学術・國體・人道の廃欠者美濃部博士を筆誅す
                  蓑 田 胸 喜

       一 國體擁護の詐術的標榜

 二月七日貴族院本会議は菊池武夫男並に三室戸敬光子の逆臣尊氏讃美者中島商相弾劾演説のなされたる日として記念せらるべきであるが、同日の演説中に菊池男は同時に東大法学部教授美濃部達吉氏の『憲法撮要』末弘厳太郎氏の『法窓閑話』の所説を指摘して政府当局者に其の処置を要請された。(二月八日発行議会議事録) これは中島商相問題よりも思想的にはより重大であつたけれども、一般ジァナリズムの上には反映せられなかつた、然るに貴族院議員としてその隣席にあつて意外にも自己の学説批判と処置要請の演説を聴きたる美濃部氏は、『帝国大学新聞』二月十二月附第五百十三号紙上に『憲法学説辨妄−菊池武夫氏の演説に付いて−』(日本評論社発行、近著『議会政治の検討』に輯録)を発表した。
 この札附反國體学者はそのうちに、『私は世界に比頼なき我が國體をもつて、我が国民の最も大なる誇りであり、又国家の強みも一にこの点に存すとなすもので、國體観念を明徴にしこれを守持することは国民の最も大なる義務であるとすることの信念において、何人にも譲らざることを信ずるものである。』(前掲書三三九−四〇頁)といつた。これがその『逆心』を蔽はんとする厚顔無恥の白々しき虚言であるといふことは該論文冒頭に菊池男等の中島商相問責に就き、『それが原因となつてかどうか、遂に商相の辞任を見るに至つた。自分は今日の如き国事多端、最も強く国民の一致の協力を必要とする時機において、かういふやうな問題が、議会両院の議に上るに至つたことを深く遺憾とするものである。』(同三三七−八頁)といつてをる所に『逆心』はこゝに『劣情』となつてそれ自身を暴露したのである。
 『今日の如き国事多端』は何故に生起したか?満洲事変、五・一五事件而して所謂一九三六年の危機の原因−倫敦条約締結、氏らがそれを曲庇援護した統帥権干犯の出自禍根はいふまでもなく國體破壊の民主・共産主義の不忠・凶逆・革命思想運動の跋扈跳梁そのものではなかつたか?足利尊氏こそは弓削道鏡と共に日本『逆臣』伝の首魁、満洲事変を契機としていま漸く『大和島根のをしへ草ひらけ』なむとする時、大権輔弼の国務大臣たる現職に於て中島商相がこの『逆臣』尊氏讃美論をなしたるを放置して、如何にして『国民の一致協力』を具現し以て『今日の如き国事多瑞』の禍因を根絶解消し得べきであるか?虚仮不実の化の皮は直ちに剥落し去るのである。
 かくの如き思想的並に道徳的無良心の悖徳漢、美濃部氏は、『自ら学問を解せずして妄に他の学説を排し、徒に偏狭の見を持し、國體を名として真摯なる学術の発達を阻害せんとするが如きは、決して國體を擁護する所以でないのみならず、却つて累を國體に及ぼすの患あるものと思ふ』。(同三四〇頁)といふ。氏の内心た何処に『累を及ぼす』べき『國體』の観念ありや?『憲法撮要』のうちには『國體』の文字さへ一度も現れ来らぬ。いまはその唯一の看板隠蓑たる氏の『学問』の内実を剖検してその欺罔悖逆論理を学術の白光に暴露しよう。

