摂政就任の令旨 (大正10年11月26日)
皇上ノ御不例久シキニ亙ラセラルルハ、予ノ国民ト共ニ憂懼措カサル所ナリ。今ヤ大政ヲ親ラシタマフコト能ハサルニ因リ、予ハ成典ニ遵ヒテ摂政ト為レリ。是レ実ニ已ムヲ得サルニ出ツ。方今国事多端ノ際、予ノ弱齢寡徳ヲ以テ、此ノ重任ニ膺ル。夙夜兢兢トシテ負荷ニ任ヘサラムコトヲ恐ル。唯当ニ先皇維新ノ鴻謨ト皇上紹述ノ宏規トヲ遵奉シテ、励精治ヲ求メ、外ハ国交ヲ敦クシ、内ハ国民ノ福祉ヲ増進セムコトヲ期シ、以テ 皇上御平癒ノ日ヲ待ツヘキノミ。国民予カ斯ノ意ヲ体シ、各々其ノ業ニ勤メ、分ニ随ヒテ公ニ奉シ 上下心ヲ一ニシテ、以テ国運ノ永昌ヲ図ラムコトヲ望ム。

昭和元年/大正15年(2586/1926)
昭和改元の詔書 (大正十五年十二月二十五日)

朕、皇祖皇宗ノ威霊ニ頼リ、大統ヲ承ケ万機ヲ総フ。茲ニ定制ニ遵ヒ元号ヲ建テ、大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ、昭和元年ト為ス。
第五十二回帝国議会開院式の勅語 (昭和元年十二月二十六日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
朕遽ニ大喪ニ遭ヒ新ニ大統ヲ嗣ク。逎チ皇祖考ノ遺業ヲ顕揚シ、皇考ノ意図ヲ順承シ、以テ祖宗ノ宏謨ヲ継述センコトヲ期ス。
帝国ト締盟各国トノ交際ハ、益々親厚ヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、昭和二年度予算案及各般ノ法律案ヲ帝国議会ニ提出セシム。
卿等克ク朕カ意ヲ体シ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ望ム。
御践祚後朝見の御儀に於て下されし勅語 (昭和元年十二月二十八日)
朕皇祖皇宗ノ威霊ニ頼リ、万世一系ノ皇位ヲ継承シ、帝国統治ノ大権ヲ総攬シ、以テ践祚ノ式ヲ行ヘリ。旧章ニ率由シ、先徳ヲ聿修シ、祖宗ノ遺緒ヲ墜ス無カランコトヲ庶幾フ。
惟フニ皇祖考、叡聖文武ノ資ヲ以テ、天業ヲ恢弘シ、内文教ヲ敷キ、外武功ヲ耀カシ、千載不磨ノ憲章ヲ頒チ、万邦無比ノ國體ヲ鞏クセリ。皇考夙ニ心ヲ養正ニ宅キ、逎チ志ヲ継明ニ尚クス。不幸中道ニシテ聖体ノ不予ナル、朕儲貳ヲ以テ大政ヲ摂ス。遽ニ登遐ニ遭ヒテ、哀痛極リ罔シ。但皇位ハ一日モ之ヲ曠クスヘカラス、万機ハ一日モ之ヲ廃スヘカラス。哀ヲ銜ミ痛ヲ懐キ、以テ大統ヲ嗣ケリ。朕ノ寡薄ナル、唯兢業トシテ、負荷ノ重キニ任ヘサランコトヲ之レ懼ル。
輓近世態漸ク以テ推移シ、思想ハ動モスレハ趣舎相異ナルアリ。経済ハ時ニ利害同シカラサルアリ。此レ宜ク眼ヲ国家ノ大局ニ著ケ、挙国一体、共存共栄ヲ之レ図リ、国本ニ不抜ニ培ヒ、民族ヲ無疆ニ蕃クシ、以テ維新ノ宏謨ヲ顕揚センコトヲ懋ムヘシ。今ヤ世局ハ正ニ会通ノ運ニ際シ、人文ハ恰モ更張ノ期ニ膺ル。則チ我国ノ国是ハ、日ニ進ムニ在リ、日ニ新ニスルニ在リ。而シテ博ク中外ノ史ニ徴シ、審ニ得失ノ迹ニ鑒ミ、進ムヤ其ノ序ニ循ヒ、新ニスルヤ其ノ中ヲ執ル。是レ深ク心ヲ用フヘキ所ナリ。
夫レ浮華ヲ斥ケ、質実ヲ尚ヒ、模擬ヲ戒メ創造ヲ勗メ、日進以テ会通ノ運ニ乗ジ、日新以テ更張ノ期ヲ啓キ、人心惟レ同シク、民風惟レ和シ、汎ク一視同仁ノ化ヲ宣ヘ、永ク四海同胞ノ誼ヲ敦クセンコト、是レ朕カ軫念最モ切ナル所ニシテ、丕顕ナル皇祖考ノ遺訓ヲ明徴ニシ、丕承ナル皇考ノ遺志ヲ継述スル所以ノモノ、実ニ此ニ存ス。有司夫レ克ク朕カ意ヲ体シ、皇祖考曁ヒ皇考ニ效セシ所ヲ以テ、朕カ躬ヲ匡弼シ、朕カ事ヲ奨順シ、億兆臣民ト倶ニ、天壌無窮ノ宝祚ヲ扶翼セヨ。
閑院宮載仁親王に下されし勅語 (昭和元年十二月二十八日)
朕、新ニ大統ヲ承ケ、先朝ノ宏謨ヲ継述セントス。負荷甚タ重ク、憂念殊ニ深シ。卿、宗室ノ懿親ヲ以テ、両朝ニ歴事シ、勤労是レ積ミ、徳望是レ隆シ。其レ復タ朕カ躬ヲ匡輔シ、朕ヲシテ、皇祖考曁ヒ皇考ノ遺緒ヲ失墜スル無カラシメヨ。
西園寺公望に下されし勅語 (昭和元年十二月二十八日)
朕、新ニ大統ヲ承ケ、先朝ノ遺業ヲ紹述セントス。卿、三朝ニ歴事シ、屡機要ヲ司ル。勲労殊ニ顕ハレ、倚重最モ隆ナリ。卿、其レ先朝ニ效セシ所ヲ以テ、朕カ躬ヲ匡輔シ、朕カ事ヲ弼成セヨ。
内閣総理大臣若槻礼次郎に下されし勅語 (昭和元年十二月二十八日)
朕、新ニ大統ヲ承ケ、先朝ノ丕積ヲ纉述セントス。卿、内閣ヲ総理シ、正ニ国均ヲ秉ル。其レ閣臣ト倶ニ協心戮力シテ、朕カ志業ヲ輔翼弼成スル所アレ。
陸海軍人に下されし勅諭 (昭和元年十二月二十八日)
朕祖宗ノ威霊ニ頼リ、万世一系ノ大統ヲ嗣クニ臨ミ、朕カ股肱タル陸海軍人ニ告ク。
惟フニ、皇祖考夙ニ汝等軍人ニ聖訓ヲ降シ給ヒ、皇考亦申ネテ聖諭ヲ垂レ給ヘリ。汝等軍人、眷々服膺シ、克ク匪躬ノ節ヲ效シ、盡忠報國ノ偉績ヲ建テタリ。
朕ハ先朝ノ慈育愛撫シ給ヘル軍隊ヲ念ヒ、切ニ汝等軍人ノ忠誠勇武ニ信倚シ、列聖ノ遺業ヲ紹述シ、倍々国威ヲ顕揚シ、億兆ノ慶福ヲ増進セムコトヲ冀フ。
汝等軍人、其レ克ク朕カ意ヲ体シ、先朝ノ訓諭ニ遵由シ、審ニ宇内ノ大勢ヲ察シ、深ク時世ノ推移ニ鑒ミ、切磋砥砺、愈々操守ヲ固クシ、一意奉公ノ至誠ヲ擢テ、以テ宏猷ヲ扶翼セムコトヲ期セヨ。

