新体制と青年



 新体制にとつて青年は重要な意義を有してゐる。革新は或る意味でつねに青年のものであるといひ得るからである。青年層を掴み得るか否かが、今出来ようとしてゐる新体制が成功するか否かの分れ目であるとさへいひ得るであらう。
 満洲国に来て気持が好いことは、その官吏の多くが若いことだ。若いだけに物わかりが速く、万事てきぱきしてゐる。尤も満洲閣下といふやうな言葉が出来てゐるところをみると、貫禄の足りない高官もゐるのであらう。けれどもまた貫禄といふものが年齢に関係しないことも、満洲国においてわかるのである。最初から新体制で出発したこの国の発展には青年の力が必要であつた。
 むろん単なる年齢が問題であるのではない。世の中には青年らしくない青年があり、年をとつても青年らしい人間もゐる。青年とは一つの世代を意味するとすれば、世代を形成するのは単なる年齢でなく、その年齢の人間が経験する社会的、文化的環境がそれに大きな関係を有するのである。
 先達て私は海拉爾から二百キロ許り奥のナラムトといふ白系露人の部落を見に行つたが、そのとき旗公署の人の話に、彼等のうち中堅層であるべき廿代の青年がいちはん駄目だといふことであつた。といふのは、これらの青年は親たちのやうにボルシェヴィキから実際に迫害された経験がないためにそれに対する敵愾心も乏しく、また彼等は親たちが逃げ廻つてゐる間に大きくなつたために教育を受けてをらず、教育がないために宣伝に乗り易いといふのである。満洲国としては、彼等よりも現在国民学校で教育されつつある少年たちに期待しなけれはならぬといふ意見であつた。
 この例からも知られる如く、青年といつても単に年齢が問題であるのではなく、その具体的な歴史的性格が問題であるのである。いま日本の新体制において青年が重要な意義を有することは疑ひないけれども、その青年層の現実の歴史的性格が如何なるものであるかを理解することは、彼等に対する指導にとつて極めて大切なことでなければならぬ。容易に煽動に乗る者が最も頼もしい青年であるとはいひ得ないであらう。他方如何なる煽動にも動かないやうな青年にも期待することはできないであらう。
 新体制は青年の真の指導者を見出さなければならぬ。それは今日の若い世代の歴史的現実を深く理解してゐる人の間に見出される。そしてそれは誰よりも青年自身であるであらう。

(九月二十五日)