末弘法学部長の無條件『暴カ』思想
       『法窓漫筆』の無比凶逆性を摘発して小野塚総長の学術的良心と
       司法検察当局の『血涙護法』精神との健在を問ふ

                  蓑 田 胸 喜

          一 


 昨年四月美濃部達吉氏の後を受けて東大法学部長に就任した法学博士末弘厳太郎氏の【法窓閑話】の軍隊『厄介物』論、土地『無償』没収正当視小作争議扇動論は三井甲之氏著『我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?』及び拙著『学術維新原理日本』所載同三井氏論文『末弘教授凶逆思想細部分析』等に於いて美濃部、牧野(英一)氏のそれと共に反復また反復球団せられたのであるが、末弘氏が昨年一月改造社から公刊せしめた『法窓漫筆』は前者『法窓閑話』と原理的に同一思想の伏字充満のものであるが、特に『法治と暴力』の一篇は発行当時十六頁に亘り内務当局より削除を命ぜられ辛じて発売を許されたもので、若宮卯之助氏が当時警告されたことがあつたが、最近筆者は右に指摘した『法治と暴カ』の一章を削除せざる『法窓漫筆』を東京帝大正門前の有終閣書店に於いて入手し、今更ながら実に驚き入りたる凶逆思想をそこに見出したのである。

 

        二

 末弘氏は昭和六年四月廿七日、時の司法大臣渡辺千冬氏が地方長官会議に於いてなしたる訓示中に

『小作争議及び土地家屋の賃貸借に関する紛争の場合にありましては暴力によつて裁判の執行を妨げ、甚しきに至りましてはこれ等の紛争を暴力によつて解決することを生業とする者があるやうに認めらるゝのであります。元来私権に関する紛争は終局に砕きましてはそれぞれ法制の定むる所に従ひ国権の発動によつて解決すべきことが法治上の原理でありまして、これが解決を私人の暴力行使に放任するが如きは無警察無秩序のそしりを免れざるのみならす、終には国権を危くする危険が存するのであります。』

といひ、それ故官権はこの際『至公至平の態度』をとり『暴力の行使はこれを絶対に抑制する必要がある云々』と切言したことを前後詳細に引用したる後、末弘氏はこれに対して

『言ふ所一見甚だ尤もらしく思はれるけれども、実は其中に二個の大に非難せらるべき事柄が含まれてゐる。其一は暴力行為等の取締に関する法律の制定を促した所謂暴力団の暴力行為と小作争議等の戦術として行はれつゝある暴力とを混同し、同法を後者に対しても当然に適用ありとしてゐることである、』『第二に司法大臣は…暴力の意義並に今日暴力行為が如何にして屡々行はるゝかの原因に関して重く反省を欠いてゐることが暴露されてゐる。』(『法窓漫筆』九七−八頁)。

といひ、『「法治」の名に於て濫りに暴力を耕宰浮んとするが如き姓名数奇上して極めて不用意な態度なりと言はねばならない』(九九頁)といふより

『階級の対立ある社会を前提とする限り、一階級にとつての正義は他の階級にとつては必ずしも同時に正義ではあり得ない。支配階級にとつてのみ正義である法律は如何にそれが法治主義的に公平に適用されやうとも被支配階級にとつて永遠に常に不正義であらねばならない…今日吾々の社会に行はれつゝある階級闘争としての諸争議に対して法治主義的解決を求むるが如きは、最も白々しき虚偽にあらすんば、最も甚しい認識不足である』(一〇三−四頁)

『現実社会の実相を社会学的に観察すると、其所には常に法律の名に於て組織化された力と「暴力」と名付けられた事実力との闘争が発見される。それは力と力とn闘争であつて、正と不正との闘争ではない。一方が偶々「法律」と名付けられてゐるの故を以て其本質が力であることを忘れ、他方が非法律的であるの故を以て無批判に之を暴力視し不正視するのは根本的に間違つてゐる。』(一〇六頁)

