科学の生活化



 ヨーロッパ戦争の勝利がいづれの側に恵まれるかはなほ予断を許さぬにしても、ドイツの目覚しい進撃振りは驚歎に値する。ナチズムを好むと好まざるとに拘らず、ドイツに味方すると否とに拘らずそこに学ぶべきものは多いであらう。
 ドイツの成功の原因として先づ挙げられるのは、その武器の威力である。もちろん武器だけが問題であるのではない。その戦闘精神の旺盛がまたドイツ軍の成功の原因であるといはれてゐる。だが旺盛な戦闘精神そのものも優秀な武器に負ふところがあるのである。人間は彼自身としては必ずしも強いものではない。弱い人間も武器を身に着けるならば、猛獣に向つても勇敢に戦ふことができる。そのやうに、軍隊にしても精鋭な武器によつて自信ができ、勇気づけられるものである。
 武器は偶然に出てくるのではなく、科学の産物である。従つて武器を身に着けるといふことはつまり科学を身に着けるといふことにほかならぬ。ドイツの科学の威力は既に前の世界大戦において示されたのであるが、今次の欧洲戦争はそれを更に一層明瞭に示すに至つた。
 ところで一国の科学の発達は単に少数の科学者の力に依るのでなく、国民全体に科学が普及することによつて達せられる。大衆の間に科学が普及して初めて優れた科学者も現はれ得るのである。近代の軍隊の力もかやうな科学の普及の与るところが多いであらう。
 ドイツの新武器は世界を刺戟し、我が国においても科学者が武器の研究に動員されるやうになつた。しかるにこの際考ふべきことは、軍事科学はただそれだけで発達し得るものでなく、科学のあらゆる方面の発達を前提するといふことと共に、科学の発達は科学が国民の間に入り、その生活の中に融け込むことによつて可能であるといふことである。ドイツの科学の発達はドイツ人の日常生活のうちに家庭の台所の隅にいたるまで、科学が入つてゐることによるのである。
 科学の生活化が必要である。近年我が国の小学校教育においては数学は生活に近づけられてかなり面目を新たにしたと認められるが、理科その他においてはまだその努力が足りないと思はれる。科学を単に科学として孤立させるのでなく、人間生活のあらゆる方面に浸透させ、科学的精神の養成をもつて新日本建設の一基礎とすべきである。


(五月二十九日)