬ。国家とは、一の国が他の国と共立する場合に用ひらるゝ語である。(中略)社稜とは、各人共存の必要に応じ先づ郷邑の集団となり、郡となり、都市となり、一団の構成となりたる内容実質の帰著する所を称するのである。各国悉く其の国境を撤去するも、人類にして存する限りは、社稜の観念は損滅を容るすべきものでない」(前掲、二六一〜二六二頁)。「外国なければ国家はない、何となれば国に特殊の力を要せぬ故である。自然の風俗秩序の下に、農は農として、工は工として、商は商として、人々其の特能を発揮し、其職業に勤め、以て其の集団の輯陸を保ち、若し天災時変でもあれば、各人悉く集会若くは廻状投票の類によりて、其意見を交換し、応急の手段と、後来の防禦を講ずれば、其れで十分なのである」(前掲、二六五頁)。この辺の論調、無政府主義を想起せしむるものがある。加藤一夫が日本村治派主義に加入した根拠も亦この辺に存するのではなからうか。
 尚、権藤成卿は「国民本位の国家主義」を以て社会主義の一種なりとして排斥してゐるのは注目に価する。即ち曰く、
「国家主義とは如何、国家なる一集団範囲の地区を劃り、他の経済上乃至軍事上よりする侵害を防禦し、又は其の集団地域における経済軍事のカを以て、他地域を制駁す可き目的のものである。依つて其国家なる集団の権威を飾る上には、民衆を土木となし、公費製造機械となし、其都ての組織を統治上の便利に置き、秩序条規の下に民衆を鋳冶する趣味なるを以て、其支配者は絶大なる権威を握り、都ての公吏を殊特地位に置き、犠牲心を最高道徳となし、あらゆる思想の発現を塗塞するの必要が起る。具さにその事理を推究すれば、謂ゆる国家主義と称するものと、自治主義と称するものとは、全く性質が異りて居る、国家主義に於ても必しも国王を専崇するものとは言へぬとは、是の謂である」(前掲二八〇頁)。「国家主義者は君民の利害は必ず衝突するものと思つて居る、若し君民といふ語が不適当であるならば、公益と私益と言つてもよい、公益と私益とは衝突するものであるといふ観念から『私益を公益の犠牲とせよ』といふ議論が起るのである。此の観念は自治の主義に於ては、全然無意義である。自治の主義に於ては、公私の利害は常に一致するのである」(前掲、二七八頁)。「国家主義に、吏権専制主義と、国民本位主義との二種がある。(中略)国民本位の国家主義は、その実質に於て、現時の謂ゆる社会主義に等しい。其の最も進歩したるものは、土地資本を以て公有となし、政府監視の下に各種の企業をなさしめ、官吏をして、労働者の間に、その利益の配分をなさしむることを主張する。その論旨の半ば以上は、空想によりて築き上げられ、且つ官吏に、偏なく、党なく、私なく、慝なきの神性を附せんと欲するが如き、迂の極、患の極、疎の極、闊の極なる議論である。十九世紀の中期に於て、有名なるカール・マルクス(一八一八年生、一八八三年死)に依て唱へられたるは、大変此くの如き説であつた」(前掲、二七五〜二七六頁)。
 権藤成卿の所論は「南淵書」のやうな日本古典の歴史的研究に基礎を置くことは、土田杏村も指摘するところである。(土田香村「権藤成卿氏の所論」−「セルパン」七月号)。同論文に於て土田は、権藤がその歴史的研究の資料とする文献の選択には欠陥があるのみならず、その歴史分析も、歴史研究であるといふよりも寧ろ史書を借りた政治道徳の考察であると評してゐる。そして「権藤氏の農村社会論の基礎は、これを要約すればアナキズムであるといつてよからう」「今若し氏の歴史研究を基礎として、現代社会の改造方策などを考へるものがあるとすれば、私は悍る所なく、その着眼を誤謬であると断ずることが出来る。併しながらその歴史的研究を離れて、氏の農村政策だけを読むならば、私は流石に氏の炯眼を至るところに推読しなければならない。権藤氏は農村生活の基礎を自治自制に置き、消費的な都会の膨脹に徹底的の制抑を加へようと欲してゐられるが、その点では私自身権藤氏と全然見解を同一ならしめる。」と言つてゐる。
 更に又、向坂逸郎は権藤の思想に関して「吾々はこゝで十九世紀後半のロシアにおいて、ロシアの農村の特殊性を確信し、ロシアの資本主義的発展を阻止し、資本主義自身の発展の必然として実現され得べき社会主義的社会に、資本主義を経ることなくして到達し得べしと主張した一群の理論家ナロドニキを思ひ出す。(中略)といつて、私は権藤氏の思想内容がナロドニキと同一であるといふのではない。」だが、今や没落せんとする資本主義を前にして、過去に於ける農民生活を理想化し、資本主義と対比し、特殊的日本的なる快き夢にねむることは、既に余りに遅い。問題は既に解決されてゐる。問題は問題の解決の後に提起された。(向坂逸郎「権藤成卿氏の所論を評す」I「改造」七月号)と述べてゐる。


 議会に対して彼等は如何なる態度を採るか。橘孝三郎は論じて曰く(註一)、
「只今の政治を議会政治だなぞと申しますが、以ての外で、皆様の前には一言の説明の要もなく、議会の如きは国民総意を表白議決する所でもなんでもなく、支配団の全然私しする所となつておる次第で、官僚、財閥、政党の金力支配下に一切が立たざるを得ないのでありますが、之れを根本的に否認いたしまして、之れに取つて代ふるにファッシズム又はプロレタリア独裁の如き支配を置き換へる等の事も絶対的に許さる可きものではありません。我々の愛国同胞主義による王道的国民協同自治組織の政治組織は国民全体の利害を眼目として組織さるゝと同時に、国民的総意を土台としてのみ活動の実を挙げ得るものであらねばならんのであります。されば何よりも先に国民全体の利害を計り、国民的総意を表決するの組織的機関を欠く事は出来ません。かくてのみ一切の支配を排除し得て国民をして協同自治せしめ得るものであつたのであります。(中略)我々の明日の政治組織はあくまで地方協同体の共同自治体制を土台として根本から築き改めねばならない事だけは皆様も御賛成と存じます。即ち只今の如き中央至上主義的な集権制の如きは、根本的に改められて地方分権的のものとなし、之れをして国民的共同自治主義の実を挙げしむるに適当なる如くに聯盟せしむるに鞏固な中央を以てせねばならないと存ずる次第です。」
 右にあらはれた思想は政治制度としての議会を否認するものではなく、寧ろ改善して維持すべきことを強調してゐる。即ち自治主義を基本として、之が実現の形式として議会制度を容認する。自治主義の立場からこれは極めて当然の理で、独裁政治とは全く相容れないものである。併し乍ら、社会改造を実現する方法として議会主義を採用するか否かは之と全然別個の問題である。されば橘が主張する実行方法は甚だ過激を極め、議会主義を否定するは勿論、強烈な語調を以て直接行動を煽動してゐるが、これは彼の理論として必ずしも矛盾するものではない。
「生命ニ価スルモノハ唯生命ヲ以テノミスベシ。日本愛国革新者ヨ、日本愛国革新ノ大道ノ為二死ヲ以テ、唯死ヲ以テ立テ。」
 この一句は彼の実行方法のすべてを物語る(註二)。更に詳細に説く処を聴けば(註三)、
「特に此際力説高調して皆様の真剣な肝銘をお願ひしたい事は、かやうな国民社会的革新はたゞ救国済民の大道を天意に従つて歩み得るの志士の一団によつてのみ開拓さるゝものであるといふ一大事であります。此所に革新本義に対する要石が据ゑ置かれてあるのであつて、真の革新はこれを欠いて成立したためしは未だ歴史に少しも示されてをらないのであります。かやうな大事をたゞ一死以て開拓いたすなぞといふ志士は申すまでもなく何時の場合でも数に於て多くを求め得るものではありません。然し天意によつて只撰ばれた天意を行ひ得るの志士は各層に散在してをることも事実であります。そしてこれをして革新の大道を歩ましむべく一団たらしむるものも天意といふ外ありません。天意によつて撰ばれた少数の志士に、大勢なればこそ大衆が率いられて革新の大勤行を捲き起すものに外ならないのであります。」
又曰く(註四)、
「革新を呼ぶ者は先づ身を国民に捧げて立たねぼなりません。救国済民の大道にたゞ死を以て捧げたる志士の一団のみよく革新の国民的大動行を率いて立ち得べく、国民大衆はまたかくの如き志士にのみ従ふ外ないのであります。かやうな志士の一人は或は時に高利貸の子から出るかも知れん。或は時に百万長者の子から出るかも知らん、大勢はよく瓢箪から駒を出すやうなことをいくらでもするからです。而うして日本の現状に訴へて見る時何処よりも先に皆様の如き軍人層にかやうな志士を見出す外ないのであります。そして之に応ずるものは何よりも農民です。日本は由来兵農一致する事によつてのみ日本たり得るのです。この未曾有の危機に於て何よりも先にあらねばならんのは愛国観念であり、同胞精神です。そして之れを最も強烈に抱いておる者は申すまでもなく、皆様方軍人と我々農民の外ないのであります。そして日本をしてこの未曾有の危機より脱出せしめ、更に世界革命の火蓋を切らしむる者は、日本愛国革新の国民的大動行のそれに於て兵農一致する時以外に求めらるゝものでは断じてありません。敢て皆様の深甚なる御考慮と鉄の如き決意をお願ひせざるを得ない所以です。」
 而して、彼は「国民解放策」の第一を「障碍物掃蕩」なりとして次の如く述べる(註五)、
「先づ大掃除です。歴史有つて此方始めての大掃除を予期せねばなりますまい。大和魂なるものは外敵を打払ふ時のものでは決してありません。敵国外患なき時は国反って常に亡ぶのです。敵は外に在るものより内に潜んでおるものこそ数倍、いや数十倍恐る可きものです。獅子は身中の虫によつて倒れます。日本を腐らせ、日本を亡ぼさんとしてをるものは決して外敵ではありません。故に此度はこの日本の最大強敵たる日本身中の虫は徹底的に掃蕩するに少しもの遺憾を残さんやうに注意せねばなりません。この腹さへしっかりきまつてをれば他は多く申す必要はありますまい。各方面その宜しきに従へばいゝでせう。」
 又、「国民解放策」の第二は「内部清算」であるとし、痛烈な口吻を以て叫ぶ(註六)、
「これが最も困難です。革新の大運動は之に破るゝが故にのみ破れるのです。この最困至難の大任を果すものは救国済民の大道をたゞ天意によつてのみ歩み得る真人志士のみです。日本愛国革新に当つては特に此点を皆様に御考へ置き斬はねばなりません。日本愛国革新の本道を歩まんとする場合、たとえ如何なる重要なる立場に立てる人物と雖も、如何なる有為の逸才たりとも大道を売る如きものに対しては立所に一刀両断あるのみです。」
 此の如く彼が語つた対手の聴衆は軍人であつた。本年二月及び五月の事件と思ひ合せて、そのテロリズムの魅惑たるや実に恐るべきものであることを知るのである(註七)。

註一 橘、前掲九一〜九二頁。
註二 前掲巻頭の「檄」。
註三 前掲七八〜七九頁。
註四 前掲八〇〜八一頁。
註五 前掲八一〜八二頁。
註六 前掲八二頁。
註七 農本自治主義実現の手段を明示するものは橘の外にない。他の者は単に理想とする自治社会の建設の必要を強調するにとゞまる。