といふいふに至つては、言語道断といひ目茶苦茶いふ語は、実にかかる場合の形容として用意せられたるものといふべく、暴悪無比凶逆の極みである。記せよ、これが而も『法学博士』 『帝国大学法学部勅任教授』殊に同大学『法学部長』の現任者の思想言辞であるといふことを! 而して筆者は、末弘氏の本論文は始め『改造』昭和六年六月既に掲載せられたものであるけれどもそれが昭和八年一月二十日発行の『法窓漫筆』に輯録公刊せられたといふ事実の確認を要請して筆陣を進むるに至り、先づ内務司法省検察当局がかくも凶悪思想を盛れる文献最初その発表を許しまた今回単に同論文箇所の削除を命じたるのみにて『改訂版』としての再発行を許可し『出版法』罰則の十全厳正なる適用を看過または怠慢に附し、かくしてまた該箇所を削除せざる名目のみの『改訂版」が書店に於いて筆者に入手せらるるに至りたる事至につきその責任を糺問せんとするものである。


         三

 末弘氏が渡辺元法相の訓示内容に反対したのは、第一に、暴力行為処罰令は大正十五年当初制定に当つては『所謂暴力団の暴力行為』を対象としたものであつた、それを『小作争議の戦術として行はれつゝある暴力』にも適用するといふことは立法の動機主旨に反するといふにあるが、最近官吏身分保護の目的を以て設けられた『分限委員会』制度が第一にかの瀧川事件に当り却つて身分剥奪の目的のために通用せられたる如く、表面上一見反対の結果を来したるが如き事例を見出したのであるがこれはヴントの所謂『目的分化の原理』の一実例ともいふべく人生とはかくの如きものであり始め予期せざりし結果を生ずることがあるのである。それは然しながら根源的実質的に考察すれば矛盾でも何でもない。本来官吏の身分を保証するといふことは官吏としての分限責務を正しく守持遂行しつゝあるものを国家的見地から保護せんとするものであるが、その同一精神はまた官吏にしてその分限責務に違背する行為ありたるものはこれを罷免するといふことになるのであつて、これは権利と義務とが表裏をなし従つて業務の負荷遂行が自ら権利の受益貫徹となる如き必然的脈絡の表裏補足関係に外ならぬ。『所謂暴力団の暴力行為』取締法規が『階級闘争』即ち『共産主義革命の手段』としての『労働小作争議に於ける暴力行為』にも適用されるといふことは表面的にさへ『法治』を精神原理よりして何等問題となるべくもなき自然必然当然のととである。
 然るに末弘氏が 『「法治」の名に於て濫りに暴力を排撃せんとする如きは為政者として極めて不用意な態度なり』などゝ実に不逞極る暴論を吐くのは、氏がマルクス主義『階級闘争説』の文字通りの徹底的信奉者であるからで、『法律は如何にそれが法治主義的に公平に適用されやうとも被支配階級にとつては永遠に常に不正義であらねばならない』といひ、『法律』も『暴力』も亦同じく単なる『力』にとつては永遠に常に不正義であらねばならない』といひ、『法律』も『暴力hも亦同じく畢なるに過ぎす、両者の関係は徹頭徹尾単なる『力と力との闘争であつて、正と不正との闘争ではない。』いふに至つたのは、末弘氏が先に『法窓閑話』所載の『小作人と土地所有権』中に

『若しも小作人が何等かの手段により全く無償で小作地の所有権を取得出来るならば、彼等をして
之を取得せしめんとする主張運動は正しいと云ふことが出来る。併しながら、今日平和の手段に依つてかくの如きことが実行されようとは夢にも想像されない。』(前掲書一五四−五頁)

『彼等は唯団結すべきである。団結の力によつて小作法を改正せしめよ、又地主に対抗せよ、かく
して彼等は自ら無償を以て所有権に等しきものを取得することが出来るではないか』(同上一五九頁)

