明治天皇御製


    折にふれて

 教草しげりゆく世にたれしかもあらぬ心の種をまきけむ

    草

 うとましと思ふ葎はひろごりて植ゑてし草の根はたえにけり

    折にふれて

 敷島のやまとしまねのをしへぐさ神代のたねの残るなりけり

    剣
 しきしまの大和心をみがゝすば剣おぶともかひなからまし
 あらはさむときはきにけりますらをがとぎし剣の清き光を

 

  序
   −神明に祈誓し同胞に切願す−

明治天皇御製

  神 祇

わが国は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ
とこしへに国まもります天地の神の祭をおろそかにすな

 『承詔必謹』『君言臣承』また『オホキミノミコトカシコミ』と御祖の御代より言
ひつぎ来しコトノハノミチは宇宙と地球と、全体と部分と、人生と自然と、精神と物
質、此の生成事実の直接観照に基く自明公理によりて規定せらるゝ人間思惟の法則に
随順し『君則天之。臣則地之』と昭示せられし忠義臣道実践法則である。
 日本のコトノハノミチはシキシマノミチである。シキシマノミチの神にまします
明治天皇の大御歌をつゝしみかしこみをろがみまつりて『神祭るの手ぶり』こそは
『忘るな、よ』と強調禁止せしめられ、ふたゝび『ゆめ』とくりかへさせ給ひて、かし
こくも大海の如き寛大の大御心をもつてあはれみいつくしみ給ひし御民にも、この一事
のみは『忘るなよ、ゆめ』と全体意志無条件命令の厳粛を以て聖喩あらせ給ひし大御言
を『必ず』畏みまつるべき臣道の忠義をわすれたる僭越意志者を、帝国大学の法文学部
教授の間に見出すことの、事実をこゝに指摘して、その学説思想の事実的錯認・論理的
誤謬と主義宣伝実行煽動の不忠思想凶逆意志の猛毒劇悪性を、学術的に批判し、その論
理的分析を、実際的処置の目標に向つて綜合し、こゝにこれを『とこしへに国まもりま
す天地の神』の大前にさゝげまつり、『神のまもり』をこひのみまつるのである。

 『神はまもらせ給ふ』のである。 『目に見えぬ神』の『目守らせ給ふ』とは、人間個
体の感覚と思惟とは全生成実在を規定すべからざることを教命するのである。
 神の世界は個体臣民の生命を君国の永久生命につなぐマコトの世界である。つながる
が故にマコトなる人の心の『まこと』の道速振神の心に通ふといふことが『神のまもら
せ給ふ』ことである。希くはシキシマノミチにつながる此の著述とその出版とを『神祭
る昔の手ぶり』に依らしめ給へと『とこしへに国まもります天地の神』の大前に、シキ
シマノミチ会はこのフミをさゝげまつり、このフミが同志の協力、先輩の助勢により世
に広まり、シキシマノミチの学術言論戦によつて、こゝに提出せられたる問題の解決せ
られむことを神明に祈誓し、同胞に切願しようとするのである。
 今や祖国日本の生死興亡を決すべき重大時機の切迫により此の問題に就いての学術的
処置はこゝにその完結を強制せしめらるゝのである。
『神祭る昔の手ぶり』をわするゝことなくばデモクラシイ、マルキシズムの反國體非日
本思想は批判折伏せらるべく『日本國體』への信順帰依は『祖国礼拝』の『神祭る昔の
手ぶり』の実修によつて忠義臣道として実行せらるべきである。
 われらはこゝにこの『意志の意志せられむ』ことを天地神明に祈誓し、国民同胞に切
願する。

  昭和九年六月一日

                        シ キ シ マ ノ ミ チ 会

われもまた学びたりしかみ国呪ふ思想をはぐくむ帝国大
学に
「大学」とふ名をとりのぞき人のもつまことのいのちに
かへらしむベし
人としてまごゝろ志れ高ぶりてまよふもかゝる名のゆゑ
なるベし
大といひ小といふことものゝ数ものゝ量にぞ名づくべく
ありけり
人のいのちはかるべからす学問のあやまり亡国のもとゐ
となるベし
まごゝろにかへりみくにを思ふときほろびぬいのちわれ
らにあらむ

 三井甲之「郷土を去るにのぞみて」連作四十五首のうち