新しい経済倫理



 新内閣になつて精勤の改組とその活動方針の更新がまた問題になつてゐるやうである。精動は最近やや持てあまし気味になつてゐたのではないかと思はれるが、もちろん精動の必要が減じたわけではなく、むしろその逆である。
 精動の新しい活動方針として、戦時経済道徳の振興に主眼をおくべしとの意見が閣内にあると伝へられてゐる。現在の国内問題の重点が経済問題であることを考へれば、それは全く正常な意見であるといはねばならぬ。闇相場や闇取引の横行は、国民の道徳意識を毀損しつつある。インフレーションの浸潤が、道徳生活を腐蝕する危険も大きい。根本的にいへば、自由主義経済から統制経済への転換は、それに相応する新しい経済倫理の確立を要求してゐるのである。実際、統制に対する反感といふものが、この新しい経済倫理の欠けてゐるために生じてゐる場合は多いであらう。
 「戦争によつて何人も利得すべからず」といふのは、ヒトラー総統の言葉である。それはドイツの戦時経済道徳を現はしたものといへるが、いつたい日本の戦時経済道徳は、如何なるものであらうか。その観念が明瞭でなけれは、精動で戦時経済道徳の振興に努力するといつても、これまで同様、効果は期待されないのである。これまでにおいても、節約せよとか、貯金せよとか、闇取引をするなとかと、十分しばしば叫ばれてきた筈である。その成績から考へて、今後単にそれを繰返しても、無駄なことは明かである。
 新しい経済倫理は、経済に対して外部から加はつてくるものであることができない。従来の慈善事業とか、社会事業とかのやうに、経済機構の根本には営利心といふものを認めながら、ただそれから生ずる弊害を矯正するために、経済外の活動として、道徳が付け加はるといふのであつてはならぬ。倫理は経済の内部になけれはならず、経済の倫理は同時に経済の論理であるべきである。しかもそれが倫理といはれるのは、経済そのものが純粋に物質的な過程でなくて、その中に人間が入つてをり、人間の主体的な自覚による自主的活動が、経済過程に対して重要な関係を有するためである。
 新しい経済倫理は、経済の新しい形に即して説かれねばならぬ。経済機構をもとのままにしておいて、それを補足するために道徳に愬へるといふやうなことでは、効果が挙らない。国民に対して経済倫理の説教を始める前に、先づ新しい経済の全体的な見透しを描き出して示すことが必要である。


(一月三十一日)