教育義務制案


 教育の改革にとつて大きな問題の一つは小学校教員の問題である。それは既に現在においても、経済界の影響にもとづく教員の転職の増加及び教員志願者の減少による教員の不足と質の低下となつて現はれてゐる。そしてその解決は教員の優遇といふ経済的問題を含んでゐるのである。
 しかし教員の問題は義務教育年限の延長とともに現はれてくるであらう。即ちその年限が八年に延長されると、それに伴つて教員の質の向上が必要になり、従つて師範学校を専門学校程度に高めねばならぬことになつてゐる。さうなると勢ひ教員の初任給から上げねばならず、そこにまた経済的問題が出てくるのである。
 教育費は従来市町村財政にとつて大きな負担になつてをり、ためにその国庫支弁の問題も起つてゐるのであるが、それが全部国庫支弁になるとしても、教員の俸給を上げることを勘定に入れると、国家の負担は甚だ重いであらう。
 この場合、或る人が問題解決の方法として私に話したところには傾聴に値するものがあると思はれる。その意見を簡単に紹介すると、専任の教員は大いに優遇するが、数を少くし、その代りに一般国民のうち小学校で教へ得るだけの学識と経験のある者を国家で登録しておいて、必要に応じて、一定の期間、義務的に教育に従事させるといふのである。恰もすべての健康な男子が兵役の義務を有すると同じやうに、すべての優秀な国民は教育の義務を有することになる。それは現在のいはゆる義務教育制に対する教育義務制ともいふべきものである。
 元来、教育に専門家はない筈である。善い農民、善い商人、善い産業家等、すべての善い国民はみな立派な教育家であり得る筈である。国民教育はそれらの人の手で行はれることによつて却つて実際に印した有益なものになるであらう。師範学校を出た者だけが教育家の資格があるといふのは形式主義の考へ方に過ぎない。国民教育はむしろすべての善い国民によつて行はれねばならぬ。
 もちろん専門に教育のことを研究し、専門に教育に従事する者が不要であるといふのではない。ただそこにすべての善い国民が義務的に参加して、善い農民が農業を、善い商人が商業を教へるといふ風になれば、学校と社会との関係は密接になり、真の国民教育が行はれることになり、経済的問題も同時に解決されるのである。かやうな教育義務制によつて国民の教育に対する関心は高められるであらうし、またその機会を利用して国民再教育を実施することもできるのである。

(四月三日)