皇上親喩シテ曰ク朕過日大学ニ臨ス（十月廿九日）設ル所ノ学科ヲ巡視スルニ理科化（学）
科植物科医科法科等ハ益々其進歩ヲ見ル可シト雖モ主本トスル所ノ修身ノ学科ニ於テハ
曾テ見ル所ナシ和漢ノ学科ハ修身ヲ専ラトシ古典講習科アリト聞クト雖トモ如何ナル所
ニ設ケアルヤ過日観ルコト無シ抑大学ハ日本教育高等ノ学校ニシテ高等ノ人材ヲ成就ス
ベキ所ナリ然ルニ今ノ学科ニシテ政治治要ノ道ヲ講習シ得ヘキ人材ヲ求ノント欲スルモ
決シテ得へカラス仮令理化医科等ノ卒業ニテ其人物ヲ成シタルトモ入テ相トナル可キ者
ニ非ス当世復古ノ功臣内閣ニ入テ政ヲ執ルト雖モ永久ヲ保スヘカラス之ニ継クノ相材
ヲ育成セサル可ラス然ルニ今大学ノ教科和漢修身ノ科有ルヤ無キヤモ知ラス国学漢儒
固陋ナル者アリト雖トモ其固陋ナル其人ノ過チナリ其道ノ本体ニ於テハ固ヨリ之ヲ皇
張セサル可カラス故ニ朕今徳大寺侍従ニ命シテ渡辺総長ニ問ハシメント欲ス渡辺亦如
何ナル考慮ナルヤ森文部大臣ハ師範学校ノ改正ヨリシテ三年ヲ待テ地方ノ教育ヲ改良シ
大ニ面目ヲ改メント云テ自ラ信スルト雖トモ中学ハ稍改マルモ大学今見ル所ノ如クナレ
ハ此ノ中ヨリ真成ノ人物ヲ育成スルハ決シテ得難キナリ汝見ル所如何臣謹テ対テ曰ク
陛下ノ言此ニ至ル皇国生民ノ幸ナリ臣曩ニ命ヲ奉シテ徳大事ト共ニ大学ヲ巡視シ（十月
十八日）窃ニ感覚スル所アリ徳大事先ニ既ニ反命スルヲ以テ臣未タ敢テ陣セス謂ラク臣
敢テ言ハスト雖トモ
陛下一タヒ臨御セハ必ス 叡心ニ覚ル所アラント今 宸勅ヲ奉スルニ果シテ臣力見ル所
ノ如シ臣嘗テ大学々科ノ設ケヲ聞クニ修身ノ学科ナシ和漢ノ学ハ文学科ニ和漢文アリト
雖トモ僅カニ和漢ノ文章ヲ作ルノミ哲学科エ東洋哲学アリト雖トモ是亦僅カニ経書聖賢
ノ話ヲ述ルノミ加之僅カノ時限ヲ以テ匆々ニ経過スレハ和漢修身ノ学ト僅カニ名ノミニ
シテ其勢将ニ廃棄セラレントス其教科エアル教官ハ物集高見島田重礼等僅々タル一二員
ニシテ其余ハ皆洋学専修ノ徒而シテ此人々タルヤ大抵明治五年以来ノ教育ニ成立シタル
者ニシテ西洋ノ外面ヲ
シ曾テ國體君臣ノ大義仁義道徳ノ要ヲ聞知セサル者共ナリ彼ノ某等ノ著書ヲ一見シテモ其放言スル所ニ依テ其思想ノ赴ク所ヲ概見スヘシ此等ノ脳髄
ヲ以テ生徒ヲ教導セハ後来ノ害実ニ恐ル可キナリ今ニシテ此ヲ停止セサレハ復挽回スヘ
カラス今陛下ノ勅衷ヨリ発シ徳大寺ヲ遣ハサレ渡辺総長ニ詰問ヲ賜ハラハ皇道ノ興張果
シテ此ヨク生ルヘキ也臣誠恐深ク
陛下ノ此言ヲ感仰欽敬ス臣敢テ一身ヲ顧ミス唯
陛下ノ命スル所森大臣渡辺総長ニ向テ問難スル所アラントス然トモ臣窃ニ自ラ量ルニ
カ漢学者流ニシテ
陛下ノ左右ニアルハ衆目ノ視ル所ナリ故ニ臣力言ヲ出サバ
陛下ノ眞衷ノ 勅語モ故ハ臣カ上言シテ作為スル所卜疑ヲ容レンモ知ルヘカラス是臣
カ謹ンテ敢テ自ラ任セサル所ナリ抑教育ノ重大ナル夙ニ
陛下ノ深ク慮ル所幼学綱要ノ欽定アリシヨリ漸クニシテ米国教育ノ流弊ヲ救正シ世上
再タヒ忠君愛国ノ主義ニ赴キ仁義道徳ヲ唱フル者アルニ至リシモ去々年ヨブ又復洋風ニ
傾キ昨今ニ至テハ専ラ洋学ト変シ和漢ノ学将ニ廃絶ニ至ラントスルノ勢有志ノ士皆大ニ
憂慮スル所ナリ但国学漢学ノ固陋ナルハ従来教育ノ宜キヲ得サルニ因ル其忠孝道徳ノ主
本ニ於テハ和漢ノ固有ナリ今西洋教育ノ方法ニ由テ其課程ヲ設ケ東洋哲学中ニ道徳ノ精
微ヲ窮ルニ至ルノ学科ヲ置キ忠孝廉恥ノ近キヨソ進ンテ経国安民ノ遠大ヲ知得スルコト
ヲ務メタランコト真ノ日本帝国ノ大学ト称スヘキナリ今ノ設ケノ如クシテハ 聖喩ノ如
ク名医ハ多人数成就ナルモ政事ハ執ルコトハナルマシク法学ニテ君徳ノ補佐モ充分ナラ
ス理化植物工科ニテ其藝ニ達シタリトモ君臣ノ道モ國體ノ重キ脳髄ニ無キ人物日本国
中ニ充満シテモ此ヲ以テ日本帝国大学ノ教育トハ云へカラサルナリ自今以往 聖喩ニ因
テ和漢修身ノ学科ヲ更張センニハ其道ニ志アル物集島田等ノ如キ聊カモ国学ニ僻セス漢
学ニ泥マス西洋ノ方法ニ因テ教科ヲ設ケ時世ニ適応シテ忠孝道徳ノ進歩ヲ生徒ニ教導セ
ンコト何ノ難キコトカアラン其風気ノ及フ所必ス国学漢学者中ニ奮発シテ国用ニ供スル
者出来ルヘキ也当世ノ風潮ハ面々各々其弁ヲ震ヒ其腕ヲ伸ハシ唯進ンテ取ルコトヲ要ス
ルノ時ニ際シテハ自分一歩モ退クヘカラス素ヨリ彼等ニ抵抗スルニモ及ハス唯地歩ヲ占
メテ進ム時ニ一歩モ抜カサス吾道徳仁義ヲ進入セシムルヲ以テ当世ノ著眼トナスヘキナ
リ是臣カ年生ノ見ル所深ク
陛下ノ勅喩ヲ敬承賛美シ速ニ徳大寺ニ命セラレタ渡辺総長ニ下問アランコトヲ希フ所
ナリ更ニ宜シク伊藤大臣吉井次官等ニモ 聖意ノ在ル所フ御示喩イランコトヲ欲ス
右謹ンテ上言スル処
聖顔喜色麗シク更ニ又反復懇喩アリ一時間余ニシテ退ク
明治十九年丙戌十一月五日
元田永孚 謹記