民族性と政治
改組還都といふのは支那新中央政府の合言葉である。それは汪政権の新しい出発の第一歩を示してゐる。
上海から南京へ来て、首都飯店に落着いた時、私は先づ還都といふ言葉の如何に実感に充ちたものであるかを知つた。中山北路にあるこのホテルの一室から眺めると、紫金山が陽の光を浴びて紫に輝いてゐる。菜の花が嘆き、蛙の声が聞えて来る。池では女が洗濯をしてをり、釣をする人がある。京都か奈良の春が思ひ出される長閑さだ。族人である私にさへ遷都といつた喜びが同感されるのである。
旅に出る前、私は支那の民族性といふものについて、いろいろ聞き、またいろいろ読んできた。上海に来てからも、支那通と称する多くの日本人が、支那人のことをいろいろと話し、我々はもつと彼等の心理を知らねばならぬと論じてゐるのに出合つた。その議論はもちろん間違つてゐないし、一般的にはもつと強調される必要があるであらう。それにも拘らず、私自身が知つたのは、何処でも同じ人情であつた。そして今南京に来て、変らぬ自然に接して再び考へたのは、やはり変らぬ人情である。
支那人を利用し若しくは支配するには、支那の民族性を知らねばならぬであらう。マキャヴェリ自身が示してゐるやうに、マキャヴェリズムにとつては彼等の心理といふものの把握が必要である。併し支那人とほんとに提携してゆくには、却つて変らぬ人情を基礎にすることが一層大切なのではないかど考へられるのである。支那人の心理を捉へよといふ主張の根柢には、寧ろ支那人を利用し若しくは支配しようといふ旧い観念が知らず識らず前提されてゐるのではないかと思はれるところがある。
もちろん、それぞれの国民に民族性の差異があることは確かである。だがこの民族性といふものは、決して単に自然的なものでなく、長い間の政治の結果である。そして今後日本と支那とが提携してゆくにほ、支那の民族性が新しい政治によつて変化されねばならぬ。しかしこの新しい政治は寧ろ変らぬ人情を基調としたものでなければならないのではなからうか。
日支提携の発展のためには支那の民族性が変らねばならぬが、それとともに日本の民族性も変らねばならぬといふことは、支那に来てみて一層はつきりと感じることである。しかも日本の民族性の改造にとつても日本の政治の改新が何よりも必要なことである。
(四月十日)