といつた、その『今日平和の手段に依つてかくの如きことが実斉行されようとは夢にも想像されない』ところの小作地無償没収を『正当』視した態度を原理化し更に根本的に最も露骨に表明したもので、末弘氏の今回のこの『暴力行為』宣伝煽動のかくも忌憚なき文字通りの共産主義思想は、氏が前著『法窓閑話』中に

『「主権」は唯腕力の足らざる所を補ふ為めの仮説であり概念に過ぎない云々』(三九八頁)
『軍隊は要するに一旦有事の際を目的とした護身刀に過ぎぬ…その代り又如何に能く有事の際に役立つべき武器と雖も平素の日常生活にとつては畢竟一の厄介物に外ならぬ。唯万一の場合有事の秋を予期して已むなく維持せねばならぬ厄介物、謂はゞ「已むを得ざる悪」の一に外ならない』(三九九頁)

といつたことゝ併せて、これは大日本帝国の国憲国法をも含めて一般に民族人類生活の平和安寧秩序を保証する法制の根基全体系、法律・正義観念そのものゝ全体約根源的撥無滅却 ― 無法、滅法思想であつて、これ正しく我が出版法第二十六条『皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ政体ヲ変壊シ国憲ヲ紊乱セントスル文書図書ヲ出版シタルトキハ著作者、発行者、印刷者ヲ二月以上二年以下ノ軽禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス』の明白極る適用対象である。

            四

 末弘氏のこの『暴力』の無條件肯定宣伝扇動はいふまでもなく共産主義的『革命』思想であるが、共産主義社会実現手段、『戦術』としての『革命』に就いては、一八四八年発表の『共産党宣言』中には飽迄それを力説したマルクスさへ一八七二年和蘭のアムスタルダムに於ける労働者大会に臨んでの祝賀演説中には

『労働者は新労働組織を建設する為に政治的権利を手中に掌握しなければならぬ。…併しながら吾々は此の目的に到達する方法は何処に於ても同一なりと主張するものではない。吾々は異なる地方の制度風俗習慣を顧慮しなければならぬことを知つてゐる。而して吾々はアメリカ、イギリスの如く又若し私が貴国(オランダを意味す、筆者註)の制度施設を更に能く知つたならば恐らく附加へて言ふであらう。オランダも亦平和的手段に依つて其の目的を達し得ることを否定するものではない、と。』

といひまたエンゲルスにしても一八九五年に出版したマルクスの遺稿『フランスに於ける階級闘争』の序文中に

『世界歴史の皮肉は一切のものを転倒せしむる。革命家たり転覆家なる吾々は合法的手段に出づる場合、非合法的手段即ち革命による場合よりも遙によく成功する。』

と云ふやうに、『革命』的社会主義の開祖たるマルクス、エンゲルスさへもすでに生前に『暴力』の一律
無条件的使用を拒斥したのであつた。レニンがロシア革命の健験によつて『莫大なる最稜』と『失敗♭
 と潅経験して外国共産東員の;ア革命模倣・ミ、ソテルソの決議指令への盲従を弾呵もたととは堆・
 釆蔑鹿か文献的に指摘したところであるが∴拙著.ヨ畢術維新原理日本』、レ;の憤験したる;ア
 革命、及び佐野・銅山の特向書を批判して日本共鼠算並に共同惰者に輿ふ、の項参照)、日本共産蔦
 首魁、佐野・鍋山等の緑中及び公判廷に於ける固饅奨革思想敗撃義、植民地放棄論、『暴力革命b
       ● ● ● ●
  政策の誤謬普自、それらからの超脱としての超『階級』の『民族的』≡夙紅曾主義』の理論はその一
                        ● ●L ヽ I l l l、1 1 1、、、、、
 還向言動横と共に僧嘗磯村批判姦するのであるが、未弘氏の『法治と暴力』の表暴く皐
   ヽヽヽ、I、11、I、11●● ●● 11、●1、、、、11111111 、、1 、、、、、
  憩凶逆思想は現在に於いては佐野・鍋山等の農産主轟思想よりも極めて甚しき『過激性』を有するも
     −_ ヽ ヽ ヽ
  のである。             ・‥一   「リ。銚湖瀾浦川汰
                                                                                                                           ∵し”L.

