東西の新秩序



 阿部全権大使と新中央政府との間に日支国交調整会談が始まつた。あまりに長く待たされてゐた国民は、その結果がそれだけ輝かしいものであることを期待してゐる。
 阿部大使の渡支以来、ヨーロッパの情勢には大きな変化があつた。今後も更に多くの変化が見られるであらう。歴史の歩みは一直線でなく、ジグザグである。けれどもそれは決してただ気紛れでなく、根本の方向には或る定まつたものがある。日本としては世界史の必然的動向に立脚し、その時々の情勢の変化に徒らに左右されることなく、東亜新秩序の建設に邁進しなければならぬ。機会主義的であつては、真に機会を利用することもできないであらう。
 ドイツの勝利は、ヨーロッパにおける新秩序の形成を促進した。ドイツもまた新秩序について考へざるを得ない状態になつたやうに見える。去る五月十三日『フェルキッシャー・ベオバハター』に発表されたアルフレット・ローゼンベルクの「ヨーロッパ革命」といふ論文は、その意味において興味深いものがある(『中央公論』七月号掲載)。ローゼンベルクは従来、民族の血の神話とドイツ民族の絶対性を説いてきた人であるが、今や彼はヨーロッパ協同体を主張し、全体主義から協同主義へ転向するに至つた。それはヨーロッパ戦争の始まると共にわれわれが予想したことである。現実の必要はのつびきならず思想の発展を促したのである。
 ところで少くとも思想だけについていへは、新秩序論、協同体論、全体主義を超えた協同主義は、ドイツに一歩先んじてわが国においてこれまで既に唱へられてゐるものである。日本の知識階級はそのことをいくらか自覚し、新たに自信をもつても好いであらう。
 尤もわが国では、思想についても外国から来たものでないと容易に信用しないといふ風が今もある。しかし一層重大なことは、思想があつても、それを実践に移し得る政治体制がないといふことであらう。日本には思想がないといはれてゐるが、問題はそこにあるのでなく、むしろ政治体制の整はないために、思想がないといはれるやうな状態が生じてゐるのである。それ故に新政治体制の樹立は、知識階級にとつても重要な意味をもつてゐる。
 ヨーロッパ協同体がドイツによつて実現されるか否かは問ふところではない。日本としてはひたすら国内の政治体制を整へて東亜新秩序の建設に邁進し、世界に先駆して世界を指導するといふ大きな抱名と覚悟がなければならぬ。


(七月十日)