末弘博士への公開返書

 

    未弘博士への公尉返書      .1りノ転繁
                               盛歴野掛際紆
           −

   末弘厳太郎様〇二月二十七日〇三井甲之●
  二月二十晶二十二謁印の御手慧賢いたし愛した0苧が言四日の悪習新攣御芸
 にな呈した『小作人呈地質樵!小作人賃への嘗旨就音しては音本及潔人』「仙警
・・宗陶宗外にも芙芸冷害扇本』とに僕は意見姦表いたし己た0僕はかういふ同額はすべて
 公論の冊界に給いて公衆の面前で論ずべ普の冨ると思ひ書からして・苧の讐統に対しても
 こゝに彗で御答へ致し喜0叉筆紙や内容も・すべて公欝界の冷警嘉宗徳に就いての神意
                                          ここ

                       叫四
 見の考表とでありますからして、こ1へその全文を引用致すこ↓に御強請は無いこ上1信〃壷すが・‘
.私信の形式をとられたものであり書から∵雷撃曾んょぅと彗て誉うちに瀬切日が切迫して
   しdまひよした0
・僕は此の同額に限らずすべて公論冊界に紛いて私的個人的見地から論笥をしヰフとは思ひよせん0
 それ故に畢下に冒本及是人妄御選りするにも私信芭ての手驚附加し奈つたのであり書・
           ニ

  貴下か毒誼の御精赫のあろ併は能く↑解いたし候へ共貴下の拙論に封する卿解持には乍失躇発多
 の誤解あると存じ、いづれ紀く何等かの形式に於いて意見を費表すろ考につき云々』といはろ1、そ
 の小生の表解旨鈍いては希理的矛盾と史的又現章句事嘗の錯認とを十分に掛摘せられむことを厨ひ
 ます¢漠然と自分はそんな構わではなかつたとか、虞の目的は嘗際どうであつたとかいふやうの桁疏
 のみで無いやうに願ひよす0ニT僕の誤解を分析指摘し説明論破すべきを期待致します0
  攻に費下が冒作兵創定諷の妄を明かにし−小作人の之によつて乗ぜらろdなからむことを希望す
 る鮎に目的を置き培たるものなることしを線解せよといはろ1のは、自作農創定策の含む射警認む
 るといふ卦に就いては僕も貴下と表して居り、僕も山誉々新開で宗弘氏の論の中で自作典創鬼・



                                                l



 ■地金軸政策に射する意見だけは、そめ百身の十ぐらゐは正しいJ藤められょう●小作雰作者をして子
 孫代々債務のため.に苦労せしむちやうな土地分課金融政策は筆陣七眉嘩ものである』といつて括りま
                                           A A A
 す0しかしながら僕は貴下のやうに自作農創定繁に絶封的に反封し、又土地有償買上を絶封的に排斥
                      ム △ A ム ▲                                  ▲
  しト小作学識を潜緑野列花して『頗慣を似て併有樵に均しきものを得よ』と教へ土地併有樵の償値が『何
   ▲ム ム ムムム△A△A▲▲▲ムム                                ▲▲▲
  琴の封償を文殊はるゝことなしに車失する』やうに小作人は鋼線んて地‡に封流せよ。といふ小作替
   ム △ ム △ ム ム △ △ A ム ▲           ◎◎◎◎◎■  ◎◎◎◎◎◎◎◎◎ ◎◎◎◎●◎◎◎中‥
  耗稲枝強烈化を企書するといふ見地から、『芭作農創匙』上『小作琴議栂綻畝烈化』とを蓮揮断定的儀係
   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
  に欝くといふ盲が所謂机上¢理路でああとするわであ¢息ず。理論約といふこと妊過激約といふ王と
  思ふのであります。自作農創定によつて小作学識を絶滅せしめようとするのも此の埋論的仮借過激恕
 憩に基くものであつて・それ故仁費下が排斥するところの自作農創定策も、費下の小作零馬瀬緯温熱
               ▲ ム ム ム ▲ ム ム.Å
 化目的蛮行宣倦もつまりは思想的に同一素性のものであるとするのであります。地主小作閲倖がある
  からこそ小作牢鵠が起るのである。小作簿譲の原餌又は主賓成立條件は地主小作関係の存在で旬る、
       ▲ △ △ △ A ム ム △ ▲ △ ム ▲・▲ ▲ ▲ △
 故にその原拇又は主要成立催件を無くすれば、鴎つて小作寧耗も無」止る。かういふ机上の畢純理論
  に基いて小作学識を解決しようとするのは、マルクス理論によつて−般統合労働問題を願決もょぅと
  すると同C過激危険のエクスペリノントであると思ふのであります。それは貴下か『若しも小作人が
              ▲ ム A
  何等かの手段によ勺全く無償で小作地の併有横を取得出来ろならば、彼等なして之を取得せしめんと
                                                                                              一