     二、 『天皇機関説』の根本的背理

 美濃部氏は第一に、菊池男に非難せられたる『天皇機関説』を擁護せんとして『君主機関説の学問上の当杏は、多年既に論じ古された問題で、学界の定説は既に帰着すべき所に帰着し』てゐるといふが、これが既に自已免許の独断であつて、元来『定説』なるものは自然科学に於いてさへ、刻々に崩されつゝあり、いま精神科学の一科たる法律学中の憲法学上に於ける君主ことに『天皇機関説』に就ては、日本に於いて古くからの筧博士の表現人説もあり、また慶大憲法教授山崎又次郎氏の如きも近著『憲法学』中に西洋諸学者の種々の異論をも指摘して明に機関説を否定してゐる。
 さて美濃部氏は『君主が国家の機関であるといふことは、君主の統治が君主御一人の私の目的の為にせらるゝものではなく、全国家の目的の為にせらるゝものであることをいひ表はすものに外ならない。(同三四〇頁)といふ。かくの如き解釈が既に外来侵略君主を奉ずる西洋(支那も同じ)国家生活の水臭き冷き理論、さかしらのことあげであつて『全国家の目的の為に』せざる君主は『国家の機関』ではないといふことになり、君主放伐の流血革命を惹起する思想動機をなす。日本にあつては 天皇は『全国家の目的の為にせらるゝものであること』はいふまでもないが、憲法発布の御告文にも、『皇朕レ謹ミ畏ミ皇祖皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ』と宜らせ給へる如く、常に『皇祖 皇宗の神霊』に仕へ在しますのであつて、そこに憲法第一条の『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』の明文が神ながらに生れ来り、第二条の『皇男子孫』継承の規定に次いで第三条『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』といひ第四条『天皇は国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規に依リ之ヲ行フ』といふ条章が発顕せられたのである。
 家長が家族のために心身を傾倒するというても、それで家長は『家の機関』であるといふものはない。美濃部達吉は美濃部家の機関であるとはいはぬであらう。『義は君臣にして情は父子』といふ忠孝一本の皇胤国家、神人一貫の『神国日本』の現人神 我大君は断じて『国家の機関』ではない。弾圧や一時の便宜から戴いてをる西洋人にとつては君主は『機関』と呼ぶに相応はしいであらう。然し取り替へることの出来る『機関』としての君主には『神聖不可侵』といふことはない、 天皇が神聖不可侵に在らせらるゝのは天壌無窮の皇運を示し万せ一系の『惟神ノ宝祚』を践ませ給ふが故である。
 元来西洋に於ける法学上の『機関説』は私法学に於ける株式会社の代替し得べき『代理者』の観念を公法学上に運び来つたものでその由来からしても日本の代替変更を許さゞる『神聖不可侵』の 天皇に擬し来るといふことは許さるべきではない。猶それよりも遡つていへば『機関』といふのは『オルガン』といふギリシャ語の語源からして、エルガイン『為す』『作る』といふ語から来たもので『作られたるもの』『道具』『手段』といふ意味の語である。道具、手段を意味する語を以て『神聖不可侵』を説くべくもないのである。
 美濃部氏は伊藤公の『憲法義解』の一節、『譬ヘハ人身ノ四支百骸アリテ而シテ精神ノ経路ハ総テ皆其ノ本源ヲ首脳ニ取ルカ如キナリ』を引用して『人間に取つてその首脳は人間の一の機関であり、その中枢機関たけ最高機関たることは言ふまでもない…君主機関説は、天皇は国の元首なりとするととゝその意を同じくする』(同三四一頁)といふ。これらの点に就いては別に三井氏の厳密の批判があるから、筆者は別箇の見地から論ずる。
 『首脳』を中枢または最高機関といつてもそれを『人間の一の機関』と呼ぶところに重大なる謬論の契機があるので、手足の如きは負傷切断しても生命は猶存続活動し得るが首脳は負傷切断したならばそれは人体にとつて致命、死を意味する。それは代替し得べからぎるが故に始めて首脳である。それ故個体生命にとつてさへ、代替し得べき本来『道具』『手段』を意味する『機関』の語は生理学生物学に於いてさへ厳密なる学術的用語としては相応せぬものである。然しながら支那西欧に於いては遠きまた近き歴史の示す如く、君主は放伐廃止せられて民主共和国となりまた或は他の種族血統のものに代替せられも猶同一国家と呼ばるゝが、『皇統連綿』『万世一系ノ天皇』統治せさせ給ふ大日本帝国に於いては、いふ迄もなく『万世一系ノ天皇』、皇統皇位の廃絶は国家そのもゝ死滅であるから、その限り伊藤公の『首脳』の比喩はこの意味に於いては妥当する。『神ながら』とは『大生命さながら』の謂であつて、日本国家は生命自然の原理法則の自然の具現であるから生理学生物学の原理法則がかく妥当するのである。
 然しながら比喩は遂に比喩であつて、『機関』の語が生理学生物学上に厳密性を以て適用すべからざる如く、生死無常の個体生命としての『人体』の事実を以ては全体生命、殊に『天壌無窮』の永久生命たる大日本帝国、『神国日本』の『惟神ノ宝祚』を説くことは出来ない。然るに美濃部氏は天皇機関説なるものは『国家が人体にも比較し得べき生命ある活動体たることを前提と為すもの』といひつゝ『日本の国家は開闢以来唯一つあるのみで同一の国家が絶えず継続して居るのであるが、天皇は神武天皇以来今上陛下まで百廿四代を経て居る。それでも君主と国家とが同一であると謂ひ得ようか、」(同三四一頁)といふ如き敬称なき不逞誤謬思想を暴露してゐる。これ実に『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』といふ帝国憲法第一条の『完全なる落第者』の答案であつて、この点に就いても後に三井、松田両氏の細密の批判があるから、筆者は前進する。