 農本自治主義の目的とする処は「個人主義的、唯物主義的西洋文明によつて過程する社会過程をして共存共栄的」東洋的精神文明によつて過程する新社会にまで変革し」「愛国同胞主義によつてのみ生み出さるゝ、共存共栄的協同体国民社会を創造組織する」ことである(註一)。橘はこれを「原始村落共産体を大きく引延した協同体完全国民社会」の建設なりと説明してゐる(註二)。この点では共産主義と頗る似通つてゐるが、国民の自治を基礎とすべしと論じて中央集権的な権力的統制を排斥する点に於て共産主義と対立する。寧ろ無政府主義に類似した主張と辞する方が妥当であらう。其の他共産主義と異る点は、農村を、従つて農民を基礎とすること、及び之に基く当然の結果として村落を基礎とする政治組織、経済組織を樹立すべきことを主張すること、等である(註三)。国際主義に関しては、積極的に之を排斥することもなく、さりとて勿論之を主張する訳でもない。棒藤が国家至上主義者に非るは既述の所で明かであるが、長野朗も亦国家社会主義者の如く自給自足経済を主張するものではない(詫四)。併し乍ら、既述の如く国民主義を主張する以上、此の限度に於て国際主義を否認するものと考へるべきであらう。尚、橘はマルクスの唯物史観は全然都市工場だけに通用さる可きものであつて、農村には通用されずとなし(註五)、その階級闘争現に就いても左の如く論じて反対してゐる(註六)。
「最近革新本義を談ずる場合最も困ることは人々が例の革新の階級性なるものに囚はれてしまう事であります。例のマルクスの弁証法的唯物史観によつて説明さるゝ如き社会変革の如き事柄は何処にも実際としてはありませんので、一片取るに足らん空論に外ならんのであります。更に「万国の労働者よ団結せよ」なぞと申した所で問題になつたものではないのであります。特に東洋に取りましては労働者が社会変革改造の原動力として新しき歴史の大回転を来たさしむるが如き事は夢み得べき性質のものではないのでありまして、マルクスの説く所はたゞ英国に於てのみ可能なので、外には何処にも当てはまるものではありません。成程救済され解放されなくてはならないのは国民大衆です。だから結果的形式から見れば被支配的国民大衆の支配群覆滅であり、従つて革新の階級性的形式となるのであります。それを直ちに所謂弁証法的形式を取つて、一つの型にはまつた形式の上に革新が行はれると同時にそれ故に被支配階級に属する大衆を煽動し、暴力行動にまで動員することによつてのみ革新の実が挙げらるゝものゝ如く解釈するやうな事は余り事実を無視した講で、事を誤る事之より大なるはなしと思はねばなりません。歴史社会の実際はマルクスの書いた通りにはこぶべく余りに生きておるし、複雑でもあるし、偶然を許容し過ぎるものです。」

註一 前掲七八頁。
註二 前掲九〇頁。
註三 農本自治主義に基く、政治組織、経済組織の内容は、次の如きものに詳細に述べられてゐる。
    権藤戌卿(『自治民範』五二三頁以下)。橘孝三郎、前掲、(八九頁以下)。長野朗『自治日本の建設』(一三九頁以下)。
註四 長野、前掲、二七〇頁。
註五 橘、前掲、三五頁。
註六 前掲七九〜八○頁。




(八) 中野正剛一派

 中野は民政党から脱退した後、ファッショ的な新政党、所謂「社会国民主義」に基く新党の樹立を画策しつゝあると伝へられてゐるが、尚最近では安達謙蔵一派の新政党に合流するといふ風聞も立てられてゐる。今日のところでは何れに向ふか未だ明瞭ではないが、一応彼の「社会国民主義」なるものゝ理論を検討することにする。
 併し乍ら、彼自ら「我等は児戯に類する理論闘争の末節に興味を持たぬ。従つてイズムを確定して、之に囚はる、ことを好まない」(註一)と云つて居る如く、如何なる主義、政策を抱懐して居るかは明瞭でない。その日本主義を基調とするや、或は社会主義を思念するや等に関しても、未だ之を詳かにするを得ない。併しながら、彼の著書『転換日本の動向』にあらはれた思想は、国民主義を高唱して必ずしも資本主義経済組織を根本的に否認しようとするものではない。一種独特の日本主義と見得る。如上の点よりして、一応並で中野正剛の抱懐する主張を明かにすることにする。
 「社会国民主義」とは何を云ふか。
 中野正剛は、之を説明して曰く、
「自分等の主張と行動とを観測して、強で外からイズムを附けるならはそれはソーシャル・ナショナリズムと云ふべきであらう。日本語にて言ひ現はせば、それは社会国民主義である。社会とは環球[ママ]の上、人類の棲息する所、交通、通信の聯続する所、畢克人類社会を謂ふのである。社会国民主義は広く人類社会を対象とし、之に奉仕し、之を指導し、之を救済し、之を統制するに国民主義を以てせんとするものであつて、終局は世界国家の構成に至つて、其の理想を実現し得るものである。仮想せられたる社会国民党は、日本国内の一政党として、国内社会と国際社会とを、同時に統制せんことを意思するものである。国際社会に働きかくべく、国民主義を高調するものである。」(註二)
と。即ち謂ふ所の「社会国民主義」の理想は、日本主義の拡大発展であつて、日本国民主義を以つて、世界の統制を企図せんとするものであることを知る。
 国家社会主義と社会国民主義とは、次の点に於て区別せられる。
「我国は特殊の歴史と、特殊の環境に即し、統制せられたる国民主義を以て、聡明に闊達に有効に、国際社会に働きかけねばならぬ。国家社会主義により、叢爾たる一小島国を、箱庭的に統制しても、日本の前途は開拓せられない、人類の幸福は増進せられない。社会国民主義は国家社会主義よりは、遙かに多く国際に関心し、遙かに根強く国民主義に立脚するものである。国家を基礎とする社会主義ではなく、社会を対象とする国民主義である。」(註三)。
 日本主義に基く政党は滞蒙に対しては極めて積極、強硬な態度を持する。この点に就いては中野正剛の見解も全く同じである。曰く
「社会国民主義は国際社会を合理的に統制すべく、人種平等、資源公開の原則を、環球の上に確立せんことを要求する。而して現前の実例は満蒙である。併し社会国民主義は在来の帝国主義、資本主義によつて、満蒙を侵略せんとするものでない。満蒙を挙げて日支満鮮諸民族の楽天地とし、之を統制して日本統制経済の範疇の中に収容せんことを意図するものである。」(註四)と。
 議会政治に対する中野正剛の態度は、頗る相対的なものである。
「仮想せられたる『社会国民党』は議会政治に立脚する。併しながら国家が非常の勢を以て躍進する場合と、危急存亡に際会せる場合とには必ずしもデモクラシイの形骸を維持する事は出来ぬ」(註五)と論じ、国を憂ひ、世を憂ふる者は、撥乱反正の際、危急存亡の秋、如何なる手段にも訴へねばならない、と説く。故にファッショ的傾向が多分に匂はされてゐる。
「仮想せられたる『社会国民党』の経済政策は、国際を認識し、国家を認識し、大衆を認識し、生産を、分配を普遍的に認識して、国民主義の下に整調、組織、統制せん」とするものである。
 又、従来の右傾派は国家を思念したが、国家の構成分子として特権階級を偏重して、社会大衆に対する認識が足らなかつたと云ふ理由で、之を斥け、無産諸政党は多くプロレタリアを思念したが、満蒙問題を論じて帝国主義戦争反対を声明するなど、国家と国際とに対して認識を欠いたと批判して、之を支持しない事を明かにしてゐる。
 「社会国民主義」と謂ふ名称が独特のものであるやうに、その主張も亦極めて異彩を放つてゐる事は前述の如くである。所謂既成政党とは大いに趣きを異にし、又以つてファッショ的人物の結合の一として挙げて支障なからう。

註一 中野正剛『転換日本の勤向』七二見。尚中野正則「ソシアルナショナリズムの色彩について」(「改造」昭和七年二月号)も同一論旨を述べてゐる。
註二 前掲 七二頁。
註三 前掲 七二〜七三頁。
註四 前掲 七三頁。
註五 前掲 七五頁。


 元来、中野正剛は杉森孝次郎の思想をその儘継承したものと称せられてゐる。其の杉森の最近の論説を窺ふに、この事はある程度迄肯定し得る。彼は謂ふ(註一)、「日本に取つてはナショナリズムの自覚、周囲の世界に於けるそれへの認識、日本のナショナリズムの意識的及び事実的発展が、絶対的に一つの必要なことであることは争ふの余地はない。日本の満蒙に於ける極度の発達は、日本の自給を可能にする為からしても当然のことである。」「本質的産業力及び本質的政治力は、相当の自然資源及び統治区域を有つべき道徳的理由がある。この点に於て日本の現在の領土は極めて過小である。社会の為に有益にその土地を使用する能力及び意志あるものが、その土地を所有すべきである。この理由に基いて日本は支那に伸びる必要がある。この事業が日本のナシヲナリズムの発達を正当に必要とする。」
 次に彼は経済的統制の必要を説いて、「国民生活に有害な程度に、個人の経済的自由を許すことは正しくない。この見地からして国民全体の正しき発達、利益の幸福を目的として、その為に生産能率をたかむる方法として国内個人の企業的自由を保護すべきである。しかし同じ理由に基いて、その個人の企業的自由が専ら私利に傾き公益を害するに及べば、国家は直ちにこれを禁制する必要がある」と論ずる。即ち、中野の所説と全く相一致する処である。

註一 杉森孝次郎「ファシズムの指導目標」(「国本」昭和七年三月号)三三頁以下。


(ロ) 「国家社会主義」政治団体


 昨秋来のファッショ運動の核心をなしたものは実に国家社会主義運動であつた。満洲事変を契機として、一般の国民意識が昂揚した事が此の種運動の有力なる原因であつたに違ひないが、此の他に尚、無産党側に国家社会主義転向のあつたことは、有力な無産運動者の個人的事情に基因するもの少からずと伝へられてゐる(註一)。蓋し是れ、既存のあらゆる政党政派に対する公私の不満が一時に爆発し、其が国家社会主義運動に結晶し、高潮した国民意識の波に乗つて新党組織の方向へ養進したものと見ることが出来るであらう。
 併しながら、国家社会主義運動そのものは既に数年前より存在してゐたのであつて、即ち高畠素之を首領とする一派の提唱した国家社会主義運動がそれである。その流れは、マルクス主義、レーニン主義謳歌の左翼陣営に依り攪乱され、圧倒され乍らも、尚脈々として今日に及んで居たのであつた。今日、国家社会主義運動の陣野で大いに活躍してゐる津久井竜雄、石川準十郎等は此の流れを汲む者に外ならない。されば、国家社会主義運動を唱へる者は殆ど皆高畠の影響を受けて居ると見ることが出来る。赤松克麿の如きすらその所論には多分に高畠の影響を受けてゐる事を看取し得る。高畠の理論中、最も精彩を放つて居るのは国家論である。今日の国家社会主義の理論は、高畠の国家論を更に科学的に発展せしめ、之に国際主義と国家主義とを実証的に比較検討して得た結論を附加したに過ぎないと云ひ得る。
 国家社会主義を説く分子は種々雄多であつて、其の中には或は従来右翼と目されて居た者もあり、或は又極左から転向して来たものもある。従つて、その理論中には、未だ不明確な点、矛盾する箇所等が尠からず存し、其が統一され体系化されるまでには尚相当の時日を要するものと思はれる。
 国家社会主義を唱導する者は、之を日本主義を主張する者に対比すると、前者は思想的重点を社会主義に置き、国家主義はむしろ第二次的地位を占むる如く思はれる点に著しい差異を存する。而して、同じ国家社会主義を主張する者の中にも、国家至上主義派と然らざるものとの二潮流が存在する。大体に於て、下中一派は前者に属し、赤松一派は後者に属する。
 飜つて、国家社会主義運動の発端を窺ふに、其は昭和六年九月の日本社会主義研究所の創立に依つて初めて具体化せられたものと言ふことが出来る。続いて下中弥三郎等の日本国民社会党樹立の運動が現れたが、其の運動が準備会の形式にまで辿りついたのは漸く本年一月十七日であつた。尚又之と別途に赤松克麿を中心として社会民衆党の国家社会主義転向が企てられたが、其は本年四月十五日に至つて遂に社会民衆党の分裂と為り、赤松一派は国家社会主義新党準備会を結成した。其の後日本国民社会党準備会と国家社会主義新党準備会とは全国労農大衆党を脱退した大矢省三、望月源治等の一派と合流して「国民日本党」の名の下に単一国家社会主義政党を結成せんとしたが、五月廿九日の結党式当日に至つて遂に其の合一ならずして、下中一派は「新日本国民同盟」を組織し、又赤松沢は望月等と共に「日本国家社会党」を組織した。かくて国家社会主義の陣営は完全に二流に分れ対立することになつた。結党までに約半歳を費し、而も単一政党樹立の不成功に終つた根本原因はその指導理論に幾多の矛盾不一致が存在してゐた筈である。次の新日本国民同盟の声明書は其の間の事情を裏書してゐるものである。
「(前略)不幸にしてこれ等社会民主主義の転向派がその心事においてもその思想においても依然として従来のエセ無産党的旧態を脱し得ざるの事実を発見し、これ等の諸勢カと損携することの無意義を痛感したるを以て、この種エセ無産党的語勢カを基調として新党を組織するの意図を全く断念し云々」と。