1
                          ● ● ● ● ● ● ●
    この事斉上りして末弘氏は京大罷免以前の河上畢、瀧川事辰氏等と共に『過激流』けマルキストとし
                                              ● ● ● ● ● ● ● ●
  ■てマルキシズムそのものに射してさへ無畢無智の故の音信者であり、樽向顧落せる日本共産農点らと
      ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●S●専SS
   同一の誤謬を侵したる思想的共同正犯人として、前記出版法規のみならす、また『治安維持法』第三傭
   乃至四億の『囲慣襲革』または『私有財産制度否認』の『目的ヲ以テ駄擾、暴行共ノ他生命身規叉ハ財
  掛一事ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シクルモノハ十年以下ノ徴役又ハ凛錮二虚ス』の正虞正銘不可避の被題
  用封象であつて・、われちはか●l封肘掛掛釣針掛針柵かか小心和知齢如餉掛『山紛糾巾掛む静かk∴
      ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
  といひし青草を茎しき響に移らしめぎるべきを信じこの璃頚の結果に期待せんとするものである。′
  椚_″
  岬†.十   五
       −
   過去†数年来の政執政治のそれと対比勘考せらるべき.無数の労働者小作人、青年男女畢生、華族
   子弟司法官小畢教師小畢生に至るまでの全開全階昏に及びたる日本線赤化の直接間者、物心両面阿東
                                ヽ ヽ ヽ l■ ヽ ヽ −▼ ヽ ヽ 」■ ヽ  ヽ ヽ   ヽ ヽ  ヽ ヽ ヽ
   圃民生清の不可見の仝憤に塞けたるこの赤化共産主義思想蓬動の.『惨粥』 『犠牲】の鵜量は計測せら
  れ得べくもない。共産農員らはそのシソ.八開係者と共に治安維持法により態攻検挙積審廃刊せられ来
                   ヽ ヽ   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ    ヽ ヽ  ヽ _ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ    援援S援堰插S
   りつゝあるが、あ1、その虜の悼むべき『元兇』 r主魁』は何人なるか↑日く・L帝大赤化諸教授T
    国家の最高軟化横翔たる帝飼犬単に占撼し大唇講堂と大新開大雑誌また著書其他め公刊物によりて
                                                                                                                                            ●一● ▲