                                               山二ハ
     ▲ ▲ ▲ ▲ △ ム ▲ ▲一
   する主張運動は正しいと云ふ王が出来ようLと音はる1融合共産主義理論の題用と同じく危険思想で
   あるとすろのでありよすO
  l自作農創定は土地分譲によつて篭現せらる1のでありますが、その分譲の形式方法手続手段の如何
           ▲ A.ム A ム ▲ ▲ A ▲. ▲ ▲ ▲ ム ム ▲ △ ム ム ▲ ▲ ▲ ム ▲
  によつて月作農臥定実は或は是思せらるべく、或は否認せらるべきものであると思ふのでありよす。
  土地有償分譲による自作農創史実をそのま1之を否定すろよりもその其の内容な吟味するこ上が必宰
                                     ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎●■
  であると思ふのであります.女自作螢創定が自作農としての個人畝集約融合階級的地位の俸統的軌克
子ふ魚津を卜筐居蛭批め憤底劇優魔の内容吟味の上に重嬰組すべきであると思ひます。自作農劇先
  のためにする低利驚金の利率の如何よりもそれに附鴎せしめらるべき自作農軋風卦・熱々剖制準〜転
  をこ居重要鋭寸べきであると思ふのであります。かういふ見地から僕は貴下の自作農創定案反封意見
  に射しては百潮瀾潮とすれば極限の寛大の態度を以てしても給軒より鉄分の軒はつけられないといふ
  のであります0                     1礫糸凝
            三

                                                     、▲ ▲ ム ▲ ▲ A ▲ A ム A A ▲ ▲ ▲
   それ故に貴下と僕との頓に自作農創定実に封すろ反対といふ概潜的態度に於いて表面の一致があり
         ム ム ▲ ▲ ▲小ム A、ム ム ム ム ム ム ム ▲ A ム.ム ム △ d ム′ム
   よしても、その意見の内容と思想の素質とに酔いては根本的の差別があるのであります。それ故に女

 ●



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  下の『眞に目的を置く』ところを舘博してト僕は依然として費下の思苧呈姦とに反対せねばならぬの
   でありネ血す。費下は『自作畏創定策の安々明にし・…・:・鮎に虜に目的を置き居たるものなることを神話
   健相成度、然らずして唯言葉戌のみを梶へて大袈裟なろ「危険」宣侍をせらる1ことは迷惑至極に有之
   倹』といはる1が、僕が費下が具に目的を置くところを諒解しても、僕は依然として貴下の思想と主
  張卜仁反射せざるな得ぬのでありよして、決して貴下の青菜属俺捉へて詭拷を斉し都誘を志さうとす
   る如き私的意固に基いて議論をして居るもので無いことは上記凶種の公刊物に於ける黎表に於いてそ
   れぞれ論者の態度を明示してある通りであります.若し僕が貴下の言葉尻を捉へたといふ事葦があり
   ましたならば一々明瞭の御指摘と厳重の御批判とを願ひたいのであります。論議者はその言論の筆内
  容について即ちその言葉に示されたるところの思想内容について、責任を負ふペきでみつて、その横
  顔又は眞に目的を置」ところといふ如き概括的主張に依て、費表せられたる思想内容に就いての責任
   を岡擬することはできぬと思ひよす。軍際に農村生病者の「人として小作寧詩の惨憺たる永績悲劇の
  渦中にあるものにとつては他人の言葉見を掛へて居るやうの時間の飴裕も抒抑の間隙も無いゐであり
 l ます。若し僕が他人の言葉尻々捉へるやうな不慮両日の意戯をたくらむ飴裕ある態度を示したといふ
  ならば−々それを指摘せトろべきでありませう。又貴下は僕の批評を鶏惑至極といはれますが、公論
  世界の蟄表は批評を壌想すべきものでありますから∵僕が批評したといふこと.を以て煮ちに迷漆至壌
                              .       一七ト