昭和7年(2592/1932)
軍人勅諭五十年記念日ニ於ケル勅語(昭和7年1月4日)
皇祖考特ニ明勅ヲ陸海軍人ニ賜ヒシヨリ茲ニ五十年汝等克ク五條ノ大綱ヲ守シ皇考ノ遺訓ヲ奉シ朕カ意ヲ体シテ日夜軍人精神ヲ養ヒ力ヲ協セ心ヲ一ニシテ報効ノ実ヲ挙ケ忠良ノ誠ヲ擢ツ
朕ハ切ニ汝等股肱ト頼ミ先朝ノ愛撫シ給ヘル軍隊ニ信倚シテ国基ヲ恢弘シ国光ヲ宣揚シ以テ列聖ノ照鑒ニ対ヘムコトヲ庶幾フ  汝等軍人益職分ヲ励ミ彌節操ヲ固クシ其重任ヲ全クセムコトヲ期セヨ

                                       臣 岑生
                                       臣 貞夫
誠恐誠懼謹テ奏ス
陛下登極ノ初特ニ聖勅ヲ陸海軍人ニ賜ヒ先朝ノ訓諭ニ遵由シ宇内ノ大勢ト時世ノ推移トニ鑒ミ操守ヲ固クシ至誠ヲ擢ツヘキヲ訓ヘ給フ  臣等感激ノ至ニ勝ヘス  拳拳服膺シテ夙夜懈ラス唯及ハサラムコトヲ恐ル  謹ミテ按スルニ明治十五年一月四日勅諭ヲ陸海軍人ニ下シテ五條ノ大綱ヲ示シ給ヒシヨリ慈育愛撫ノ恩光ニ浴スルコト爰ニ五十年  臣等乏シキヲ股肱ノ重任ニ承ケ深ク聖旨ヲ感銘スル者此ノ記念日ヲ迎ヘテ区々ノ微忱自ラ止ムヘカラス  益志気ヲ振作シ愈報効ニ精進シ先士ノ志ヲ継キテ後人ニ矜式スル所ヲ知ラシメ終始一貫  上下力ヲ協セテ以テ陛下ノ信倚ニ対ヘ國體ノ精華ヲ顕揚シ宏猷ヲ翼賛シ奉ラムコトヲ誓フ  伏シテ希クハ
叡鑒ヲ垂シ給ハムコトヲ臣岑生  臣貞夫  誠恐誠懼謹テ奏ス
   昭和七年一月四日
                                海軍大臣 臣 大角岑生
                                陸軍大臣 臣 荒木貞夫

