帝大憲法学説の誤謬に基く凶逆性
菊池男爵対美濃部博士の論戦を審判して責任当局並に全国民輿論に訴ふ
三 井 甲 之
一
東京帝国大学新聞社発行、東京帝大学生及び卒業生間の思想宣伝機関週刊『帝国大学新聞』二月十二日号は教授法学博士高文試験委員にして勅選貴族院議院たる美濃部達吉氏の『憲法学説辨妄―菊池武夫氏の演説に付いて』(近著『議会政治の検討』に輯録)を発表した。
二
美濃部氏はいふ『要するに、論者が公の議場において、私の著書を引用して・私の畢詮を非難し、
、、、1 、、、 1 I l l ● ヽ I ヽ ■ ヽ ヽ ヽ
砥いて大挙およぴ高等試捻委員の名替を毀指するの首を骨てして居るのは、重く叔墟の無い妄言であ
ヽ _ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ● ヽ ヽ ヽ
ると断定して可い.Lと。叉「公に私の著書の名を挙げ・以て帝国大畢生憶を誹許したのであ畠から、
七丘
七六
犬畢の名著の食めにも、」首その濠を塀じて鹿く必襲が有ると思ふLと。ハ同音三三入京参昭仙)
三
菊池男欝は二月七日の上院に於いて『今のやうな流儀の人は皆是から泊沸ふが宜い』と演詮した。
これは大賛成である。賛成であるのは筆者一人のみで無いのはいふまで為無い。菊池男が葵渡部氏の
著書特に現行教科書々批評し.て「かういふ流儀の人は皆迫沸ふが宜い』といつたのは、葵渡部氏の′革
詮と思想とまた官更として臣民としての態度から論及したのであつて、『大挙』その■もの、叉『帝国
大畢の仝儀bを論じたので無いのは明白の事貫である。故檻夷漁部代の『美濃部数授即藤大』といふ
府越増上慢の態度から重大畢の名著毀損とか誹訝とかいふ迷論が刑てきたのである。これは驚に許容
すべからざる傲慢の態度である。帝国臣民とし■て特に国家の殊思を蒙りづ1その責務を轟してをるか
† ∴
香やを反省すること無く、大畢数幹としてその研究方法の上に致倫的快略を有すを美増部氏の拳詮と
思想とを批判するのを良tて弓大卒の名替を毀払する』 『大畢の費憶を誹誘膣する』とは何といふ臣
節を斯ぜざるに曙るべせ増上慢無瀕省灯潜濫的憩度であるか。大挙の名著を革んじ、それを軍費硯す
るが故に軟投美濃部氏の箸にも棒にもか1らぬ思想をも忍耐して一々批判するのでむる。美濃部氏の
如き襲節改論極まり無く世俗の流行と人菊とにあらゆる媚態を示す思想は、若し帝大教授や無けれぼ
頚… 1J・ 滋寄
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冴喝乱l臥
せ聞で相手にするものもあるまい.それ故に大挙の君嗣に対する重大住持と1もにその名著を思へば
こそ美濃部氏の如きツマラヌ思想を批評するのであると知り批評に野し感謝すべきである。
四
食づ実演部氏の上記給食を批評する。美濃部氏はいふ、『私は世界に比類なき我域牌をもつて、我
が周民の最も大領る縛りでぁり、;・::併しながら、自ら風間を矧廿すして妥に他の単発を排し:・:」
上れが乗濃部氏の欒節改静の見*である。周氏は『現代憲攻絆論』でこれと重く背馳する意見を並
べて居る.月く『要するに、わが憲法に於けるが如き枢密院制度が世界の何れの周に於いてもその顆
を見ないもので濁ることは、此の如き制度の必響ならぎることを詑明するもめで・喜・』毛ハ三八草
これである。その襲節改静無定見の媚俗静の見本がこれである。掛界に顆が無いからと■いふ理由で
枢密院別席の不必嬰と廃止とを論断する。世界に此類なき顔鰻なれぼこそせ兇に比類無き制度もある