註一 報知新開(昭和七年五月三十日)紙上には「両派・分裂は必然」と題して次の如き記事が載せられてゐる。
「旋風の如く巻き起つたファッショの嵐に乗じ、一部から和製ヒヒットラー党としての将来を期待された国民日本党は結党間際になつて真二つに分裂してしまつた。時勢に敏感な智将赤松克麿氏が満蒙事変が起ると共に社会民主々義を弊履の如く捨て去り、国家主義と社会主義とを結びつけた国家社会主義の新旗旆の下に社民党の分裂、大衆党の動揺、国民社会党との握手等々その活動ははたで見る目もめざましかつたが、土壇場になつてアッサリ投げを打たれた形だ。脱退した下中氏の総聯合、愛国勤労党など『新日本国民同盟』側は分裂理由として、
一、朋党的策謀をたくましうしたこと
二、百二十六名の党務員を赤松派が独占し、その承認を強要したこと
三、立党の精神を没却したこと
などをあげて罪を赤松派になすり、一方『日本国家社会党』側は
一、国民日本党という党名や綱領、主張などはほとんど下中沢の原案を譲歩採用したこと
二、役員の振当ては八対六の割合にまで譲歩したのに彼等はあくまで五対五の比率を主張した
と分裂の罪を下中派になすりつけてゐる。だが罪はいづれにあるにせよもともと階級的な立場に立脚した社会主義的主張と階級闘争否定の上に立つ国家主義とが理論は兎に角として実践上、充分に結びつき得るや否や。分裂の根本原因はこゝに存すると見られてゐる。この根本原因が除去されぬ限り国家社会主義党の将来は分裂を繰返すだらう。(下略)」




(一) 新日本国民同盟一派


 新日本国民同盟の前身、日本国民社会党準備会が結党式を挙行したのは本年一月十七日であつた。其の後、同準備会の幹部其の他の中心分子によつて一般青年獲得の目的を以て国民青年同盟が設立された。新日本国民同盟として結成せられたのは本年五月廿九日のことである。
 其の支持団体は、過般全国労農大衆党を脱退した組合員二万二千余を擁するといふ日本労働組合総聯合、愛国勤労党、逓信従業員会等である。又其の主なる構成分子は委員長下中弥三郎、書記長佐々井一見、相談役島中雄三へ赤松沢と分離して新日本国民同盟に加入す)、中央常任委員天野辰夫、中谷武せ、高山久蔵、坂本孝三郎、近藤栄蔵、神永文三、神田兵三等である。斯くの如く、構成分子よりみる時は、新日本国民同盟は色彩頗る雑多で、左右の分子が一堂に雑居するの観がある。
 綱領、政策等は未だ明かでない故、仮りに日本国民社会党準備会の綱領等の草案を示せば次の如くである。
         党   誓

  我等は建国の本義に基き搾取なき新日本の建設を誓ふ

         綱   領

一、我等は行動的国民運動により天皇政治の徹底を期す
一、我等は資本主義機構を打破し国家統制経済の実現を期す
一、我等は人種平等資源衡平の原則の上に新世界秩序の創建を期す

         信   条

一、至誠一貫、信義を以て相結ぶべし
一、行動に当りて勇猛果敢なるべし
一、任務に忠実に、命令服従は絶対なるべし

政策要項中、特色あるものを掲げれば次の如し。
一、天皇政治の下に司法行政立法の独立を明確にしその網域を紊す一切の党派政治を排撃す
二、満二十歳以上の男女に参政権を与へ一切の制限的選拳法を廃す
三、議会は比例代表制に拠る地区代表及び職業代表を以て構成し、その議員数割合は地区代表三、職業代表七とす
四、貴族院は之を廃す
七、資本家本位の現存諸法令は之を廃す(以上立法)
十三、私有財産は之を国法に依つて制限し超過額は国家之を没収す
二〇、俸給令を改め所得の階級的差別を能ふ限り縮少す(以上財政)
二二、国家統制の経済秩序を主位に置き個人の自由経済秩序を副位に置く
二五、大規模工業は総て之を国営とす
二八、米麦其の他の主要穀類塩砂糖製粉肥料等は之を国営専売とす
二九、貿易は之を国家に於て管理す(以上産業)
三〇、銀行信託及び保険等は総て之を国営とす(以上金融)
三四、土地国有の原則を確立す(以上土地)
三八、賃金制度の漸次的廃止に努む
四二、労働者をして産業の管理に参加せしむ(以上労働)
四七、国際聯盟を脱退し征服者本位ならざる世界平和聯盟の実現に努む
四八、東洋諸民族の発展に寄与し強力なる亜細亜聯盟の達成を尽す
四九、海外同胞の生存権を確保す
五〇、国家統制経済の確立に必要なる海外資源の利用権を確保す
五一、民族自治権の確立を期す(以上外交)

 右の政策に表現された思想は極めて急進的であつた、其は社会主義政策を遺憾なく示して居る。
 国家主義の主張は、綱領の第二、及び政策の一、四七、四八、四九、五〇、五一の各項に示されてゐる。
 反義会主義的主張は、政策一、三に極めて明瞭に示され、独裁主義を標榜してゐる。
 又反共産主義的思想は、政策一、四八、五〇等により窺はれる。
 社会主義政策に至つては、殆ど共産党の主張と異る処なく、其は徹底的に資本主義経済組織を打倒し、私有財産制度を否認するに近い。
 然らば、その政策の根拠をなす理論は如何と云ふに組織的な理論がまだ発表せられてゐないのみならず、構成分子の所説は可成りの懸隔をさへ示してゐる。
 最も右翼的なるは愛国勤労党系の分子の就く所であつて、日本主義的色彩が頗る濃厚である。されば、彼等にあつては、国家主義が、その思想の根本基調をなし、社会主義的思想は第二位に置かれて居る如く観察される。試みに、愛国勤労党の神永文三が、日本国民社会党準備会に参加した理由として挙げてゐるところを見るに(註一)、
 第一に、国民の党である事。 − 「これは階級主義の党ではないといふ事を示す」「我々の運動は、国家主義の運動であるが、単なる国家主義でなく、この日本国家に熱愛を捧げる愛国の運動であると共に、また単なる大衆利害の運動でなく、来るべき日本社会に於て大衆は如何にその社会に奉仕すべきかを明確に把握せる運動である。」「愛国勤労党は、素より非階級主義の党である。(中略)事実に於て資本家と労働者は抗争しなければならないが、階級利害の闘争を以て一般原理とする事に反対する。我等の闘争は利害闘争でなく、理想の戦ひであり、善悪の闘争でなければならぬと主張する。」
 第二に、反資本主義の党であること。− 「然し、愛国勤労党には独自の見地がある。(中略)愛国主義者が資本主義を打破せねばならぬと決心する理由は、それが国家の害毒だからである。目的は国家にある。資本主義打破は国家救済のための外科手術だ。」
 第三に、単なる議会主義の党に非ざること− 「愛国勤労党は最初から議会主義排撃である。議会主義で目的を達成しようなどゝは余りにも明白なタワケ事であり、同時に議会主義はダラ幹を発生させ党員を腑抜けにする。」

註一 神永文三「愛国勤労主義と日本国民社会党の目的」(「社会運動往来」昭和七年四月号、二二〜二五頁)。

 又、同派の鹿子木員信は、「新日本主義の理想」として第一に「愛国至上主義」を掲げて、之に関し次の如く述べてゐる(註一)、
「明日の吾々の最高指導原理は明かにこの愛国の精神であらねばならぬ。・・・即ち「国の愛」が私共の凡ての行動を律し導くものでなければならぬ。故に「国の愛」によつて、即ち愛国の精神によつて営まるゝ「愛の国」が実現する。而してこのことは独り日本歴史の発展を尋ねることによつてのみ、私共が自ら会得するところのものである。のみならず進んで私共の国体、私共の心の根の根本に立還るとき、当然負はなければならぬ命令として現れて来るのである。といふのは、吾々の国体、それは一に天皇を真つ只中に擁し奉るといふことであるからである」と。
 又資本主義に就いては「元来資本主義といふものは、先にも述べたやうに自由主義精神の間から生まれて来たものである。ところが実際に於て資本主義は人間の労力を古の専制君主が奴隷に対するやうに駆使しようとする。だが、資本主義はその本来の立場から人間を奴隷視する事が出来ぬ関係にあるため、人間の労力を手段として見ようとする傾きがある。而も資本主義発生の淵源をなせる自由の精神は手段として人間を駆使すべきでなく、目的としてこれを見上げねばならぬことを教へてゐる。茲に於て自ら人間の労力といふものが、資本主義に対して反抗の態度を採らざるを得ない。而してその資本主義の横暴に対する反抗、反噬の態度を極度に迄進めて行つたものが、マルクスの国際的共産主義である。」と論じ、マルクス主義発生の理由を明かにした後、「マルクスの描き出せる現代社会の世相はあたらざるところなしとせぬ。無論(中略)人間の心と云ふものは、決してマルクスの見たやうに、単なる経済的心、即ち単なる物慾によつて出来て居るものではない。その他に幾多のより崇高なる、より有難き心が厳存するのである。従つてこの物慾万能の現代に於ても、これを細く見て来ると物慾以外により有難き行ひ、心といふものが常に貫徹して居るのである。従つて現代の如き物慾万能経済万能、資本全盛の時代に於ても、これを細く部分的に見て来ると、決してマルクス主義の茲に描き出せるが如き、上下交々利を制せんとする社会ではない。」とマルクス主義を批判し、結論に於て、資本主義、共産主義を共に否定する(註二)。
 然らば資本主義を否定して何を提唱するかといふに、其の間の事情はこの著書では明かでない。彼の所論には斯の如く至る所に神秘的な薄靄が漂つてゐる。されば青野季吉は彼を評して云ふ、「氏の指導精神は空虚な理想主義的の心情以外のものではない。」と(註三)。

註一 鹿子木員信『新日本主義と歴史哲学』一二八〜一二九頁。
註二 前掲、一二三〜一二五頁。
註三 青野季吉「ファッショの波頭に躍る人々(「中央公論」昭和七年春季特輯号、一六六頁)。


 同じ愛国勤労党に所属する者の中で、やゝ理論的なのは中谷武世である。しかしながら、その謂ふ所の国民主義は赤松克麿等のそれと著しい対照を示してゐる。
 「国民主義とは何ぞや」の問に答へて彼は云ふ(註一)、
「国民主義の意義を最も端的に規定すれは、国民主義は一は国際主義に対し、一は階級主義に対立する。世界国家主義に対する民族国家主義がその一面であり、階級専制主義に対する国民全体主義が他の一面である」と。
 国民主義と社会主義とが相容れざるものであると詮ずる所に、彼の日本主義的な社会主義理論の根拠がある。そして、それはまた、マルクス主義に基礎を置く国家社会主義と根本的に相異する点が存する。
「国民主義はそれぞれの民族的特殊性の絶対と民族闘争、国家闘争の必然性並に恒久性を確信し、その各々の民族国家の発展と膨脹とを以て最大最上の思念とする。日本国民主義科学者としては、日本民族、日本国家の繁栄と発展と膨脹とこそが最大且唯一的念願なのである。而して国民主義がインターナショナルを排せんとするは、単にナショナルを階梯とせざるインターナショナルは一の空想なるが故にといふのではない。ナショナルを通じてインターナショナルへと云ふのではない。国際主義、世界主義を理想としつゝ、その道程としてのみ国民主義の価値を認むべしとするのでは決してない、ナショナルはそれ自身に於て理想である。私の見解にて誤なくば、民族社会、国民社会は人類の共同生活の最高且つ最後の単位である。成る程、民族社会が部族社会となり、部族社会が種族社会となり、種族社会が国民社会となつた過程より推して、国民社会は今一範囲大なる世界社会、人類社会に発展すべく見えるが、然も民族が拡大して部族となり、種族が混融して民族となつた如くに、将来民族の劃線が除かれて渾然たる汎世界的人類社会が出現すべしとする程非科学的な類推はない。(中略)民族国家が一切の共同生活の最強の紐帯であり、民族国家が一切の社会生活の最大の単位である。それ以上の結合は必ず常に諸民族の結合、民族を単位としての結合である。将来如何なる形式の世界組織が構成されようとも、それは常に諸民族諸国民の聯珠である。民族ならぬ個人個人の汎世界的集合では断じてあり得ない。それぞれに特殊なる自然的結合と長い世紀の歴史的伝統の結晶が民族である。組合せは如何ともあれ民族の結合を壊すことは不可能である。従つて、民族主義、国民主義を以て国際主義、世界主義への過渡的道程とする思想は矢張り一種の国際主義の変形であつて、空想的、非現実的なるに於て国際主義一般と同断である。」(註二)
 と。中谷は民族的結合があらゆる結合の基礎である所以を力説する。然るに、彼は国際主義を以て、民族的結合を解消せしめんとするものなりと解して、これを攻撃するに急なる余り、所謂国際主義が世界単一経済を目標とするものである点を見落したが、之に対する批判を全然試みて居ない。従つて、続いて彼は赤松の所説を駁撃して居るが、それは的を通したものと云はなければなるまい。
 次に、彼は国民主義が階級主義に対立する所以を説明して謂ふ(詮三)、
「国民主義は徹頭徹尾、国家第一主義であり、国民全体主義である。国民全体の繁栄興隆が目標であり、階級的利害の確保または伸張を意味するものではない。従つて階級的独裁を否認し、階級闘争を否定する。共産主義、社会民主主義は他の点に於て如何なる本質的または程度的相違あるにせよ、階級分裂主義であり、階級闘争主義であり、階級独裁主義なるに於て軌を一にして居る。その内容よりいへば社会主義は階級主義の別語である。国民主義と社会主義の主要なる分岐点の一は実に此処に在る。(中略)但しこゝに注意を要するは、反階級主義を強調することは決して特権階級擁護を意味しないことである。国民主義は、プロレタリアの階級的独裁を排すると同時に、ブルジョアの階級的専制を排する。(中略)国民主義の目標は如何なる意味、如何なる場合に於ても終始、国家であり、国民全体であるからである。」「従つて社会主義より国民主義への転向といへば、階級主義の棄却を以てその重要なる前提条件とせねばならぬ」
と強調し、赤松克麿及び雑誌「日本社会主義」一派の見解に一矢酬いてゐる(註四)。
 一言にして云へば、中谷は其信ずる「日本国民主義と、階級主義、国際主義に立つ社会主義とは到底相容れない」と云ふ見解を主張するのである。

