国民運動の起点



 前内閣の終り頃、排英運動がだいぶん盛んであつた。あれは官製のものであつたともいふが、少くとも外形上は国民運動として展開されたものである。あの運動がかなり活溌になつたといふことは、わが国においても指導の仕方によつては国民運動の発展し得る可能性があることを示してゐる。これは、排英運動の当否を別にして、重要な教訓であつた。
 今日、国内改革のことも、支那事変処理のことも、国民運動と結び付かねばならぬといふことは、殆ど常識論になつてゐる。その国民運動も明確な方針さへ与へられれば十分に発展し得る見込のあることは、先般の排英運動において一応示されたことである。日本では国民雲動は起り得ないなどといふのは、そのやうな政治の指導方針が確立してゐないことをいふにほかならない。
 阿部内閣はヨーロッパ問題には介入せず専ら支那事変処理に邁進することを声明した。いはゆる事変処理の具体的政策が如何なるものであるか、未だなほ明瞭でないが、汪兆銘氏の純正国民党運動を支援するといふことは政府の方針としてだいたい決定してゐるやうである。それならそれで、そこに国民運動の起点を求めてこれを発展させるといふことが今日適切なことではないかと思ふ。それは確かに国民運動の発足点となり得るものである。
 汪兆銘運動の支持はわれわれの言葉に依れば東亜協同体の理論にその根拠を求めねばならぬ。東亜協同体運動こそ新しい国民運動の起点となるべきものであり、またなり得るものである。過般の排英運動の例に徴しても、政府の肚さへ決まれば、東亜協同体運動が国民運動として発展し得ることは明瞭である。国民精神総動員もかやうな国民運動と結び付いて初めてその意義を発揮し得る。支那における宣撫事業の如きも、この国民運動の一翼として国民的に展開されることになれは、その効果も大きいであらう。
 東亜協同体論についてはいろいろ非難もあるが、すべての理論は実践と結び付いて発展するものであつて、東亜協同体論も国民蓮動にまで展開されるやうになれば、理論的にも飛躍的に発展し得るのである。それのみでなく、最近のヨーロッパの情勢は東亜協同体論の世界史的必勝性を証明しつつある。
 どのやうな政府が出来ても、国民の力を自覚するのでなけれは、時局を打開することはできぬ。国民を信頼することのできない政治家は最も惨めな存在である。


    (十月十一日)