べきでは無いかい若し欝制度の不必要姦ずるならばその知警のも・雀働い志すべきである・
『世界に類の無い』を論壕とするのは自家撞着矛盾の見本である○若し冒せ界に斯を見ない』を亀顎
としてその制度を否定したならば『世界に顆を見ない日本国饅』をも香定することになるのである0
かういふトンチンカン給者を帝大軟投として蜜〈といふ1とで首相文相はその衰任を全うし得べきで
ヒヒ
七入
あらうか。その答は畢開をも嬰せぬ、単なる常勤忙間ふべきである〇
五 Z替憾m離i、
叉美濃部氏は菊池男に封して冒Hち畢間を解せすして妄に他の畢詮を耕しJといふのであるが、美
汝部氏の如き『矛盾横着無定見論理』を雷撃間』といふならば、それを香定するのが魔の拳闘であ少
軋仇蹴乳凱鰍も札計叫軋軋乳札臥凱†れ凱0
美濃部氏は『畢憫』を解せぎるのみならす斉に帝固臣民として倖鎗的本能的に好依信旧すべき『輯
屯』を解せぎるに至りし如き無用有害の昏迷畢間に囚はれて居るのである。此の圃照を解せぬ美漣都
民が帝大教授であり、高等試食委月である、といふことは此の非常時に際して放任し得べきことであ
らうか。答は決定的檻杏である。今や私情によつて此の如き商家的甚大事に対する邁昔の鹿碇をなさ
サして之を放任すべき時では無いのである。断行は確信を要する。拳術的批判と臣邁の忠節と忙基い
て確信々即刻斉行に移すべきである。
大
乗濃潮氏は『畢間』とか『憲法畢の識見』とか自分免許で威串つたところで、『商機』を少しも瀦
、、∴い萎d▼ 襲J ′‥二 †k ‖J∴藁箋雲 繁 、.一子 ⊥い
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せ首芸は此の扁雲革新盟の論文中官見出し得るの言る廿 ・掛敷町掛艶※
『君主が歯家の磯閲であるといふことは、君主の統治は君主御一人砂私め目的の鳥め▼にせらるヽl
のであることをいひ表はすものに外ならない.し(働海軍三田○頁季照)
これが乗渡部氏の『天皇横閲詭』である。これは日本圃軋に背反する畢詮でせる?「東宝が画家の
ヽ ヽ ヽ
横閲である』といふのは『君主は閲家の一概閲であるLといふ特注である。此の場合漑同家は『粂態】
であり君主はその∃部しである。それは首重なる一部であるといつて沌、要するに一部であるとい
ふことである。
それ故檻兼渡部氏は『周或は君民の周虐でるつて、粛主も周虎と発に、周濠せ儀成する姿態であるJ
ヽ ヽ.ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ● ヽ I、 1 1 、 1 1 、、、、、、、、、、
といふのである。此の臣民玖共同によりその合成の結果として創造せらるゝ囲家の生食と威力とを代
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表し表現するのは君主であるからして、少しでも此の心理畢的原理及び法則を知つてをれば、天皇堆
●d ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ _ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1 ヽ 、1 、、、、1 1 1 、、1 、、、、、
紺詮の如き横械的構成論、算術的加算によつて閑寂に対する襲術的詮明をなす如き十入世紀的笹静¢
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臆面もなき盲蛇帥尋束猪突的見常達ひの的外れ妾論をなすべくも無い..