    三、 憲法第一条の抹殺事実

 美濃部氏は右の如き態度から『国家を以て君主の統治の目的物と為すに至つては是国家を以て活力なき死物と為すもので、全然健全なる国家観念を裏切るものである』(同三四一頁)といふ。国家国民は天皇の統治の『目的物』即ち『客体』でないといふ以上は『主体』たるより外はない。さうすれば国民も亦『天皇』と相並んで同時に統治の『主体』即ち『主権者』たることを主張するものである。
 然り、この点に就いて美濃部氏は明白に、現に帝大其他に於いて使用せしめつゝある教科書『憲法撮要』改訂五版中に、『主権(統治ノ全権)ガ不可分ニ君主一人ニ属ストスルガ如キ思想ハ、近代ノ立憲君主政ニハ全ク該当スルヲ得ザルモノナリ。少クトモ近代ノ立憲君主政ニ於テハ、国家ノ最高ノ意志トシテノ憲法及法律ハ君主ト議会トノ両者ノ意志ノ結合ニ依リテノミ之ヲ制定シ改正シ得べク…君主制ト共和制トヲ区別スベキ標準ヲ求ムルノ困難ハ是ニ於テ生ズ』(五四頁)と公言し、進んでまた、『近代ノ国民的議会ハ全国民ノ代表機関ニシテ、他ノ訓令ノ下ニ立タズ、自己ノ自由ナル判断ニ依リテ其ノ権能フ行フ…議会ハ国民ノ代表機関ナルヲ以テ、君主ガ議会ト共ニ統治ヲ行フハ即チ君主ガ国民卜共ニ統治ヲ行フ所以ニシテ、約言スレバ主憲君王政ハ君臣同治ノ政体ナリト謂フコトヲ得』(五六−七頁)。といふ如く、日本の場合をも含めて『近代ノ立憲君主政』には最早『不可分ノ主権』『統治ノ全権』なるものは原理的に消滅し去り、それは『君主ト議会ト』に分割せられて『憲法及法律ハ…両者ノ意志ノ結合ニ依リテノミ之ヲ制定シ改正シ得べク』故にかくして『君主制ト共和政トヲ区別スべキ標準』滅失せりとなし、議会を以て『他ノ訓令(即ち、君主の大権意志、筆者註)ノ下ニ立タズ、自己ノ自由ナル判断ニ依リテ其権能ヲ行フ…国民ノ代表者』として『君主』に対立せしめ、憚りもなく『立憲君主政ハ君臣同治ノ政体ナリ』(権藤成卿氏の『君臣共治論』を想起せよ、筆者)といひ、而して最後に遂に『立憲政体』を論ずるや、その中心思想を以て、『国民自治ノ思想』と『自由平等ノ思想』これなりといふより進んで、『国民主権説』を『国民自治の精神』に表現し、『国民自治ノ最モ重要ナル機関トシテ立憲政体ノ中心要素ヲ為スモノハ議会ナリ。議会制度ハ実ニ近代立憲制度ノ中枢ト謂べク、議会制度ト立憲制度トハ屡同意義ノ語トシテ用ヰララル。議会ハ国民ヲ代表スルモノト思惟セラレ云々』(六〇−六一頁)といふに至つてゐる。これは議会の権能を次第に高めて先づ始めは君主と対等併立関係に遞昇せしめかくして最後に前者を後者に超出僭上せしめたのである。(筆者は美濃部氏がこれらの論述にあたつて『近代の立憲君主政云々』『近代の国民的議会云々』といつて、日本の場合を除外するといふことは一言も断つてをらぬといふことを、読者諸氏が注意銘記せられんことむ望む。)
 こゝに振り返つて先の『天皇機関説』を吟味するに、氏は伊藤公『憲法義解』の『人体」と『首脳』との比喩を引用して天皇は『中枢機関たり最高機関たること言ふまでもない。』といふのであるが右に筆者が吟味したるところによつて明白なる如く、美濃部氏が『議会』の権能を『天皇』と対立せしめた所では云はゞ『手足』が『首脳』と相並んで『共ニ』『中枢』『最高』機関となされ、次に進んでは遂に上下転倒して『手足』が『首脳』の位置に着いてしまづた。かういふものが『生命ある活動体』といへるであらうか?これこそ『死物』でないならば確に『怪物』に違ひない。
 実際今日の日本の非常時、危機といふものは、美濃部氏などのかういふ 天皇の統治大権を否認した民主々義の『議会中心政治』 『憲政常道論』によつて、議会政治が党利党略の外には眼中国家も国民もなく、 天皇国家あつての政党議会が主客上下転倒してしまつた結果、内治外交国政の全般的破壊となり満洲事変、五・一五事件を引起した結果に外ならぬ。
 美濃部氏は、憲法第五条『天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ』といふ条規を何と解釈しつるあるか。いふまでもなく立法権を行使せさせらるゝのは上御一人 天皇で在らせらるゝ。議会はこれを協翼参賛し奉るまでゝある。伊藤公は既に今日あるべきを憂ひ『義解』の前掲第四条の註釈中に『蓋国家ノ大権ハ之ヲ国家ノ覚性タル元首ニ統へサレハ以テ其ノ生機ヲ有ツコト能ハザルナリ』といひ、右第五条に就いては『我ガ建国ノ体ニ在テ国権ノ出ツル所一ニシテ二ナラザルハ譬へバ主一ノ意思ハ以テ能ク百骸ヲ指使スべキガ如シ』といひ、更に続けて左の如くいつてゐる。『之ヲ欧洲ニ参考スルニ百年以来偏理ノ論一タヒ時変ト投合シ立法ノ事ヲ以テ議会ノ権ニ帰シ或ハ法律ヲ以テ上下ノ約束トシ君民共同ノ事トスルノ重点ニ傾向シタルハ要スルニ主権統一ノ大義ヲ誤ル者タルコトヲ免レス…議会ノ設ハ以テ元首ヲ助ケテ其ノ機能ヲ全クシ国家ノ意志ヲシテ精錬強健ナラシムルノ効用ヲ見ムトスルニ外ナラス蓋シ立法ノ大権ハ固ヨリ天皇ノ総フル所ニシテ議会ハ乃協翼参賛ノ任ニ居ル本末ノ間儼前トシテ紊ルベカラス』 
 伊藤公が『国家ノ覚性』といひ『主一の意思』といひ、また主権統一ノ大義』といつた言葉を何と解するか。美濃部氏の、『天皇機関説』は主権統一の本末大義を紊乱し、国家の『生機』を破壊する憲法違反國體変革の邪説妄譚として、われらが飽迄排撃して已まないのはこの故である。筆者は次にかゝる邪説妄譚の由来する、氏の憲法学研究上の根本観念を吟味せねばならぬ。