[勅語を拝して]
 勅諭拝受ノ五十周年ニ値リ優渥ノ聖旨ヲ賜ハリ恐懼措ク所ヲ知ラス
臣等殊遇ニ感激シ信倚愈重キヲ念ヒ心ヲ竭シテ忠節ヲ励ミ股肱ノ本分ヲ全クセムコトヲ期ス
右部下一般ニ伝達スヘシ 

関東軍へ勅語(昭和7年1月8日)
曩ニ満洲ニ於テ事変ノ勃発スルヤ、自衛ノ必要上、関東軍ノ将兵ハ、果断神速、寡克ク衆ヲ制シ速ニ之ヲ芟討セリ。爾来艱苦ヲ凌キ祁寒ニ堪ヘ、各地ニ蜂起セル匪賊ヲ掃蕩シ、克ク警備ノ任ヲ完ウシ、或ハ嫩江・斎々哈爾地方ニ、或ハ遼西、錦州地方ニ氷雪ヲ衝キ、勇戦力闘、以テ其ノ禍根ヲ抜キテ、皇軍ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ。朕深ク其ノ忠烈ヲ嘉ス。汝将兵、益々堅忍自重、以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立シ、朕カ信倚ニ対ヘムコトヲ期セヨ。
紀元節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和7年2月11日)
上海派遣軍将兵へ勅語(昭和7年3月16日)
上海方面ニ派遣セル陸海軍将兵ハ献身戮力寡ヲ以テ衆ヲ破リ行動機宜ニ適ヒテ
第六十一臨時議会開院式ノ勅語(昭和7年3月20日)
第六十一臨時議会閉院式ノ勅語(昭和7年3月24日)
天長節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和7年4月29日)
男爵白川義則へ勅語(昭和7年5月23日)
第六十二臨時議会開院式ノ勅語(昭和7年6月1日)
第六十二臨時議会閉院式ノ勅語(昭和7年6月15日)
第三艦隊司令長官野村吉三郎へ勅語(昭和7年6月24日)
上海派遣軍司令官代理植田謙吉へ勅語(昭和7年6月24日)
第六十三臨時議会開院式ノ勅語(昭和7年8月23日)
第六十三臨時議会閉院式ノ勅語(昭和7年9月5日)
男爵本庄繁へ勅語(昭和7年9月8日)
陸軍特別大演習参加将卒へ勅語(昭和7年11月13日)
徴兵制六十年ノ勅語(昭和7年11月28日)
第六十四通常議会開院式ノ勅語(昭和7年12月26日)

昭和11年(2596/1936)
新年ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和11年1月5日)
紀元節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和11年2月11日)
天長節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和11年4月29日)
第六十九特別議会開院式ノ勅語(昭和11年5月4日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
帝国ト締盟各国トノ交際ハ、益々親厚ヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
今次東京ニ起レル事件ハ、朕カ憾トスル所ナリ。我カ忠良ナル臣民、朝野和協、文武一致、力ヲ国運ノ進暢ニ效サムコトヲ期セヨ。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、緊要ナル追加予算案及法律案ヲ帝国議会ニ提出セシム。
卿等克ク朕カ意ヲ体シ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ望ム。

第六十九特別議会閉院式ノ勅語(昭和11年5月27日)
陸軍大演習参加将卒ヘ勅語(昭和11年10月5日)
海軍大演習参加将兵ヘ勅語(昭和11年10月29日)
明治節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和11年11月3日)
帝国在郷軍人会ヘ勅語(昭和11年11月3日)
帝国在郷軍人会組織の確立せらるるに当り賜りたる勅語 (昭和十一年十一月二十三日)
第七十通常議会開院式ノ勅語(昭和11年12月26日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
帝国ト締盟各国トノ交際ハ、益々親厚ヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、昭和十年度予算案及各般ノ法律案ヲ帝国議会ニ提出セシム。
卿等克ク朕カ意ヲ体シ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ望ム。


昭和12年(2597/1937)
新年ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和12年1月5日)
紀元節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和12年2月11日)
天長節ノ祝宴ニ於ケル勅語(昭和12年4月29日)
神風ノ成功ニ対スル御言葉(昭和12年5月20日)
第七十一臨時議会開院式ノ勅語(昭和12年7月25日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、緊要ナル追加予算案及法律案ヲ帝国議会ニ提出セシム。
卿等克朕カ意ヲ体シ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ望ム。

