協和と指導



 このごろ満洲国では協和と指導といふことが更めて議論されてゐるやうだ。私はこちらでその問題について種々の方面の人から意見をきかされたものである。
 由来、満洲国は五族協和をもつて発足してゐる。ところが協和といふのでは満人を甘やかすことになつて、うまくゆかない。協和などといふのは日本人にありがちなセンチメンタリズムに過ぎず、協和でなくて指導でなけれはならないといふのである。
 これはすこしまへ日本においても東亜協同体論について問題になつた点である。協同体論は日本民族の指導性を否定するものだといふやうな非難の出たことがあつたのである。
 もし協和といふことがただ会議的に多数決にでもよつてやつてゆくといふが如きことであるとすれば、それは明かにさうした非難に値ひするであらう。今日そのやうな自由主義的な考へ方が止揚されねばならぬことは当然である。東亜の新秩序は日本民族の指導のもとに建設さるべきものである。しかしながらそれは民族的エゴイズムであつてはならず、指導の目標はどこまでも民族協和でなければならぬ。
 そして指導において大切なのは指導する者が実際にその資格を具へてゐるといふことである。ただ命令によつて服従させるといふのでなく実力によつて信従させるといふのでなけれはならない。しかも最も肝要なことは単にイデオロギーをもつて指導するといふのでなく寧ろ実践を通じて指導してゆくといふことである。満洲においてほんとに民族協和に成功してゐる日本人の例をみても、それは例へば農業の技術を自分にもつてゐてその土地の農民から信頼され、彼等を生活的に指導してゐる人々なのである。抽象的なイデオロギーを詰め込んだ人間でなく技術を身につけた人間を、大陸は求めてゐるのである。
 指導といふとただ号令で人を動かすことであるかのやうに考へるのは外観の全体主義の悪い影響に過ぎないであらう。東洋古来の政治思想は一種の指導政治の思想であるが、しかしそれは修身斉家といふやうに、指導者として立ち得る資格を先づ自分に養ひ、そして実生活に即して身近かなところから実践してゆくといふことを本質としてゐるのである。西洋に見られるが如き超越的な権威主義は東洋思想の伝統のうちにはなく、却つてここでは人性の自然に従ふといふことを重んじたのである。
 西洋流の自由主義を止揚した協和と、西洋流の全体主義を止揚した指導とは、根本において一致するのである。


(九月四日)