新世界観への要求

 

    一

 支那事変が日本の発展にとつて極めて重大な意義を有することは云ふまでもないであらう。もとより、それは単に日本にのみ関ることでなく、同時に支那にも関ることである。或る人々に従つて云へは、それはまさに「東洋のシュトゥルム・ウント・ドゥラング」である。この狂瀾怒涛の中に日本はどのやうな秩序を新たに設定しようとするのであるか。新しい秩序の設定には新しい世界観の構想が必要である。この新しい世界観の構想の基礎となるのは如何なる原理であらうか。
 この場合、或る人々は云ふかも知れない、それは最初から決定されてゐる、新しい秩序の原理は日本主義乃至日本精神であると。そして人々は進んで云ふことができるであらう、およそ世界観とは民族的なものである、民族的でないやうな世界観は抽象的であり、それは科学であつても世界観と云ふべきものではない、と。
 実際、世界観と民族との間に深い関係が存在することは、我々も先づこれを承認しなければならぬ。これまで世界観といはれてゐたものは、その名称には世界といふ語が含まれるにも拘らず、多くの場合に於て、実は民族観であつたといふことでもある。
 あらゆる哲学的概念がさうであるやうに、世界観といふ語も歴史的起原をもつてゐる。それはもとドイツ語のウェルトアンシャウウング−英語やフランス語にはこれにぴつたり嵌つた語がないといふことにも注意しなければならぬ−を訳したものであるが、この語はドイツにおいて浪漫主義の時代に浪漫主義の精神から作られたものである。即ちヨゼフ・ゲレスが一八〇七年に初めてその『ドイツ国民文学書』の中でこの語を用ゐたといはれてゐる。
 かくして世界観といふ語は、その起原から考へると、先づ第一に浪漫主義の精神において、個々の専門的な特殊的な認識に反対してそれ故に科学との対立において、全体を直観的に把捉するといふ要求を含んでゐる。次にドイツ浪漫主義は、社会経済的に見れは、イギリスやフランスの資本主義に対するドイツの立遅れを基礎として生長したものであつて、前者のインタナショナリズムに対して自己の特珠性を主張するために、国民主義乃至民族主義の思想に立つてゐる。かやうな思想傾向の中からあの有名な、そして極めてドイツ的な「民族精神」(フォルグスガイスト)といふ概念が生れたのである。この概念はドイツの歴史哲学の中で−例へばへ−ゲルを見よ−重要な位置を占めてゐる。そして何よりもこの民族精神と結びついて世界観といふものが考へられた。世界観は民族精神の現はれであるといふのが、その基礎的な考へ方である。
 言葉の担つてゐる歴史的含蓄は無視することができない、言葉はそれ自身のうちに一定の考へ方を、言ひ換へれば一定の世界観を含むといふことができるであらう。世界観といふ言葉は、その歴史的起原に従へば、浪漫主義的並びに民族主義的なものであつたといふことに先づ注意しなけれはならぬ。この言葉が今日再び一つの合言葉となり得る理由もそこから理解されるであらう。


   ニ

 世界観といふ語は最初かやうに浪漫主義の精神から、科学的な専門的な認識に反対する立場において、全体の直観といふ意味に用ゐられた。科学は存在の個々の領域についての知識を与へ得るのみであつて、存在の全体を捉へることができない、科学的世界観とは部分と全体として区別される、全体は科学的方法によつては捉へられず、直観的に捉へられねはならぬと云はれるのである。科学と世界観との対立はなほ種々の点について考へることができるであらう。
 第一に、科学が客観的な知識であるに反して、世界観は主体的な認識であると云はれる。世界観はつねに主体的に拘束されてゐる。それは個々の人間によつて、とりわけ民族によつて、それぞれ異つてゐる。それはロゴス的(理性的)なものであるよりもパトス的(情意的)なものである。世界観がかやうに主体的に拘束されてゐるといふことは、それにとつて欠点であるどころか却つて力であると考へられる。世界観は主体的な決意と信仰とを含み、それ故に実践的な知識であると云はれるのである。
 第二に、科学は合理的認識として目的意識的な過程によつて得られるに反して、世界観は自然生長的なものである。民族は自然的なものとして、世界観は何よりも民族のうちから自然生長的に生れてくる。世界観において重んぜられるのは、かやうに自然生長的と考へられるもの、例へば神話、伝説、言語、民諮等々の如きものであつて、それらのうちにこそ民族の世界観は最も純粋に表現されてゐると云はれるのである。
 第三に、科学は絶えず変化するに反して、世界観は持続的である。科学は日々進歩し、伝統はそれにとつて重要ではないが、世界観は持続的な量であつて、つねに伝統のうちに含まれてゐる。民族とは伝統であり、従つて民族と世界観は密接に結合してゐると考へられるのである。
 かやうにして我々は、如何にして世界観と民族とが不可分のものと見られるかを理解することができるであらう。尤も、科学にしても自己の立場から宇宙の全体に説明を与へ、一個の世界観を作り得ると云ふこともできる。物理学は物理的世界観をもつてゐる。けれどもその場合、それは「世界観」とは云はれないで「世界像」(ウェルトビルト)と云はれねばならぬとされる。世界観と世界像とは前者が主観的(主体的)であるに反して、後者は客観的(客体的)であるといふ点において区別される。しかしながら他面から考へるとき、若し右に主張される如く世界観といふものが民族的であり、従つて世界観であるよりも「民族観」であるとしたならば、むしろ科学こそ「世界観」を与へるものと云はねばならぬであらう。なぜなら、科学は民族を越えて世界的であり、その認識は民族に関らぬ世界的な妥当性を有するからである。かかる世界的な立場を含むことなしに単に民族的な立場において、果して真に世界を捉へることができるかどうかは、疑問である。科学を含まない世界観は今日においては寧ろ不可能であると云はねばならぬ。もとより、主体的な見方を排除してしまつては世界観といふものはないであらう。世界観の世界観たる所以は主体的な把握に立つといふところにある。しかし真に世界を捉へるためには、単に民族的な立場に止まることなく、世界的な立場に立つことが必要であり、従つてまた科学的認識を含む立場に立たなければならぬ。
 新しい世界観は真に世界的な世界観であることを要求されてゐる。世界観は世界の主体的な把握である限り、もちろん抽象的に世界的(人類的)な立場に立つことができないであらう。重要なのは、民族の上に立ちながら民族を越えるといふことである。それが可能であることは、例へばギリシア民族の作り出した文化が今日に至るまで世界的な意義を有し、世界的に影響を及ぼしてゐるといふことによつて実証されてゐる。また現在、日本と支那とが新しい秩序において結ばれねばならぬ場合、もし我々の有する世界観が単に民族的(日本的)なものであるとしたならば、それはこの結合の基礎とはなり得ないであらう。