第七十一臨時議会閉院式ノ勅語(昭和12年8月7日)
第七十二臨時議会召集ノ勅語(昭和12年8月24日)
朕、時局ノ急務ニ関シ、議会ノ協賛ヲ望ムモノアリ。茲ニ帝国憲法第七条及第四十三条ニ依リ、本年九月三日ヲ以テ、臨時帝国議会ヲ東京ニ召集シ、五日ヲ以テ会期ト為スヘキコトヲ命ス。
第七十二臨時議会開院式ノ勅語(昭和12年9月4日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
帝国ト中華民国トノ提携協力ニ依リ、東亜ノ安定ヲ確保シ、以テ共栄ノ実ヲ挙クルハ、是レ朕カ夙夜軫念措カサル所ナリ。中華民国、深ク帝国ノ真意ヲ解セス、濫ニ事ヲ構ヘ、遂ニ今次ノ事変ヲ見ルニ至ル。朕、之ヲ憾トス。今ヤ、朕カ軍人ハ、百艱ヲ排シテ、其ノ忠勇ヲ致シツツアリ。是レ一ニ中華民国ノ反省ヲ促シ、速ニ東亜ノ平和ヲ確立セムトスルニ外ナラス。
朕ハ、帝国臣民カ、今日ノ時局ニ鑑ミ、忠誠公ニ奉シ、和協心ヲ一ニシ、賛襄以テ所期ノ目的ヲ達成セムコトヲ望ム。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、特ニ時局ニ関シ、緊急ナル追加予算案及法律案ヲ、帝国議会ニ提出セシム。卿等克ク朕カ意ヲ体シ、和衷協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ努メヨ。

第七十二臨時議会閉院式ノ勅語(昭和12年9月8日)
北支内蒙方面ニ作戦ノ将兵ヘ勅語(昭和12年11月12日)
北支及内蒙方面ニ作戦セル軍ノ将兵ハ、嶮峻ヲ度リ、瀏濫ヲ蹈ミ、克ク異域ノ野ヲ征キテ、困苦ト欠乏トニ堪ヘ、長駆霆馳、向フ所戦陣ヲ撃砕シ、皇威ヲ中外ニ宣揚セリ。
朕深ク其忠烈ヲ佳尚ス。思フテ敵丸ニ殪レ、病瘴ニレタル者ニ及ヘハ、寔ニ
ニ勝ヘス。
惟フニ、派兵ノ目的ヲ達シ、東洋長久ノ平和ヲ確立セムコト、前程尚遼遠ナリ。爾等、益々志気ヲ淬祉V、艱難ヲ克復シ、以テ朕ノ信倚ニ副ハムコトヲ期セヨ。

上海方面ニ作戦ノ陸軍将兵ヘ勅語(昭和12年11月20日)
上海方面ニ作戦セル軍ノ将兵ハ、克ク海軍ト協力シ、障礙ト抵抗トヲ擠排シテ、敵前上陸ヲ敢行シ、交錯セル深濠、連続セル堅塁ノ間ニ、勇奮激闘、果敢力攻、寡兵能ク敵ノ大軍ヲ撃砕シ、以テ皇威ヲ中外ニ宣揚セリ。朕、深ウ其忠烈ヲ嘉ミス。其ノ敵弾ニ殪レ、病瘴ニ仆レタル者ニ思ヒ及ヘハ、惻愴殊ニ深シ。惟フニ、派兵ノ目的ヲ達シ、東洋長久ノ平和ヲ確立セムコト、前途尚遼遠ナリ。爾等、益々志気ヲ砕祉V、艱難ヲ克服シ、以テ朕ノ信倚ニ対ヘヨ。
支那方面艦隊司令長官長谷川清へ勅語(昭和12年11月20日)
支那方面艦隊ハ、堅忍力闘、事変発生ノ際ニ善処シ、克ク陸軍ト協力シテ、上海方面ニ敵軍ヲ撃破シ、或ハ長駆敵ノ要地ヲ衝キテ、其ノ航空機ヲ殲滅シ、其ノ諸陣営ヲ毀砕シ、或ハ支那沿海ヲ制圧シテ、敵ノ交通ヲ遮断シ、以テ皇軍ノ威武ヲ、中外ニ宣揚セリ。朕、深ク将兵ノ忠烈ヲ嘉ミス。顧ミテ其ノ死傷者ニ及ヘハ、寔ニニ勝ヘス。
惟フニ、前途尚遼遠ナリ。爾等、益々奮励ヲ加ヘ、以テ戦果ヲ完クセムコトヲ期セヨ。

聯合艦隊司令長官永野修身へ勅語(昭和12年11月20日)
聯合艦隊ハ、久シキニ亙リテ艱難ヲ凌キ、制海ノ実権ヲ掌握シテ、敵ノ交通ヲ遮断シ、克ク陸軍ト策応シテ、敵軍ヲ撃砕シ、皇威ヲ中外ニ宣揚セリ。朕、深ク其ノ忠烈ヲ嘉ミス。爾等、益々奮励ヲ加ヘ、以テ朕ノ信倚ニ副ハムコトヲ期セヨ。
中支那方面ノ陸海軍諸部隊へ御言葉(昭和12年12月14日)
第七十三同帝国議会開院式の勅語(昭和十二年十二月二十六日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員二告ク。
帝国ト締盟各国トノ交際ハ、益々親厚ヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
朕カ将兵ハ毎戦捷ヲ奏シ、大イニ勇武ヲ中外二著ハシ、而シテ腕力銃後ノ臣民亦克
ク協力一致シテ時報ニ当レリ。
朕ハ挙国臣民ノ忠誠二倚信シ、速ニ終局ノ目的ヲ達セムコトヲ期ス。
朕ハ国務大臣二命シテ、昭和十三年度及臨時軍事費ノ予算案ヲ、各般ノ法律案ト共ニ
帝国議会ニ提出セシム。朕ハ卿等カ時局ノ重大ニ稽へ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭
サムコトヲ望ム。
(官報)