        四、『実力』革命肯定の実証

 美濃部氏は、『第二に国法が事実の力によつて推移し変遷するといふことは、遠く日本の歴史の一二頁を翻へすだけでも何人も争ひ得ない事柄である。』(『議会政治の検討』三四二−三頁)例へば大宝の律令が、今日『全く消滅するに至つた』(同三四三頁)ことがそれであるといひ、『論者は「何でも事実の力といふやうなことが極力重ぜられて」云々と曰つて居るが、若しそれが私の著者を指して居るのであれば、全然根拠の無い虚妄である。私は唯客観的の法律現象として国法が事実の力に依つて変化することが有ることを論じて居るのみであつて、決して「極力」事実を重じて居るものではない云々』(同三四四頁)といつてゐる。然るに氏は明治維新を論ずるに当り『維新ノ改革ハ其実質ニ於テハ幕府ノ実力ノ衰弱ト外国勢力ノ圧迫トニ乗ジ薩長土肥諸大藩ガ実力ヲ以テ幕府ニ反抗シ之ヲ倒スニ至レルモノナリ』。(『憲法撮要』八九頁)と云ふやうに、之を全く唯他なる『実力』革命による政権争奪と解し、水戸学や国学によつて鼓吹された勤王大義名分論、先に『何人にも譲らぬ』といつた『國體観念』を徹頭徹尾無視して居る。勤王論なくして王政復古の明治維新が如何にして実現せられ得たであらうか。
 この日本国法の根本精神たる小学生さへ弁へをる國體観念を無視する態度が『社会ノ一般人ノ心理ヲ支配スル力ヲ社会心理ト謂フ。法ハコノ社会的ノ力ニ基キテ存立スルモノ』(同一一〇頁)なりといふ『歴史』抜きの一時的平面的の『社会』思想となり、『慣習法ノ法タル力ヲ生ズル根拠ハ事実ノ力ニ存シ、…制定法ノ力ヲ以テモ絶対ニ之ヲ抑制スルコトヲ得べキニ非ズ制定法ノ規定ニ拘ラズ、其規定ニ反スル慣習ガ行ハレテ、遂ニ国法トシテ認識セラレ随テ制定法ガ限度ニ於テ変更セラルゝコトアリ得ベシ』(同一一六頁)といふ如く、制定法ことにこの場合帝国憲法に就てその基本精神、原理的規範性といふものを抜き去つて『客観的の法律現象』を無意志に変化する自然現象に対する如き態度を以て傍観し、単なる『事実ノ力』によつて憲法も変更さるゝことあり得べし、と放言し、ことにその場合『内閣ハ衆議院ノ多数党ヨリ出ヅルヲ要ス』といふ所謂『憲政ノ常道』は右の意味に於いて帝国憲法第一条の 天皇の統治大権に、変更を加ふるに至りたり、故にこの『憲政ノ常道』に合致せざる 天皇の組閣の大命は、『非立憲タリ不穏当ノ行為タリ』(同一一七頁)といふに至つてゐる。これ至に筆者が先に『天皇機関説』に因みて其根本的誤謬背理を指摘したる議会中心政治の民主々議思想を氏が抱いてをる結果であ
つて、これは『法律現象』を客観的に考察するよりも、寧ろ自己の抱懐する日本國體、帝国憲法に違反する西洋民主々義思想を予め誤りて主観的に盲信せる態度を以て日本の憲政に導入し来つたものである。
 それ故『私ハ唯客観的ノ法律現象トシテ、国法ガ事実ノ力ニ依ツテ変化スルコトガ有ルコトヲ論ジテ居ルノミデアツテ』といふのは、詭弁でないならば無反省も甚しき自己欺瞞である。日本の憲法学者殊に帝大教授たるものは日本國體帝国憲法の原理を守るといふ立場に立たねばならぬのに、美濃部氏の思想態度には以上指摘したる如く筆者はこれを毫末も認め得ないと云ふことを断言する。