        三

 すでに述べた如く世界観は神話や伝説のうちに最も純粋に表現されてゐると考へられるのみでなく、今日極めて特徴的なことは、世界観が積極的に一つの神話として主張されてゐるといふことである。例へばアルフレット・ローゼンベルクは、ナチスの民族主義的世界観を『二十世紀の神話』であるとし、新しい秩序はこの神話の中からののみ生れ得ると論じてゐる。かやうにして今日、神話が科学に対立し、世界観から一切の知性的なもの、合理的なものが排斥されるのである。
 我々は神話が歴史の形成カとして有する意義を全然否定することはできないであらう。さうすることは抽象的であり、且つ事実に忠実でないといふ意味において非科学的でさへある。神話は民衆の中から自然的に無意識的に生まれて民衆のうちに伝統的に保存されてゐる。また歴史の危機においては新しい神話が民衆の間にいつとはなしに作られるものである。世界観の基礎には神話があり、世界観は神話を基礎としなけれはならぬとさへ云ふことができるであらう。しかしながら先づ、かやうに民衆そのものの中から生れて来る神話と宣伝によつて故意に作られる神話とは区別されることが大切である。宣伝といふものは一種の神話形成である、或ひは宣伝は神話の形成過程と類似したところをもつてゐる。宣伝は民衆の間においてすでに無意識的に生長しつつある神話を目的意識的に形成し、普及する。しかし宣伝はまた自己の力によつて民衆の間に疑似神話を、似而非神話を植ゑ付けようとするものである。宣伝は自己の植ゑ付けようとする世界観の非合理的なものであるこを蔽ひ隠すために、それが真の神話であるかのやうに故意に信じさせようとするものである。
 新しい世界観は神話から、もしかやうなものが民衆のうちに現はれてゐるとすれば、出立しなければならないにしても、それは神話を神話のままに放置するのでなく、却つて真に世界的な世界観であるために、神話に合理的基礎を与へることに努力しなければならない。世界観は神話ではない。むしろ神話と科学とを媒介するものが、主体的なものと客体的なものとを媒介するものが世界観であると云ひ得るであらう。今日の民族主義的世界観が紳話の名において非合理主義を宣伝しつつある場合、真に世界的であらうとする世界観はその世界性の獲得のために科学と結び付かねはならぬであらう。抽象的に語られる科学的精神が問題であるのでなく、事賞に即して研究する科学そのものが重要であるのである。
 ドイツにおいては民族主義的世界観の立場から科学と神話とが対立させられてゐるのに相応して、今日我が国においては同様の立場から「学」と「教」とが対立させられてゐる。或る人々は云ふ − 西洋思想の特色は学であるに反して東洋思想の特色は教である、哲学の如きも、西洋においてはどこまでも学であらうとするに反し、東洋においてはどこまでも教である、そして今日の日本に必要なことは西洋流の学(科学)尊重を排して教(教学)本位の民族固有の思想に還ることである、と。かやうな考へ方は、最近ではまた、北支文化工作の思想的基礎は孔孟の教でなければならぬといふ説となつて現はれてゐる。
 しかしながら先づ注意すべきことは、教学思想は日本的なものであるのでなく、却つて支那的なものであるといふことである。徳川時代の国学者、本居や平田が支那的なものとして排斥したのは何よりもかくの如き教学思想であつた。民族性から云へば、日本人の世界観は、教学と科学との対立において、前者よりもむしろ後者に近いところがあると云へるであらう。それだからこそ、日本人は逸早く西洋の科学を消化して東洋の先進国になり、今日見るが如き日支間の地位の懸隔を生ずることにもなつたのである。
 次に、孔孟の教は封建的であつて新しい支那を経営するための世界観としては適しないのではないかといふ問題は別にしても、一般的に云つて、科学に対して教学を強調する立場は、今日の世界において最も著しい現象となつてゐる文化の政治への従属を認め、更に勤めるといふ傾向を含んでゐる。教学思想そのものが、文化の政治化を道徳化したものにほかならないからである。