昭和13年(2598/1938)
憲法発布五十年に当り恩赦を行ひ給ふの詔書(昭和十三年二月十一日)
朕、憲法発布五十年ニ当り、国運ノ益々隆昌ナルコトヲ懌フ。滋ニ特ニ有司ニ命シ
テ、恩赦ノ事ヲ行ハシム。官僚有衆、其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ。
(官報)
憲法発布五十年祝賀式典に於て賜はりたる勅語(昭和十三年二月十一日)
朕惟フニ、皇租考夙ニ大憲ヲ制定シ、励精治ヲ図リタマヒ、民情以テ暢達シ、国運以
テ興隆シ、茲ニ五十年ニ及ヘリ。今ヤ、希有ノ時局ニ際会セリ。朕カ忠良ナル臣民、
宜シク憲章ヲ奉遵シテ愆ラス、至公無私、唯国家ヲ是レ念ヒ、挙国一体、億兆一心、
日ニ新ニスルノ気運ヲ振興シ、日ニ進ムノ事勢ヲ振作シ、朕ヲシテ、皇租考丕顕ノ遠
猷ヲ対揚シ、以テ丕承ノ美ヲ済スコトヲ得シメヨ。
(官報)
第七十三通常議会閉院式ノ勅語(昭和13年3月27日)
自治制発布五十周年記念式に於て賜はりたる勅語(昭和十三年四月十七日)
朕惟フニ、皇祖考維新ノ大猷ヲ弘メ、地方自治ノ体制ヲ整ヘタマヒテヨリ、茲ニ五十
年二及ヒ、治績見ルヘキモノアリ。
今ヤ希有ノ時局ニ際会セリ。朕カ忠良ナル臣民、克ク私ヲ去リ公二奉シ、規制ニ
恪遵シテ、益々自治ノ根柢ニ培ヒ、以テ国家無疆ノ康幅ヲ増進セムコトヲ期セヨ。
(官報)
前支那方面艦隊司令長官長谷川清へ勅語(昭和13年5月5日)
徐州会戦ノ将兵ヘ御言葉(昭和13年5月25日)

支那事変勃発一周年に当り内閣総理大臣近衛文麿に賜はりたる勅語(昭和十三年七月七日
今事変ノ勃発以来茲ニ一年、朕カ勇武ナル将兵、果敢力闘、戦局其ノ歩ヲ進メ、朕ガ
忠良ナル臣民、協心戮力、銃後其ノ備ヲ固クセルハ、朕ノ深ク嘉尚スル所ナリ。
惟フニ、今ニシテ積年ノ禍根ヲ断ツニ非ズムバ、東亜ノ安定、永久ニ得テ望ムベカラ
ズ。日支ノ提携ヲ堅クシ、以テ共栄ノ実ヲ挙グルハ、是レ洵ニ世界平和ノ確立ニ寄与
スル所以ナリ。
官民愈々其ノ本分ヲ尽シ、艱難ヲ排シ、困苦ニ堪へ、益々国家ノ総力ヲ挙ゲテ、此ノ
世局ニ処シ、速ニ所期ノ目的ヲ達成セムコトヲ期セヨ。
(官報)
支那事変勃発一周年に当り陸海軍人に賜はりたる勅語(昭和十三年七月七日)
朕カ親愛スル陸海軍人ニ告ク。
不幸客歳隣邦ト釁瑞ヲ啓クヤ、朕カ陸海ノ将兵ハ、内画経理ニ勤メ、外攻戦防備ニ
労シ、克ク威武ヲ中外ニ宣揚シ、以テ朕カ信倚ニ対へタリ。朕ハ、汝等ノ忠誠勇武
ヲ嘉シ、切ニ鋒鏑ニ斃レ、疫癘ニ死シ、或ハ廃痼ト為レルヲ悼ム。惟フニ、時局ノ前
途ハ、尚遼遠ニシテ、出師ノ目的ヲ達センカ為、汝等ノ努力ニ俟ツモノ寔ニ多シ。汝
等軍人、其レ克ク朕カ意ヲ体シ、宇内ノ大勢ト時局ノ本質トヲ察シ、愈々自疆淬礪、
以テ朕カ股肱タルノ本分ヲ全ウセンコトヲ期セヨ。
張鼓峰事件ノ将兵へ御言葉(昭和13年8月15日)
軍人援護に関し内閣総理大臣近衛文麿に賜はりたる勅語(昭和十三年十月三日)
朕カ陸海軍人ノ忠誠勇武ナル、明治以来屡国難ヲ克服セリ。而シテ今次ノ事変、師
ヲ隣疆ニ出スヤ、又克ク忠烈ヲ励ミ、以テ国威ヲ中外ニ顕揚シ、朕カ忠実ナル臣民、
銃後ニ在リテ、相率ヰ公ニ奉シ、出征ノ将兵ヲシテ、後顧ノ憂ナカラシム。朕、深ク
之レヲ嘉命ス。
惟フニ戦局ノ拡大スル、或ハ戦ニ死シ、或ハ戦ニ傷キ、或ハ疫癘ニ殪ル、モノ亦
少カラス。是レ朕カ夙夜惻怕禁スル能ハサル析ナリ。宜シク力ヲ軍人掩護ノ事ニ効シ、
遺憾ナカラシムヘシ。茲ニ内帑ヲ頒チ、之レカ貲(し)ニ充テシム。卿、其レ朕カ意ヲ体シ、
之レカ規画ニ当リ、克ク其ノ績ヲ挙ケンコトヲ期セヨ。
(官報)
南支作戦の戦果に対して賜はりたる御沙汰(昭和十三年十月二十四日)
今次ノ南支作戦ニ方リ、陸海軍諸部隊カ緊密ナル協同ノ下ニ、周到ナル準備ト果敢ナ
ル行動トヲ以テ、速ニ広東一帯ヲ攻略セルハ、戦局ニ寄与スルトコロ大ナルモノト
認メ、深ク満足ニ思フ。此旨将兵ニ申伝ヘヨ。
武漢攻略の戦果に対して賜はりたる御沙汰(昭和十三年十月二十八日)
我陸海軍諸部隊カ緊密適切ニ協力シ、長途幾多ノ困難ヲ克服シ、遂ニ衆敵ヲ撃摧シテ、
武漢攻略ノ目的ヲ達成スルニ至レルハ、深ク満足ニ思フ。此旨将兵ニ申伝ヘヨ。
前北支方面軍司令官寺内寿一へ勅語(昭和13年12月12日)
第七十四同帝国議会閉院式の勅語(昭和十三年十二月二十六日)
朕、茲二帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員二告ク。
帝国ト締盟各国トノ交際ハ、益々親厚ヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
朕カ将兵ハ、克ク艱難ヲ排シテ、已ニ支那ノ要域ヲ戡定シタリ。然レトモ、東亜ノ新
秩序ヲ建設シテ、東亜永遠ノ安定ヲ確保センカ為ニハ、実ニ国民精神ノ昂揚ト、国家
総力ノ発揮トニ俟タサルヘカラス。