美濃部氏はグントの『個人と協同牌との関係』でも一読して『尚家』といふむのは人為的構成又は
その成立要素の親和累積では無いことを知るべきである。固家は静理厨式でもなく概念燈秀でもなく
升に個人的生清叉その親和累積を超出したものである.個人と隣家との連絡関係は現代的宗教の好俵
七九
入0
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感情の内智であり『囲憶』とは此の意味にぬいての由民的信仰であると知るべきセある。
元魂美濃部氏は日本の図健に就いて建固の由来とその閑展とを無税して囲家と君主とむ直分封立せ
しめて考察するのが昏迷妄論の出教鮎である。君主は臣民と封せしめらるべきである。囲家は個人と
対立せしめらるべきである。構成宴素としての個人生活の総和は卿乃協同慣では無いのである。此の
公共協同餞として国民生活の親和に合成結果としての開家意志を加へたる国家を表硯するのが『天皇」
にま⊥ますのであるから、完皇』は個人にましますと去に層人雲塞苧孟針人にましま
ヽ l■ ヽ ヽ ヽ 」■ _ ヽ− ヽ−
すのである。即ちわれら『臣民としての個人』上は異り、それを線挿し給うて、その飽和によつて創
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成せらる1生命とその倖裁とまたその理想とを現しく表現せさせ給ふところの『現人称』にまします
」■ ヽ ヽ ヽ
のである〇
七
莞汲部氏は更に君主は囲家の『中栴横拍たり最高横閲た妙しといひ、それは『天皇払圃の元首な妙
とすること1その意を同じうするもの与といふ。『中根』といひ胃末梢Lといひ、『最高』といひ「最
低』といふ此級階次を以て君主を定義しょうとするのは、個人生活と協同債生活との関係に就いての
Lコ畢間』の皆無を許するものである。」上下とい・ひ、元首股肱とい、ひ、衰宋といふ此静的また概念論理
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的閲係は理解を助くる詮明に役立っのではあるが、それに基いて君主を定義すペくも無いのは論理革
め常識である。
日本は萌せ二系の皇統を戴く同僚であるといふととは太宰軟投の『畢間Lよか美濃部氏のいふr推
彗とかによつて動かす如きことは絶対に出発ぬものであるといふ膝史的事斉であ少、まや氷久の理
想である0若しこれを香定しようとするもの1これを紛更しょjとするものかあれば、それは此の膚
愈の死敵であるO
f リ∴11.ソ九
人 、J二
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個人と協同饅、部分と仝饅とに就いての畢術的正確知識によつて−此の日本国饅は人間心理の正し
、、、、、、1 1 11 1、、、、1、1、1 1 1、、 1 ヽ、1 ヽ ヽ、ヽ ● ヽヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
せ宴求に相應するものであることを知り得るのである0それは君臣の紺係を個牌と仝饅との閲係とす
、 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
るのであつて、それは個懐・の間に於ける此級階次によつて直別せらる1ので無い・臣民の間に囲蒙組
織融合制度の上に此級階衆はあるが、それは君持の分際とは全く異るものである0契浪都民虹此の音
ヽ
■▼ ヽ −● ヽ
臣の分際に重湖を竜くべきを知ちぬのである。
1美濃部氏はいふ『国家は官臣の弼牌やあつて君主も固持も共に囲家を構成する聾索である』・と岩音
生も国民も共にら志ふことは月本固鰻と背反する。糞渡部氏は雲は中枢最膚横閑で、囲民は末塘
し ▲
. 入〓
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低級横贈であつて、々れが共に組家を構成する聾素である、といふのである.それでは共和挿の大統
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
領も、諸外商の君主も同じである。それは仝膿と部分との崩係と君臣のそれとが適合せぎる甜外因の「
不完全又は未完成開館である。即ちそれは個人主義的見地を脱却せざるものである。伊濁のフアブシ
ズムは此の個人主轟的同家観に基く民主的議禽制度を中心とする餉家饅制の快陥を矯正しょうとする
彼苗的再生的運動である。それらの誤謬と映陥とを有せぜる−人間心理と人頬理想とに適合する完全
の開慣々建均とゝ絹に創定して今日までそれを完成閑展せしめたのが我が日本である。
九
美濃部氏は君代を共に図豪構成の委素であり、その分際は畢忙中梶末椅又は高低の比級階女に過ぎ
ヽ ヽ l■ ●
ぬ、といふのである。これはその芸風法畢詮』又は『串間』が忠義感情を有せすしたがつて日本の固
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鰻に就いて重くの無智であり、憲法畢詮は『駒民性格壌』に基くべきものであり、またそれは『国家
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性格畢』として埴図とその図史とに基くべきものであることを知らぬ如き想像も及ばぬ極端の無季に
由内するものである。美濃部氏は此論文で日本の囲鰭の萬囲に異る鮎は単に『世界に比類なき』と口
似眞をしたゞけで、その比頬無き所以、その事貨内容、論理関係には三旨も及んで居らぬのである.