   註一 中谷武世「国民主義と社会主義の問題」(「祖国」昭和七年二月号、三十三頁)。
   註二 前掲、三三〜三四頁。
   註三 前掲、三四〜三五頁。
   註四 津久井竜雄は「日本社会主義」昭和六年十二月号誌上の「国家の本質と国防の意義」と題する論文に於て、国民主義と階級とは両立し得るものであるとなし、中谷の「日本新聞」(昭和六年十一月二日発行)紙上の論文を反駁してゐる。
       然し、津久井は、彼の階級観と、マルクスの階級観とは若干相違すると云つてゐる。これは後述する。


 更に、中谷は、別箇の論文に於て、国民社会主義が、国際主義と階級闘争主義とを内包せざるものとせば、其は一種の社会主義なる事を容認し、尚又国民主義が超個人主義、反個人主義なる以上、「国民社会主義は、経済的原則としては当然に反自由主義反資本主義であり、全体主義的統制経済を主張する」ものであるとする(証一)。
 又、反議会主義に於いては、国民主義が反個人主義、反自由主義なる以上、民主主義、議会主義は当然に放棄さるべきものであるとなして反議会主義の態度をとり、「国民主義を以て資本主義及びデモクラシイと不可分なるものゝ如くに考ふることは、国民主義の本筋只に対する認識に於て欠くるところあるが故に外ならない。而して、国民主義の内容としての反資本主義乃至反義会主義を、具体的に如何に制度化するかに関しては、その各自の国家の特殊の、且つその時現在の事情に即して決定せらるべきものである」と述べてゐる(証二)。

   註一 中谷武世「国民社会主義の考察附社会思想と軍隊」一一頁。
   註二 前掲十三頁。


 国家至上主義、反階級主義等の点に於て中谷武世と略々同じ理論を抱懐する者は林癸未夫である。(彼は新日本国民同盟に参加するものに非ざるも、其の理論的立場がこの同盟に加入せる者と共通する点多きを以つて、便宜上並でその立場を検討する。)
 林は、ファッシズムの本質を論じて、その政治原理は中央集権的乃至専制的なものであり、経済政策は所謂計画経済主義或は高度の干渉主義の下に於ける統制主義を実現せんとするものであると規定し、「新日本の政治形態は当然ファッシズムでなくてはならない。(中略)そして次に来るべき新日本の政治内容は当然に国家社会主義でなくてはならぬ」と論じて、国家社会主義を唱へると共に自己の主張がファッシズムなることを自ら肯定してゐる(註一)。又、彼は最近『国家社会主義原理』と題する三百二十頁余の著書を公にして、国家社会主義を理論的に体系化せんと試みた。その最も特色あるものと認めらるるは、国家社会主義の理論的基礎として「綜合弁証法」を提唱してゐることである。
 所謂綜合弁証法とは観念論的弁証法と唯物弁証法とを綜合した弁証法を意味する。これに関して彼は次の如くに論述してゐる(註二)。
「私は既述の如く社会が弁証法的に発展することを信ずるものであるが、併しその発展は特殊の何者にも支配されるものではなく、一全体としての社会が、その中に発生するところの矛盾とその揚棄とによつて行はれるのである。国家の如き本然社会に於て殊にさうである。吾々の生みの親でもあり、育ての親でもある本然社会は、吾々の全生活の本拠であつて、吾々がその中に生存する所以のものは、独り経済関係に於てのみならず、道徳、宗教、思想、感情、其の他あらゆる伝統や文化の紐帯によつて生ずる諾関係に於て結合されてゐるからである。そして之等の諾関係は常に相互に影響し、交互に因となり果となつて綜合的に社会諸制度を進化発展せしめるのである。
 然らばその進化発展の契機は何であるか。私はそれを人間の諸本能であると言ふ。意識的動物としての人間は常により良き生活を求めて停止するところを知らない。(中略)
 かくの如き本能を有する多数人の結合から成るものが社会である、一層正確に言へば、さういふ社会に生れて来るものが個人である。だから個人は一応既存の社会諸制度の許す範囲内に於て自己の本能を満たすほかはない地位におかれるのであるが、併しその既存の諸制度の下に於ては十分自己の或本能を満たし難いことを発見するに及んで、吾々はその制度の変革を欲求するのである。そしてその欲求を実現すべき努力を開始する。だがこの努力が成功するや否やは常に他の諸制度によつて条件づけられる。例へば経済制度を変革しようとしても法律制度がこれを妨げることもあれば、道徳制度を変革しようとしても宗教制度がこれを妨げることもあらう。否もつと適切に言へば、之等の制度そのものが本来概念的に差別し得るだけであつて、実は一全体としての社会に綜合され、常に相互影響の下に成立してをるのであるから、他の諸制度と没交渉に或一制度だけを切り離して変革することが不可能なのである。(中略)社会諸制度は綜合的に変革されなければならぬ。そしてこの変革の契機となるものは人間の本能である。」

 彼は史的唯物論が経済関係があらゆる社会関係の基礎となると主張する点を排斥して、すべての社会関係は平等の地位に立つと規定する。従つて社会進化の動因が生産諸力と生産諸関係との矛盾に存在することを否定し、之を本能即ち一種の観念に求めるのである。
「惟ふに吾々人間は自然的物質的存在であると同時に意識的観念的存在である。だから吾々は自然的物質的存在としては、その普遍的法則から離脱することはできないが、併し意識的観念的存在としては、特定の目的表象を有し且それによつて自己の生活を創造し規律して行くことができるのである」(註三)。
「要するに綜合弁証法によつてのみ社会の発展を正当に理論づけることができる。それは社会発展の原動力を生産乃至経済関係のみにおく唯物史観を否定し、経済と政治、法律、道徳、思想、感情等の相互関係、相互影響によつて社会の発展が促進され、その全体の発展と共に、部分も亦発展し、部分の発展と共に全部も亦発展することを確認しょうとするものである。私の所謂統一史観とは即ちそれである」(註四)。
 所謂綜合弁証法と国家社会主義との関係に就いて彼は次の如く述べてゐる(註五)。
「民主主義は資本主義と結合すること余りに密接なるがゆゑに、経済的支配者が同時に政治的支配者たる事実を除去するに無力であり、又共産主義は暴力的革命手戯を尊重すること余りに大なるがゆゑに、無産階級的特権が有産階級的利益の排除に止まらずして、国民全体としての共通利益をも破壊する結果に陥り易い。然るに国家社会主義はいかなる意味に於ても階級的特権、階級的利益を排斥し、超階級的政治形態によつて、全国民的利益のみを追求しょうとするものである。国家の超階級性を確立し、法的統制を通じて国家を名実共に渾然たる一国民社会たらしめようとするものが国家社会主義である。この意味に於て国家社会主義は一つの弁証法的統一である。」
 彼によれば、国家社会主義は「資本と労働との階級的対立を統一」し、「国民道徳と階級道徳との矛盾を揚棄」し、又「政治や科学や芸術を完全に倫理化し得る唯一の途」であるのである。
「吾々は社会学的法則として、国家社会主義の実現を弁証法的必然であるとは考へるが、併しそれが唯物史観の記明するやうに、資本主義的生産方法の自己崩壊作用から自然に生まれて来るものとは信じない。吾々が資本主義を以て不正義なりとし、経済と政治と文化とを倫理化しようとする熱烈なる欲求が、それを可能ならしむる客観的諸条件と契合する時に、初めて国家社会主義を確立せしめ得るものと信ずるのである」(註六)。

  註一 林癸未夫「ファッシズムの本質と日本の将来」(「国本」昭和七年三月号、三二〜三三頁)。
  註二 林癸未夫『国家社会主義原理』二九七〜三〇〇頁。
  註三 前掲 三〇六頁。
  註四 前掲 三一一頁。
  註五 前掲 三一三〜三一四頁。
  註六 前捲 三二〇頁。


 林は、国家論としては一元的国家論を採り、国家が本然社会たることを認め、且それが人間の社会生活に対する最高の統制力たることを肯定する。そして国家を以て「至高完全の社会形態」となし、人間は国家の一員たることによつて真に倫理的であり、自由であり、幸福であり得ることを承認する(註一)。されば彼は国家主義の立場より社会主義を主張してゐる。彼は国家主義に関して次の如く云ふ(註二)。
「それは(国家主義は)要するに国家至上主義、国家第一主義である。個人の全生活は国家に依存する。より善き国家に於てのみ個人はより善くあり得る。国内の諸社会も固より同様である。だから全国民は何よりも先づ国家に奉仕し、国家のために協働し、国家の福利を増進すべきであつて、あらゆる個人的欲望、階級的利益は国家の下位におかれ、従つて国家の必要のためには何時にても犠牲に供する覚悟がなくてはならぬ。国民の政治的、経済的、道徳的、学術的の諾活動は、個人のためでなく、階級のためでなく、他のすべての集団のためでなく、ただ国家のために、国家を本位として行はるべきである。これが即ち国家主義のイデオロギーである。」
 かゝる国家主義を基礎とする国家社会主義とは如何なるものであるか。
「国家社会主義は国家が国家の目的を遂行するために取るところの手段である。そしてその目的は国家がその理想を達成するための一階段として必要とするところの当為である。国家の理想は既述の如く、最高完全なる文化を保有する協働的本然社会としての画家を建設することにある。そして国家がこの理想を達成するがためには、全国民の道徳及理智が完全に発達し、その奉仕力が最高度に充実し、国民的協働が遺憾なく行はれることを必要条件とする。然るに(中略)資本主義とその必然の結果たる有産無産両階級の対立及闘争は右の必要条件を充たすために多大の障害をなすものであるから、国家はこの障害を除き、その理想に向て前進すべき道程を清めるために、資本主義を撤廃し、搾取の弊害を排除し、階級闘争を根絶する目的を以て、社会主義を実施しようとするのである」(註三)。
 されば、国家社会主義は当然に「階級主義」を否定する。
「国家(社会)主義は同時に又階級主義を否定するものである。マルキシズムの基本的原理は言ふまでもなく階級主義であつて唯物史観といひ、階級国家論といひ、無産階級独裁といひ、すべて階級本位、階級中心の理論である。それは無産階級の福利のみを第一義的のものと看做し、無産階級以外の多数者をも抱擁する国民全体の福利は殆どこれを眼中におかない。(中略)これ国家社会主義が到底共産主義と相容れない所以である」(証四)。
 彼は階級の存在を容認する。マルクス主義に於ては階級無き社会建設の目的を以て階級闘争を主張し、階級独裁を強調する。然るに林は、階級独裁を排斥し、全国民的政治組織を提唱しつゝ(註五)、他方に於て階級闘争の必然性を肯定する(註六)。彼はいふ(註七)。
「『共産党宣言』に所謂『過去の一切の歴史は階級闘争の歴史であつた』といふ命題は誇張に失するとしても、いやしくも階級の対立するところ必ず闘争を惹起することは免かれ難い必然である。」
と。而して彼は階級闘争の緩和策として採用される社会政策の無力なるのみならず、却つて階級闘争を激発拡大するに過ぎざることを指摘して、資本主義の廃止こそ唯一の救済手段であると力説する。しかしながら、現実の階級闘争と国家社会主義実現に至るまでの間との関係に就ては何等述べるところがない。国家社会主義運動に於て階級闘争を如何に取扱ふべきか、若し全国民運動の形式をとれば現実の階級闘争と如何に調和せしむべきか、等の問題に関しては少しも触れてゐないのである。