昭和16年(2601/1941)
第七十六通常議会閉院式ノ勅語(昭和16年3月26日)
第七十七臨時議会開院式ノ勅語(昭和16年11月16日)
第七十七臨時議会閉院式ノ勅語(昭和16年11月21日)
陸海軍人ヘ勅語(昭和16年12月8日)
布哇の偉功を嘉尚して山本五十六に下されし勅語(昭和16年12月10日)
聯合艦隊ハ、海戦劈頭、善謀勇戦、大ニ布哇方面ノ敵艦隊及航空兵力ヲ撃破シ、偉功ヲ奏セリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。将兵益々奮励シテ、前途ノ大成ヲ期セヨ。

南支那海の武勲を嘉尚して山本五十六に下されし勅語(昭和16年12月12日)
聯合艦隊航空部隊ハ、敵英国東洋艦隊主力ヲ南支那海ニ殲滅シ、威武ヲ中外ニ発揚セリ。朕太タ之ヲ嘉ス。
第七十八臨時議会開院式ノ勅語(昭和16年12月16日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
東亜ノ安定ヲ確立シ、世界ノ平和ニ寄与セムトスルハ、朕ノ軫念極メテ切ナル所ナリ。
然ルニ、米英両国ハ、帝国ノ所信ニ反シ、敢ヘテ東亜ノ禍乱ヲ激成シ、遂ニ帝国ヲシテ干戈ヲ執ツテ起ツノ已ムヲ得サルニ至ラシム。朕深ク是ヲ憾トス。此ノ秋ニ当リ、帝国ト意図ヲ同シクスル友邦トノ締盟愈々緊密ヲ加フルハ、朕ノ甚タ懌フ所ナリ。今ヤ朕カ陸海軍人ハ、力戦健闘、随所正ニ其ノ忠勇ヲ奮ヘリ。朕ハ帝国臣民カ必勝ノ信念ヲ堅持シ、挙国一体、協心戮力、速ニ交戦ノ目的ヲ達成シ、以テ国威ヲ宇内ニ震耀セムコトヲ望ム。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、特ニ時局ニ関シ緊急ナル予算案及法律案ヲ帝国議会ニ提出セシム。卿等克ク朕カ意ヲ体シ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ期セヨ。

第七十八臨時議会閉院式ノ勅語(昭和16年12月18日)
第七十九通常議会開院式ノ勅語(昭和16年12月26日)
朕、茲ニ帝国議会開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員ニ告ク。
朕カ外征ノ師ハ毎戦捷ヲ奏シ、大ニ威武ヲ中外ニ宣揚セリ。而シテ友邦トノ盟約ハ益々固キヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
朕ハ挙国臣民ノ忠誠ニ信倚シ、速ニ征戦ノ目的ヲ達成セムコトヲ期ス。
朕ハ国務大臣ニ命シテ、昭和十七年度及臨時軍事費ノ予算案ヲ、各般ノ法律案ト共二、帝国議会ニ提出セシム。卿等克ク時局ノ重大ニ稽ヘ、和衷審議、以テ協賛ノ任ヲ竭サムコトヲ期セヨ。