  閑居の囲家的忠誠心また『串間b迷信む利用しつ1囲鰹攣拳固家朗民生帝壌事思想を青少年肯筆耕牢
  に及ぶまで常識化し共感篤事件数日常茶飯事化せしむるまで忙普洩化、水鞭化したるものは斉に帝大赤
 化教授であつた。彼らは青年串生のr赤化しの帰国針『敢曾制度」、.彼らのマルクス主筆理論名軒と
  してのr資本主義融合組織』に辟しそのr根本的攣彗を見ざる限り、背年畢生の赤化、昇働小作季
            、I、、l I l 1 1 1 1 1 1 1 1 0 0 1 1 1 ヽ ヽ ヽ l ヽ ヽ O Q
 窺の終畑靭すべからず、と、時代と民族孝を超勉せる紳盤なる弓料率』の構成を以て絶倒の靂彗
     ヽ −■ ヽ ヽ ヽ 、▼
  の名に於いて堅弓した。見よ、いま共産主義赤化思想運動の内外現什史的没落の窪命∵宗製怪物」
   の正態暴露を!
          ● ● ●  ● ● ● ●
  れ〈して河上攣瀧川率辰等京大教授の罷警た東大、九大商大其他の群小度語数磨の罷免が行
                                            ● ● ● ●
 はれたけれども、重囲帝大決壊都の根城本丸としての東大添畢部のハ青野作造氏亡き後の)不忠喜
                                              ● ● ● ● ●
 政』凶滋還産L主義思想の儲元兇は、われらの十数年以来の批判乱弾にも拘らす、実演部達者氏が
                       ● ● ● ●                  ● ● ●
  本年三月来由停年制により逸機したる後に.牧野英】氏はその思憩素質を衷海瀬晦しっゝ象に末弘蔽
    ● ●
  太郎氏は法界部長として現職にあり本稿に稀脅したる如き暴悉無此凶攣橿る無法減汝思想を浦洲事#
  後にさへ公表した¢
  農村救済の要革は思想香草固防充斉のそれと共に数年来歴代内槻の内政問題となり発つてゐるが、
 未弘氏こそはとめ『駒難b彗束内政粗相惹瀧の元兇でせって、青年畢生赤化、壷際呪訊歯拓破垂宜
           “
   件の乞と株いま措いていはず.本稀中にも挿滴せしその小作拳法暴動化煽動は斉に地主と共に小作人
          S  参
  をも含めての『農村雅敬−を現出せしめた普のものであつた。即ちその小作争議の暴動過激化は農村
   の小作地を無牧品物准つて不融通物化せし綿糸一般に金融の都市逃亡農村梗塞、基地農売物塘の未曾
   有の低落、利沸不能借金の複利逓増と相保ち速に借金五十億と算せらる1に至つたので既成政篤の泉
   年の昨審を激甚深刻化し『農村地獄』の現出に重大作用を及ぽしたるものは‡に末弘氏らの共産主我
  杓土地無償汲牧儀術としての小作季議暴動化宜倦であつた.新潟願木崎柑の惨嗣の如きこの『農村地
   狩L\\め裳軋として永久に日本兵村史の代表的悲劇として簿へらる1であらう.【パソを求むるものセ
   石にて打つものjこそ未弘氏らであつたのである。
                                            ヽ ヽ ヽ ヽ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
    青年畢生の赤化また右の小作季議暴動化による農村破壊の外工場労働争議の過激化による日本工業
        」▼ ヽ ヽ
   の破壊をも故へよ−今日本めエ薫製品は全世界の満場を席捲しっ1ある。それ■は満洲事項後の現象で
   あり、その重大原因は銭替関係にもよるが、最汝の重囲民的商家茸識復活にょる協力勤労精締め緊張
   下に於ける弊働率湧の減温、労賃生産費の低廉、能率増進、品質の故事、製品め増加といふ如きが畢
                             ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ1 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ −▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ●
   げちるムであらう.この事斉に照して国家青赦と同時に協力勤労梼紳を破壊して闘争的推力慾と享楽
     ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ l ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
   心との人間劣情を刺稗激脅せしむる共産主義唯物論の商家産業破壊の必然性と斉欺とを恩ひみるべき
       ヽ ヽ ヽ
    である8

                                                                                                                    Jコ「」〓一

  :ヽ:‥‥‥11‥‥== ここ‥‥こ1=‥=−
 霊赤化的治安破壊に封する政府貰、内務・司法、文部各省十数纂の特高芸、裁判行刺、思
  :こ‥=‥‥1‥こ=11‥=‥‥1==1‥=‥1、、
 審導のための悪歳計費の慧は漂なりや基化せる常人霊審の護犠牲を商家のそれと結
  ヽ: こ1こ1‥=1‥こ‥=‥‥‥‥1‥11‥:、こ
 合せょ姦して滴洲事誓民主・芸義狸狭の拝外自卑風潮、革命的内乱徴候の国内肪態の笥で
 かりミ軋執帆帆姦・軌軌払軌執仇鞋か宗Lha敷k勅監鮎鮎鮎監
                                         S
 が寛が藍挙野望驚b卵で卵奈琵野蕊卵沖岬舶望a『力
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      六
  雲帝契単線長小野誓平次氏は去皇月言同大革創立記念日に際してな去る祝詞禁中昨
            ● ● ● ● ● ●

