流行と権威
事変このかた、本の売行が非常に好いといはれてゐる。これは喜ぶべきことに相違ないが、しかしその売行の様子をみると、読者の本に対する鑑識力乃至批判力が疑問であるといはれてゐる。自分で識別し選択するといふことが少くなつて、何か流行となつてゐるもの、何か権威といはれてゐるものに無造作に頼るといふことが多くなつた。鑑識力の低下は流行が力を得る原因であり、また流行は権威らしいものを作り出す原因になる。
流行と権威とが区別されねばならぬことは明かである。権威あるものは真理でなければならないが、流行は真理と虚偽との別なく行はれ得るからである。流行と権威との区別はかやうに明瞭であるにも拘らず、人々に真偶の判別力が欠けてをり、流行に追随する風が盛んな所では、何でも流行するものが権威あるものであるかのやうな誤解を生じ易いのである。
我が国ほど権威といふものの多いところはない、と或る人が言つた。もしその通りであるとすれば、それが残存せる封建思想の現れでないかといふこと、そしてまたそれが流行によつて作られたものでないかといふことを考へてみなければならぬ。流行の波は容易に権威を作ることができる。しかしそれはまた容易に権威を運び去るであらう。流行は次から次へ多くの権威を作る、しかもそのことによつて流行は却つて真の権威を蔽ひ隠してしまひ易いのである。
今日、我が国には権威が必要とされてゐる。権威ある学問、権威ある思想、権威ある藝術、そして何よりも権威ある政治、 ― すべて権威あるものが要求されてゐる。あらゆる方面における自由主義体制から新体制への移行には、新しい権威の確立がなければならぬ。或る意味において、新体制は自由主義に対して権威主義の立場に立つものである。しかしこの新しい権威主義は封建的な、自由主義以前の権威主義とは全く性質の異るものでなければならぬ。権威に対する要求が封建主義の復活とならないやうに注意することが肝要である。
人々は、権威ある言葉、権威ある行動を切実に求めてゐる。本が売れるといふことも、一面そのやうな要求の現れと見られ得るであらう。しかしそのために、我々は自己の鑑識力や批判力を失つて流行に追随し、単に流行によつて作られた権威といふものに身を委ねることを慎むべきである。
新しい真の権威は如何にして生れ得るか、 ― これが新体制の根本問題の一つである。
(七月三十一日)