信頼関係の確立



 第二次近衛内閣はいよいよ成立を見た。近衛公はいはゆる新政治体制の中心人物として輿望を担ふ人である。新内閣の出現は新体制への前進を意味するものとして歓迎すべきことである。
 新政治体制はもちろん新内閣の組織をもつて終るものではない。それとこれとを混同してはならぬ。新内閣の成立は新体制への一段階でしかない。それは重要な一段階であるにしても、要するに一段階に過ぎぬといふことを忘れてばならぬ。新政治体制は、新しい政府、新しい政党、新しい国民組織といふ三つのものを包括し、その三位一体の上に初めて完成する。それら三つのものを互ひに混同することなく区別すると共にそれらを有機的聯関において把握することが肝要である。
 新内閣に対しては多くの希望が寄せられてゐる。ここで私も一つ希望を述べることが許されるならば、私は特に政治における信頼関係の確立を挙げたいと思ふ。
 新しい国民道徳の樹立は新政治体制の重要な任務の一つである。国民心理の問題といひ、新経済倫理の問題といひ、国民性の改造の問題いふものは、総てこれに関聯してゐる。然るにかやうな新しい道徳は政治における信頼関係を基礎として成立する。信頼関係なしには如何なる真の道徳もあり得ないであらう。
 政治に対する国民の信頼の欠乏は従来しばしば指摘されてきた。買ひ溜め、売り惜み、闇取引等の原因もそこにあるといはれてゐる。この際輿望を担うて起つた近衛公を首班とする新内閣に期待したいものは、何よりも政治に対する国民の信頼の回復であり、増進である。そのために必要なことが責任ある政治を行ふことであるのは、常に論じられてきた通りである。
 しかし信頼は相互的であるのを考へることが大切である。それは政府に対する国民の信頼であると共に、国民に対する政府の信頼でなければならぬ。そしてこの国民に対する信頼の欠乏もまた従来しばしば指摘されてきた事である。国民を愛し国民を信ずることによつて、国民を道徳的にする事ができる。人間は誰でも、他から信頼されてゐると思ふ時、道徳的に行為する責任を感じるものである。いはゆる官僚統制の弊をなくするためには、先づ国民を信頼しなければならぬ。国民を信頼することによつて初めて国民の協力を期待することもできる。
 新しい政治体制とはかくの如き信頼関係の表現であるものをいふのである。


(七月二十四日)