                                             一入
 といふペさで蛙ないと思ひます・それ故に食言速惑星櫛に藤ぜらろLといふのは僕が辛下の言葉鼠
 芸勧慧hたからと卜ふ申であ叶ませ与アそわなら好いよ卜首貴下は侯が言葉尻身軽へた軍軍を
                    一
  明瞭に指摘し厳正に批灯せらろべ丸であると息ひ女す。
 ・∴害際地方農掛算卦笹貴下のやぅα地仏にみえが言陀官.の責寧日新開で驚表したやうの意見
 を我表せら告といふことは迷惑至極であれよして、それは僕が上記凶種刊行物に教義した論文で述
ペで署内…基いで妄て警のであ阜 ノ諷贋…
  女に貴下は僕の山梨日々新聞へ掲載した抽稀に洗いて完下の璧潔ニ上して表に認めらる1食下
  が何故にか1む乳暴な言葉々樺山使つて居らラ一のかとんと理解いたし粂ね候」といはれますが、僕
  町言論の痴理形式と道徳儀鞄の上からして乱暴の言葉は;も併つて思¢ません.若し乱暴の言葉を
  併つて掛ろとい払計1ならば静より浮援でありますから」をの僕の富薮愚挙句の女賦な埠フて一々指
  摘して下さい0爽に貴下は蒜に他人に封すろ論評は封等のものtして相手生者てこそ成り立ち潜
  あものなるに拘らす、初めから相手方賀無革」扱ひをなさるやすでは第−論評.者自身の品位にも拘は
  るやフ思はれ貴下の軋啓の亀め至極遺憾に存候害いはれて昇り丸すが、その『無彗といふ言葉は喜

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  各j山】■月或め葦高太郎亀の批評を引用したのやありよす、貴下が甘粕事件の解許・に飽いて弓箆魂上岡鳥
   のあるめは平井鴨志由本多め舛罪であを、現行軍法骨譲醜から云へば無罪と云ふこ▲与ゑ印水あでせうし
   あいつてをるのに封して茸高太郎氏はr何と馬鹿ヰ々しい論ではないか。彼等享人か触罪となつたの
  敵軍憤単たる刑法め埋論から釆て居あめだ・形式駄たる革駄脅顎法から釆ては居eぬ.形式準で罪々
   斯ずあ息思ふ箸が.法律書の一員も覗いた者にあるだらうか。経れが無く勿れ大挙教授法革博士末弘
   熊太郎琴の総称だ』といひ、「甚しい無学の皐者』といつて磨る、それをそのま⊥引用したのみであろこ
   とは御承知の連句であります。そしてそれは食下が駒家融合から受けでをらる1待遇地位名容等め叔
                                                                                                     ●
   適と1もに引用せちれたものでありまして、叉それはマクドナルド氏トーヤス氏破損守克氏等の言葉
   をも引用したと同じ見地から葦高太郎氏の言葉をも引用したのであります。僕にとつては貴下の東京
              ▲ ▲ ム ム ▲ ▲ A ム ▲ ム ▲
   朝日新開に掛ける喪裁か嬰敷合に輿ふべき教典を考最サあことが批評租草の重要勤栖であります.
  費下の有する如き思想が講演論説となつて公表せられすに、汽車同乗者の稚談でどもあつたならば」t
   僕は畢につまらぬことき富づて居ろ位に鹿ムのみでありませう9
   叉評論収相手を潮確の絹のJして立てゝこそ成立するといふことも、それ竺般の儀撃−とに言論
                          − .▲ ′
   の邁轡甘守るといふこ甘であれば賛成しますが、侯は貴下の論訣が現日本拘束租械法健制度又は均せ
  と穎器財法との現管的催件に掛しての論理時駅疹と事嘗感経とを含むとするからこそ批評をしよ、つと
                                             ▲「九