      五、『外国憲法』を国法解釈の原理とする國體変革思想の実証

 美濃部氏のかゝる態度は『憲法的理法』なるものを説くに至つて愈鮮明となる。即ち氏はいふ。『制定法ノ解釈ハ決シテ文字ノミニ依ルコトヲ得ズ。又必ズシモ起案者ノ意見ニ重キヲ置クヲ得ズ何ガ法ナルカハ此等ノ外尚常ニ推理ヲ以テ其ノ標準トナサゞルべカラズ。殊ニ制定法ノ制定後社会事情ノ変化アリ、一般国法ノ基礎精神ノ変遷アリ(特ニこの一句に留意すべし後段参照、筆者)社会ノ正義感情ノ進展アル場合ニ於テハ、制定法ノ文字ハ変更セラレズトスルモ尚解釈ノ変更セラルベキハ当然ブシテ、是レ制定法ト相並ビテ別ニ理法ガ其ノ効力ヲ有スル為ナラザルべカラズ』(同一一八頁)『理法ハ其ノ性質上制定法又ハ慣習法ニ比シ一層不明瞭ニシテ、之ヲ発見スルコトハ法学ノ主タル任務ノ一ナリ。之ヲ発見スルノ材料トシテハ、殊ニ類推、社会的正義及杜社会的利益ノ較量、日本古来ノ歴史、外国憲法ノ比較ハ其ノ重要ナルモノナリ。就中近代立憲制度ノ基礎精神ヲ知ルニハ外国憲法ノ比較ハ其ノ欠クベカラザル資料ナリ』。(同一一八−九頁)
 第一に帝国憲法の解釈に当り『必ズシモ起案者ノ意見ニ重キヲ置クヲ得ズ』といふ、『起案者』とは何人を指すのであるか、帝国憲法は畏くも 明治天皇の『欽定』遊ばされものである。其制定に当り幾多先覚の精魂が傾尽せられたるは勿論、 天皇御躬ら如何に大御心を傾倒せさせ給ひしかは種々の逸話にも著しきことであり、『皇祖 皇宗及皇孝ノ神佑ヲ祷リ併セテ 朕カ現在及将来ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓』はせ給ひ、それ故また『朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対し永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ』と厳粛聖語を賜つてゐるのであつて、憲法の『文字』は一語一語謹み畏みて頂き其広大無辺の大御心を如何にして誤なく拝戴しまつらむかとこそ正念専念し奉るべものである。
 然るに何ぞや、自己自身『其ノ性質上制定法又ハ慣習法ニ比シ一層不明瞭』なりと自認自白せる『理法』なる個人的臆断を主位主体とし我が欽定憲法を客位対象として見下すが如き態度を以て」、『制定法ノ解釈ハ決シテ文字ノミニ依ルコトヲ得ズ、又必ズシモ起案者ノ意見ニ重キヲ直キヲ得ズ』と断言し、憲法の明文以外に『別ニ』臣民たる個人としての自己の『推理ヲ以テ標準』とし其『効力』を誇言し、殊に帝国憲法に就き一時的社会事情や社会思想の変化と並べて『国法ノ基礎精神ノ変遷』あるべきを予断肯定し、而も其際『就中近代立憲制度ノ基礎精神ヲ知ルニハ外国憲法ノ比較ハ其ノ欠クベカラザル資料ナリ』と云ふ如く、帝国憲法の解釈に外国憲法を其標準に擬し来る態度よりして、われらは美濃部氏が帝大憲法教授たり高等文官試験委員たる地位にあるべからざるものなることを飽迄断言して已まない。氏は外国憲法を以て比較推理の『資料』とすると表面はいふけれども、其実内心の動機に於いてはこれを『標準』として居ることは、例へば帝国憲法附属の枢密院を論ずるに当り『要するに、わが憲法に於けるが如き枢密院制度が世界の何れの国に於てもその類を見ないものであることは、此の如き制度の必要ならざることを証明するもので、わが憲法の将来の発達は恐くはその廃止に向ふべきものであらう』(『現代憲政評論』一二八頁)といひ、またかの倫敦条約締結当時の『民政』党の統帥権干犯を弁護するに就いても、『今日に於ては、統帥権の独立といふやうな原則は、日本を除く外は世界の何れの立憲国に於ても認めないものとなつた。』『立憲国の一般的条理から言へば、統帥権の独立といふやうな原則は、全く認むべきものでないことは前述の通りで此の原則は否定せねばならぬ』(改造、昭和五年六月号、『我が国法上に於ける政府と軍部との関係』(新著『議会政治の検討』所載一二六−七頁)といつたところにも掩ふべくもなく明白に露呈せられてゐる。
 この美濃部氏は昨年秋五・一五事件公判により統帥権干犯の非難一世を蔽ふや、十月十六日付東京帝国大学新聞に『所謂統帥権干犯』を発表し、『論者等は統帥権とは果して何と考へて居るであらうか…申すまでもなく天皇陛下か大元帥陛下として陸海軍を統帥したまふ大権である』(『議会政治の検討一三九頁)などゝいひ、倫敦条約は陛下の御批准により締結せられたるが故に何処にも統帥権干犯の事実なし、総理大臣の『軍令部長の輔弼の権限侵犯』を以て『統帥権干犯』といふものあらば、これ『軍令部長の権限と天皇の大権とを混同』するものにしてこれこそ『統帥大権の冒涜であり恐れ多い不敬の極みといはなければならぬ』(一四〇頁)といつたのであるが、天皇の統帥大権と軍令部長の輔弼の権限との区別を寸毫もなすことなくして一義的全面的に統帥権の独立を外国を標準として否定したるものこそ実にこの美濃部氏自身であつたので、恬然として顧みて他をいふ美濃部氏の醜悪無比の悖逆心は憎みても/\余りある。右両論文を近著『議会政治の検討』にそのまゝ前後に並べ採録して憚らぬといふ心理に至つてはわれらは全くいふべき言葉を知らぬのである。