   註一 前掲  三三〜四一頁参照。
   註二 前掲  九七〜九八頁。
   註三 前掲 一九三〜一九四頁。
   註四 前掲 一九九〜二〇〇頁。
   註五 前掲 二三七頁。
   註六 前掲 一八五〜一九二頁。
   註七 前掲 一八七〜一八八頁。

 林が「国家社会主義の内容」として、即ち其の社会主義の目的として挙げてゐるものは結局次の如き詔項目に要約される(註一)。
(一) 私有資本は原則としてこれを公有に移すべきこと。(こゝに所謂資本とは生産手段のみにあらずして、営利手段としての貨幣又は有価物の一切を指す。)
(二) 土地はその用途の如何に拘らず原則として全部これを国有となすべきこと。
(三) 産業、貿易を全国的に統制すべきこと。
(四) 教育の機会を均等にすべきこと。
 国家社会主義と私有財産制度との関係に就いては、左の如く論ずる(註ニ)。
「国家社会主義は私有財産制度の全廃を主張するものではない。それは原則として土地及資本の公有を要求するに止まるものであるから、個人直接の生活資料は固より、非営利的勤労手段例へば軽少なる農具、工具、職務上必要なる図書、什器、その他個人的慰安娯楽用品の如きは依然私有を許さるべきである。但それ等の私有財産が各自に取りて必要なる限度を超過すべからざること、又たとひ必要の限度以内であつても、他人がヨリ多くそれを必要とするやうな場合に於ては、これに適当の制限が加へられるであらう。」

   註一 前掲 二〇〇〜ニ一二頁参照。
   証二 前掲 二一二頁。


 此等の者の間にあつて、最も左翼的な思想をもつて居る者は日本労働組合総聯合の指導者近藤栄蔵である。彼の見解にはマルクス主義の匂ひが頗る強い。現に、彼は社会主義建設の為に愛国主義を利用すべき事を公然と説いて居る。即ち彼は云ふ(註一)、「左翼の諸君が愛国なる言葉の前に眼をむくのも、資本主義に奉仕する無批判的、盲目的、付和雷同的愛国に反対する意味なのだらう。それならば全く同感だが、それだけの事で、この偉大なる大衆的武器を全く放棄して顧みない現下の左翼運動の幼稚さにはあきれる。かゝる好個の武器を吾々が手離すが故にこそ、敵がそれを利用してしまふのだ。(中略)日本の現政界は、ロシアにおける二重政治時代(一九一七年二月革命以後十月革命に至るまでのブルジョア政治時代)の如き一種の動揺性を示してゐる。(中略)そこで、この動揺期に当つて、誰れが愛国の波に乗るかによつて、天下の事は定まるのではあるまいか」と。以て彼の国家社会主義転向の立場を知るに足る。

  註一 近藤栄蔵「出直した無産党の動向」(「日本社会主義」昭和三年七月号、五〜六頁)。

 近藤栄蔵は、国家社会主義政党を提唱する根拠を、第一に、既成無産党の無力化に求める。即ち「社会民主主義が日本の現在に於て既に時代おくれであることについては、多言を要しないであらう。ブルジョア議会内に無産階級の代表者が多数を占めることによつて、その他之に類する『漸進的』手段を通じて、無産階級勢力が徐々にブルジョア階級を圧して終に社会主義を現世に実現せしめんとする社会民主主義が、過去に属する一つのユートビアに過ぎないことは今日においては余りにも明白な事実である」(註一)、と論じて、「社会民衆党の没落」を断定し、又全国労農大衆党を評して「共同戦線党は、分裂主義『福本イズム』に対する反撥運動として起り、日本無産階級組織の『小さい破片』までを兎にも角にも拾ひ集めて保存した点において功績は充分に認められるが、その存在意義は正に此処に止まり、プロレタリア階級が更らに政治的一大飛躍を遂げねばならぬ現在の時期に当面しては、その本質並に組織の欠陥上全く無力化されて、これも亦廃物の域に入つた」(註二)となす。日本共産党に対する彼の見解を窺ふときは、彼の国家社会主義転向の理由、立場を最も明瞭に暗示するものがある。彼は云ふ「共産主義そのものについては、日本の自覚せるプロレタリアは既に一定の意見をもつてゐる。彼等は自らの階級的常識によつて事を判断して、共産主義に対しても何等恐怖を感ずることもなければ、またそれを何等か非常に珍らしい舶来品だとも思つてはゐない。労働者にとつては、共産主義は一つの階級的理想である。だが、共産党となると問題は自ら異なる。」「ただ吾々が此際判然と決定せねばならぬことは、現在の日本における政権獲得運動上における現状の如き日本共産党の価値である。日本共産党が現在における悪質の構成から全く脱出し得て、自らが公言する如く真にプロレタリア階級の組織運動に役立つ為めには、日本の一般的政治状勢そのものに根本的一大変化を必要とするであらう」(註三)と。そして「共産党は目下のところ問題とならない」(註四)と云ふのが、共産党を見捨てた最大の理由である。

   註一 近藤栄蔵「無産党出直すべし」一四頁。
   註二 前掲一九頁。
   註三 前掲一六〜一八頁。
   註四 前掲一九頁。


 彼の国家社会主義政党提唱の第二の根拠をなすものは「一国内社会主義実現の可能性」である。彼はロシア革命の実例を挙げ、ソヴエート・ロシアの現状は一国内社会主義の建設に向つて進みつゝある事を示し、之を具体的論拠として、日本に於てもその可能性ある事を認めてゐる(註一)。尤も彼は、その前提条件として満蒙権益の確保を挙げてゐる。「勿論日本における社会主義経済は、現資本主義経済が搾取し利用しつゝあるところの海外資源、例へば満洲の鉄及び石炭、アメリカ及び印度の綿等々を必要とするであらう。この経済関係は論ずるまでもない事であつて、一国内社会主義の建設が自給自足を目指して進むものだとは云へ、無から有を産する事は出来ないのであるから、一定度の必要資源を海外に仰がなければならない場合は在り得る。この意味に於ては、社会主義日本といへども『満蒙の権益』は確保せねばなるまい」(註二)。
 更にこの満蒙確保を社会主義の立場より基礎づけて曰く、「今日においてこそ、即ち資本主義的搾取の下においてこそ、満蒙資源の壟断は経済的不正であり、政治的罪悪であるとして指摘せられるが、社会主義の下において、全く新たな経済及び政治関係が生れると共に、かゝる問題は完全に解決せられるであらうことに疑ひはない」(証三)と。この辺の説明はやゝ明確を欠く感が無きにしもあらずである。

   註一 前掲 二四〜二五頁。
   註二 前掲 二三頁。
   註三 前掲 二三頁。


 兎もあれ、如上の近藤の主張より、彼が国民主義、反国際主義の立場に立つ事を知り得る。然し彼に於ては、社会主義の実現が第一の目的であつて、国民主義は第二次的目的、或は社会主義実現の単なる方便に過ぎないと思はれる点が頗る多い。彼は国民主義主張の根拠をロシア革命当時の客観的状勢の分析批判に求める。即ち彼の考に依れば、ロシア革命は世界大戦といふ特殊的な状勢の下に於て遂行されたので、外国の圧迫があつた上に、国内の資本主義的勢力も海外の資本主義の力を藉りて革命に対抗して立つた関係上、国内の社会主義的勢力も亦海外の反資本主義的勢力に呼びかけなければならなかつたといふ。即ち共産党がプロレタリアの国際聯帯主義を強調し、「永久革命論」を高唱したのも、かゝる理由に基くと云ふのである。しかるに、ロシアの新政治制度が確立され、客観的情勢がソヴエート・ロシアにとつて楽観的なものになると共に、その社会主義政策も変化し、一国内社会主義実現政策がとられた。斯の如く国際主義がとられたのは革命当時の四囲の状勢が然らしめた事は明かである。如何なる段階を経て資本主義から社会主義への変遷が行はるべきかは、その時の情勢によつて定まる。現在は当時と事情を異にする。されば、国際主義は廃棄されねばならない。更に又「かゝる立場に立つ当然の結果として、吾々の政策は在来の公式的『階級政策』から蝉脱して、少数大資本家、及び大地主を排除した以外の国民全般に訴へるところの国民政策となる。それは必然に、無産階級民の生活を保障するに止まらず、中産階級の利益をも擁護して、少数の大資本家及び、大地主を孤立に陥れることを以て目的とする。それは私有財産制度を全的に否認するものではなくして、たゞそれに制限を加へる。それは結局において搾取制度の廃絶を期するものではあるが、変革の段階的過程を認め、調節的法規によつて社会的不正を最少限度に止める。それは又、国家的規模における新社会の建設なるが故に、外交並に国防関係においても国家的性質を現はす」といふ(註一)。それ故に、彼が私案として提出せる政綱政策は日本国民社会党のそれよりも穏健なものである(註二)。
 尚、彼は政権獲得の方法として、「党自からによる政権の掌握」を説く。そして直接的に暗示的に大衆行動によつてこれを実現すること、議会主義政党に非ざることを示唆するハ(註三)。

   註一 前掲 二七頁。
   註二 前掲 五二頁以下参照。
   註三 前掲 三八−四〇頁参照。

 日本国民社会党準備会に所属する者には如上の通り雑多な分子が混淆し、又如上の通り意見の懸隔も甚しい。されば、日本国民社会党の将来を疑問視する者も尠くない(註一)。

   註一 石川準十郎は「日本社会主義」昭和七年二月号、「時評」欄に於て日本国民社会党準備会が結成を余りに急ぎ過ぎた感あるを遺憾とし、尚「下中氏等の新党計画の中には、社会主義一般に反対するところの『愛国勤労党』なども含まれ、その代表者も計画に参与してゐるといふ。斯うした雑多な内容を持つ党が、将来果して順調に発達し得るかどうかは一の短問でなければならない」と批評してゐる。
       これと同一の意見が「社会運動往来」昭和七年四月号誌上にもあらはれてゐる。即ち「而もその中心団体たる総聯合と愛勤党の間には越ゆべからざる溝が横はつて、宛も水と油の融合し得ない矛盾を抱蔵してゐほしないかと考へられる。総聯合は元々アナー系の労働組合として生れ、漸次それが右翼転向をなし来つたものであるが、彼等のイデオロギーは決して純粋のナショナリズムではなく、寧ろ社会ファシストの名を以て呼ばるべきものである。愛勤党は国家主義の旗を一貫して掲げ、未だ嘗て社会主義の言葉をロにしない国粋ファシストの一団である。之等の事は彼等の融合が恐らく至難とされる理由である」(山田治孝「最近に於けるナショナリズムの動き」前掲九〜一〇頁)と云ふのがそれである。
       以上の所説にも表れてゐる如く、愛国勤労党そのものは本質的には寧ろ日本主義の団体に数へられるべきものである。



(二) 日本国家社会党及び雄誌「日本社会主義」一派

 日本国家社会党は、本年四月十五日に社会民衆党を脱退した赤松一派の国家社会主義新党準備会と、五月六日に全国労農大衆党を脱退した大矢省三、藤岡文六、望月源治、安芸盛等の全国労働組合同盟の一部の者とが合同して組織したものである。此の両派は四月十一日時局研究会を設立し新党樹立の気運が熟するを待つてゐたが、国民日本党の分裂に依つて、急速に合同が具体化し、五月二十九日の分裂直後正式に日本国家社会党を樹立するに至つたのである。
  同党の主なる役員は次の如くである。
   ▲総理 欠員、▲党務長 赤松克麿、
   ▲常任中央執行委員 今村等、山名義鶴、小池四郎、陶山篤太郎、望月源治、馬島|、平野力三、安芸盛、野口栄二、山元亀次郎
 雑誌「日本社会主義」を発行する日本社会主義研究所は昨年九月、赤松克麿、石川準十郎、別府峻介、津久井竜雄等によつて創立された研究団体で、国家社会主義の理論的研究及び宣伝を目的とするものである。政治団体に非ざるを以て、現在何れの政党をも支持してゐないが、その理論的傾向に於ては大体赤松克麿の主張と同一立場にあるものと見られるので、便宜上、日本国家社会党系の団体として並に一緒に取扱ふことにする。
 この系統に属するものは大部分社会民主主義政党より転向して来たものである。従つてその国家社会主義もマルクス主義的色彩が最も濃厚である。赤松は国家社会主義は社会民主主義の「現実的発展」だと云つて居るし、又高畠素之の流れを汲む「日本社会主義」一派の者ですら、「マルキシズム運動は我々にとつてはよき餌たるものであり、よき『助手』たるものであるが、我が国に於ては、共産党も社会民主主義党も微力であり、また今後発展の見込みもない。従つて我々は、本来ならば彼等に持つて貰ふ筈の荷物まで、我々が背負つて行かねばならない」と云つてゐる(証一)。極端に云へばマルクス主義、共産主義に於ける国際主義を国家主義に置き換へたに過ぎないものが、この一派の国家社会主義であるとまで評し得る(註二)。されば、この一派の国家社会主義提唱の裏には戦略的な意味が多分に含まれてゐる。これを最も明瞭に裏書きするのは、赤松克麿の次の言葉である(註三)。
「問題は共産党へ行くか、我々の行動に行くか、二つしかないそれだから、共産党で行けば、成功し得るといふ見通しが付いて、僕等の方で行けば、成功しないといふことの見通しが付けば、それは問題だと思ふ。僕等は今日の所、共産党の行き方が見通しが付いて、それ以外のものは見通しが付かんとは思はない。それは、今僕等が斯う斯ういふ戦術ですれば、必ず成功するといふやうな大きいことは言ひませんが、−実際的に大きいロは利きませんが−比較的にコンミンテルンの指令下に居るよりか、我々の下に居た方が可能性が多いのぢやないかといふことですな。僕は、それですから、我々の行き方が誤つて居るといふ行き方ならば、後は、××するより外ないですね。」
 即ち、此の一派の国家社会主義は「共産主義を全くかなぐり捨てたのではなく、プロレタリア革命への段階として戦略的に右翼に転
身」(註四)したものに含まれて然るべき性質を豊富に有してゐる。たゞ「日本社会主義」に拠る高畠一門はこの中にあつて、比較的純粋の国家主義的傾向が強い。