                                         ニ0
 すむ箸あ窒しで1僕は此の思革信仰と串間慈放とに放いて蔓1とは決して封等めものとは且つて
                           ▲ ▲ ▲一▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲・▲一▲ ▲ ▲I
  居らぬかちしてこそ批評しようとしたのであれます0そしてその息想言綜戦の結兵として貴下と僕と
   ▲▲▲▲ム▲ A A △ A ▲ ▲ ▲▲・▲・▲ム ▲▲▲▲▲■▲▲ ▲▲ ▲▲−
  の思想信仰堺開認識が封等化すペき方向に進むべきを意固すろのであります0
  次に尊下は『小生は嘗幽畢者の論戦がやトともすれば喧嘩となり馬聾に陥ることを常々より遺憾と
  いたし居ろものにて、名替ある費下までが最初からか1る喧嘩腰のことを云はる▲を心よ¢邁撼とす
・あ次第に有之候』といはれますが、僕∬費下に喧嘩を要るやぅな時間の餞裕も楕紳の閉院も無きことは
  前に申上けた通りで、僕の議論の喧嘩腰と組むべき斯かありましたならば御指摘下さい。僕の眼中に
                                  一′
  ほ郷土の盛衰と租幽の興亡また】般公共生活的粥心があるのみでありまして個人求弘氏を相手として
  居ろのではなく、青野作造氏専の思想及びその鸞表と開聯せしめ又一般思想界の慣新思想と名づくべ
  き一傾向を形造るところの∵輿素として貴下の思想と論理とを批判の封象に選樺したのであります.
  叉貴下は「若しも喧嘩をお賛りになろお積りならば小生決して喧嘩を貿ふ意思無蔓式々』といはれます
  か、僕はさういふ像裕を有してをらぬことは反覆詮明した通りであ叶よす。元来食下が「喧嘩」といは
  るゝその喧嘩について精密の論理的叉道徳的説明をせられ七いと思ふのでみります.
   僕は「日本及日本人ヒ月十五打既の拙稿「十二月二十七日』で表白して層りますやぅに、今年は正月
  をもひたすらつゝしみ過さうとしたのであります.】月四日に費表せられた費下の諭故に封して−斉
  、.三」滋退州碓憫柏欄硝州岬m減横‥」溝∴    トノ迄∵LH∴溝d小山や瑞H榊袖小い…が‥榊濁や瑞パ州柵榊湖欄欄瀾瀾儲潤瀾感瀾瀾瀾凋パ1        ∵イ ノ


                                                            L■ll





                                                        ●
  の時間を経過せしめて二月敢行の公刊物にその批評を襲表したといふことは、そこに此の問題を「評
  判』センセエショナルのものたらしめず、畢術的問題としようとする意陶を驚現したのであります.
  このことは以上の四拉の批評を頚表nる以前に、東京朝日新開の代表者の一人に封してその意図を靖
  骨したことによつてち辞せらろべきであります.又僕は最近の東京朝■日新閲が小作争議農村問題に紡
  いての報道と批判とに於いて慎重の態度をとりつ1ありと認めXそれを香ばしいことゝ思つてをるの
  でありよす0
   伊が言論磯に紛いて唆烈の筆鋒を向けるといふことはこの間層が思想言論取の廃園に放いて解決を
                         A ▲ A ▲
  見出すべきを期待するからでありよす。所謂直接行動は飽くまで避けたいと思ふのであります。この・
  直接行動について僕の意見を頚表しよした上記拙稿「十二月二十七日』中の【項『暴力とはbを参照せら
  れたいのでありよす。思想言論戦に比すれば司法行政的庖置もまた直接行動的性質を有してをるので
  あります。それ故に貴下が僕に倒して届嘩膵』といはるゝの町驚は僕がこの間額を思想言論戟の範囲
  に給いて解決せしめようと寸ろ、所謂喧嘩を避けやうとしたことに封していほる1のでぁろと思ひま
                       A A ム A ▲ A ▲ ▲、▲ ▲ ▲ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
  す。凄心費下が適合の論理形式と道徳俵穐の下にするヨ思空白論戦』をl喧増車となし、思想言論戦を凋
   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
  涯せらる1セムば、それは貴下が噂嘩を攣ることになるのを御了鮒になるべきでありませう。僕は貴
  †が盲歯畢者の論嘗に模慣例を示すべく公論濱上に思いて僕の論評に勤してその「畝簡妄は言葉
                                            ニ】

                                             ニニ
 見を凝へ▼た転を朋舷に療摘し厳正に批倒せらるべきを瀾待すろのであります.しかしなが絹僕瀕費
 下め膝答の有無に上って此の冷簡の閑展を加減しょうとするものではありません。叉農下が『最後は
 移鶴理を似て理とし、理を以て理を打つの態度々挿せられむことを希望いたし候』といはる1ところ
 に虜づるゝ思想的欲候については∵亨】に精紳文化鮭史批曾料率研究の原理及び方法に舶もて論議す
  べき喝緒を見出すのであ句ます0以上。(難亀「日本及日本人し大正十三年二月†五日鍵所載)