      六、自己『神化』の驕慢凶逆意志を摘発す
                                                              ′
 単なる『事実ノ力』に憲法の明文に反する慣習と雖も憲法に代つて法的効力を生ずるといふ美濃部氏の『慣習法』論は、制定法、慣習法の『外ニ』『別ニ』『理法』なるものが存するとなす誤と関連する。氏は今期本議会に於いて強化改正を見んとしつゝある治安維持法に対して、その制定から緊急勅令による改正また適用にまで終始反対し続け来つたが、其際 『共産主義の思想が国家の為に如何に憂ふべきものであるにもせよ、斯かる思想を抱く者の生じたことは、已むを得ない事実である。』(『現代憲政評論』二一八頁)『治安維持法の如き法律を設けて、刑罪を以て此の如き思想それ自身を禁歇せんとするに至つては憲法の精神に悖ること甚しいもので、われ/\の到底賛成し得ないところである。(同二一〇頁)といつた。氏は右の同一著書の中に共産党運動を『如何に大逆無道なりとはいへ』ともいひつゝ『已むを得ない事実である』といひ、而してこれを鎮圧する治安維持法を指して『世にも稀なる悪法』『憲法の精神に悖ること甚しいもの』といつた。氏の「憲法の精神』なるものは唯『已むを得ない事実に従へ!』といふものにて、これが『事物自然ノ条理』といふ氏の所謂『理法』であらう。菊池男が議会の演説中に、氏の憲法学説に対して『何でも事実の力と云ふやうなことが極力重んぜられて推理、理法と云ふやうなことを盛に説いて、憲法の文字と云ふものは変りなくとも、解釈は変へて行つて宜しいといふやうなことが教科書に書いてございます』といはれたのは実にこの点であらう。氏は『宗教的神主国家の思想を注入して、これを以て国民の思想を善導し得たりとなす如きは、全然時代の要求に反するものであつて、それは却つて徒らにその禍を大ならしむるに過ぎぬ』(『現代憲政評論』四三二頁)と云ふやうに、我が惟神道をも含めて一般に『宗教』とか『神』といふ思想を排斥して居るが、議会も発議権を有せず 天皇も御一存にては御改正遊ばされざる『不磨の大典』憲法の条章、ことに其基本原理根本精神さへも『学者』なるものはこれを解釈によつて実質的に変改し得ると公言してゐるのは、『神』を否定して実は自己自身を無過失絶対化し『神化』する大本教式迷信邪宗門の教主となつて居ることに無自覚無反省である。政治家は世間の俗人、学者は脱俗の出世間人で其所説は絶対真理であると無内容無確信の『研究の自由』『大学の独立』を嗷訴する如き増上慢こそ中世的僧侶思想の最たるもので、西洋諸国をもその故に没落破滅に瀕せしめたる民主・共産主義思想を迷信宣伝して現日本の非常時危機を醸成激発した尊氏等の学説こそ『全然時代の要求に反するもので』『却てその禍を大ならしむるに過ぎぬ』ことは、今やわれらの解釈ではなく、既に中外の現代史実の確証するところたるのみならず、実に美濃部氏自身最近の数々の卑劣なる変節改論の跡に蔽ふべくもなく自白せるところである。