支那派遣軍総司令官畑俊六、支那方面艦隊司令長官古賀峯一ヘ勅語(昭和16年12月27日)
香港攻略御嘉尚の勅語(昭和十六年十二月二十七日)
支那派遣軍及支那方面艦隊ハ、緊密ナル協同ノ下ニ、開戰劈頭適切ナル措置ヲ以テ、在支敵國權uヲ處理スルト共ニ、迅速果敢二香港ヲ攻略シ、英國ノ重要ナル根據ヲ覆滅シタリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。


昭和17年(2602/1942)
新嘉坡攻略御嘉尚の勅語(昭和十七年二月十六日)
馬來(マライ)方面ニ作戰セル陸海軍部隊ハ、緊密適切ナル協同ノ下(もと)ニ、困難ナル海上護衛竝輸送卜果敢ナル上陸作戰トヲ断行シ、炎熱ニ耐へ瘴癘(しやうれい)ヲ冒シ、長驅霆撃(ていげき)隨所ニ勁敵ヲ破り、神速(しんそく)克(よ)ク新嘉坡(しんがぽーる)ヲ攻略シ、以テ東亜二於ケル英國ノ根據ヲ覆滅セリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。

東印度諸島方面の戦果を嘉尚して下されし勅語(昭和十七年三月十日)
東印度諸島方面ニ作戦セル陸海軍部隊ハ、緊密適切ナル協同ノ下ニ、長途幾多ノ困難ヲ克服シテ、勇戰奮闘克ク敵航空兵力及艦隊ヲ撃滅スルト共ニ、諸方面ニ至難ナル上陸作戦ヲ断行シ、随所ニ勁敵ヲ破摧シテ、神速果敢悉ク其主要根拠地ヲ覆滅シ、以テ敵勢力ヲ一掃セリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。
第七十九通常議会閉院式ノ勅語(昭和17年3月26日)
比律賓方面の戦果を嘉尚して下されし勅語(昭和十七年五月七日)
此律賓方面ニ作戦セル陸海軍部隊ハ、緊密適切ナル協同ノ下ニ、開戦初頭敵航空戦力ヲ撃摧スルト共ニ、諸方面ニ困難ナル上陸作戦ヲ敢行シ、勇戦奮闘迅速ニ首都馬尼剌ヲ占領シ、又険要ヲ恃ミテ抵抗セル頑敵ヲ掃蕩シ、以テ東亜ニ於ケル米国ノ根拠ヲ覆滅セリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。

緬甸及印度洋方面の戦果を嘉尚して下されし勅語(昭和十七年五月十一日)
緬甸及印度洋方面ニ作戦セル陸海軍部隊ハ、長駆異域ニ進攻シ、或ハ炎熱ヲ冒シ険峻ヲ
度リ、神速克ク敵ヲ勦滅シテ、対支補給路ヲ遮断シ、或ハ敵海空軍ヲ随処ニ撃破セリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。

聯合艦隊航空部隊の武勲を嘉尚して下されし勅語(昭和十七年五月十二日)
聯合艦隊航空部隊ハ、勇戦奮闘珊瑚海ニ於テ、大ニ米英聯合ノ敵艦隊ヲ撃破セリ。
朕深ク之ヲ嘉尚ス。

金子堅太郎の薨去を弔し給へる御沙汰(昭和十七年五月十九日)
志ハ経綸ニ存シ、識ハ東西ニ達ス。不磨ノ大典、力ヲ草創ニ竭シ、非常ノ危局、衝ヲ
尊爼ニ折(くだ)ク。再ヒ内閣ニ列シ、久シク枢府ニ班ス。幽光ヲ新史ニ発キ、聖徳ヲ御紀ニ
頌ス。勤労竝ヒ隆ニ、歯徳共ニ高シ。遂ニ溘亡ヲ聞ク、曷(いずくん)ソ軫悼ニ勝ヘム。宜シク
使ヲ遣ハシ賻ヲ賜ヒ、以テ弔慰スヘシ。
右御沙汰アラセラル。