註一 石川準十郎「国家社会主義党の結成を望んで」(「日本社会主義」昭和七年四月号、六頁)。
註二 日本国民社会党準備会の日本労働組合総聯合の立場も近藤栄蔵の意見にも示されてゐる如く、斯様に看られる節が多い。
註三 蝋山政道、赤松克麿、佐々弘雄「ファッシズム批判」(「経済往来」昭和七年一月号、六一頁)。
註四 東京朝日新聞、昭和七年四月十五日、朝刊第十一面。


日本国家社会党の綱領、主張は次の如くである。

        網   領

 一君万民の国民精神に基き搾取なき新日本の建設を期す。

        主   張

 一、我党は国民運動により金権支配を廃絶し皇道政治の徹底を期す。
 一、我党は合法的手段により資本主義概構を打破し、国家統制経済の実現により国民生活の保障を期す。
 一、我党は人種平等、資源衡平の原則に基づき、アジア民族の解放を期す。


又、「日本社会主義」同人の暫定綱領は次の如くである。

一、我等は国家を以て望見し得らるゝ限りの未来に亘る人類の社会生活に必要欠くべからざる存在と信じ、この認識前提の下に日本国民共同社会の一大変革を期す。
二、我等は日本伝来の君主制を以て日本国民最適の国家形態と信じ、一切の経綸をこの前提の下に行はんことを期す。
三、我等は日本国家は日本国民の生活を保証するの一貫任あるものと信じ、これに必要なる一切の改革を。要求す。
四、我等は生産手段の私有を基礎とする資本主義の無政府経済制度を以て我が国民の生活を庄殺するものと認め、出来得る丈け急速にこれが撤廃を期す。
五、我等は現日本国民大多数者の生活の窮乏を救済するは、生産手段の国有並びに国家に依る集中的統制経済の雄行の外に途なきものと信じ、あらゆる手段を尽してこれが実現を期す。
六、我等は、日本国民は凡て平等の権利及び義務を有し、且つ何人も公益に反して私益を追ふ能はざることを要求し、これに反したる者を非国民と認め徹底的な排撃を耕す。
七、我等は、あらゆる国民は其の生存資源に於て包有人口を基礎とせる平等の権利を有すべきものと信じ、その包有人口に顧みて過分の土地及び資源を占有せる国民は、他のあらゆる資源過少国民に対してその門戸を解放すべきことを要求す。
八、我等は右の立場及び標準よりして、我が国民の培養に必要なる土地及び資源を公然世界の過当占有国民に対して要求す。
九、我等は、現在の白色民族の圧制及び搾取を以て許すべからざるものと認め、全有色民族を糾合して一大民族同盟を結成し、以て之が全的解放を期す。
十、我等は右の見地に立つ新たなる国際同盟の結成を世界各国民に向つて提唱要求し、これが実現を期す。之に反対する者は世界平和の敵と認め、あらゆる手段を尽してその克服を期す。


 尚、田代耕三が「国家社会党の基本的任務」を論じて、「当面の基本的スローガン」として、挙げてゐるのほ、次の如きものである(註一)。

一 金融資本独裁のブルジヲア=地主の権力の打倒!天皇制×××××××××樹立!
二、天皇制と資本主義体制との完全なる分離! 資本主義体制の打倒!天皇制の社会主義体制の樹立!
三、銀行、工業、鉱業、交通、運輸、通信機関の社会主義的国有化!
四、大地主所有地を先頭とする大所有地の没収! 土地の社会主義的国有化! 勤労被搾取農民への土地の用益権の分配!
五、朝鮮、台湾、満蒙等の植民地、半植民地の社会主義化!
六、資本家地主のみのための戦争反対!


 以上三つの綱領主張又はスローガンは、何れも主として国家主義、及び社会主義に関して述べられてゐて、反議会主義に就いては未だ述べられてない。而して、その社会主義政策に至つては共産党と殆ど異る所がない。現に最後のものに於て然りである(註二)。共産主義と異なる点は、彼等が社会主義に国家主義を加味したところと、君主制を支持擁護するところにあるのみである。

註一 田代耕三「日本国家社会党組織のために」(「日本社会主義」昭和七年三月号、一二−一三頁)。
註二 参考に「日本共産党の基本的スローガン」を掲ぐれば、次の如くである。(「日本共産党テーゼ草案」無新パンフレット第六輯、昭和六年八月一日発行)。
(一) 金融資本独裁の願覆、金融資本を先頭とするブルジョア、地主、天皇の権力の打倒、プロレタリア独裁樹立。
(二) 銀行、工業、鉱業、交通運輸機関のプロレタリア国有化。
(三) 天皇、大地主、官公有地、寺社領の土地没収。勤労農民への土地分配。
(四) 朝鮮、台湾等の植民地の完全なる独立。
(五) 帝国主義戦争反対。ソヴエート同盟、支那、印度革命の擁護。


 彼等の国民主義は、第一に、国家論に、第二に、民族闘争の必然性に、第三に一国内社会主義建設の可能性、に基礎を置く。
 国家論に於ては、マルクスの「国家階級搾取機関」説、「国家死滅」説に反対し、「国家統制税関説」「国家永久不滅」説を主張する。その代表的理論は、石川準十郎のパンフレット、「マルクス社会主義より国家社会主義へ」に展開されてゐる。彼は、社会主義理論の相違はすべて国家観の相違に基くものなりとなし、マルクス主義国家観の矛盾として、次の点を挙げてゐる(註一)。
(1) マルクス主義に於て、プロレタリア革命に国家を利用すべきことを説いてゐること(註二)。
(2) マルクス主義に於て、本来は階級搾取の機関である国家が、例外的には、相戦ふ階級が殆どその勢力伯仲する場合には、両階級に対して尤もらしき調停者として一種の独立性を保つ時期あることを認めてゐること(註三)。
(3) ソヴエート・ロシアに於ける国家、レーニンの所謂プロレタリア国家乃至半国家が死滅を予想せられないこと、而して、レーニンが国家の死滅を永遠の彼方に引きのばしてゐること(註四)(註五)。
 而して(1)の理論は当然に国家が階級搾取以外の機能を有することを認めたこととなる。(2)は、階級搾取なき時にも国家として存在すると云ふ事即ち非階級的な国家が存在する事を示す根拠となる。又(3)は殆ど永久に国家が存在することを認めるものでなければならない。更に、所謂プロレタリア国家とは何を云ふかといふに、レーニンによれば階級搾取廃絶の国家であるといふ。併しながら、これも一種の階級による階級支配の国家、搾取はなきも階級支配の国家たる事を意味することになる。然らば、マルクス主義は、国家に階級搾取維持の税関たる性質、単なる階級支配の機関たる性質、及び非階級的支配の機関たる性質の三性質を認めることになる − といふのが、彼等の国家理論構成の前提である。
「従つて、国家の概念、国家の本質は、この三者即ち(一)階級搾取維持機関(詳しくは階級搾取維持支配機関としての国家)と、(二)階級支配税関としての国家と、(三)非階級支配機関としての国家との三者の綜合的考察に依つて見出されねばならぬ。換言すれば、国家の概念及本質は、今やこの三者に共通し而もその三者にとつて根本的なる要素に依つて決定されねばならぬ。この三者に共通し而もこの三者にとつて根本的なるものは何んであるか? それは、『支配機関』であり、『支配』である。国家は今や単に『支配機関』として概念されねばならず、国家の本質は『支配』に在るものと認められなければならない。我々は斯く理解されたる場合に於ける『支配』を主として『統制』と呼び、斯く理解されたる場合の『支配機関』を主として『統制組織』と呼ぶ」(註六)。「国家が歴史的に階級的に利用されて来たといふことは、国家はその本質に於いては単なる支配機関たるものであるといふことを何等妨げるものではなく、またこれと何等矛盾するものではない。国家は支配機関たる以上、それは階級的利害の為の支配税関として、換言すれば階級的支配の為に用ひられることも有り得べきことである。然しそれは何等国家の本質に属するものではなく、国家の罪たるものではない。国家本来の性質、国家の本質は、単に『支配』 − 我々の言葉を以つてすれば、『統制』 − にある。国家をして歴史的に階級的ならしめた罪は、国家が負ふべきではなくして、国家の根底を成してゐるところの社会が負ふべきである。国家社会主義は、国家を以て斯くの如く理鮮し、斯くの如く観念する。国家を斯くの如く理解し斯くの如く観念する社会主義が、即ち我々の国家社会主義である。」(註七)。
 斯くの如く、彼等は国家は永遠に不滅な統制機関であり、又それが故に、ソヴエートロシアに於けるが如くに、社会主義の建設の為には国家が必要であると云ふ(註八)。のみならず、彼等によれば、「国家なくしては社会主義は実現され得ないのみならず、また維持され得ない」(註九)のである。
  国家を斯く解する事と、国家の理想的形態が君主制であるか、共和制であるかの問題との問には必然的な関聯はない。それにも拘らず、国家主義者は共和制を国家の理想形態として認むるのみならず、君主制も亦同じく理想的国家形態であるとみる(註一〇)。更に、ある者は日本に於いては君主制こそ理想国家形態であると論ずる。その代表的見解を以下に引用してみよう(註二)。
「吾々は今『日本共産党』と国家社会主義党の最も相違する点を明白にしたい。それは天皇制の問題である。『日本共産党』は君主制の廃止を主張してゐる。然るに国家社会主義は斯かることを許さない。(中略)
 永い間の不変の史実は、君主制の廃止を主張することが如何に誤りであるかと云ふことを物語つてゐる。
 日本の歴史を階級闘争の見地から見る時、それは確に搾取階級と被搾取階級とに分れてゐる。全くの階級闘争史だ。然し天皇は常に階級を超越してゐられた。日本民族の総本家である皇室は当然のことゝしてその民族の支配統御こそされたが『日本共産党』一派の云ふ如き搾取者ではなかつた。天皇をして搾取者の如く見せかけたのは、又専制君主の如く見せかけたのは、その時の実権をとつた外国的の専制君主一党以外の何ものでもない。明治革命は徳川幕府が天下の実権を握つてゐたので、それを倒して天皇制を確立したのであつた。ところがその後徳川幕府の専制君主に代つてブルジョアジーと地主とが覇権を握り、現在では金融資本が制覇してゐる。そこで現在天皇が支配階級たる搾取階級中の一人であるかの如く見えるのは全く資本家地主階級が斯くしたのである。又皇室資本が極めて多く日本の資本主義経済にをり込まれてゐるのは明治の、完全ではないが兎にかくブルジョア革命が皇室をいたゞいて行はれた結果である。本質に於て天皇制は歴史の示す通り凡てに超越した存在である。」
 蓋し国民主義は民族精神を尊重し、伝統を或る程度に容認する。日本の理想的国家形態として君主制を肯定する根拠も亦此処に求められる如くである(註一ニ)。