   年の京大事件に論及し
    こヽ:‥1=‥‥1=‥こ‥1‥=1‥‥==‥:こ
 .苛撃として外部より摩迫を蒙むるが如きことあらば我蒜本質治・の防衛に極力轟苧べく断え
  す用意して居呈す0併し乍ら、外部に対して有効に本拳の自治姦警んが為忙は、事件雲に
     ヽ ヽ ヽ 1 ヽ1 、、、
         ::1=1‥ ⊥1‥1=111‥1::
  際して奮闘す是では足滝せん・常に本讐して斥省し、誓1笠上訓萱及び行鷺可能の
  こ=1= ‥1‥=こ1こ‥1こ‥::、
 と……派鎚粥弼派居ることが必要であ豊す。』・潔漫潤滑ぶ…
汎朋朋
                                                    ヽ ヽ ヽ l■ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ l▼ ヽ
    芸礼頃我圃に於て、大事に射する非難は世間に稀ではありません.或は赤化畢生を出したるを青袖
   虜は知識偏重の弊に陥り人格陶冶不完全なりと難じ、或は分科収失し専門に偏して璧。の算皐がら
    ぎるを指摘し、或は授薬方法が噂記的詰込的なりと詰り、或は偉大怒る人物を産出せぎるの苦情を
               斗                                   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ・ヽ ヽ ヽ ヽ−●、、I
    訴ふる等k種々雑多の不平不満を耳にし眠にする事があるが=…・是革め政宰の或もノのは決して不普
      ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ I ● 1 1 、 1 、、 1 1・、 1 ヽ 1 、 1 、 1 1 ヽ 1 、 、 I 、、 I
     としで経線すべきではなく大畢常局者(職員全部を含む靡き意味に於て)は固より更に国家及び批
       ヽ ● ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ■ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ l ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
    せの枢要なる地位を占むる者の滞甚なる考鹿と反省とに便するものであるも、叉他面に放ては或は
    敬意に大畢を中傷し、或は大皐の本質と其貰妖に対する正普なる理解を快くに基くものも、決して
    ∵絶無ではあ▼りません。
             ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ _ ヽ ヽ ヽ _ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
      元氷大挙の性質は、世界−般に急進的よりは寧ろ保守的であつて全く時代を超越し得るものでも
                              ヽ ヽ ヽ −●.ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ _ ▼ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
    無く叉超越すべきもので滝無いが、一時の風潮に対しては超然せして自己旬本分を守ることが、井
   樺利でもあり′義務でもあります0』
  トいひ、そaめには『郁欝炉卵封か蒜郎申卜志靂賀卜郎.が朗卵還餉舶餉如熟‰賀‰
        ● ◎ O S @ S S OO @堰@◎ S S  
    度々傑鶉するの瀕宰が涌感せちれ.凌す』上いひ」最後に
            S堰掾插援IS 援I@SI●S◎SS曾卓さ
    ノr破の憤澤朗専制胡暴力朋」∴虎組憐的非人情朗なる共産主義者の萎縮は、具に成すべきことであ♪
    ます。顔りと潮も凝らに非常時の名の下に盲目的包己陶酔、.領均的反動的思想と感情との隆租、
                                                        四患