欝入十同臨時帝国譲合開院式の勅語(昭和十七年五月二十七旦
ちんこゝ ていこくぎくわいかいゐん しき おこな  きぞくゐんおよぴしゆうぎゐん かくゐん つ
朕撃−帝国譲合開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員二告ク0
ちん ぐわいせい し   ずゐしよ てきへい げきは えうち こうりやく  おぼい ゐ ぶ ちゆうぐわい
腕力外征ノ師ハ、随撃−敵兵ヲ撃破シ要地ヲ攻略シ、大二威武ヲ中外
 せんやう
こ宣揚セリ。
しかう  いうはう   ていめい   いよいよきんみつ くは   ちんふか これ よろこ
而シテ友邦トノ締盟ハ、愈主緊密ヲ加フ。朕探ク之ヲ欣フ。
ちん しんゐん ちゆうせいゆうぶ しんい   すみやか せいせん もくてき たつせい       き
朕ハ臣民ノ忠誠勇武二信侍シ、遽二征戦ノ目的ヲ達成セムコトヲ期ス0
ちん こくむだいじん めい   とく じきよく くわん きんきふ  よさん革んおよぴはふりつあん ていこくぎくわい ていしゆつ
朕ハ国務大臣二命シテ、特二時局二閥シ、緊急ナル線算案及法律案ヲ帝国譲合二提出セ
    けいら よ ちん い たい  わちゆうしんぎ もつ けふさん にん つく       のぞ
シム。卿等克ク腕力意ヲ饅シ、和義審議、以テ協賛ノ任ヲ掲サムコトヲ望ム0
 第二二二詔 学制頒布七十周年記念式典に際して下されし御沙汰(昭和十七年十月三
      十日)
くわうモかうがくせい はんぶ たま     こ〜 しちじふねん がくげいおほい おこ けうくわあまね おこな   もつ こんにち
皇租考学制ヲ頒布シ給ヒショリ撃−七十年、孝幸大二輿り教化治ク行ハレ、以テ今日
  しゃううん ひち     ちんふか  これ よろこ
ノ昌蓮ヲ開ケリ。朕深ク之ヲ博フ。
ゎがくにいま くわうこ なんきよくさいくわい   じかん きうさい  くわうき しんき    けうがく ま ところおは
我国今ヤ噴古ノ難局二際曾セリ。時報ヲ救済シ、皇基ヲ振起スルハ、教学二須ツ析多
  そのにん あた もの よろ  えいいれいせい こくみんせいしん はつやう がくじゆつぎげい しんこう  ちから いた
シ。其任二普ル者、宜シク凪彗息励精、国民精神ノ覆揚卜学術技肇ノ振興トニカブ致シ、
はつらんはんせい す〜    せかい ぶんくわ  き よ         き
撥乱反正、進ンテ世界ノ文化二寄輿セムコトヲ期スヘシ。
 第二〓三詔 清浦室吾の売去を弔し給へる御諌(昭和十七年十一月九旦
たんばくねいせいもつ そのみ を書  かくきんれいせいもつ そのしよくはう  しばしばないかく れつ  すす  ちようさい
澹泊寧辞以テ厭身ヲ修メ、烙謹励構以テ厭職ヲ奉ス。唇内閣二列シ、進ンテ家事ニ


聯合艦隊司令長官山本五十六へ勅語(昭和17年5月12日)
第八十臨時議会開院式ノ勅語(昭和17年5月27日)
朕、茲帝國譲合開院ノ式ヲ行ヒ、貴族院及衆議院ノ各員二告ク。
朕ガ外征ノ師(し)ハ毎戰捷(かち)ヲ奏シ、大二威武ヲ中外二宣揚セリ。而シテ友邦トノ盟約ハu々固キヲ加フ。朕深ク之ヲ欣フ。
朕ハ擧國臣民ノ忠誠二信倚(しんい)シ、速(すみやか)ニ征戰ノ目的ヲ達成セムコトヲ期ス。
朕ハ國務大臣ニ命シテ、昭和十七年度及臨事軍事費ノ豫算案ヲ、各般ノ法律案卜共ニ、帝國議會ニ提出セシム。卿等克ク時局ノ重大ニ稽(かんが)ヘ、和衷(わちゅう)審議、以テ協贊ノ任ヲ竭(つく)サムコトヲ期七ヨ。
第八十臨時議会閉院式ノ勅語(昭和17年5月29日)
戦時下国民ノ職域精励ニ付御言葉(昭和17年8月10日)
学制頒布七十周年記念式典ノ御沙汰(昭和17年10月30日)
戦時下外地民ノ職域精励、聖業翼賛ニ付御言葉(昭和17年12月18日)
第八十一通常議会開院式ノ勅語(昭和17年12月26日)

昭和18年(2603/1943)
第八十一通常議会閉院式ノ勅語(昭和18年3月26日)
第八十二臨時議会開院式ノ勅語(昭和18年6月16日)
第八十二臨時議会閉院式ノ勅語(昭和18年6月19日)
第八十三臨時議会開院式ノ勅語(昭和18年10月26日)
第八十三臨時議会閉院式ノ勅語(昭和18年10月27日)
聯合艦隊司令長官古賀峯一へ勅語(昭和18年11月11日)
聯合艦隊司令長官古賀峯一へ勅語(昭和18年12月7日)
第八十四通常議会開院式ノ勅語(昭和18年12月26日)

昭和19年(2604/1944)
第八十四通常議会閉院式ノ勅語(昭和19年3月25日)
支那派遣軍総司令官畑俊六へ勅語(昭和19年5月27日)
地方長官激励ノ御言葉(昭和19年8月23日)
第八十五通常議会開院式ノ勅語(昭和19年9月7日)
第八十五通常議会閉院式ノ勅語(昭和19年9月11日)
南方軍総司令官寺内寿一、聯合艦隊司令長官豊田副武、台湾軍司令官安藤利吉へ勅語(昭和19年10月21日)
支那派遣軍総司令官畑俊六、支那方面艦隊司令長官近藤信竹へ勅語(昭和19年11月11日)
八十六通常議会開院式ノ勅語(昭和19年12月26日)