    七、限りなき自殺自滅論理


 美濃部氏は、大宝令が今日『全く消滅するに至つた』史実に国法が『事実ノ力』によつて変遷する実証を見よ、といふ。これこそ氏が特に『憲法』学者として致命的無学無研究を不随意に自白したもで、大宝令の細目条項は廃れても 天皇統治の氏の所謂『国法ノ基礎精神ノ変遷』の跡は寸毫もない。憲法の御告文にも『惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ』といひ『此レ皆皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シクマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス』といひ、同じく憲法発布の勅語にも『祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ云々』と仰せられ、伊藤公『義解』に『恭テ按スルニ我カ国君民ノ分義ハ眈ニ肇造ノ時ニ定マル』『憲法ニ殊ニ大権ヲ掲ケテ之ヲ条章ニ明記スルハ憲法ニ依テ新設ノ義ヲ表スニ非ズシテ固有ノ國體ハ憲法ニ由テ益々鞏固ナルコトヲ示スナリ』といふは正にこの謂に外ならぬ。
 また氏は、国法の条文が改正せられずとも『公の解釈』が変つた実例として、(イ)憲法第八条の緊急命令の次期議会に於ける審議の結果、(ロ)其提出目的の意義、(ハ)衆議院解散の回数意義、(ニ)憲法第五条による授爵手続といふ如きものに就いて変更の跡ありといつてゐるが、それらは果して『国法ノ基礎精神ノ変遷』を来したものであるか?若し来さんとした経緯があつたならば、それらは直ちに批判匡正せらるべくまたなし得べきである。要するに『国法ノ基礎精神ノ変遷』は断じてあり得べからず、また許すべからず、而して匡正し得べきが故に問題ではないのである。
 最後に美濃部氏の今回の論文中の、残されたる醜悪極る自殺的詭弁を指摘しよう。
 美濃部氏は、慣行事例が法文を変更せしむといふことなくば菊池男の此度の貴族院に於ける演説は本来許されぬものであつた、それは『明白に議院法違反』であるが、『議会の先例に於いて』、国務大臣の演説に対する質疑といふ名目の下に、その演説に現れない事柄についても、国政の全般に亘つて議員が政府に展開し得ることを認むる慣習が成立つて居るが為に外ならない』 『若し国法が事実の力に依つて変化することを認めないならば、論者は初より斯の如き質疑を許されなかつた筈である』(『議会政治の検討』三四四頁)と実に鬼面幼童を嚇する三百代言の低級詭弁か、居直り強盗の台辞を放つた。
 若し『国法ノ基礎精神ノ変遷』を来す如きととなく、むしろそれを発揚する為である場合には、抹梢的成文法規が慣習によつて変化を受けまた解釈を異にするに至ることあり得べく、またそれは実質上合法的なりと認むるものであることはいふまでもないのである。菊池男の演説は明に議長の『通告順ニ依リマシテ、次ハ菊池男爵ニ発言ヲ許シマス』といふ許可の下に、『本官ハ主トシテ國體観念ノ上カラ現内閣ノ施政ヲ伺イタイノデゴザイマス』と前提して始められたもので、この意味に於いて其正当なることは美濃部氏自身も認容してゐる通りである。然るに氏は菊池男の演説内容に対して『論者の質疑したところは、全然国務大臣の演説に現れなかつた事柄で、殊に商工大臣は初めから演説などはして居らぬのである』といふ如き全く三百代言的の詭弁を弄してゐる。
 我国現在の内外非常時といひ危機といふことは其原因が国民の國體観念の稀薄動揺にあること、従つてまた、五・一五事件の結果生れたる現内閣の使命は特にこの國體綱紀の厳粛なる皇張振作にあることはいふまでもなく、斎藤首相の今期議会の施政演説も冒頭に「国民思想ノ動揺ハ最モ憂慮スべキ所デアリマシテ、政府ハ不穏思想ノ予防鎮圧ニ力ヲ尽シ来ツタノデアリマスガ、前議会ニオキマシテ思想対策ニ関スル決議ノ次第モアリマシタノデ云々』といひ其結論に於いて国際聯盟離脱に関する詔書の一節「文武互ニ其職分ニ恪循シ云々』を拝誦してこの『聖旨ニ副ヒ奉ルコトコソ総テノ根本ナリト信ズルノデアリマス』といつて居ることは美濃部氏自身当然承知の筈でなければならぬ。
 菊池男の演説は内閣首班たるこの斎藤首相の全般的施政方針の根柢基礎に対する批判的質問であつたのであるが、美濃部氏自身『政治上ニ於ケル議会ノ主タル価値ハ、其ノ立法ニ於ケル任務ヨリモ却テ政府ニ対スル批判的任務ニ在ルノ状態ヲ為セリ』(『憲法撮要』五版三五四頁)といつた。菊池男はこの議会の『批判的任務』を遂行すべく、一般国民に対して國體制心明徴の師範たるべき、大権輔弼の国務大臣たる中島商相が『文武互ニ其職分ニ恪循』せよとの聖旨を武人として国史上最も甚しく蹂躙したる『逆臣』尊氏の讃美者であるといふことは、國體の本義に悖り従つてまた殊に現内閣の施政の根本方針に最も背馳する致命的重大問題なるが故に、先づこの点に就き首相並に関係閣僚また根本責任者たる中島商相を問責されたのである。中島商相は猶其他の綱紀問題に就いても疑惑難詰の渦中の人たりしことは氏自身も知れる所、この中島商相問題に対する貴族院に於ける菊池男の演説の内容が『大臣の演説に現れなかつた事柄』であつたといふ如きは何を意味するか? 議院法の要件を具備する、せぬといふ如き抹梢的理窟よりも『政治上ニ於ケル議会ノ主タル価値ハ其ノ立法ニ於ケル任務ヲリモ却テ政府ニ対スル批判的任務ニ在リ』と力説したる自己の積極的根本的立脚点をこそ忘れざるべきである、美濃部氏は!