    四

 今日支那的な世界観の特色は、それが政治の優位の思想の上に立つてゐるといふことである。そこでは文化の独自性は認められず、却つて文化は政治に奉仕することを命ぜられてゐる。かくして中世の宗教と文化との関係においてのやうに哲学は政治の奴碑となり、科学は政治に対する護教論となつて神学化され、すべての文化は歪曲され、固定化され破壊されることになる危険が十分に存在するのである。
 現代の世界観は現代の混乱に秩序を齎すものでなければならぬことは云ふまでもない。この混乱は政治の混乱であると共に文化の混乱である。ところで政治にとつての特色乃至特権は、今日の独裁政治において見られるやうに、その秩序を権力によつて強行的に設定することが、善いにせよ悪いにせよ、可能であるといふことである。しかるに文化の秩序はかやうな仕方で設定されることができない。政治が外部から強要する秩序をそのまま、批判的検討の禁ぜられるままに、自己の秩序として前提しなければならぬ場合、文化はかの闇黒時代といはれる中世におけると同様の状態に立ち到らねはならぬであらう。その秩序の設定の方法として、独裁といふやうなものが可能であるかどうかといふところに政治と文化との対立があると見ることができる。文化は自己自身によつて自己に秩序を与へなければならないのであつて、政治的権力的に強要された秩序を最初から前提してかかることができない。
 かやうにして政治と文化との間に正しい秩序を設定するといふことが今日の世界観にとつて緊要な問題となつてゐる。この秩序の設定によつて文化は、今日その傾向が著しく認められるやうな政治への隷属から救はれなければならない。政治と文化との間の正しい秩序の設定は、現存する世界観を新しい方向へ導くか、或ひは別に新しい世界観を建てることを要するやうになるのであらう。
 我々は政治の優位に反対して逆に文化の優位を説くのではない。我々はかやうな意味における文化主義者であらうとするのではない。新しい世界観として我々が要求するのは、政治と文化との間の正しい秩序の設定である。文化が政治に隷属することなく政治から独立であることを力説するのは、自由主義の哲学(例へば新カント派)において主張された文化の自律性の思想と同じではない。自由主義が文化の自律性を主張した場合においても、この主張は、その文化の設定する秩序がその時代の政治の設定する秩序と一致してゐたからこそ、可能であつたのであり、文化の無制限な自由を主張したわけではない。究極的な目標はつねに政治の秩序と文化の秩序との一致である。しかしそれは、今日の状態においては特に、政治が独裁的に設定しようとする秩序をそのまま文化の秩序として受け容れることによつてでなく、反対に文化の自由の立場において政治に対し批判的であることによつて、文化が逆に政治に影響を与へることを通じて、初めて達せられ得るのである。
 文化の独自性に対する要求が政策的に見ても決して抽象的でないことは、今日北支における文化工作が喧しく云はれてゐることからしても知られるであらう。日本の対支政策の歴史において今日ほど文化政策が強調されたことはない。実際、日本は過去において支那に対する何等の文化政策も有しなかつたと云つてよいほどである。今日その必要が痛感されることになつたとすれば、それは真の意味において文化的立場に立つたものであるべきであつて、いはゆる思想政策に過ぎぬやうなものであつてはならない筈である。いはゆる思想政策は文化の立場に立つのでなくて政治の立場に立つものであり、思想といつても、真に思想を尊重するのでなく、却つてあらゆる思想あらゆる文化を一定の政治的イデオロギーに隷属せしめようとするものである。かくの如きは本来なんら文化政策と云はるべきものではないであらう。真の文化政策が可能であるためには、政治と文化との間に正しい秩序を設定するやうな世界観が必要である。
 文化の秩序と政治の秩序とは究極において一致すべきものであるとしたならば、文化と政治とは先づ共通の地盤から出立しなけれはならぬであらう。かやうな地盤といふのは民衆である。過去の歴史において、文化も政治も、新しい秩序を必要とした場合、常に民衆を地盤として出立したのである。現代の政治と文化との混乱に対して秩序を齎すべき世界観は決してアプリオリに構成され得るものでなく、民衆のうちに其の土台を据ゑねばならぬ。あらゆる世界観は神話から生れるといふことが正しいならば、かやうな神話は民衆の間に存在するものである。否、民衆といふものこそ現代の最大の神話である。この神話を科学によつて媒介するものが現代の世界観であると云ひ得るであらう。