雰囲気の変化
この頃我々の雰囲気に或る変化が感ぜられるやうになつてきた。ひとはそれを現状維持的気分と称し従来の革新的気分に対する反動と見てゐる。政党の時代が再び来るかの如く考へたり、どんな統制をも感情的に嫌つたり、ただ何でも事変の速く片付くことを望んだりするやうな風潮がそれを示してゐるといはれる。
かやうな雰囲気の変化が一般国民の間においてさへ感ぜられるやうになつたのは注意すべきことである。それは確かに反動的な性質を具へてゐる。しかしそこに何か積極的なものがあるであらうか。
近年においては種々のことが新しい形において現はれるやうになつた。例へば頽廃の新しい形態といひ得るものがある。それは表面殆どなんら頽廃ではない。為すべきことは為され守るべきことは守られてゐるやうに見える。けれども内面においては、そこには良心もなく情熱もなく、従つてなんら積極的なものがないのである。昔の頽廃においては外的には破綻があつたにしても、内的には人間的なもの、積極的なものがあつた。これに比して今の頽廃は一層危険である。
ちやうどそのやうに、現在感ぜられる雰囲気はそれ自身としては積極的なものを有しない。それは久しく革新が叫ばれながら実際には少しも革新が行はれなかつたり、統制といへばただ上からの官僚的統制であつたりした事に対する単なる反動に過ぎぬ。その消極性が現状維持的に見えるのであつて、そのために国民が現状維持派の味方であるかの如く考へる事は錯覚であらう。併し誰でも多かれ少かれ現状維持的な気持を有するものだ。現在の雰囲気が現状維持派に利用される惧れもあるのである。革新を妨げるものは従来の所謂革新派であるともいへるであらう。
心理的雰囲気がどうであるにしても、現実においては革新の必要はいよいよ緊迫し、また事実としても革新は大いに進行しつつあるのだ。ここにおいて主観的条件と客観的情勢との間の乖離が著しくなつてきたといふのが今日の状態でありこれが最も重大である。この乖離を除くことが政治の進展にとつて要求されてゐる。しかしこれまでのやうに革新を唱へるのでは無意味であることも全く明瞭になつてきた。
阿部内閣は前内閣から「人心の一新」といふ任務を負はされた。しかるに人心の現状が右の如くであるとすれは、まことに憂慮すべきことである。国民の心理をしつかり掴んだ政治の転換が必要である。
(十一月一日)