一元化の問題



 一元化といふ語は今日の合言葉の一つとなつてゐる。あらゆる方面の改革において一元化はたしかに必要である。統制の問題は或る意味では一元化の問題に帰着する。従つてその語が今日かやうに流行してゐるのも偶然ではないといへるであらう。
 しかし現在種々の言葉が、その真に何を意味するかを理解しないで、流行語として使はれてゐることが多いのに注意しなければならぬ。それはただ流行することによつて既に自明のことの如く思はれるやうになり、何等その意味を追求しないといふ傾向が生じる。自分でその真の内容を理解してゐない言葉を盛んに使用するといふことが今日の流行となつてゐる。尤も、これは今の時代に自然の現象であつて、これによつて革新的雰囲気が作られる。しかし革新は単に雰囲気の問題でなく、実行の問題でなけれはならぬとすれば、いはゆる一元化についてもその意味を正しく把握すべきであり、そしてそれには多少の「哲学」が必要なのである。
 一元化の問題は或る意味では単純化の問題である。分立することによつて複雑になつてゐるのを、統合することによつて単純にするといふのが一元化である。しかるに従来の実際を見ると、既存の機関の一元化のために新しい機関が作られても、それがその機能を発揮し得ないで、却つてただ分立するものが一つ殖えるといふ結果になり、その関係がますます複雑になるといつた場合が稀れでない。これはその際既存の機関に対して徹底的な改廃が行はれないからであり、そしてこれは既存の機関に属する人々に自己犠牲の精神が欠けてゐるのに依るのである。機構の単純化は特に非常時に必要な能率化のために大切であり、そしてそれは非常時にふさはしい自己犠牲の精神があつて初めて実現されることができる。
 機構の一元化は系統を明かにし責任の所在を明かにすることである。従つて少しでも責任回避の態度がある限り、一元化は徹底し得ない。従来通りに一元化が叫ばれながら、事実は反対に、いはゆる屋上更に屋を重ね、機構のみが徒らに尨大になつたといふのは、当事者に責任観念が稀薄であつたといふことにも関係があるであらう。
 しかし単純化は劃一化ではない。真の一元化は却つてそのもとにあるものの機能或ひは職能の分化を明瞭にすることによつて実現され得るのであり、それが単純化といふことの真の意味である。機能の分化が徹底しないところからセクショナリズムも生ずるのであり、かくて一元化も行はれ難いのである。現実における職能の分化を無視した劃一的形式的一元化はものを無力にすることであり、統制において最も警戒すべきである。


(八月七日)