註一 石川のパンフレット「マルクス社会主義より国家社会主義へ」は「日本社会主義」に昭和六年十月より十二月に渉づて連載された論文を集めたものである。
  尚国家を論じた論文として主なるものは、−
   別府唆介「社会民主主義と国家の問題」(「日本社会主義」昭和六年十月号)。
   別府唆介「ボルシェヴイズムに於けるマルクス国家理論の崩落」(「日本社会主義」昭和六年十一月号)。
   松下芳男「国家の本質と国防の意義」(「日本社会主義」昭和六年十二月号)。
   赤松克麿「国民主義と社会主義」一九頁以下。
註二 石川準十郎「マルクス社会主義より国家社会主義へ」三六−五〇頁。
註三 前掲 五〇−五五頁。
註四 前掲 七三−七九頁。
註五 マルクス主義者、レーニンの国家観の縮図なりとして、別府唆介が挙げたものを参考の為に図表にして次に掲げる。(「ボルシェヴイズムに於けるマルクス国家理論の顛落」五五頁)。

  政治の形態 国家の性質 国家の機能
資本主義段階 ブルジョア・デモクラシー ブルジョア国家 階級搾取機関
プロレタリアート独裁段階 プロレタリア・デモクラシー プロレタリア国家(政治国家) 階級支配機関
共産主義第一段階 完全デモクラシー 簿記、管理国家 共同利益遂行機関
共産主義高度段階 デモクラシーの死滅 国家死滅 無権力組織

註六 前掲 八四頁。
註七 前掲 八五頁。
註八 赤松克麿の国家観は大体に於て、石川、別府等の他の国家社会主義の理論家の述べるところと同じであるが、たゞ国家の永久牲を認めない点が異る。赤松克麿が、この点に関して述べる部分を、「国民主義と社会主義」より引用すれば、次の如きものがある。
「しかしながらそこに重要なことは、われわれが国家絶対主義者ではないといふことであります。今の日本の国家が永久に続くとは思はない。われわれはやはり将来は各国が社会主義国家となり、全世界が今の国際聯盟のやうなものに発達しまして、その国際聯盟に漸次各国の権力が集中されて、終ひには各国がそれぞれ同じ統制カの下に立つ行政区劃のやうな状態になつて行くだらうと思ふ。この事は遥か彼方の人類文化の理想として予想し得るだらうと思ふ。」(前掲二三−二四頁)。
「日本の保守的な国家主義者は、日本の国家は神秘性を帯びてゐる、全く神ながらの国である、外国と全く達つた崇高なる伝統を持つた国であると謂つてゐる。(中略)かゝる頑冥固陋な思想を以てすることは私は極めて危検だと思ふ。日本の国家といふものは特別神秘なものではない。そんなに外国に較べて優れた内容を持つてゐるものではない。たゞ日本の国家は日本の民族生活に必要なる共同文化団体である。」(前掲二九頁)。
註九 石川準十郎「マルクス社会主義より国家社会主義へ」八六頁。
註一〇 石川準十郎「社会民主主義と国家社会主義の異同点」(「労働経済」昭和六年十二月号)。
註一一 田代耕三「日本国家社会党組織のために1」(「日本社会主義」昭和七年三月号、一四−一六頁)。
註一二 赤松克麿は「国民主義と社会主義」の中に於て、国家が将来に於て、行政区劃になることを認めてゐる(十八頁)。この限りに於て彼は君主制絶対主義者でもない。然し彼は君主制を否認するものでもなく、之を国民主義が尊重する民族精神の中に認めてゐる。(「新国民運動の基調」六六頁)。それは「わが民族的共同体は綜合家族であり、天皇は綜合家族の家長であり代表者である。この国体観念は、建国以来久しきに亘る民族生活を通じて一貫して継承された民族精神の基礎である」と云ふ文句である。


 次に彼等は、国際主義が不可能であり、空想的である事を彼等の所謂「民族闘争の必然性」 の中に認めようとする。民族闘争は、階級闘争と共に人類の歴史に必然的な現象であつて、マルクスの唯物史観が、この事を見落したのは重大な誤謬であると云ふ。赤松の言葉をかりれば、
「マルクスは人類の一切の歴史は階級闘争の歴史なりといつたが、我々は人類の一切の歴史は階級闘争並に民族闘争の歴史なりと信ずるものであり、そして茲に空想的国際社会主義と国民社会主義とを劃すべき根本的分岐点があるのだ。階級闘争は階級間の利益の不一致より生じ、民族闘争は民族間の利害の不一致より生ずる。階級闘争は特権階級の独占的権益の放棄によつて解決し、民族闘争は強大民族の独占的権益の放棄によつて解決する。各国のブルジョア階級が独占的権益を放棄し、更に進んで各強大民族が独占的権益を放棄するまで、人類は闘争の連続を運命づけられる。遥か彼方に輝く世界平和の彼岸に到達するまで、人類は絶えざる闘争から免れることは出来ない立場に置かれてゐる。マルクス主義的インターナショナルの誤謬は、人類の闘争歴史を階級的にのみ認識して、之を民族的又は国民的に認識せざる所にある。故に彼等の主張によれば、各国プロレタリアートは各国のブルジョアジーとの間にのみ階級的利害の不一致があつて、各国のプロレタリアートの間には国際的利害の不一致はないのだから、各国のプロレタリアートは国際的統一戦線を形成しつゝ、各国のブルジョアジーに対して階級闘争を敢行して行けばよいことになる。こゝにインターナショナルといふ統一的国際協力の可能性と妥当性とが生じてくる訳である。マルクス主義的インターナショナルに反対する我々は、各国のプロレタリアートは、階級闘争と共に民族闘争の渦巻きをも脱することは出来ないと認識するが故に共産党が主張するが如き国際的統一戦線を形成することは不可能なりと認むる。従つて現に存在する第三インターナショナルの如きは、真の意味に於ける各国無産大衆の国際的団結ではなくして、ロシヤ共産党を中軸としてこれに迎合する各国の極少数のプロレタリアートの統一戦線に過ぎない」(註一)。
といふのがその主張である。
「マルクスの国際主義が、自由主義の華やかなりし時代の産物であり、従つて帝国主義時代に入つては当然破産すべき運命にあるもの」である事を、赤松はしばしば強調する(註二)。然しながら、彼は国際主義を絶対的に否認するものではない。
「国民社会主義者は空想的インターナショナリズムを否定して、現実的インターナショナリズムに立脚する。(中略)我々は万国のプロレタリアートの間に於いても利害の不一致を認め、従って彼等の民族闘争を認める。(中略)資源、市場、労働力が世界的に管理統制され、諸民族が計画的単一世界経済に入るまでは民族闘争は続くのである。この民族闘争を如実に肯定し、更にこの民族闘争をして世界平和の建設へ意義あらしむべく指導せんとするものが、我々の現実的インターナショナリズムである。これを具体的にいへば、劣弱なる諸民族の生活水準の世界的平均化を促進する指導精神が、現実的インターナショナリズムである」(註三)。而して、「日本国家の正しき使命は、日本、朝鮮、台湾、満洲を綜合して、正しき社会主義的ブロックを構成するにある。更に進んで、支那、印度、フィリッビンまでも引き入れて、大亜細亜社会主義ブロックを建設するにある。(中略)それが為には、我々は高き文化を有する指導者としての社会主義日本を建設しなければならぬ。資本主義日本の地位にある限り、アジア・インターナショナルの指導者的資格を欠くのみならず、満洲国を指導する資格さへもないのである。」(註四)。「ナショナルを通じてインターナショナルヘ」 。此の点に対する石川準十郎の見解もほゞ同じである(註五)。

註一 赤松克麿「新国家運動の基調」三〇−三二頁。赤松克麿「民族精神と社会主義」(「経済往来」昭和七年四月号一四頁)。
註二 前掲 四一頁。一−二九頁。赤松克麿『国民主義と社会主義』三−一八頁。赤松克麿「国際社会主義に於ける空想主義と現実主義」(「日本社会主義」昭和六年十一月号三一八頁)。
註三 前掲 四八−五〇頁。
註四 前掲 五四頁。
註五 石川準十郎「社会民主主義と国家社会主義の異同点」(「労働経済」昭和六年十二月号)。


 最後に国民主義の基礎をなすものは、一国内社会主義建設可能の理論である。
 彼等は、先づソヴエート・ロシアの現状を批判検討して、これを以て、ソヴエート・ロシアは今一国内社会主義建設の過程にあるものと見る(註一)。そしてトロッキーの「永久革命説」が破れ、スターリンの「一国内社会主義建設の理論」が勝利を得た事、又、スターリンに依つて現在のソヴエート・ロシアが指導されてゐると云ふ事は、一国内社会主義建設可能の理論的及び実証的な有力な根拠であると論ずる(註二)。
「トロツキーによれば、ロシアのプロレタリアートは西欧のプロレタリアートと結んで農民と闘争すべきであり、スターリン、プハーリンによれば、ロシアのプロレタリアートはロシアの農民と協調し、協同組合を通じて彼等を社会主義化すべきである。こゝに一国社会主義建設の可能性があるわけだ。即ちロシアに於けるプロレタリアートと農民との矛盾は、トロッキーのいふやうな国際的規模に於いてこれを解決せずとも、国民的規模に於いてこれを解決する可能性があるといふのである。一国社会主義建設の理論闘争に於いては、スターリン派に勝味のあることは事実がこれを立証しつゝある。」(註三)。
 彼等は日本に於ても、一国内社会主義建設の可能性は認め得られると主張する。併しながら、世界の現状は今や自給自足経済の確立へと向ひつゝある。こうした世界状勢に当面して、社会主義日本建設の為には、資源の少ない日本が最少限度の自給自足国民経済を樹立する為に満蒙の権益を確保する事は欠くべからざることである。満蒙の権益を従来の如き方法に於て経営する事は勿論帝国主義であるが、満蒙を日本資本主義の植民地とせず、またこの国の経済的機構を資本主義化せず、こゝに国家統制経済を樹立して、その上でその経済力が日本の国民大衆にも有利な結果を齎すやうな日本と満蒙の経済関係を建設しなければならぬ。かくしてはじめて、一国内での社会主義日本の建設が可能となると云ふ(註四)。

註一 赤松克麿「国民社会主義とインターナショナル」(「日本社会主義」昭和七年二月号)。三奈島愛一、「一国社会主義建設の必然性」(「日本社会主義」昭和六年十月号)。
註二 赤松前掲 三−一四頁。
註三 前掲 九−一〇頁。
註四 赤松克麿「新国民運動の基調」七五−一〇五頁。大島暢夫「資源経済と満蒙」(「日本社会主義」昭和七年二月号)に社会主義日本の為に満洲の必要なことを、経済的方面より詳細に説明してゐる。


 社会主義を標榜する事は、既に掲げた「日本社会主義」同人暫定綱領及び田代耕三の私案としての国家社会党当面の基本的スローガンに依つて、明瞭である。それは最も徹底した反資本主義政策である。尚、之に関して赤松は次の如く論ずる(註一)。
「れれわれは搾取なき国民統制経済を要望し、この目的を実現すべく運動の巨歩を踏み出さねばならぬ。こゝにいふ搾取とは、マルクス主義に謂ゆる生産部面に於ける余剰価値の収奪だけを指してゐるのではない。われわれは搾取とは生産面流通面に於いて国家社会的見地からして当然受取るべき勤労報酬部分の割取または欠如であると規定する。故に搾取は工場労働者、農民だけの問題でなく、俸給生活者、小商工業者の問題でもある。元来、資本主義は自由競争をその指導精神とする。自由競争は無政府的、無統制的であることを著しい特色としてゐる。従つて、資本主義に基く統制経済などゝは、ナンセンスに過ぎない。なるほど、ブルジョアジーは、そのトラスト・カルテルの組織を通じて操業短縮や生産制限を行ひ、その上に急激なる産業合理化を敢行する。一応は形式的に統制経済を実施してゐるやうに見ゆるが、かゝるブルジョア本位の統制方法は、国民的観点からいへば統制になつてゐないのである。なぜならば、かゝる統制の結果として、従業員たる労働者や俸給生活者を失業の深淵に陥れる一方、居残つた従業員は勤労時間の延長、貨銀、俸給の値下げといふ搾取度の強化に悩み、国民大衆の購買力を低下し、かくて小商工業者は間接の搾取を蒙むることになる。帰するところ、ブルジョアジーの統制経済なるものは、搾取を前塊とした統制経済であつて、ブルジョアジーの自己救済政策に他ならぬ。それ故に、資本主義の存続する限り、この地上では搾取のない統制経済などは出現しないのである。」
 更に、「日本社会主義」昭和七年二月号の巻頭言は急速に資本主義を打倒すべきことを力説して曰く(註一)、
 「資本主義が最早や国民、人口を扶養し得ないこと、そは単に益々国民大衆をして飢餓線上にさまよはしむるに過ぎないこと、そして徒らにあらゆる混乱と腐敗とを国民の間に招来するに過ぎないことは、明かなる事実である。資本主義とは何ぞや?経済的無政府主義、経済的個人勝手主義である。己れさへ宜ければ他人はどうなつても宜い主義である。大規模の同胞搾取組織である。今にしてこれを変革することなくば、国民生活は救ふべからざる混乱と荒廃とに陥り、国民的自滅、国家的崩壊を到底免れない。資本主義は今や国民最大の内部的仇敵である。これを根本的に変革すること−−それは緊急最大の国民的必要である。」
と。