1炊料‥.蓄一読紆#■ † J一汁…湖…湖瀾欄瀾欄溌態柵確紆1÷ 、r∫ノ∵/十人
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岩 触鵜殿憩笹
その他乗渡部氏は議員法叉憲法第八條同第十五條の解樺等を乳次に列挙しっ上その開法としての漉
史上のまた国家法律牌制上の位置と意養との多様の差別を顧みす、ヨ開法が事斉の力に依つて襲化す
る』といふ竺結論に強制充填して、それによつてその憲法論はr人類ノ推理心三基ケ←ところの『軋
ム ▲ ▲ ム ▲ △ △ △
法』がヨ制定法及慣習法ノ外エ礪立岩国法ノ淵源クルカヲ有スルコトヲ得』といふ如き↓十八世紀的
療壌誤謬思想としでの合理主義理知主義を以で大日本帝囲憲法の宗磨ノ大典』たる所以を紛更せむ
とするを正常に非難せむとする萄池男咋拭耕しようとするのである・これは乗渡部氏にとつては自然
科挙的研究方法と精紳科挙的研究方法との置別も知らぬ・教授として無資格たるべき無畢の暴落の外
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
め何物でも無いのである。
−−
▼最後にも一つ、美濃部氏の迷論を引用する0冒H本の国家は開飼以来唯;であるのみで、同一の
観衆が絶えず櫓頼して居るのであるが天皇は神武天皇以来官廿四代を経て居る○それでe君主と穎
\ ノ
.象とが同一であると謂ひ得ようかピハ瀦槻幸三四一東参照レ∴
_ 〆. ノ
入三
入朗
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ
これで中々錯衰らしいd首本の持家は開閑以来推二つであるLは中畢生の作文としても落第であ
篭『開閑以来唯;しではなく喜領又は全世界に閲闘以来竺づ』である。ロ虜似はトカタ閏年
ヽ
ひ易い0皐銃は完竺系Lであつて、冒廿四といふことは此の≡系もの内容であつて、≡し
と冒廿四』との数字上の差は事箕上の一致に封する二つの見地に基くものである。たとへば「一〇
〇年の長寿を保つね一生』といふ≡00』とコ』とは同じ革音に対する異つた見地からの計量を
示すものである0萬削系の皇統、天皇、臣民、同家は不可分に連絡するのであつて、それを構成斐
素に分析して、涛絡を切断したものとして、それを『同こであるか、無いかのいふ如きは、そ一の時
忙は既に観象も欝主も本来の生命を有するものとして取扱はれてをらぬのである.
日本圃家は給料的贈係によつて詮明し得るのであるが、.概念的認諏で東亜し得べきものでは無いの
やある〇.故忙槻家の問題を日本古典、シキkマノ、モチの乗車乏しい帝大改革部が排外猫占的に研究し
ようとするのが美濃部氏の如き倦趨檜上慢の態度の教生的條件となるのである¢完皇は紳武天皇以
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
爽今上陛下に至るまで宵廿四代を経て居るしといふ如き敬語なての叙述は反簡捷的である。扁藍
を用ゐるのは非料率的とでも思つてをるのかも知れぬが、素数の本質は教義信條ではなく挿伏線挿で
−あることを知つたならば、囲壊殊に皇室に封し奉つては敬語を用ゐることが本来の精神科拳的研究方
法に適合するものであることを知るべきである0これは完津日嗣は紳武天鼻より今上陛下の大御代
掛…柑戟c欄瀾瀾欄紙掛…血ホ湘欄州船 舶箋瀾瀾潤 ′∵/kへ
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士で百廿凶代を教へさせ給ふ』と申し奉るべきである0
〓】
★′〓パ沖n七竜郷∴′
乗濃瀧氏は此の論文でまた例の貧民闘将に就いてかういつてをる・・・ 恩掛払掛∵∵
r自分は今日の如き国事多難・最も強く囲民の表の協力を必要とする時機に放いて・かういふや
ぅな問題が、鶏骨柄院の議に上るに室つたことを溌く遭撼とするものである』(三三†完売〕
芙浪部氏が宗ういふやうな間留』といふのは同氏の言草を引用すれば冠利貧民に閑する中島南
柏の随筆忙封し、貴東南院忙おいて加へられた攻撃済簡』のことである0
費濃都民は中島南柏の貧民論を特に還筆チと辟建しっ1・それ湖南院の周題意ったのは遺憾で
問題にならす、中島氏の貧民静がそのま1通俗雑誌によつて有効に宜侍せられ、中鳥氏がその貧民静
、、、、1、、、、1 1 1、、ヽ1■ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
ク三ウエル漁、ナポレオン論によつて蟹表した如き日本国民と全く背反する思想を固持大臣として
、−、 1、 、1 1、1 1 1、ヽ ヽ ヽ ヽ
宜簿すれば、遭撼でない、即ち満足である†とhふのであるG〜
此の乗渡部氏を勅澤茸に推定した責任者は・犬養毅氏と鳩竺郎氏とであらう0乗準都民は故禾
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 1.
