敗者の教訓



 ペタン将軍はフランスの敗因について、国民が犠牲の精神を失ひ、享楽的になつてゐたことを挙げた。一九一八年以後のフランスの状態を多少とも知つてゐる者は、この指摘の道徳的に過ぎることがないのを認めるであらう。
 それにしてもフランスの敗北は、余りにだらしがなかつた。長期戦になれば必ず勝てるといふ前世界大戦の経験から生じた国民の常識が、彼らを支へて最後まで踏ん張るであらうと一般に予想されてゐた。しかるに実は国民がかやうな常識の上に安心して昼寝をしてゐたことが寧ろ彼らの今度の敗北の原因でなかつたであらうか。少くともフランスの指導者たちがそのやうな常識に頼つて戦争を始めたところに誤算があつた。彼らは自己の国民がもはや元の国民の如くではないことを認識しなかつたのである。
 政治家は自己の国民の現実を知らねばならぬ。その場合常識に頼ることは危険である。常識は本性上固定的なものであつて、現在を過去と同じに考へ易く、変化する現実を正確に認識することを妨げるからである。これがヨーロッパの戦争における敗者の我々に与へる重要な教訓の一つである。
 最近わが国においてはドイツの勝利から教訓を受取るべきことが頻りに唱へられてゐる。これは疑ひもなく大切なことである。そこに我々の学ばねばならぬものは多いであらう。けれども勝者の教訓に従ふといふことは、単なる模倣になりがちな自然の傾向をもつてゐることに注意しなければならぬ。徒らに勝者の栄光に眩惑されて、その模倣も根柢的なものに触れることなく、単に外面的、形式的に障り易いのである。ただ到達せられた結果のみを真似て、それに至る過程から根本的に学ばないとすれば危険である。自己認識を忘れて、英雄や天才の形だけを模倣して破滅した例は、個人の生涯においても少くない。勝者の教訓に比して敗者の教訓は、我々がこれに冷静に批判的に対し得るだけ、一層有名な場合が多いのである。
 政治家は国民の現実を正確に認識しなければならぬ。もちろん彼は、仮に自己の取扱ふ材料が満足なものでないにしても欺くには当らない。最上の政治家は国民性を自己の目的に通するやうに改造することを知つてゐる。国民性の改造が重要な仕事であることはヨーロッパの与へる切実な教訓である。


(六月二十六日)