国法軽侮の讃美、動機偏重手段偏軽の傾向の跋扈を見るは慨嘆に堪へない所であります』(以上、帝国大学新聞、三月五日付掲載文による)といつた。この小野塚総長長の所説には従来の場合よりも一面反省的傾向も見ゆるので煩を忍んで比較的長文に亘りこゝに引用したのであるが、小野塚総長は『国法軽侮』どころか人類社会生活の普遍的規範としての法律・正義観念一般を撥無滅却せる『彼の直訳的専制的暴力的、反祖国的非人情的なる共産主義者』の見本ともいふべき末弘法学部長をその現地位に放任しつゝあることが許さるべきであらうか? 『非日本的暴力革命の思想運動は誤謬であつた』とは日本共産党の首魁、佐野・鍋山ら獄中また公判廷より告白したるところ、『大学の性質は、世界一般に急進的よりは寧ろ保守的』といひ有形無形の暴力に屈せず、宣伝に迷はず、世の風潮に迎合せざる毅然たる態度を保持するの必然あり』といふ小野塚総長の所論は末弘法学部長に適用する場合如何なる結果となるべきかを、筆者は厳粛にその学術的良心に問はんとするものである。
 議会終了後改めて三大政策を標榜して教育思想対策を数へ、最近の地方長官会議に於いて首相以下関係各大臣『不穏矯激思想の制遏根絶』を宣言訓示したる現内閣当局は、帝国大学法学部長またそれ故に普通文官分限委員たり、国家高等試験委員たるべき地位に末弘氏の如きを放任しつゝ国務大臣として如何にして自己の言質、否輔弼責任を完うし得べきであるか? われらはこゝに斎藤首相以下文部司法・内務大臣に対してと共に、特に厳粛に陸海軍大臣の『忠節』軍人精神及び同志日本主義団体の国家観念に訴へんとするのである。(以上『原理日本』昭和九年五月号所載)

             六
            
 以上は『原理日本』昭和九年五月号誌上に発表したものであるが、筆者は其後先に指摘したる『法窓漫筆』中の『法治と暴力』が最初発表せられたる昭和六年六月号『改造』を入手して両者を比較したるに、『法窓漫筆』の序文には『中には編輯者によつて極端に伏字にされたり削除されたものもあるが、原稿がなくなつてゐる今日読めるやうに書き直ほすことも困難だから、そのまゝに掲げることにした。』とあるにも拘らず、同書中には『改造』誌上の場合には伏字にされをりたる最も過激なる箇所例へば −

 『支配階級にとつてのみ正義である法律は如何にそれが法治主義的に公平に適用されやうとも被支配階級にとつては永遠に常に不正義であらねばならない』(一〇四頁)
 『現代社会の実相を社会学的に観察すると、其所には常に法律の名に於て組織化された力と『暴力』と名付けられた事実力との闘争が発見される。それは力と力との闘争であつて、正と不正との闘争ではない。』(一〇六頁)

といふ如き数節の、特に三角の圏点を附し置きたる文字が其他数箇所に於いて復活せられてゐるのを

発見した。筆者はこゝに末弘氏の目的のためには手段を忍ばざるゝマルキストとしての学術的並に道徳的の悖逆無良心を指摘し弾劾して已まない。更にこの点に就き一言し置かんとするは、筆者が末弘
氏のこれらの文献を提示して面談その処置を要請したる際、小山司法大臣(前検事総長)並に矢追控訴院検事長は末弘氏の右論文は『改造』誌上に発表されたる際に検察当局にて問題となりたるものな
ることを筆者に対して言明したること、これである。司法内務検察当局が伏字せりと雖も右の如き論文の発表を当初に許可したることが司法権の威信を失したるものであり、また今回それら伏字を欺瞞
しつゝ而も忌憚なく復活したる『法治と暴力』の如き数篇を載録せる著書『法窓漫筆』の発行発売と
部分的削除によつて許可し来りたる内務司法当局の職責不忠実と怠慢とに筆者は公憤の禁じ難きを覚
ゆる。
 猶筆者は其後昭和五年十月、日本評論社発行の『法窓雑誌』を入手したが、その中に末弘氏は
 『現実の社会は常に実力闘争の巷である。』(九五頁)
 『元来小作争議は労働争議と同じく法律的裁判的解決に適せざるものである。初めより法律を超越したる闘争であり闘争解決方法である。』(一一五頁)
 『蓋し社会的に実力あるものが其実力に目醒めて実力相応の社会的地位を要求し、実力によつて其
要求を貫徹すべく努力するとき、之に原因して起るべき闘争は唯実力的闘争のみが之を解決し得る