       八、学術・國體・人道の廃欠者美濃部氏を筆誅す

  筆者は本稿執筆中改めて『憲法撮要』五版の序文を見て今更の如く美濃部氏の凶悪思想に驚愕せしめられた。氏は『国法を作る力』として『制定法』と『事実』と『条理』とを挙げていふ―『憲法は国内に於いて最高権力の地位に在る諸機関の組織作用に付いての法であり、而してそれ等の諸機関が事実に於いて如何に組織せられ、如何に作用するかに付いては、其の上に立ちて之を監督し矯正すべき権威ある者が無いのであるからその事実それ自身が直に最高の権威を有し、随つて憲法は殊に事実の力に依つて変遷し推移することが最も著しい』(序文五頁)と。美濃部氏は菊池男の『何デモ事実ノ力ト云フヤウナコトガ極力重ンゼラレテ云々』といふ非難に対して『若しそれが私の著書を指して居るのであれば、全然根拠の無い虚妄である』といつたが、いま右引用文中に『事実それ自身が直ちに最高の権威を有し、随つて憲法は殊に事実の力に依つて変遷し推移することが最も著しい。』といつたこの一文こそは、逆に氏の否定そのものが実に『全然根拠の無い虚妄である』ことを完全に文字通り実証したものである。『憲法は殊に』それによつて変遷し推移するといふ『国法を作る力』としての『最高の権威』たる、その『事実』とは、既に指摘せる如く、帝国憲法乃至刑法の『成文条規』『文字』よりして、美濃部氏自身その『大逆無道」なることを認識表白せる『國體変革』の共産党運動を以て『已むを得ざる事実』なりとし、かるが故にこれを鎮圧する治安維持法は『憲法の精神に悖るも甚しい』といふ如き『事実』であつて、神ながら建国三千年一貫の『歴史的事実』即ち真の『已むを得ざる事実』ではないのである。
 共産党運動こそは日本に於いては勿論西洋に於いても人類歴史生活の『已むを得ざる事実』に基かず、それ故にまた美濃部氏の所謂『社会的正義』『社会的利益』をも齎すどころか『民衆の阿片』としての宗教の『代用物』―『虚妄』の『社会意識』として、その標榜と正反対の不自由不平等の『監獄社会』 『活地獄』を現出した当のものではないか! かくも甚しき『虚妄』を『事実』と錯する如き頭脳の所有者として、この美濃部氏はまた 天皇統治大権干犯の『憲政常道論』、『統帥権干犯』の倫敦条約締結を弁護して不忠『民政』主義政党と共に共産党を跋扈せしめ『思想国難』『内外非常時』を現出せしめ、而してまた現にその解消の障礙をなしつゝある。われらがこの美濃部氏を飽迄排撃しその処置を要請して已まないのは、氏が無学無心無節操漢としてそれ故に日本國體と人道との廃欠者であるからである。 

                (『原理日本』昭和九年三月号所載)