、、、1、1 I l l、1−、、1 1、、I、、I l l、ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
♯氏の畢に対しても共国債に就いての謬論速想を反省すべきである0
ぜへ五
〓ニ
ヽ ヽ l ヽ
また乗渡部氏の此の論文の掲載された帝図大革新閑には、そのヨ習畢時評瀾』に左の如き皐月葡大
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ、1、ヽ、−、1 1、1、1 1 ●、1 1 、1 ● 1 1 1、、、I、l
は依然として非日本反開懐凶逆マルキシズAの温床であり培養基であることの確辞を捉示するのであ
る〇 .
・『マルキシズムの汲落といふことも.・似而非マルキシ女ムの沌落と、マルキシズムのブルジョア.
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
ジャナリズムからの排撃といふ意味では正しいのであるが、ほん・とうのマルクス主義及びそれに近い
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 〜、▼1 1 I l、1 1、1 I、1 1 1・I l l l、1 1 11、、1 1、1、、、、、
ものは、そのあるべき場所において、たとへ吐求だ充分に強化しないにしてもとにかく前進して居り
▲ △ △ △ △ Å △ △ △ △ A △△ △ △ △ △△△ △
圃民主義や自由主戦よりは遠かに優れてゐるピ
要港部氏は治安推持法の反封者であり、またその『頑間』は到底マルキシズムの研究方法論的叉鹿
央現代史寮的誤謬を指摘矯正し得ざるのみならず、手渡部氏の思想がマルキシズム程度の個人主義唯
ヽ ヽ ヽ ▼ ヽ ヽ ヽ l▼
物静的の嬢痕的存在であり、マルキシズムよりも非猫創的の摸倣思想であり、単に図靂の殊恩に狩れ
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
た府趨増上慢思想に外ならぬことは以上略詮にても明白である。
∵掛級増発凍、
l四
‘浮ヾ∵、〃‖ゝ. 1、Y l、J ト鞋・ト・∵ヤ1∴∴ぢ‥す‥りゼ杓・鴻賃↓1\去1一朴滋「L ●
Z題冴狙油
菜浪部氏の拳闘と思想とがツマラヌものであればあるだけ、同氏を税在の累要地位に放置すること
・は、このことに就いて過去現在賂来に亘つての責任を負ふべき人々の上に課せらるべき冥罰は重大化
せらるべく、それはやが七全国民の連帯着任となるのである。故に菜渡部氏の串間と思想とを拳術的
に批判してそれに基き之を排撃することは日本帝閲臣民の責務であり、賞にその打衛行為である。
−五
ヽ ヽ ヽ l▼ ●
それ故に芙浪部氏の学問と思想との凶逆性が既に・貴族院本官請に於いての閃超となり、貴族院議貝
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、‥刃 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ I 、ヽ 、 、 ヽ 、、、、 ヽ 、、、、、 ヽ ヽ ヽ
菊池武夫男欝と帝大教授貴族院議貝乗渡部達音博士との公論界に於ける論戦となつた以上は、これ忙
ヽ.Y ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ 、 、 ヽ ヽ ヽ 、 、 I 、 、 、 、 、 ヽ 、 、 、 、 、 、 l
封し可香、賛成反封の態度を明白にすることは、公論界に於ける人々の避くべからぎる箕持である。
若し私情の銭めに此の重大の公共的関心事への閲係を回避するならば、かゝる自由主義は不忠のカク
レミノである、即ち滑極的不忠である。東京帝大に不忠デモ、クラシイ凶泣マル斤シズムの思想宣倦寮
行奨導に従事する諾教授を十数年来放牧的に同家が畜蕃してをるといふことは国家不群事病後、祀合
茶意の潮及源泉である勺帝大改革の斉行カとしての畢術的批判カと斉行的決断とを快く如き人格は、
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ■▼ ヽ ヽ ヽ l▼ l● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
現在の、少くも次の首相として臣民の忠義を零す能はぎるものであることを、こ々に紳明の照璧を仰
いで雀宮する。 へ『原理日本』昭和九年二月競併戦〕
入七