 社会主義の基礎学説として彼等は何を採用するか明言してない。赤松は唯物史観を修正し、「搾取」の概念を拡張したが、これを以て、マルクス主義を排斥するものと考へることは早計である。現に赤松は、「私は敢てマルクスの言説を以て悉く虚なりとするものではない。マルクス主義の中には、輝しき真理もあれば、また明かなる誤謬もある」(註三)と云つてゐる。蓋し、赤松が唯物史観を修正したのは、国民主義を主張する理論的根拠をそこに求めるためであつて、又「搾取」の概念を拡張したのは、彼等の国民運動が単に工場労働者を目標とするに止まらずして、広く農民、俸給生活者、小商工業者をも包括した形式を採用する必要に由来したものとみる事が出来よう。されば彼は唯物史観及び闘争方法に於けるマルクス・レーニン主義の欠陥を主張するに拘らず、唯物史観そのもの及び他のマルクス主義学説を否認してゐない。かやうに考へてゆくと、赤松はじめこの一派の社会主義理論は、マルクス経済学現に立脚するものと見て差し支へないと思はれる。

註一 赤松克鷹「新国民運動の基調」一八七−一八八頁。
註二 「日本社会主義」昭和七年三月号巻頭言。
註三 赤松克麿「国際社会主義に於ける空想主義と現実主義」(「日本社会主義」昭和六年十月号二頁)。


 政治行動として、彼等は議会主義の没落した事を強調する。彼等は議会は資本主義の勃興期にこそ重大な役割を演じたが、今や全く無用化したと云ふ。これについて、三奈島愛一は論じて謂ふ(註一)、
 「議会主義はプチ・ブルジョア生産様式に適合したものであり従つてプチ・ブルジョア生産時代−資本主義の撞頭期に於ては、議会に凡ての権カが集中され、議会は国家権力のヨスガとなつてゐた。しかし、大工業 − 金融資本主義時代の到来と共に、議会的立法権よりも執行権力の方が強くなり、今まで議会をヨスガとしてゐた国家権力は議会から脱出してしまつた。換言すれば、執行権力をこそ国家権力と目さるべきものとなり、それは全く金融資本の手中に収められてゐる。
 マルクス=エンゲルスの時代はプチ・ブルジョア生産時代 − 軽工業時代であつたから、議会に国家権力は宿つてをり、それ故に彼等の文献に現れたプロレタリアートの政権把握の道も、一方、議会の完成した国では議会主義による変革の道が可能であるとなつてをるし、他方、封建勢力 ー 専制政治の残存甚しく、議会がないか、又はたとへあるにしても専制政治の下に有名無実になつてしまつてゐる所の、議会の完備なき国では××××××××に依るの道のみがとらるべきであるとされてゐるのは正しい。しかし、現在の如く議会勢力 − 立法権力の崩壊期に於ては、議会主義の道は×××で、タカダカ協調主義を出ないものであり、金融資本の手にある国家権力をプロレタリアートのものとなすためには、執行権力を大衆威力に依つて押し倒すことが必要である。議会への進出は的外れであり、他に意味があれば兎に角、それだけでは解放戦の根本戦略ではあり得ない。又この意味に解してこそレーニン等のポルシエヴィキイ派に依つて主張される議会外的威力による変革の叫びが生きた意味を有して来るとも云へよう。
 議会主義は、例へばカクツキー、ミルラン、ゴンパース、マクドナルド、ヒルファーデイングによる協力内閣の支持又は参加の如く、世界各国に事実的に達成されたが、それは現実に、何等、或は半分でもプロレタリアートに国家権力を掌握せしめたことにはならなかつた。そこには何等の革命の兆候も現れて来なかつた。議会主義は結局反動の先端に立つ社会ファシズムか協調主義に終つた。それは事実である。それ故に議会主義の時代錯誤であることは事実が証明している。」

 然らば如何なる方法によつて政権を獲得しょうとするのであるか三奈島は進んで之に言及する(註二)、
 「現在の斯の如き情勢下に於ては議会主義による変革の道は全然正しくない。そこには大衆の議会外的威力による道のみが残されてゐるに過ぎない。しかもその威力は執行権力が益々中央集権化されて行けば行く程、それに比例して嘗てなかりし程に強化されなければならない。そしてそれと共に資本主義の非国家性の強化を認識し国家権力を真正の姿に引き戻すことがプロレタリアートに課せられた歴史的任務であることを大衆に訴へねばならない。いまだ嘗てなかりし程の強大な威力に依つて金融資本の非国家的利慾的集権的執行権力を変革し、それに依つて資本主義の一般的非国家性をも葬り去り、社会主義国家なる真正の国家を建設することが現在の進歩的大衆運動の任務である。」
 斯の如く、三奈島の反議会主義、大衆行動の意見は、レーニンのポルシエビズムと殆ど差違がない。彼自身も「我々はレーニン主義(カウツキー主義に対する意味での)を拡張再生産する意味に於てレーニンと紙一重である」と称してゐる(註三)。しかし他面では「客観的情勢を見ようとしない日本共産党 − レーニンの拡張再生産時に於ける反動的単純再生産者日本共産党と如何にして妥協出来るか。だから、裏切者日本共産党の絶滅こそが階級的忠実と云つてよい」と云つてゐる(註四)。
 三奈島は議会主義を絶対的に否認してゐるが、この点に関する赤松の見解は三奈島と多少異なる。彼は議会に於ける活動をもその運動の一翼として認め、利用すべきことを説いてゐる。即ち、彼は云ふ
 「新しき党の行動は大別して二となるべきだ。一は議会行動であり、二は合法的大衆行動である。議会行動といつても、代議士を製作して議員病患者に満足を与へるための単なる選挙運動を指すのではない。大衆行動の一翼としての議会行動だ。あらゆる機会はわれわれの主張を宣伝し示顕することに向けられねばならぬ。大衆行動は、われわれの運動中で最も重要視されるものである。それは組織されたる大衆行動であり、秩序と機敏に充ちた大衆の行動である。公明なる主張を示すための公明なる行動である以上、われわれは有らゆる公然にして合法の舞台を要求する。従つてわれわれは個人的テロリズムを行使する必要を認めない。」と(註五)。
 政権獲得後の政治形態は如何にするか。三奈島は、敢然として独裁制を樹立すべきことを宣言する。そしてそれはプロレタリア中央集権でなければならぬと主張し、
 「プロレタリアートが国家権力を掌握した場合にも中央集権制が必要であり、プロレタリア中央集権制はブルジョア集権制と全然別個のものであるとすれば何が起るか。そこには、金融資本の非売国家搾取的集中的執行権力を大衆×××××××打倒しなければならない必要が先づ第一に起つて来る。そして直ちに最も民主主義的方法によつて×××××××××独裁的中央集権制を建設し、これによつて私有の土地及び生産手段を国有化し、一方ブルジョア的旧諸勢力を抑へ、無産国民大衆の意識 を高めつゝその建設的目的を明にしなければならない。とまれ既成諸勢力を打倒するためにはこの道しか現在では許されてゐないが、次に来る段階では我々の手にした国家権力を直ちに本来の意味に於ける国家的に運用し得んがために、国民大衆の背景を後楯とする民主主義的中央集権制を内包したものであらねばならない。」
と論ずる(註六)。

註一 三奈島愛一「議会主義の問題について(二)」(「日本社会主義」昭和七年三月号、二四−二五頁)。
註二 前掲 三〇−三一頁。
註三 三奈島愛一「議会主義の問題に就いて(三)」(「日本社会主義」昭和七年三月号、二〇頁)。
註四 前掲 二〇頁。
註五 赤松克麿「新国民運動の基調」一九五頁。
註六 三奈島、前掲(二)三四−三五頁。


 国家社会主義新党準備会及び「日本社会主義」一派の国家社会主義理論は大体以上の如くであるが尚、要約して云ひ表はしたものとして、赤松の次の言葉を掲げよう(註一)。
「今迄我国社会運動を指導してきたマルクス主義的社会主義は、揚棄さるべき段階に到達したのだ。マルクス主義を生地のまゝに呑みこんでも、それは民族の営養素にはならない。我々はマルクス主義を毛嫌ひするのではない。その正しき部面はこれを充分に摂取し消化し、民族生命の培養に役立たしめるのだ。それは曾つて我々の祖先が朝鮮、支那、印度、西洋の諸文明に対して取つた態度と同様である。社会主義がプロレタリアートだけの階級的イデオロギーにとどまる間は、民族を動かす力となり得ない。社会主義が、現段階に於ける民族が国難打開のため当然これを採らなければならぬイデオロギーとして民族的価値を有するに至つて、始めて全大衆を動かす力となるのだ。かゝるとき社会主義は、単なるプロレタリアートの思想ではなく、それは民族の思想となる。しかして社会主義運動はプロレタリアートの運動にとゞまらずして、国民運動となるのだ。
 社会主義運動がプロレタリアートのヘゲモニー下に行はれなければならぬといふのは、マルクス主義の持つ階級至上主義の誤謬である。資本主義日本の行き詰りと不合理性を正しく認識し、社会主義日本建設の合理性を確認し、これに向つて戦はんとする誠意と能力とを有するものは、労働者と農民に限らず、官吏、軍人、教師、会社員、商人、其の他如何なる職業に従ふものといへども、この闘争に参加する資格を有する。民族を愛し、国家を憂へ、それがために現下の資本主義的政治経済機構の根本的改造を要望するものが、挙つて参加すべき一大国民運動を展開すべき時はきたのである。
 社会主義運動は愛国運動でなければならぬ。また愛国運動は社会主義運動でなければならぬ。愛国的基礎に立たざる社会主義運動は、無力なる少数者運動に固定し社会主義的基礎に立たざる愛国運動は、現状維持の運動に終る。国家主義そのものに最高価値があるのではない。国家は国民の生活を擁護し、その文化の発展を促進するものでなければならぬ。若し国家にして 国民の生活を安定せしめず、その文化の発展を阻止するものであるならば、その国家は改革されなければならぬ。現代の日本国家は資本主義国家である。それは財閥富豪を擁護し、国民大衆を生活難に陥れ、不健全なる資本主義文化を醸成し、日本の文化的発展を邪道に導くものである。我々は今や資本主義国家改革の必要に迫られてゐる。資本主義国家を支持する愛国運動はあり得ない。なんとなれば、資本主義国家はすでに歴史的使命を終へて、国民文化にとり有害無益の存在と化したからである。愛国者は社会主義者でなければならぬ。社会主義者は愛国者でなければならぬ。」


註一 赤松克麿「新国民運動の基調」七二−七四頁。

 国家社会主義を標榜する団体は、以上の外にも、学術的研究団体として、日本国家社会主義学盟、芸術的な団体として、日本ファッシズム聯盟等があり、政治的な団体として社会自由党準備会(昨年夏、全国労農大衆党への参加を拒否して爾来独立の立場を守つてゐた、旧労農党支持団体の労働組合総評議会大阪地方評義会が結成したもの)、日本共産党解党派(註一)等がある。しかし今の所、勢力徽々たるもので、又理論的立場を示す論文等も殆ど発表されてゐない。

註一 日本共産党解党派(労働者派)の主張は、君主制の否認に反対し、コミンテルンとの結合を拒絶した時から、既に一種の国家社会主義的傾向を示してゐた。最近之を明かにしたのは中央部が藤俊夫の名で発表したパンフレット「大衆に訴ふ」である。その主要な部分を左に抜粋する。
「吾々は従来日本プロレタリアートの唯一の党−日本共産党の一支持者として只管日本共産党の方針を実現して来たが、それは全くマルクス=レーニン主義のコミンテルンの方針の単純再生産であり、極左的誤謬に陥つてゐるセクトの油あげに過ぎなかつた。吾々はマルクス主義がロシアの特殊事情及び当時の世界状勢に応じて拡大再生産されてレーニン主義となり、それがロシアの被圧迫国民大衆解放の唯一の武器であつたと同時に、マルクス主義の日本の特殊事情及現在の世界状勢に応じて拡大再生産されたものとしての国家社会主義こそが日本の被圧迫国民大衆解放の唯一の武器であると信じてゐる。併し乍ら此の国家社会主義は凡ゆる類似の「国家社会主義」とは異なり、近世社会主義の帰結としての科学的社会主義である。」