2-01

国家の法律の如何ともい難い事柄である云々』(九七頁)
 『而して労働争議小作争議の如き階級的実力的闘争は正にこの国家的実力により法律的裁判によつ
て解決を与ふるに適せざる事柄にあつて、国家の之に封する対等は其貫力的闘季たる事斉を事質と
  レ巾掛掛レかかヤ酢が即断卵知紳卵卵がしポが卵柳沖卵卵び由かか小山掛かいかい』ハ九芸)
       ● ● ● ■S智躯I @ S◎ S援援 ◎、@O参@援援援@
 .『小作人が唯l最後の武器として暴力に赴かむとするは蓋し常然の粗勢なり』二〓ハ耳)
                         I堰浴裸S@援S@@S@O@−.轡援SS援       S●
   『小作人が之に封流する馬めあらゆる死力を毒して戟はむとするのは極めて自然であ.つて、木崎柑
  卵榊処伽如伽伽熟舶伽勧奨掬卵卵が祁紳卵が封S鵬餉‰恥‰鮎伽鮎‰鎚‰決である0』ハ};書
                                                            ●
  といつてゐる。右の引用文は末弘氏が始め『法律的圃率と資力的闘争』と超してr改造」昭和二年新
  年娩に頚表したものである。常時は昭和三年の三・一五事件翌年の四・一六事件勃頚直前の赤化共産
                                       ● ● ● ● ● ●
  賞造動極盛期であつたので、氏が大正十三年一月四日以下の兎京朝日新開に『小作人諸君への替合し
  と副題して連載した『小作人と土地併有植J つ先に引用せし如く本冷丈は後に『法窓的話』に幹線、筆者の入
            ミ 〕
  手せる同音は費行;む忙して二十版を重ねをそ同審に庚台鴇載せられたる『嘘の効用』は四†匪孝行と妃きれ
                           ● ● ●                                        ● ● ●

  てゐることをこ1に注意しておく。) と併せ疎む時、末弘民こそ貰に大正末年以来の共産主事的小作労働
  争議また青年畢生赤化煩動の元兇主魁であつたt断言し得るのである。、若し末弘氏ち帝大数虎ちが故
 に共轟壷思歪動に対して批判的態箸とつたならば、良らを棲準とした寄港撃払ジアナ豊
                                                四九

                                                五〇
   ム思潮も共産主義泊従の態度に出でざりしなるべく、それ故断じて月本線赤化状態としての『思想碑
  姓』と呼ばれし如き不辞事を惹起することはなかつたのである。かくして僅々十数年忙して没落自滅
                                    ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
   の宿倫を明示しっ1ある共産主義思想運動の世界現代史的事斉は、たとひ妄想』によつてさへも如
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  何に『人類の融合的存在がその意識によつて規定さる1』ことあり得るか1換言すればマルクス生
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   義の唯物冷、唯物史観が如何に非科挙的悸理なるか、を軍記し了つたに外ならぬのである。
   かくの如きマルクス共産主義に封して無関心または無批判の態度をとりたるもの忙して漁、精紳文
                                      S ●
   化科挙または歴史杜歯科参上の研究者としてその従来の堕性的地位にあるべからぎるもの、現んやこ
  がが耶卵排卵遥駕f袈掬鮎鞄裟卵掛か卵卵∽浣がザ宗b卵が卵紳妙齢伽伽宗紗いか
  bbがbI卵欝御紳凝欝断卵尉卵御かが卵宗餉伊那浣伽和鮎掬鞄‰、欝紳袈如か伽
  が脚御脚卵即妙ががbが紳がか0ことに萱へ準準部長の現職にありながら宗力』と『箆律』とを同
  一硯するの無比凶泣思想を公然と宜健しっ1ある末弘氏の如きに封して若しも訴追断罪を下さぬでも
  あらうならば、丘・芸事欒公判に於いて蒜渓箆法Lを詮きたる司法検察官局者収封して、筆者は
  一切の訴追断罪を停止せよ1また規内閣政府常局に封しては一切の▼思想善導施設上道用とを停止せ
   よ1と絶叫し、良みて唯ひたすらに不可測の紳意を仰ぎまつらんとするのである。ハ六こ9